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旧村社、道南五霊場 旧国郡:後志國久遠郡 神紋:丸に武田菱 祭神:猿田彦大神(さるたひこおおかみ) 例祭日:6月27.28日 最寄の交通機関:函館バス「太田」停留所下車。徒歩15分。 太田神社は、せたな町大成区(旧大成町)太田にある神社。北海道最西端の神社で、一般には太田山神社、または太田山権現とも言われています。 最近は日本一参拝するのが過酷な神社としてメディアで紹介されるなど有名になり、参拝客も多くなっている模様。 元々、太田から北側の旧・北檜山町方面の海岸線は道路(道道740号北檜山大成線)が開通していませんでしたが、2013年4月に全面開通したので北からもアクセスできるようになりました。 帆越トンネルを抜けてすぐ左の岩場に拝殿。トンネルを抜けた道沿いを少し走ると右側に鳥居があり、そこが本殿への登り口となります。 「拝殿」 「定灯籠と太田山」 太田神社は嘉吉年間(1441〜1443)の創建。 享徳3年(1454)に、若狭国から渡来した松前藩祖・武田信広公が太田に上陸した際に、太田権現の尊号を贈る。 寛文6年(1666)9月、美濃国の僧・円空もこの地に来て、鉈作りの大日如来(いわゆる円空仏)など多数の仏像を奉納。その際、下の歌を詠む。 「木にだにも 御形を移す ありがたや 法の御音は 谷のひびきか」 宝永元年(1704)、越前国・正光寺の僧・空念が太田山に参詣し、観音経を奉納。 安永7年(1778)、甲斐国の僧・木喰もこの洞窟にて作仏。 寛政元年(1789)、三河国の国学者・菅江真澄が参詣。 寛政12年(1800)、伊能忠敬が蝦夷地を実測。 文化3年(1806)、幕吏・遠山村垣の一行が巡視。 文化4年(1807)、近藤重蔵一行が巡視。 文政元年(1818)、洞窟内に小祠が建立し、銅製の不動明王ほか2神が津軽国浜田村の山田助右衛門により奉斎された。 更に文政10年(1827)には、ある僧が太田に来村し、大和国吉野の蔵王権現の事跡を写して銅製の不動尊像併せて祀り、太田権現として小祠を建立している。 天保12年(1841)、太田山に大日堂が建立され、備前国の僧・増賢が大日如来を祀る。 弘化2年(1845)、松浦武四郎一行が巡視。 嘉永元年(1848)頃には、定山渓温泉の開祖である山僧宗倹(定山法印)が別当として居住する。 安政3年(1856)、松浦武四郎一行が再び巡視。 慶応3年(1867)、太田山麓に拝殿が造営され、大日如来が安置される。 明治4年(1871)の神仏混淆禁止の布達により、明治5年(1872)に太田権現の仏像仏具を廃し太田神社と改称し猿田彦大神を祀る。 明治9年(1876)に村社に列格。 明治27年(1894)に拝殿を改築し、拝殿前面に社務所を新築する。 これまでに崇敬者により写経や仏像などが多数寄進されていたが、大正11年(1922)1月に洞窟内に参籠していた修験者の失火が原因で本殿が焼失。このとき貴重な資料や円空仏も灰燼に帰してしまった。 現在、麓の拝殿近くの小屋に安置されている仏像は円空の故郷・岐阜県丹生川村の円刀会に依頼して大成町内の杉材を使って製作されたものです。 大正12年、本殿階段を修繕するが、大正14年(1925)、大時化のため階段が破損流失する。 昭和7年(1932)、道南霊場第1位となる。 昭和12年(1937)に本殿階段の修繕、大鳥居の建て替えが行われる。 同38年道路開発工事のため拝殿と社務所を新たに造営。 昭和50年には女人遥拝堂を、翌年には本殿を改築している。 さて、日本一参拝しにくい神社として、最近メディアでも紹介される機会の多くなってきた太田山神社ですが2013年4月現在、わたくし2回だけ本殿までエクストリーム参拝しています。 結構前から情報としては知っていたのでいつか参拝しようと思っていた神社でした。 天気予報では昼前から晴れの予報だったのに、道南の自宅を出発するときは雨が降っていて、正直この雨の中、過酷と言われるあの太田山神社への参拝は無謀なんじゃないかっていう気持ちもあったけど、とりあえず行ってみるかということで、一路せたな町へ…。 函館から国道274号線を走り日本海側へ抜け、国道229号を北上。 道の駅「てっくいランド大成」を過ぎて少し先にある交差点を左折してややしばらく進んで、帆掛トンネルを抜けると左側に拝殿と円空仏(複製)、直進すると右手に本殿への登り口があります。 大体函館からは2時間ほどで到着します。 現地は晴れ。途中までの雨が嘘のようです。 まずは麓の拝殿に参拝。 拝殿の前の岩場には「太田」の形をした定灯籠もあります。 拝殿周辺には駐車場とトイレがあるのでここで用を足してから登り口に向かいます。 登り口がある鳥居の前にも駐車スペースがあるので、ここに車を止めて、参拝準備。 熊避けの鈴と虫除けスプレーを装備して、参拝開始。 「本殿への登り口」 正直、この階段の勾配は半端じゃない。 傾斜角にして45度はあると思う。東京・愛宕神社の出世の石段よりも急。 もし踏み外した時の保険としてロープがあるので、せめて片手を掴みながら登ったほうが良いかもしれない。 「下から見るとこんな感じ」 階段を登り切ってからずーっと道沿いに張られたロープが頼り。 正直なところ、道も悪いからロープがないと登れないという。 そして、足元も注意しないと結構危険である。 あと、階段を過ぎても急勾配の道は続くので、結構疲れます。かと言ってのんびり休みながら歩くとやぶ蚊に刺されるので、休むに休めない…。 途中、鉄梯子や仏像が祀られてる岩屋を過ぎて本当にしばらく登って行くと、大体中間点になる女人遥拝堂がある。 「女人遥拝堂」 ここで一旦休憩。しかし止まろうものならやぶ蚊が血を吸いに近づいてくるので正直気が抜けない。 女人遥拝堂というからには近年まで女人禁制だったのだろうか。女性の体力を考えてのことだったら、ここまで来れるなら本殿まで行けるだろって話だが…。 そんなことを考えながら再び登り続ける。いつまでこの登りは続くのかって思いながら登ってました。 途中、「足元注意」やら「落石注意」とか、何を今更的な看板があったりなんかして…。 しばらく登ると、周りが開けて崖と木製の鳥居が見えてくる。ここまで来ると本殿はすぐそこ。 鳥居をくぐると上り勾配の鉄橋があって、鉄橋を登った先に最後の難関、鎖で登っていく7m程の崖がある。 鉄橋はワイヤーで補強してあるので、手すりにつかまりながら登るときは、ワイヤーのササクレでケガをしないように注意。そして足元も滑るので注意。 「この鉄橋の奥が問題の崖」 「大きな鎖の輪を足場にして登っていく…」 そして最後の難関に到着。もうここまで来たら腹を決めて崖を登るしか無い。 本殿への崖には幾条もの大きな鎖とロープが下がっているが、正直ロープで登るのは不可能なので、無難に鎖で登ります。 7mの崖はちょっと怖いかもしれないけど、きちんと三点支持で登りさえすれば落ちることなんて無いので大丈夫です。 注意点としては、吊り下げられてる鎖なので動くのと、中間で岩が張り出してるので鎖の足場を見つけるのに少々苦労するくらい。 鎖を登り切ると、そこには念願の本殿が! 洞窟は奥行き2m、幅は4m程度しかない小さなスペースに本殿が鎮座している。 後ろを振り返ると眼下に日本海と遠く奥尻島を望む素晴らしい景色が広がり、他の神社ではなかなか味わえない達成感が味わえます。 洞窟内には10分ちょっと滞在。参拝と本殿からの景色を満喫してから下山開始。 正直、7mの崖登りよりも下りのほうが怖いかもしれない。 崖もそうだけど、鉄橋は滑るし、下ってる最中は足場も悪いのできちんとロープをつかんでてもコケる恐れがあるので登りよりも注意が必要。 下山するとき、女人遥拝堂の上のあたりで60歳くらいの方4人とすれ違った。正直自分でも息を切らしながら登っていたので、かなりの健脚だと思う。 ちょうど、下に着いて本殿のあたりを見たら、その方々がちょうど鎖を登っている時だった。 初夏の北海道で割と涼しいけれど、降りた頃にはすっかり汗だくに。 太田神社参拝後は割と近くにある、かつて菅江真澄も入ったという臼別温泉で汗を流しました。 ・2013年6月27日 追記 毎年、6月27と28日は太田山神社の例大祭で、もしかすると御朱印が頂けるかもしれないと思い参拝してきました。 本殿に関してはこの1ヶ月前に登っているのですが、本殿下の鉄梯子に落石が直撃していて穴が開いていて難易度がさらにアップしていました。 拝殿の向かいの建物が授与所と控室になっており、御守を授与していたのでダメ元で聞いてみた所、御朱印があるということで、セルフ押印ですが頂く事ができました。 ゴム印の劣化もあり判別がしにくいですが、ゴム印には尾花岬と太田山、拝殿が描かれているようです。 個人的な希望ですが、御朱印は例大祭でないと拝受できないですが、神職さんが常駐していない神社(安房国一宮・洲崎神社など)のように、拝殿の所に書き置きの御朱印を置き、御朱印を頂く人は別途300円程を賽銭箱に納めるという形になると神社巡拝する人には嬉しいですね。
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2010年07月28日
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