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旧村社、別表神社 旧国郡:日向国臼杵郡 祭神:[主祭神]天照大御神、大日孁尊 :[配祀]日子穂穂手見命,豊玉毘売命,菅原道真 神紋:菊、五三桐、下り藤 例祭日:5月2日(西本宮)、9月22日(東本宮) 最寄の交通手段: 天岩戸神社は宮崎県高千穂町に鎮座する神社で、日本神話において天照大神が天岩戸に隠れた岩戸隠れ伝説の舞台である。 「西本宮参道入口」 「西本宮社号標」 天岩戸神社は高千穂町中心部から北東約5kmの岩戸川を挟んで東本宮と西本宮の両宮が鎮座する。 参道入口には祭神の天照大御神の銅像のほかに手力男命の像も建っている。 更に進むと左手に社務所があり、その先の右手に対岸の天岩戸を遥拝するように神門、拝殿がある。 社伝によれば瓊々杵命が鎮祭された古社といわれ、弘仁3年(812年)に、三田井家の遠祖・大神惟基によって再興された。 その後、文政4年(1821)に社殿を改造し、幕末には藩主・内藤氏の篤い崇敬を受けた。 明治30年(1897)に社殿を造営。 拝殿の右手前方にはオガタマノキ(招霊の木・黄心樹)が生えており、オガタマノキは天鈿女命がこの枝を持って舞い、今の神楽鈴の起源だといわれている。 この木は昭和29年の常陸宮殿下の御成年式、昭和39年の御結婚の際にこの苗木が献上された。(常陸宮殿下のお印がおがたまの花で、常陸宮家の紋が菊花紋の周囲におがたまの花が配されている。) このオガタマノキの苗を神社の授与所で受ける事ができる。少々初穂料が高いけど…。(育ててます) 他にも拝殿左側には古代銀杏の木もある。 長野県諏訪とここにしか無いものらしい。 御朱印の他、オリジナルの御朱印帳もある。今回は他にも御朱印帳があったので頂かなかった。
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別格官幣社、別表神社 旧国郡:肥前国佐嘉郡 神紋:鍋島杏葉 祭神:鍋島直正,鍋島直大 例祭日:10月12日 最寄の交通手段: 佐嘉神社は佐賀県佐賀市中心部に鎮座する、佐賀藩主・鍋島直正、鍋島直大を祀る神社で旧別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社に指定されている。 「社号標」 神社が鎮座するのは佐賀市中心部、佐賀県庁などがある佐賀城跡のすぐ北側に祭神である鍋島家の居城だった佐賀城を望むように南向きに鎮座する。 佐賀藩主・鍋島家の一族を祀った現在の佐嘉神社の境内社・松原神社をその前身として、幕末の名君、明治維新に功のあった鍋島直正、その子の直大を主祭神として祀る。 佐嘉神社の創祀は昭和8年(1933年)、それまで江戸時代に創建された松原神社の南殿に祀られていた鍋島直正命を祭神として「別格官幣社佐嘉神社」が造営され、昭和23年(1948年)10月9日に同じく南殿に祀られていた鍋島直大命を合祀した官国幣社の中ではかなり新しい神社。(松原神社については後述) 祭神の鍋島直正(文化11年-明治4年(1815年-1871年))は佐賀藩・10代藩主で、天保元年(1830年)に17歳で襲封以来、藩政改革や西洋の文物を取り入れ、砲台や日本で初めて反射炉を建設し西洋式大砲を自藩で製造するなど殖産を勧め、幕末から明治新政府に至るまで重要な役割をした「薩長土肥」の藩として明治維新に尽力した。 同じく祭神の鍋島直大(弘化3年-大正10年(1846年-1921年)は佐賀藩第11代藩主(最後の藩主)。鍋島直正の次男。戊辰戦争の際には明治新政府側として佐賀藩兵を率いて指揮を執り、明治政府では駐イタリア王国特命全権公使、元老院議官、宮中顧問官、貴族院議員等を歴任した。 ●境内社 ・松原神社 (まつばらじんじゃ) 祭神:[北座]龍造寺隆信、龍造寺政家、龍造寺高房 :[南座]鍋島清久、鍋島直茂、鍋島直茂室彦鶴姫、鍋島勝茂 神紋:十二日足、鍋島杏葉 佐嘉神社の前身がこの松原神社である。 元々は佐賀城の前身を村中城といい、この地は龍造寺氏が治めており、鍋島氏は龍造寺氏の家臣であった。 しかし天正12年(1584年)の島津家との「沖田畷の戦い」で『肥前の熊』と呼ばれた龍造寺隆信が戦死すると、その子・龍造寺政家の補佐役として鍋島直茂が実権を握り、その後秀吉の命により龍造寺政家が隠居させられ、その子の龍造寺高房が家督を相続した事により実権を掌握、慶長12年(1607年)に高房・政家の死去により龍造寺宗家は断絶し、鍋島直茂が領地を継承した。 現在の松原神社に祀られているのは、旧主君の龍造寺隆信・政家・高房の三代と、当時の家臣であった鍋島清久(直茂の祖父)、直茂、彦鶴姫(直茂の正室・陽泰院)、勝茂(直茂の子・初代藩主)である。 現在の松原神社は一つの社殿だったが、かつては北殿・中殿・南殿と別れており、それぞれが違う歴史を持っている。 「日峯大明神の扁額」 ・松原神社 中殿 安永元年(1772年)6月1日に鍋島直茂命を祀り創建され「日峯大明神」と称していたのを、文化14年(1817)9月に鍋島清久命、直茂公室彦鶴姫命を合祀し、さらに明治5年(1872年)に初代藩主・鍋島勝茂命を合祀し「松原神社」と改称。後に北殿・南殿が造営される。 ・松原神社 北殿 延享2年(1745年)正月、佐賀城内に龍造寺隆信命、政家命、高房命を奉祀したのが始まりで、天保5年(1834年)佐賀郡北山小川村(現・佐賀市大和町)に神殿を造営遷座し「敷山社」と称していたのが、明治6年(1873年)10月9日、松原神社に神殿を造営遷座され「松原神社 北殿」と改称。 ・松原神社 南殿 明治6年(1873年)に松原神社に南殿を造営し、10代藩主・鍋島直正命、つづいて大正12年(1912年)に11代藩主・鍋島直大命が合祀されました。昭和8年、佐嘉神社を造営、鍋島直正命を「別格官幣社佐嘉神社」御祭神として奉祀、昭和23年10月9日に鍋島直大命を合祀されたことに伴い松原神社南殿は無くなる。 その後、昭和36年4月1日に佐嘉神社と松原神社は運営統合され、昭和38年に佐嘉神社御鎮座三十年式年大祭記念事業として松原神社並びに佐嘉神社東神苑を合一整備、松原神社御神殿・中殿・北殿を合一、一殿二座に改築し現在に至る。 松原神社の神門の前には白磁製の灯籠と大理石製の手水鉢が奉納されている。 手水鉢は明治4年3月に直茂公御船手中により奉納され、傷みが激しくなってきたため平成16年に移設されたもの。 「灯籠」 白磁製の灯籠は嘉永3年(1850年)8月に奉納され、平成16年に修復後移設された。 「手水鉢」 松原神社の御朱印は佐嘉神社で戴くことができる。 ・松根社 (まつねしゃ) 祭神:古川松根 祭神の古川松根命は文化10年(1813年)10月に佐賀藩邸での生まれ。その翌年12月に同じ邸内で鍋島直正公が生れており、幼少から晩年まで側近として仕えた。 明治4年(1871年)1月21日、東京麹町永田町の直正公終焉の館内にあった舎宅にて殉死。 「礼道・芸道・学問の神」として信仰されている。 松根社の前には「純忠之碑」が建立されている。 「純忠之碑」は題を佐賀藩11代藩主・鍋島直大の篆額、撰文は久米邦武、書は相良頼善によるもので、明治23年(1890年)に、鍋島家の墓所がある東京都港区元麻布にある賢崇寺境外の直正墓所入口に建立された。 祭神の古川松根が直正に殉死する前日のなどが記されている。平成10年の墓所改葬に伴い現在地に移設された。 佐嘉神社の境内には他にも松原稲荷神社、松原恵比須神社、佐嘉荒神社、松原河童神社、松原梛木社があり、佐嘉神社と松原神社と松根社を含めて「八社詣で巡り」が行われています。 自分が参拝したときは松原梛木社は入っておらず「七社詣で」だったのだが、増えた…w ちなみに当時は急いでいたのと車が半分故障状態でまともにクラッチが切れない状態だったこともあり境内社の多くは参拝せず…落ち着いて参拝ができなかった…
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住所:北海道千歳市真町1番地 旧郷社、艦内神社元宮(護衛艦ちとせ) 旧国郡:胆振国千歳郡 神紋:左三つ巴 祭神:豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)、伊智伎志摩比売命(いちきしまひめのみこと) 交通機関:JR千歳駅から車で5分 千歳神社は北海道の空の玄関口、新千歳空港のある千歳市の総鎮守で青葉公園内に鎮座する。 鳥居は国道36号線に面して建っており、参道の脇を千歳川が流れる。 更に進むと右手に立派な社務所、正面の丘の上に千歳神社の社殿が鎮座している。 社殿へと登る石段の右側には「幸井の水」という湧水が湧いており、ポリタンクを持った人が水を汲みに来ていた。 ちなみに石段の左側には境内社が建っており、鹿島社か香取社のいずれかだと思うがどちらか分からないので次回参拝時に確認してみたいと思う。 松前藩が編纂した資料である『福山秘府』(1780年)によると、「弁財天小社東夷地、志古津、万治元戌造営、同三年神体ヲ安置」とあり、万治元年(1658)に弁天堂が建立されたのが千歳神社の始まり。 千歳は元々はアイヌ語のシコツ(窪地)から志古津と呼ばれていた。 その後、千歳神社に保存されている「思古津稲荷社建立社記」によれば、享和3年(1803)に樺太南部探検に功績のあった勇払詰所役人・高橋治太夫が思古津場所の守護神として、京都伏見から「正一位思古津稲荷大明神」として稲荷大明神を奉斎し、文化2年(1805)に思古津場所の鮭漁が盛んになるに従って、さらに弁財天が勧請された。 この文化2年に祀られた弁財天の御厨子の裏に、箱館奉行・羽太正養により「死骨」から「千歳」と改称された由来が書かれ、この地を千歳と改めた。 明治8年(1875)に主祭神を豊受姫大神として郷社に列格。大正6年(1917)に「稲荷社」を「千歳神社」と改称して、昭和51年(1976)現社殿を造営し今日に至る。 境内の背後には境内社の山神社が祀られていた。 ・山神社 祭神:金山毘古神,金山毘売神,大山祇神 山神社と書かれた立派な石標の他、石祠が三基あったが、もしかすると祭神一柱に一基ということなのだろうか…。 社殿の南側には下の参道から千歳市立図書館へつながる裏参道があり、そこに生えている木の袂に「ろうさん」と書かれた石柱が建っている。 「ろうさん」 説明文によれば、「裏参道の女坂、シコツ十六場所のひとつ。ろうさん(アイヌ語)意味は、ここより川や海(抜けていく道、ここより開けていく処)」 と書かれていた。 いわゆる和人とアイヌは仲が悪いと思われがちだが、鮭を中心とする諸物産などの交易が行われており、ここはそのアイヌとの交易場所一つであったという。 千歳神社の印象としては北海道特有の県社クラスの立派な社殿の他に、境内のあちらこちらに道祖神が祀られていたのが印象に残った。 ・護衛艦「ちとせ」 海上自衛隊の護衛艦「ちとせ」には千歳神社の御分霊が祀られていた。 艦名は千歳川に由来する。 千歳川は日本で二番目の水深を誇る支笏湖を水源とし、東北東に流れ、千歳神社のすぐ北を通り千歳市市街地を通ってから北へと流れを変え、途中、千歳市・長沼町・恵庭市・北広島市・南幌町・江別市の境界として江別市内で夕張川と共に石狩川へ合流する。総延長は108km。 ちなみに旧海軍の「千歳」は筑後川由来であるので、艦名基準から言えば厳密には初代となる。 ちなみに護衛艦の「いしかり」「ちとせ」「ゆうばり」の由来となっている石狩川・千歳川・夕張川はいずれも石狩川水系の一級河川で、千歳川と夕張川は石狩川に合流する。 いしかり×ちとせ×ゆうばり…(゚A゚;ゴクリ
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