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神紋:梅鉢 祭神:菅原道真 例祭日:9月25日に近い土・日 最寄の交通手段:JR横浜線「町田駅」下車、徒歩4分 町田天満宮は東京都町田市に鎮座する神社。 町田駅から南に向かって歩くと右手に線路を挟んだ奥に鎮守の杜が見えてきます。 参道は線路を跨ぐ歩道橋に直接つながっています。 町田天満宮の詳しい創建年代は明らかではありませんが、元和元年(1615)に原町田村の名家であった三橋氏・武藤氏により社殿が造営されたという資料が残っています。 原町田村は天正10年(1582)に町田村の村民が開拓し分村独立した村で、その原町田村には鎮守となる神社がなかったことから、その頃に創建されたと考えられます。 明治5年に原町田村の大火の際に社殿が焼失し、明治23年7月本殿を相州愛甲郡中津村の彫刻師で当時名工であった和田光親ならびに義親により造営し、明治27年4月覆殿および拝殿を再建しました。 昭和39年8月に大綱神社を合祀し、昭和42年9月社殿を現在の尾州檜造銅板葺に造営。社名は元は菅原神社、天満宮と呼ばれていたのを昭和39年に町田天満宮に改称しました。 「拝殿」 「扁額」 「撫で牛」 拝殿の右側には社務所。左側には神輿殿と境内社が鎮座しています。 「境内社」 境内社には大物主神(金比羅宮)、素盞鳴尊(八雲社)、恵比寿神(西の宮)、聖徳太子をお祀りしています。 |
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住所:大阪府大阪市都島区中野町1-12-32 (N34°41’51”, E135°31’35” ) 旧郷社 神紋:陰桜 祭神:《主》天照皇大神,《配》誉田別尊,大雀命 例祭日:7月20日 最寄の交通機関:JR環状線「桜ノ宮駅」徒歩5分。東西線「大阪城北詰駅」徒歩5分 櫻宮(さくらのみや)は、大阪市都島区に鎮座する神社。駅名や公共機関にもこの名前が冠されるので、ほぼ地名といってもいいかもしれない。 櫻宮は大阪の京橋と都島のちょうど間、大川沿いに鎮座しています。ちなみに周囲はラブホ街。 祭神は天照皇大神。配祀神として八幡大神、仁徳天皇をお祀りしています。 創祀年代は不明ですが、元々は東成郡野田村(東生郡野田村小橋櫻の馬場字宮田)に鎮座しており、慶長18年冬、社殿を再建するも、元和6年(1620)の大和川洪水で社殿が流され、中野村(現・JR環状線「桜ノ宮駅」の場所)に漂着したため、この地に社殿を建てて祀るものの、低地であったため寛文6年と延宝2年に洪水に遭った事から、大阪城代の許しを得て、宝暦6年(1756)に現在地へ遷座しました。 櫻宮は大阪城守護社として豊臣氏・徳川氏から崇敬を受けていましたが兵火や洪水により神宝・旧記が失われたため創祀年代は不明。 櫻宮の名前の通り、近くを流れる大川沿いに桜の木々が植えられており、周囲は田園地帯が広がる景勝地で、茶店などが立ち並び、人々で賑わったといいます。 しかし明治18年(1885)の大洪水や、周囲の都市化、更に昭和20年(1945)6月7日の空襲によりなどから荒廃。 その後、大阪市によって毛馬桜之宮公園が整備され、桜の木が植えられて往時の名所が復活しつつあります。 「拝殿」 境内の左手には八柱神社と書かれた提灯の下がった境内社が並んでいました。 以下右側から、 目神八幡宮 祭神:天目一筒神 恵比須神社 祭神:夷子神 菅原神社 祭神:菅原大神 玉津嶋神社 祭神:素盞嗚尊 琴平神社 祭神:大物主大神 住吉神社 祭神:墨江之三前大神 春日神社 祭神:天之子八根命 八幡神社 祭神:誉田別尊 他にも早馬稲荷神社、祖霊社、産土八幡神社という境内社があったようですが当時は気づかず未参拝。 参拝したのは2011年、船がドックに入っていたので休みの日に大阪まで来て、CLANNAD舞台探訪(大阪拘置所)と都島神社の後に参拝。 一枚目の写真でわかるように神社の周囲はラブホ街です。 桜はピンク色だからピンク系のお宿があっても仕方がないか…と納得することにしました…。 記事はまぁタイムリーかなぁと思って… ちなみに櫻宮の社号に泥を塗った桜宮高校は真北に2.9キロ離れた毛馬町にあり、結構離れてます。
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旧郷社、登別総鎮守 旧国名:胆振国幌別郡 神紋:十六菊 祭神:《主》保食神,《配》日本武尊,金刀比羅大神 例祭日: 最寄の交通手段:JR室蘭本線「幌別駅」下車、徒歩10分 刈田神社は北海道登別市に鎮座する神社。 明治初期、陸奥国仙台藩白石の領主・片倉氏が幌別郡(現在の登別市)に入植した関係から、旧領の蔵王・刈田嶺神社の御分霊を祀る。 刈田神社の創祀年代は明らかではないものの、一説によれば北海道最古の神社に数えられる。 平安時代末期に蝦夷地へ渡来していた眼病の和人が、アイヌ人に教わり温泉で目を洗ったところ、眼病が快癒した。その和人は、妙見菩薩の加護ではあるまいかと、感謝の意を込めて祠を建てたのが始まりと言われる。 古くは妙見菩薩、弁天堂がその前身で江戸時代の絵図にもその記載がある。天明6年(1786)、幌別郡(現・登別市)が松前藩士・細田儀右衛門の給地に指定されたのを契機に、妙見菩薩の祠を再建し、胆振地方の鎮守社とするため保食神を合祀し、妙見稲荷社と称した。 「社号標」 明治2年(1869)、白石城主・片倉邦憲に胆振国幌別郡への入植が認められ、翌・明治3年(1870)7月、老齢の片倉邦憲ではなく長子・片倉景範、孫・景光が家臣150余名を従えて幌別に居住し、片倉氏の総守護神・刈田嶺神社(現・宮城県蔵王町宮)の御祭神である日本武尊の御分霊を奉じて合祀し、「刈田神社」と改称し幌別郡開拓の守護神とする。 片倉氏主従は幌別郡の他、白石村(現・札幌市白石区)、月寒村(現・札幌市豊平区)に入植した事から、現在では宮城県白石市と登別市、札幌市白石区は姉妹都市・友好都市の関係にある。 明治4年(1871)、御社殿を幌別村字浜70番地(現・幌別町1丁目)に新しく建立し、社名を刈田神社と改称し、これより幌別郡の開拓者の心の支えとして御鎮座する。 明治6年(1873)、四国からの開拓者が金刀比羅宮の御分霊を奉じて合祀する。 明治8年(1875)には幌別郡(幌別村、鷲別村、登別村)の郷社となる。 明治14年(1881)には、現在の境内地(中央町6丁目)へ御遷座する。 明治15年(1882)には、神饌幣帛料供進神社に指定される。 「神門」 「拝殿」 「本殿」 一の鳥居、二の鳥居から神門をくぐると左手に社務所、正面に拝殿と本殿、その右脇に神輿殿、右手に境内社の三貴子神社、馬頭観音、境内社の大山祗神社、開拓記念碑と並んでいます。 「扁額」 「神輿殿」 大山祗神社 (おおやまずみじんじゃ) 祭神:《主》大山祇大神,《配》天之御中主大神,少彦名大神,大己貴大神 「大山祇神社」 三貴子神社 祭神:天照皇大神,月読命,素盞嗚命 「三貴子神社」 大山祗神社の隣には開拓記念碑が建っています。 「開拓記念碑」 神社のある幌別は前述のとおり陸奥国白石から片倉氏主従が入植した場所で、その開拓時代の幌別の状態の事や入植した片倉景光をはじめとする人々を称える内容となっています。 社務所の入口には道内のホテルを経営している野口観光の代表である野口秀次氏の寄贈の神輿が展示されています。 「社務所」 「社務所に展示している神輿」 神門の右手には護国の英霊を祀る忠魂碑が建っており、その手前には写真は載せていませんが「奉祝大婚之碑」「明治天皇御駐輩記念碑」が建っています。 「忠魂碑」 当初参拝予定ではなく、急遽参拝してみようと思い立って登別まで行きました。 室蘭に仕事でいるので東室蘭駅から大体汽車で10分ほどの幌別駅で下車。 登別市とは言っても市役所があるのは室蘭市寄りの幌別なので、市としてはここが中心部です。 刈田神社は事前情報がほとんどない状態での参拝だったので色々新鮮でした。 正直、もしかすると神職常駐ではない小さな神社なのではないかという予想をしていたので、実際参拝してみて大きな神社なんだとびっくりしたというのが正直な感想です。 まだ正月の初詣客が参拝していて、社務所でも正月の授与品を頂いている人が絶え間なく来ている状態でした。
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住所:三重県志摩市磯部町上之郷 皇大神宮別宮、志摩国一宮 延喜式内社:志摩國答志郡 粟嶋坐伊射波神社二座 並大 神紋:花菱 祭神:[主祭神]天照大御神御魂 例祭日:6月24日 最寄の交通機関:近鉄志摩線「上之郷駅」下車、徒歩約3分 伊雑宮は三重県志摩市に鎮座する皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の別宮で、志摩国一宮。 通称「いぞうぐう」「磯部さん」と呼ばれ、皇大神宮の遙宮(とおのみや)とも呼ばれています。 伊雑宮の創立は、約2000年前の第11代垂仁天皇の御代で、皇大神宮が鎮座の後に、倭姫命(やまとひめのみこと)が皇大神宮への神饌を採る場所である御贄地(みにえどころ)を探すため志摩国を訪れた際に、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が出迎え、この地を御贄地に選定して伊雑宮を創建したと言われていますが、はっきりとした確証はありません。 書物に明確に時代の記載があるのは延暦23年(804)の『皇太神宮儀式帳』と、延長5年(927)の『延喜太神宮式』に「天照大神の遙宮」とあり、すでにその時代には鎮座したことがわかります。 伊雑宮では通称「御神田(おみた)」と言われる「伊雑宮御田植祭」が毎年6月24日に行われます。 国指定重要無形民俗文化財で、日本三大御田植祭の一つになっており、宮域に隣接する御料田で「竹取神事」「御田植神事」「踊込み」など神事が行われます。。 上は社殿の扉。下側の●の位置と数がそれぞれの宮によって違うようでした。 何かの意味があると思うのですが…。気になります。 伊雑宮には会社の出張で名古屋在住の時に会社の先輩と参拝しました。このあと恵利原の水穴に行ってから伊勢へ戻りました。 |
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住所:和歌山県日高郡美浜町吉原771 (N33°53'12'',E135°08'55" ) 熊野九十九王子 祭神:[主祭神]伊弉諾命,伊弉冊命,月読神,大日霊女貴神,倉稲魂神 :[合祀]武甕槌神,経津主神,天児屋根神,比売神 例祭日:8月16日、10月第3日曜 最寄の交通機関: 和歌山県御坊市の西隣の美浜町に松原王子神社は鎮座しています。 社号からも分かる通り「熊野九十九王子」の一社と考えられ、延宝6年(1678)に書かれた「日高鑑」の吉原浦の条には「宮弐社内壱社王子、壱社御霊宮」と記載が見られる神社です。 「拝殿に掛かる祭神名の額」 一般的な熊野参詣道のルートではありませんが、熊野詣の人々が船で比井湊(日高町比井)に上陸してから紀伊路を南下し熊野参詣へ向かう場合に当地が一つの要衝とされていたと考えられます。 社殿は享和3年(1803)に再建され、昭和11年に改修と同時に社務所が新築されています。 境内の木々は昔から保護されてきた天然林で、町の文化財に指定されています。 県指定文化財 松原王子神社の社叢
此の社叢は面積約三〇アール、数百年にわたって保護されて来た日高地方でも稀な天然林である。特に、暖地性のイヌマキ、カゴノキ、エノキ、ムクノキなどを中心に四九科八十種におよぶシダ類以上の高等植物が生い茂り、中には直径一メートルをこえるクスノキやウバメガシの巨木のほか、ナギ、イスノキ、ホルトノキなども生育している。長期にわたる森林の変遷をよく見ることのできる貴重な社叢である。 (昭和四六年指定) 昭和六三年十月 美浜町教育委員会 参拝時は大雨。濡れた土の匂いと木々からのフィトンチッドの匂いが良い感じでした。 御坊市から川を挟んで向かいの美浜町市街地に鎮座する神社ですが、そこだけ境内は鎮守の杜を形成していて、鬱蒼としています。 社殿も大きくなく、ただ熊野九十九王子としてはこんな感じかなという印象の神社でした。 ここに参拝したのは同じ美浜町の御崎神社に参拝したのと同じ理由。つまり「AIR」の舞台探訪のためです。
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