|
旧村社 旧国郡:渡島国亀田郡 神紋:丸に武田菱 祭神:倉稲魂命、大山祗命、猿田彦命 例祭日:8月26日 最寄の交通機関:函館バス「中央文月」下車 文月稲荷神社は、北斗市の旧上磯市街から旧大野町へ抜ける道道96号線の途中、旧大野町文月に鎮座する神社。旧村社で文月村の鎮守社であった。 「社号標」 「境内の脇を文月川が流れる。」 「左側に民家、右側に文月川。」 ・松前藩領の三大稲荷の一つ 文月稲荷神社の勧請年は不詳。ただし、文月へ南部藩野田村(現在の岩手県九戸郡野田村)の野田作右衛門が入植し米を収穫したのが元禄5年(1692年)で、境内の杉の巨木の樹齢が300年以上ということから、その頃の創建と考えられている。 元々、この「文月」という地名は「船着き」が転訛したものといわれ、入植した先人は海からこの文月までおよそ8kmある川をここまで船で上って来たといい、船を押し上げたと考えられる「押上」という地名も残っていた。 松前藩10代藩主・松前章広が文政6年(1823年)に再建を命じた記録があり、同年に自ら揮毫した「正一位文月白狐稲荷大明神」の社号額や再建の由来を記録した由来額、完成を祝った俳句額が納められ、市の指定文化財となっている。 どちらも大野町郷土資料館では展示されていたが、旧資料館が老朽化のため市役所分庁舎2階へ移された新北斗市郷土資料館は旧資料館よりも展示スペースが大幅に縮小され展示されていない。 社号額「正一位文月白狐稲荷大明神」 造営由来額「正一位稲荷宮奉額序」(上)、俳句額「正一位稲荷宮奉額」(下) ちなみに、松前藩主は徳川幕府直轄時代から有珠の善光寺に将軍家の供進使として代参し、その途中、休憩を兼ねて文月稲荷神社に参詣した。 また、文月から山側に入った姉弟山で松前藩の鷹狩が行われていたり、そういう関係もあってか松前藩からこの文月の白狐稲荷は、湊(旧銭亀沢村)の石倉稲荷、江差笹山の直満稲荷と並ぶ松前藩領内の三大稲荷として崇敬された。 明治9年(1876年)、村社に列格。 明治11年(1878年)に山神神社(大山祗命)と猿田彦神社(猿田彦命)を合祀した。 境内には沢山の杉の木が生えていますが、「文月神社環境緑地保護地区」に指定されています。 文月神社環境緑地保護地区
この地区は、スギ・アカマツ等の大径木が生育する面積742平方メートルの境内林である。 地区内には、開拓の歴史を物語る推定樹齢320余年のスギの大径木があり、昭和47年3月に道条例に基づ く記念保護樹木に指定されているなど、市街地周辺の環境緑地として維持することが必要な樹林地として、 住民に親しまれている。 昭和63年5月26日指定 北海道 「境内の杉うちの一本「母杉」(左)と、記念保護樹木に指定されている杉(右)。」 神社の社殿から右側に降りられるところがあり、そこを降りて行くと不動尊が祀られている祠がある。 文月神社内不動尊
文月神社境内の東側にある祠の中に石像の不動尊が安置されている。不動尊は、台座から焔まで68cmで 身長47cmの座像である。天保9年(1838年)に不動院が奉ったもので、村内安全、五穀成就、諸難消滅を 不動明王に祈願したと刻んでいる。そのわきに長さ45cmの不動の剣が納められていて、明治29年(1896年) の旧正月に、文月村・高田辰三郎が願主となっている。 この不動明王は、大日如来の変身である。だから悟りを開いた完全な仏陀であるため悪を粉砕する怒りの 相をし、働きやすい奴隷の形をしている。不動尊信仰は貴族から武士、町民へと移ったが、文月にもこの信 仰が伝えられ、加護を願った歴史を物語るものとして、大切な遺産である。 昭和62年8月 大野町教育委員会 この横に昔は大野小学校文月分校の校舎が建っていた。 「開校百年顕彰之碑」 |
全体表示


