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住所:三重県志摩市磯部町上之郷 皇大神宮別宮、志摩国一宮 延喜式内社:志摩國答志郡 粟嶋坐伊射波神社二座 並大 神紋:花菱 祭神:[主祭神]天照大御神御魂 例祭日:6月24日 最寄の交通機関:近鉄志摩線「上之郷駅」下車、徒歩約3分 伊雑宮は三重県志摩市に鎮座する皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の別宮で、志摩国一宮。 通称「いぞうぐう」「磯部さん」と呼ばれ、皇大神宮の遙宮(とおのみや)とも呼ばれています。 伊雑宮の創立は、約2000年前の第11代垂仁天皇の御代で、皇大神宮が鎮座の後に、倭姫命(やまとひめのみこと)が皇大神宮への神饌を採る場所である御贄地(みにえどころ)を探すため志摩国を訪れた際に、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が出迎え、この地を御贄地に選定して伊雑宮を創建したと言われていますが、はっきりとした確証はありません。 書物に明確に時代の記載があるのは延暦23年(804)の『皇太神宮儀式帳』と、延長5年(927)の『延喜太神宮式』に「天照大神の遙宮」とあり、すでにその時代には鎮座したことがわかります。 伊雑宮では通称「御神田(おみた)」と言われる「伊雑宮御田植祭」が毎年6月24日に行われます。 国指定重要無形民俗文化財で、日本三大御田植祭の一つになっており、宮域に隣接する御料田で「竹取神事」「御田植神事」「踊込み」など神事が行われます。。 上は社殿の扉。下側の●の位置と数がそれぞれの宮によって違うようでした。 何かの意味があると思うのですが…。気になります。 伊雑宮には会社の出張で名古屋在住の時に会社の先輩と参拝しました。このあと恵利原の水穴に行ってから伊勢へ戻りました。 |
寺社仏閣・三重県(11)
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住所:三重県津市広明町387 旧内務大臣指定護国神社、別表神社 神紋:八重桜 祭神:護国の英霊60,344柱 例祭日:4月21・22日、10月21・22日 最寄の交通機関:JR「津駅」下車、徒歩5分 三重県護国神社は三重県津市に鎮座する護国神社。戊辰戦争から現在に至るまでの県内出身者の英霊を祀っています。 明治2年(1869)11月23日、旧・津藩主・藤堂高猷が、安濃郡八幡町の八幡神社境内に祠を建立し、戊辰の役に官軍に従い戦死した藩士の霊を祀り、「表忠社」と称したのが始まりで、明治7年3月17日に官祭に列せられ、明治8年10月に「招魂社」と改称した。 明治10年、西南戦争における三重県出身の戦死者を東京九段の靖國神社に合祀するも三重から東京までは遠く、参拝するのが大変なため、明治19年に許可を受け合祀し、明治34年6月14日「官祭招魂社」と改称、明治42年9月19日に現社地(津市大字下部田)に移転。昭和14年4月1日、制度改正により内務大臣指定護国神社となり「三重縣護國神社」と改称。 同20年7月27日の戦災により社殿を焼失し、昭和21年12月26日に「三重神社」と改称。昭和28年11月2日に再び「三重縣護國神社」へと復称した。 昭和32年4月1日に神社本庁の別表神社に指定され、昭和32年10月21日に本殿以下の社殿が復興した。昭和58年3月17日、社殿の修復造営が完了し現在に至る。 結城神社の記事でも書きましたが、伊勢に行く途中、上司の怒りの電話でテンション下がってる状態の参拝だったので、ゆっくり参拝できず見るべきものも見てない感じがします。 参拝した記憶だけはあるんですけどね。当時名古屋市港区に住んでたんですが「すぐ家にもどれ」って言われたので、この写真の少なさがいかに焦っていたかを物語ってるといいますか…。 社殿は鉄筋コンクリート造りです。レイアウト的には護国神社っぽいですがやっぱり木造がいいですよね。
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旧別格官幣社、建武中興十五社、別表神社 神紋:左三つ巴 祭神:[主祭神]結城宗広(ゆうきむねひろ) :[配祀]結城親光(ゆうきちかみつ)以下殉難戦没将士 例祭日:5月1~3日 最寄の交通機関: 結城神社は三重県津市にある旧別格官幣社で、南朝の忠臣・結城宗広、結城親光と一族殉難将士を祀る神社。 現在は神社本庁の別表神社に指定されています。 祭神の結城宗広(文永3年(1266)〜延元3年(1338))は陸奥国白河(現在の福島県白河市)の城主で、元弘3年、大塔宮護良親王(後の後村上天皇)の令旨・綸旨を受けて南朝に忠誠を尽くし、鎌倉幕府を倒し建武中興の大業を助けたことでも知られています。 延元元年(1336)、足利尊氏が再び京都へ侵攻したことを受けて、義良親王を奉じて北畠顕家公と共に船で西へ向かうものの、遠州灘にて台風のため難破、伊勢に漂着し、延元3年(1338)10月5日に73歳でこの地において病没した。 結城神社は宗広公の没後、通称・結城塚、または入道塚と呼ばれる墓の上に地蔵が6体安置してあり、地方民が墓の側に小さな祠を建て「結城明神」と称して、春秋の祭典を執り行なった事に始まり、人々がこの祠に祈願して病気が治ったことから「結城医王大明神」とも呼ばれた。 寛永9年(1632)、津藩主・藤堂高次が千歳山からこの地に八幡神社を遷座した後も古社八幡宮と称して産土神と同様に崇敬され、文政7年(1824)、領主・藤堂高兌は社殿の改築や、湊川神社の楠木正成公の碑に倣って「結城神君之墓」と刻むなど、墳墓の修造や祭典等の費用を藩費より支出させた。 明治13年(1880)、明治天皇が三重県御巡行の折に勅使を墳墓・神社に参向させ幣帛料の御下賜があり、明治15年1月24日に別格官幣社に列せられ社殿が建立され、昭和12年には宗広公六百年祭斎行に当たって境内の整備社殿の改築が行われましたが、昭和20年7月28日に戦災により本殿をはじめ諸建物が焼失。 戦後、昭和31年、33年に再建工事が行われ社殿などが整備されました。 参道に建つ大きな狛犬は、青銅製の物としては日本一の大きさを誇ります。 参拝したとき、とっても梅がキレイだったんですが、参拝する直前、車を運転中に前の会社の上司から「なに勝手にお前休んでるんだ!」とお怒りの電話が来ましてテンションがた落ちの状態で参拝したので、すごく落ち着かなかった記憶があります。 まぁ私事ですが出向先の会社が慰安旅行で休みで、その慰安旅行は出欠席どちらでも良かったので行かなかったんですけど、まぁいいや。長くなるし…。 そんなこんなで呼び出すかもしれないからアパートにもどれと連絡が来まして、本当は伊勢まで行く予定だったのを結城神社と三重県護國神社で切り上げて名古屋まで帰ってきたことが…。 |
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住所:三重県伊勢市宮後1丁目 豊受大神宮 別宮 延喜式内社:伊勢國度會郡 月夜見神社 神紋: 祭神:月夜見尊(つきよみのみこと)、月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま) 例祭日: 最寄の交通機関:JR「伊勢市駅」下車、徒歩10分 月夜見宮はJR伊勢市駅の北西300mの位置に鎮座する神社で、豊受大神宮(外宮)の別宮4ヶ所のうちの1社。 境内周囲は水堀で囲まれていて、一帯は鎮守の森になっている。 同じ読みで月讀宮があるが、こちらは皇大神宮(内宮)の別宮で、同じ祭神を祀っている。 祭神は内宮の祭神である天照大御神の弟神の月夜見尊。 外宮別宮の序列では第3位。(ちなみに第1位は多賀宮、第2位は土宮、第4位は風宮) 外宮別宮としては唯一の境外別宮。 創建年代は不明だが、延喜式神名帳に「伊勢國度會郡 月夜見神社」との記載があることから、延喜式の成立した927年以前にはすでに創建されていたことになる。 境内には大楠と、外宮の摂社である高河原神社が鎮座する。 このころは、延喜式内社に関しては無頓着だったから月夜見宮を参拝して御朱印をいただくということしか考えてなくて、今考えてみればじっくり境内を散策して高河原神社に参拝しておくべきだったと後悔。(存在を知らなかったから仕方が無いけれど) もし伊勢市駅から徒歩かレンタサイクルを使ってゆっくり参拝できるのなら、駅から月夜見宮方面に少し歩くとある、伊勢うどんのお店『山口屋』さんで腹ごしらえと参りましょう。 ちなみにこの月夜見宮は、『赤福』の中に入っている栞にも登場しています。 |
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延喜式内社:伊勢国三重郡 江田神社 神紋:左三つ巴 祭神:[主祭神]天照皇大御神、建速須佐之男命 :[合祀]菅原道真、俵忠秀、俵藤綱、俵元綱、俵重綱 例祭日:10月10日 最寄の交通機関:「近鉄四日市駅」下車、徒歩5分 鵜森神社は三重県四日市市の近鉄四日市駅の南西すぐの所にある神社。 神社の一帯は浜田城跡で、現在は鵜の森公園として整備されています。 創建年代は不明ですが、平安時代に編纂された「延喜式神名帳」の伊勢国三重郡 江田神社に比定される神社で、江戸時代には「江田神社」と称していたらしく、安永8年(1779)4月26日に元々は南東にあった神社を現在地に遷座した後に、明治42年4月16日に「鵜森神社」と改称した。 境内や隣にある鵜の森公園は、文明2年(1470)に、俵藤太こと藤原秀郷の子孫と言われる田原忠秀によって築城された浜田城の跡。 浜田城は天正3年(1575)の織田信長の伊勢侵攻の際に、滝川一益の大軍によって攻められ、6月6日に城主・田原元綱は子の重綱を逃がしたのしに切腹し落城した。 公園には当時の土塁が残っている他に、神社には田原忠秀が寄進したと言われる「十六間四方白星兜鉢」(国指定重要文化財)が保管されている。 2005年に福王神社(菰野)に参拝した後に四日市まで車を走らせて参拝。 ちょうど宮司さんが居なくて御朱印が頂けず(厳密に言うと自分で御朱印を押印することになったので)日を改めて参拝して、宮司さん直筆の御朱印を頂いた。 折角、隣が浜田城跡だというのに何を焦っていたのか城跡を歩くこともせず撤収してしまったので機会があればまた行きたい。
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