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皆さん、こんにちわちわ。 2月16日から19日まで羽後国まで行ってきたので、ちょっとした覚え書き。 まぁ羽後国と言っても主に秋田なわけで、主な目的は宮古海技短大時代の友人に会うことなのですよ。 前々から一度秋田で飲もうよって話があって、予定を16日にしていた…と。 その当日16日の2日前に会社に退職の電話を入れていて、恐らく会社と引き留め電話のやり取りがあると思われることから、16日の予定は延期にしようと思っていたところ、当日16日の朝に友人の一人から「何時ころに秋田着きますか〜?」という電話。 急いで準備する俺がそこには居た…。 函館駅。 昼過ぎの函館発の特急スーパー白鳥に乗り青森へ。そこから奥羽本線の特急つがるへ乗り換え秋田に19時前には付く予定だった。 だった…。そしてついでのイレギュラー。 青森駅で乗り換え列車の待合中に会社の部長から退職引き留めの電話があった…と。 まぁ↓こんな感じのやり取り。 なんとか碑文谷潤教授から教わった方法で、ひとまず退職届を送ってくれという所まで漕ぎつけたのだが。 「青森駅」 あと、おりしも西高東低の冬型の気圧配置で大雪の降った青森県は発車も30分ほど遅れ、数箇所で線路のポイントが切り替わらず最終的に1時間ちょい遅れの20時過ぎに秋田に到着。 「乗車した特急つがる」 実はワタクシ、秋田市に入ったことはあるのだけれど(古四王神社、護国神社参拝時に)、秋田市街は初。 駅前にはビルも立ち並んでて青森よりも都会という印象…だった。 この時は…。 とりあえず友人2人の待つ居酒屋へ行くことにする。 秋田市の歓楽街は、秋田駅から西へ700mほど行った大町・川反にある。 指定された居酒屋をタクシーの運ちゃんは知らず少し迷走したものの現地に到着し久々の再会。 とりあえず再会を祝すのと自分の退職祝い(?)というわけで「きりたんぽ鍋」をつつく。 きりたんぽ鍋ウメェ。地元の友達には買い忘れた。スマソ しばらくしてから二次会でキャバクラへ。何故か函館みやげで渡そうと買ってきていたスナッフルスのチーズオムレットを食う友人とキャバ嬢、合計6人。 とりあえずチーズオムレットは好評だったみたいだからまぁいいか…。 そして三次会、スナックへ。 基本的に女の子と話す機会があまりないのと分かる話題じゃないとさっぱり離せなくなるのである意味リーダーである同い年の友人1人がトイレで居なくなったりすると話すことが無くなるわけで。 俺、ドラクエとかゲーム全然やったことないからそっちの話題で話を広げられない…っ。 もう一人の若い方の友人は何故か「ガールズパンツァー」の話をしようとするし…。スナックでガルパンの話はダメだ! 気づいたら夜中の1時過ぎ。そんなこんなで1日目の夜は更けていった。 |
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旧無格社 神紋:右三つ巴 祭神:大國魂神、大巳貴神、少彦名神 例祭日:9月5日 最寄の交通機関:地下鉄東豊線「環状通東駅」下車、徒歩3分 札幌村神社は札幌市東区に鎮座する神社。 明治32年創立、創立の際、札幌神社と名称を付けようとするも官幣大社・札幌神社と同名になるため許可されず、「村」を付けることで許可され現在の「札幌村神社」という社号となった。 「鳥居の前にある社号標」 明治33年11月1日に創祀、一村の氏神として崇敬するため、村民一同協議の上、明治34年9月出願し、同年許可される。 明治34年石狩国札幌郡札幌村大字札幌村の地主・高木長四郎が札幌村神社敷地として畑地2反1畝22歩を寄付。 祭神は北海道神宮より大國魂神、大己貴命、少彦名神の三神を奉斎している。 昭和9年4月1日行政区割変更により札幌市に編入。札幌市北14条東14丁目23番地と変更。 昭和46年11月札幌市の区画整理により現在地に遷座。 現在の社殿は平成19年8月に造営されたもの。 社殿も境内も新しく整備された感じですが、狛犬は年季が入っていました。 真新しい社殿の右側にはアメリカのカントリー調の社務所。 「拝殿」 「扁額」 境内の右側には日露戦役忠魂碑が建っています。 「日露戦役忠魂碑」 御朱印は社務所で頂きました。 社務所ですが普通の家で授与所があるわけではないのですが、授与品は社務所までと張り紙があったのと、ちょうど女性二人が社務所で何か授与品を頂いていたようだったので御朱印をお願いしてみることにしました。
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旧県社 神紋:五本骨扇 祭神:[主祭神]真山大神、天津彦火瓊瓊杵命、武甕槌命 :[合祀]天照大御神、豊受大神、豊玉毘女神、少彦名神、大山咋神、大名持神、塞神三柱神 例祭日:7月15、16日 最寄の交通機関: 真山神社は秋田県男鹿市に鎮座する神社で、有名な秋田のナマハゲはこの真山神社の神事でもある。 祭神については諸説があり、秋田市の古四王神社と同じ越君阿部氏の祖・大彦命という説や、漢の武帝という説もある。 現在は邇邇藝命・武甕槌命を祀る。(資料によっては真山大神も祭神としてある) 真山神社の創祀は、社伝によれば景行天皇の御代(71-130)に武内宿禰が勅を奉じて北陸地方諸国の視察した折、男鹿島に下向して湧出山(現在の真山)に登り、邇邇藝命・武甕槌命を祀ったことに始まると伝わる。 平安時代には仏教が伝わり貞観年間には慈覚大師円仁によって湧出山を二分し、北を真山、南を本山としたと伝わり、修験道が盛んになり天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された。 南北朝時代になると明徳年間(1390-93)真山別当・赤神山遍照院光飯寺(こうぼうじ)が天台宗から真言宗へ変わり、奥州の豪族・安倍氏・清原氏・藤原氏の庇護の下で修験霊場として隆盛を誇った。 文禄4年(1595)領主・秋田実季は社領163石を寄進し、江戸時代になると国内十二社に指定され、領主・佐竹氏の祈願所にも定められ、久保田藩初代藩主・佐竹義宣は元和年中に社領100石、2代藩主・佐竹義隆は寛永18年(1774)に90石を寄進している。 明治維新に際し、別当の光飯寺は神職となり社名も赤神神社から真山神社と改称。明治5年(1872)郷社、明治14年県社に昇格した。 最初、車道に鳥居があって、しばらく進むと左手に駐車場、右手になまはげ館があり、更に奥に進むと真山神社の駐車場があります。 最初に見えてくるのが仁王門。 仁王門の前にある手水舎も真冬なので凍りついていました。 ●仁王門 仁王門は江戸時代中期に作られたもので別当であった光飯寺の山門であったものが明治時代より神社の神門となったものです。 仁王門の上には奉納された包丁が… 仁王門をくぐると右手に授与所、左手に丸太船があります。 「右手が授与所」 今回は友人との参拝だったのでゆっくり写真は撮れなかったので少なめ。 さらに石段を登った先に拝殿があります。 ●拝殿 拝殿は昭和34年に造営されたもので変則的な権現造りになっています。 「真山神社・拝殿」 「拝殿・扁額」 本殿は真山山頂に鎮座しているのでまだまだ登ることになります。 ●柴灯祭 特殊神事として柴灯祭(せどまつり・1月3日)があり、秋田のなまはげとして有名。 正月3日に境内に柴灯を焚き上げ、この火によってあぶられた大餅をお山に鎮座する神に献ずるというもの。 なまはげはこの神の使者「神鬼」の化身といわれ、平安時代の長治年間(1104-1106)より行われてきました。 雪の深々と降る厳寒の宵に斎行されるもので、その年の村内安全・五穀豊穣・大量満足・悪疫除去を祈ります。 特に神鬼に献じられた餅は護摩餅と称されて、災難除去の護符として氏子参詣者に下賜されます。 2月第二金・土・日曜にも「なまはげ柴灯祭り」が神社で行われます。 真山神社では1月と2月になまはげの神事が行われますが、男鹿半島の各家では大晦日の晩に、なまはげ行事が行われます。 なまはげの語源は「ナモミを剥ぐ」という言葉がなまったもので、ナモミとは囲炉裏に近づき過ぎてできる低温やけどの事で、それをはぎ取り、囲炉裏のそばで怠けている人間を戒めるのがなまはげです。 ちなみに授与所にはナマハゲのお面が置いてあり、自由に面を付けることができます。 右手に包丁、左手に桶を持っていますが、これは包丁でナモミを剥ぎ、剥いだナモミを桶に入れるということから来ています。 授与所の前では上の説明をする巫女さんと、説明を聞くナマハゲの格好をした自分という一見シュールな光景が…。 巫女さん可愛かったです、ハイ。 ナマハゲは各集落の若者たちが面をつけて藁で編んだケデを身にまとい、威厳のある所作で氏子各家をまわり新しい年の幸福を祈るもの。男鹿のなまはげは「年の折り目に神が来臨して人々に祝福を与えるという古態をとどめ、我が国古来の民間信仰の一形態を示すもの」として、昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。 |
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旧村社 神紋:左三つ巴 祭神:天照大神、伊邪奈岐神、伊邪奈美神、家都御子神、大国主神 例祭日:7月25日 最寄の交通機関:JR「美瑛駅」 美瑛神社は、「丘のまち」として有名な北海道上川郡美瑛町に鎮座する神社。 明治29年4月、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町から田仲儀太郎氏を団長とする熊野団体29戸が入植。明治30年、父母を迎えるため郷里に戻った木下四郎により旧官幣大社・熊野坐神社(現・熊野本宮大社)より「家都御子命」の御分霊を受け敷地の楢の大木に小祠を建立。仮の社殿としてお祀りする。 その後、市街地「丸山山頂・憩ケ森」と遷り、明治40年、旧西町に社殿を造営遷座。村名を取り美瑛神社とする。 大正15年1月15日に神社創立許可が下り、大正15年11月15日に無格社、昭和5年6月12日に村社に列格され、同年7月12日に神饌幣帛料供進神社に指定。 昭和43年11月に社殿を造営。平成7年10月11日に西町1丁目より東町4丁目に遷座しました。 「扁額」 「賽銭箱の神紋」 神紋は北海道神社庁誌では左三つ巴になっていますが、流れ三つ巴な感じです。 上は「故田仲儀太郎之碑」、下は「美瑛神社御創祀百年記念」の碑。 冒頭でも書いたように田仲儀太郎氏は美瑛入植の中心となった方です。 現在、美瑛神社の祭事として『那智美瑛火祭り』がありますが、これは田仲儀太郎氏の故郷である和歌山県那智勝浦町であるという繋がりから、那智勝浦町に鎮座する熊野那智大社で行われる日本三大火祭りの一つ「那智の火祭り」を美瑛でも、という事で平成元年(1989)から毎年7月25日に行われています。 また最近では、この美瑛神社はパワースポットとしても注目されています。 観光客で賑わう美瑛駅前周辺より距離は少し離れていますが参拝客は自分が参拝した時も絶えず来ていました。 変わった授与品として、美瑛の丘の景色が刺繍された「丘守り」がありました。 |
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旧郷社、准勅祭社 神紋:三つ巴 祭神:伊邪那美命、伊邪那岐命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命 例祭日:8月13日 最寄の交通手段:JR「王子駅」下車、徒歩3分 王子神社は東京都北区、JR王子駅の西側に鎮座する神社。 元亨2年(1322)領主・豊島氏が紀州熊野権現を勧請して「若一王子宮」を奉斎したのが始まりで、「王子」の地名の由来にもなっています。 歴代の領主からの崇敬が篤く、小田原北条氏の朱印状、社領の寄進に続き、天正19年(1591)徳川家康が社領二百石を寄進、将軍家の祈願所と定め、寛永11年(1636)三代将軍・徳川家光、元禄16年(1703)に五代将軍・徳川綱吉、天明2年(1782)十代将軍・徳川家治、文政3年(1820)十一代将軍・徳川家斉からの社殿の造営があり「王子権現」として崇敬されました。 明治以前は禅夷山東光院金輪寺が別当として管理していましたが、明治の神仏分離により明治元年11月に「王子神社」と改称し、准勅祭社となりました。 昭和6年に社殿屋根銅板葺替、昭和10年に社務所を新築しましたが、昭和20年(1945)4月13日に戦災によって社殿を焼失。 昭和27年に復興奉賛会を結成し、昭和37年に鉄筋コンクリート造の社殿を再建し境内の緑化活動を重ね、昭和56年に社殿の修築が行われました。 途中でカメラの電池が切れて写真が一枚しか撮れなかったというオチ。 何度もカメラのON・OFFを繰り返してなんとか撮った位なので境内はゆっくり回れず、残念ながら境内はあまり記憶に残っていません…
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