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キリストの墓 大石神ピラミッドから国道454号線に出て八戸方面へ向かうと今度は左手に「キリストの墓」という標識が出てきます。 ここはきちんと整備されていて駐車場もちゃんとあります。 数分歩くと遊歩道の左側に墓守をしていて、キリストの子孫とも言われる沢口家の墓があって、道を挟んだ向かい側に二つの土饅頭の上に十字架が立っているところがあります。このうちの一つ「十来塚」が「キリストの墓」でもう一つの「十代墓」が弟のイスキリの墓だと言われているのです。 キリストの墓といっても昔から地元にそのような言い伝えがあったわけではなく、昭和10年、前回の大石上ピラミッドで少し触れた竹内文書に書かれている史跡を訪れるため、竹内巨麿の一行が新郷村を訪れた時に2つの土饅頭を見つけて、このうちの一つをキリストの墓だとして「十来塚」と名付けたのが始まりです。 竹内文書によればキリストは21歳から33歳までの期間に日本に来ていたそうです。 その後イスラエルに戻り、宣教活動をして、そして捕らえられますがゴルゴタの丘で磔になって死んだのはイエス・キリストでは無く、弟のイスキリで33歳で身代わりになって死んだそうで、その後に人々の前に現れたキリストは「1935年後に天下が泥海のように乱れる」と言い残して旅に出たらしい。 その後キリストはヨーロッパ→アフリカ→オーストラリア→アジア→南北アメリカ大陸→アラスカ→日本というルートで再び来日。八戸に上陸。 それから戸来村や富山の呉羽山近くの太平という所を拠点に全国を歩き回ってたらしい。 キリストは来日中にちゃっかりミユ子という女性を妻にしたらしく、その後の景行天皇11年(81年)4月5日午後6時頃に106歳で死去。キリストは「十来塚」に弟のイスキリの遺髪と耳は横の「十代墓」の葬られたということです。 墓の先には「伝承館」と言われる郷土資料館のような建物があって、キリストの墓に関するものや「ナニャドヤラ」と呼ばれる踊りに関するビデオ、風習などが展示されていて、生後10ヶ月の赤ちゃんを外に出す時は額に墨で十字を書くとか、ダビデの星に似ているという(五芒星と六芒星の違い)沢口家の家紋の彫られた扉なども一緒に展示されています。。 この「ナニャドヤラ」という踊りは南部地方(八戸や十和田周辺)に伝わる踊りで、一説にはヘブライ語との関連が指摘されています。 ナーニャード ヤラヨウ ナーニャード ナアサアレ ダハアデ サーエ ナーニャード ヤラヨ と歌いながら踊るのですが、 ヘブライ語で 御前に聖名を褒め称えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名を褒め称えん という意味の進軍歌だとも言われています。 他にも父親のことを「アダ」(アダム?)、母親のことを「アバ」(エバ?)と言われていたとか、南部地方にある一戸から十戸という地名がイスラエルの十二部族のうちの行方がはっきりしていない十部族と関係があるとか。 昭和初期までのこの地方に伝わる南部煎餅の裏にはダビデの星が書かれていたとか。いろいろ残っているようです。 さすがにキリストが実際に来て、このような話が伝わってるとは考えにくいので、隠れキリシタンに関係があるのではないかとか言われていますが、はっきりしていないようです。 いずれにしてもイエスが日本に来てたなんてミステリーですよね。 あと、関係ないですが道の駅「しんごう」に売られているドラキュラアイスというのがオススメです。(一応どういうものかということでリンクしときました) はっきり覚えてないですがアイス一個の中にこの地方特産のにんにくが半分含まれているとか。 実際食べましたが普通のアイスと比べてもにんにくっぽさは無くて、特にミントのほうはとっても美味しかったです。 ただ食べすぎは注意とのことで一日一個が目安だとか。なんか特定保健用食品みたい・・・。
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史跡
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