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住所:愛知県知立市西町神田12 (N35°00’35”,E137°02’35”) 旧県社、別表神社 延喜式内社:参河國碧海郡 知立神社 神紋:青海波 祭神:[主祭神]草葺不合尊,彦火火出見尊,玉依比売命,神日本磐余彦尊 :[配祀]青海首命 例祭日:5月15日 最寄の交通機関:「知立駅」下車、徒歩10分 知立神社は、愛知県知立市に鎮座する神社で、別名・池鯉鮒大明神(ちりふだいみょうじん)。 神社本庁の別表神社に指定されています。 知立神社は、第12代・景行天皇42年、日本武尊が東征の帰り、伊知里生命をこの地にとどめ、建国の祖神であるð�ð�草葦不合尊、玉依比売命、神日本磐余彦尊(神武天皇)の四柱のを祀ったのが始まりで、仲哀天皇元年に社殿が造営された。 『文徳実録』仁寿元年(851)従五位上、『三代実録』貞観18年(876)従四位上に列格。また『延喜式神名帳』にも記載されている古社である。 天文16年(1547)戸田宣光の兵火にかかり、重原村に遷座したが、元亀2年(1571)再び消失したため、現在地に遷座した。 古くから蝮よけ、長虫よけ、安産、雨乞いの霊験あらたかとして崇敬されている。 境内にはかつての神仏混淆の名残として国重要文化財の多宝塔がある。 嘉祥3年(850)に天台宗の僧・円仁が神宮寺を創建した際に多宝塔を建立、その後に知立神社の別当寺となった。 現在の多宝塔は室町時代の永正6年(1509)に重原城主・山岡忠左衛門の再建されたもので、三間二層で正面んは桟唐戸を配し、左右には連子窓、他は嵌板張り、屋根は柿葺きで、塔の高さは10mある。 明治の神仏分離令の際には祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を取り除いて瓦葺にして「知立文庫」と名前を換えたことで取り壊しを免れた。 毎年5月3日の例祭には県無形文化財の操人形浄瑠璃芝居が行われている。 知立神社には2006年、前の会社の2回目の出張の帰り、セントレアに向かう前に時間があったので電車で知立まで行き、歩いて神社へ向かった。 当日は雨で若干参拝しづらかったけど、なかなか三河方面には行ってなかったので行けてよかったと思う。 実は参拝しようと思ったキッカケは、名古屋では有名人の宮地さんが初詣に行ったという話をラジオで聞いたからという単純な理由だったりする。
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2011年03月28日
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神紋:梅鉢 祭神:菅原道真(すがわらのみちざね) 例祭日:7月25日 最寄の交通機関:JR仙石線「榴ヶ岡駅」徒歩10分 榴岡天満宮は宮城県仙台市、仙台駅の東側にある榴ヶ岡に鎮座する神社。 榴岡天満宮は、天延2年(974)に平将春が陸奥国宇多郡(福島県)に勧諸したのが始まりで、その後、宮城県柴田郡川内村に遷座し、天文20年(1551)に佐藤基春が国分小俵玉手崎(現在の仙台市青葉区東照宮)にを移し、後に國分世家に従い氏神領となる。 「境内は南側が駐車場みたくなってて広々。周りに歌碑が沢山。」 「拝殿の扁額『照星閣』」 後に、伊達政宗公が仙台城を造営するとき、当社の社木を用材として切り出し、その報祭に慶長16年(1611)に新たに丹塗りの社殿を造営したが、慶安3年(1650)に徳川幕府の命令により東照宮建立に際し、その境内地の東側に遷座された。 そして、寛文6年(1666)に三代藩主・伊達綱宗により榴ヶ岡に遷座。寛文7年(1667)7月25日に丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、菅原道真公の真筆が奉納された。 寛政7年(1795)2月25日に落雷により本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居などの建造物を焼失。現在の社殿はその頃の再建。 境内には色々な石碑が建っていて、そのなかの一つ、拝殿の横にあるのが 「東風吹かば におひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 という菅原道真公の歌碑があります。 ここの御朱印は見開き2ページを使ってこの歌の墨書がされています。 某国家試験の帰りに試験会場に近かった榴岡天満宮に参拝。 神社のある榴ヶ岡はその名の通り周囲から比べると小高い丘になっていて、伊達政宗が仙台城を築城する際に、その築城する候補地の一つになった。 現在、榴ヶ岡から仙台駅東口の一帯にかけて再開発が行われており、仙台中心部のすぐ近くの割に更地になっているところが目立つ。 個人的には、神社の隣に創価学会の建物があるというのが残念なところではあるが、神社は大きすぎず小さすぎず、社殿も古い扁額があったりで昔の面影が感じられる。
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