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旧県社、艦内奉斎神社(巡洋艦「名取」) 神紋:雪薄、九曜 祭神:武振彦命(伊達政宗) 例祭日:10月9、10日 最寄の交通機関:JR仙山線「北仙台駅」および、仙台市営地下鉄南北線「北仙台駅」下車、徒歩8分 青葉神社は仙台市青葉区にある仙台藩初代藩主・伊達政宗公を祭神として祀る神社で、社名の青葉は居城であった青葉城から付けられた。 場所は北仙台駅の西側の「北山五山」と呼ばれる寺町が集中する丘に鎮座する。 仙台市街地の国分町通りを真っ直ぐ北上して行き、突き当たった先が青葉神社の参道となる。 「参道入口」 写真に写っているのは徒歩用の参道。車用の参道は西側にあり、モダンなコンクリート製の社務所の前に出る。 表参道を入ると一の鳥居。 「一の鳥居(震災で倒壊。現在工事中)」 写真は2008年のもので、鳥居は東日本大震災により倒壊。現在は鳥居があった場所は立ち入り禁止のコーンが置かれていた。 階段を登って行くと途中で左、右というふうに曲がる。そして登り切るとまっすぐ先に拝殿が見える。 元々は仙台城内に伊達政宗公を祀った社殿があったという。 明治4年(1871)の藩籍奉還の後、藩主であった伊達宗基が東京へ移るにあたって、明治6年(1873)旧藩士をはじめとする住民が、伊達政宗を祀る神社を建設する許可を宮城県に請願し、明治7年(1874)6月25日に県社に列格され、同年11月11日に落成した。 現在の社殿は昭和2年(1927)の造営。 拝殿の右側に池があり、その先に家臣の霊を祀った祖霊社が鎮座する。(先日参拝した時は工事中だったため以前参拝した時の写真) 「祖霊社」 青葉神社には現時点では2回参拝していて、前回は若い神職の方が、先日の参拝では初老の神職の方が応対された。恐らく後の方は宮司さん、ちなみに現在の宮司さんは伊達政宗の家臣であった片倉小十郎の子孫。 「手水舎にある龍と政宗公の像」 手水舎には多分元々あった龍の脇に政宗像が建てられていた。前回来た時にはなかったような気がする。 政宗公の像は戦国BASARAとかKOEI作品の影響もあるのかイケメンだったが、個人的には社務所の入口にあった『Wake Up,Girls!』のパンフレットが気になった。 というのもまだ見たことはないけれど『Wake Up,Girls!』の舞台にもなっているようだ。絵馬も『Wake Up,Girls!』の痛絵馬がチラホラ。 『戦国BASARA』は直接関係していないけど『Wake Up,Girls!』しかり、後述の『艦これ』しかり…。『艦これ』も名取の艦内神社の分霊元ってだけで直接は関係してないけど二次元に縁のある神社でした。 「ちなみにこちらは仙台城跡にある政宗公騎馬像」 ・軽巡洋艦 『名取』 帝国海軍の巡洋艦「名取」は宮城県南部を流れる名取川から採られました。 名取川は仙台市西部の奥羽山脈に属する神室岳を源とし、二口温泉・秋保温泉などがある渓谷部を通り仙台平野へ、途中仙台市内を流れる広瀬川と合流し仙台湾へ注ぐ。 「名取」の艦内に祀られていたのは青葉神社の御分霊。 採用された艦名が河川の名前の場合、その流域にある著名な神社から御分霊を奉斎する事が多かったようですが、青葉神社が鎮座するのは名取川の支流である仙台市内を流れる広瀬川の流域に当たります。 軽巡洋艦・名取は長良型軽巡洋艦の3番艦として大正9年(1920)に起工、大正11年に進水・就役しました。 太平洋戦争開戦時には第三艦隊所属・第五水雷戦隊旗艦としてフィリピン攻略作戦に従事、その後蘭印作戦に転じ、昭和17年3月1日のバタビア沖海戦に参加。その後も南方海域で活躍するものの、昭和19年8月18日、フィリピン・サマール島東方海面において、米潜水艦ハードヘッドの雷撃により沈没。 軽巡洋艦「名取」(佐世保軍港) 起工:大正9年(1920)12月14日 三菱造船長崎造船所 進水:大正11年(1922)2月16日 就役:大正11年(1922)9月15日 排水量:5.170トン(基準) 全長:162.15m 全幅:14.17m 吃水:4.80m 速力:36.0ノット 兵装:50口径三年式14cm単装砲 5基5門、40口径八九式12.7cm連装高角砲 1基2門、九六式25mm三連装機銃 2基6門、同連装機銃 2基4門、同単装機銃 2基2門、13mm連装機銃1基2門、61cm四連装魚雷発射管2基8門、二一号対空用電探1基、水中聴音機1基、110cm探照燈3基 戦没:昭和19年(1944)8月18日 除籍:昭和19年(1944)10月10日 |
寺社仏閣・宮城県(7)
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神紋:梅鉢 祭神:菅原道真(すがわらのみちざね) 例祭日:7月25日 最寄の交通機関:JR仙石線「榴ヶ岡駅」徒歩10分 榴岡天満宮は宮城県仙台市、仙台駅の東側にある榴ヶ岡に鎮座する神社。 榴岡天満宮は、天延2年(974)に平将春が陸奥国宇多郡(福島県)に勧諸したのが始まりで、その後、宮城県柴田郡川内村に遷座し、天文20年(1551)に佐藤基春が国分小俵玉手崎(現在の仙台市青葉区東照宮)にを移し、後に國分世家に従い氏神領となる。 「境内は南側が駐車場みたくなってて広々。周りに歌碑が沢山。」 「拝殿の扁額『照星閣』」 後に、伊達政宗公が仙台城を造営するとき、当社の社木を用材として切り出し、その報祭に慶長16年(1611)に新たに丹塗りの社殿を造営したが、慶安3年(1650)に徳川幕府の命令により東照宮建立に際し、その境内地の東側に遷座された。 そして、寛文6年(1666)に三代藩主・伊達綱宗により榴ヶ岡に遷座。寛文7年(1667)7月25日に丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、菅原道真公の真筆が奉納された。 寛政7年(1795)2月25日に落雷により本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居などの建造物を焼失。現在の社殿はその頃の再建。 境内には色々な石碑が建っていて、そのなかの一つ、拝殿の横にあるのが 「東風吹かば におひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 という菅原道真公の歌碑があります。 ここの御朱印は見開き2ページを使ってこの歌の墨書がされています。 某国家試験の帰りに試験会場に近かった榴岡天満宮に参拝。 神社のある榴ヶ岡はその名の通り周囲から比べると小高い丘になっていて、伊達政宗が仙台城を築城する際に、その築城する候補地の一つになった。 現在、榴ヶ岡から仙台駅東口の一帯にかけて再開発が行われており、仙台中心部のすぐ近くの割に更地になっているところが目立つ。 個人的には、神社の隣に創価学会の建物があるというのが残念なところではあるが、神社は大きすぎず小さすぎず、社殿も古い扁額があったりで昔の面影が感じられる。
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旧内務大臣指定護国神社、別表神社 神紋:十五菊に桜 祭神:宮城県出身の戦没者、陸軍第二師団管区(福島、新潟、山形の一部)戦没の英霊 56,091柱 例祭日:4月29日〜5月1日、10月22日・23日 最寄の交通機関:地下鉄「広瀬通駅」、市バス「博物館・国際センター前」下車 宮城縣護國神社は仙台城(青葉城)本丸跡に鎮座している護國神社で、宮城県や陸軍第二師団管区出身の戦没者を祀っています。 なお、陸軍第二師団は仙台城二の丸跡(現在の東北大学川内キャンパス)に師団司令部を置いていました。 「一の鳥居(仙台城本丸詰門跡)」 「二の鳥居」 明治維新以降、国難に倒れたる者の忠魂を慰霊するため、明治天皇の聖慮を奉戴し、明治37年(1904年)8月、仙台城本丸跡に「招魂社」として創建され、昭和14年(1939年)、内務大臣指定「宮城縣護國神社」となった。 昭和20年(1945年)7月10日、仙台大空襲によって社殿を全焼し、御神体は一時期「秋保神社」(太白区)に遷され、GHQの占領政策により「宮城神社」と名前を変えましたが、昭和33年(1958年)に、伊勢神宮・第59回式年遷宮(昭和28年)にあたり、伊勢神宮・外宮別宮「風宮」の旧正殿が東北地方で初めて移築され復興しました。 平成16年(2004年)には創立百周年記念奉祝大祭が行われ、祀られている英霊の遺徳を展示する「英霊顕彰館」が社務所の横に作らました。 「英霊顕彰館」には陸軍第四連隊軍旗や戦艦大和の模型をはじめ、戦没者の遺影・遺品などさまざまな資料が展示されています。 「拝殿」 前日、愛宕神社を参拝してから仙台駅の地下で牛タンラーメンを食べ、仙台四郎の色紙だとかずんだ餅だとか買い物をして、駅の北にあるホテルに泊まり、翌日朝から青葉城へ向かいました。 宮城縣護國神社は青葉城本丸にあるので観光客が多く、お土産品店だとか青葉城の資料館もあります。 ちなみに御朱印は500円。
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旧村社、仙台卦体神(乾) 神紋:左三つ巴 祭神:応神天皇(おうじんてんのう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう) 例祭日:9月14日・15日 最寄の交通機関:JR仙山線「国見駅」、仙台市営バス「大崎八幡宮前」 大崎八幡宮は仙台市街の北西の小高い丘に鎮座していて、社殿は国宝に指定されています。 「一の鳥居」 市街地の中にありますが、木々が生い茂り、鎮守の森となっています。 参拝時は1月4日のため、参道には色々な出店が出ていました。 「参道。社殿側から入り口方面を望む」 大崎八幡宮は伊達政宗が仙台城築城の際に造営した神社ですが、元々のルーツは平安時代まで遡ります。 平安時代、征夷大将軍として東夷征伐のため陸奥まで進軍していた坂上田村麻呂は、武運長久を祈願して宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請し、『鎮守府八幡宮』を創建しました。 その後、室町時代に奥州管領・大崎氏は、この「鎮守府八幡宮」を大崎領内にある、現在の宮城県大崎市田尻に勧請し、守護神として崇敬した為、「大崎八幡宮」と呼ばれました。 その大崎氏が戦国時代の騒乱で衰退・滅亡した後、伊達政宗が米沢から転封となった岩出山城(現・大崎市岩出山城山)の祠に御神体を遷座し、その後、政宗が仙台に移り、仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に米沢で祀られていた「成島八幡宮」と合祀されました。 藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、明治以降は「大崎八幡神社」と改称していましたが、御遷座四百年を間近に、その歴史的経緯を考慮して、平成9年6月に社名を元の「大崎八幡宮」に改称し現在に至ります。 「長床」 「社殿(国宝)」 社殿は、伊達政宗が京都にある豊国廟を模して、慶長12年(1607年)に造営したもので、本殿・石の間・拝殿で構成される『権現造』の社殿は、この形式の建物では最古の建築に当たり、国宝に指定されています。 また、仙台城から北西(戌亥・乾)の方角に鎮座していることから、明治期以前には神仏習合で南東方向の守護である「阿弥陀如来」も祀られ、仙台の「卦体神」という十二支の神を信仰する習慣では乾(戌亥)の守護神として戌年と亥年生まれの守護神としても崇敬されています。 御朱印は神社ではわりと珍しい水平ではなく角が上にくるタイプ。 書いてくれた神職さんは御朱印を書く前は、祝詞かお札に墨書していた。 大崎八幡宮には学生時代に旅行で来たことがあります。 その理由が、小説版『サクラ大戦 前夜』で、境内に「蛇桜」という桜の木があるという行があったので、その蛇桜を探しにきました。サクラ大戦自体もちろんフィクションなので蛇桜も創作だと思うのですが、きちんと神社名も記述されていたので境内のそれっぽい木を探した記憶があります。 あと、余談ですが、神社の参道の入り口の横にはこんな建物があります。 これ、神社の建物じゃなくて、実は焼肉屋です。 「炭火焼 やき組」 大崎八幡宮の入り口など数箇所にこんな看板が立ってます。↓ 神社と間違って焼肉屋に入った人がいるんだろうか…。
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旧村社、仙臺総鎮守、仙台卦体神(辰巳) 神紋:輪宝 祭神:軻遇土神(かぐつちのかみ)、他12柱 例祭日:7月23日・24日、11月23日 最寄の交通機関:JR東北本線「仙台駅」、地下鉄南北線「愛宕橋駅」 愛宕神社は仙台市街地の南側、仙台市街と広瀬川を望む愛宕山山上に鎮座しています。 ただ、山の上のちょっと参拝しづらい場所にあり、車で登っていくこともできますが、駐車場が少し狭いです。 徒歩では麓から階段を登って行かなければ行けないので足腰の弱い方は車で登ったほうが良いですね。 祭神は、全国にある愛宕・秋葉神社の祭神である軻遇土神(かぐつちのかみ)。 火の神ということで、火伏せ(防火)の神として信仰されています。 愛宕神社は、元々、出羽国米沢(山形県米沢市)に鎮座していて、天正19年(1591年)9月23日に仙台藩祖・伊達政宗が米沢から岩出山城への移動に伴い同じく移動しました。 慶長5年(1600年)12月に政宗は千代城を築き、名前を仙台と改め、慶長8年8月に政宗が岩出山から仙台に移動に伴って、一時、国分荒牧村(仙台市宮城野区元寺小路)に仮鎮座した後に、現在の仙台市愛宕山に遷座しました。 明治4年に村社に列格され、現在は仙台総鎮守として崇敬されています。 また、仙台城から南東(辰巳・巽)の方角に鎮座していることからか、明治期以前には神仏習合で南東方向の守護である「普賢菩薩」も祀られていました。 仙台の「卦体神」という十二支の神を信仰する習慣では巽(辰巳)の守護神として辰年と巳年生まれの守護神としても崇敬されています。 麓の長い階段を登ってしばらく進むと神門があって、そこの両側には楼門両袖には愛宕大神の使いといわれる大天狗と烏天狗の像があります。なんでも日本最大の天狗像らしい。 突当りが拝殿で、左側に社務所があります。拝殿・本殿は慶長8年(1603年)に伊達政宗が造営したもので、市の有形文化財に指定されています。 境内の北側には「軍艦愛宕慰霊碑」があります。 重巡洋艦「愛宕」は高雄型重巡洋艦の2番艦で、昭和19年(1944年)10月22日に潜水艦の雷撃により沈没。360名が戦死しました。 軍艦には艦名にゆかりのある神社が祀られていたということもあり(例:大和=大和神社)、愛宕の艦内には京都の愛宕神社が分祀されていました。その関係で「軍艦愛宕会」によって平成6年に建立されました。 ちなみに、愛宕という名前は京都の北側にある愛宕山から採られていて、先日事故を起こしたイージス艦「あたご」も同じ愛宕山から命名されています。 どことなくイージス艦の艦橋構造物と、愛宕の艦橋構造物って似てませんか? あと、この愛宕山からは市内の景色が一望できる場所で、とっても眺めが良いです。 こちらも旧社格は村社ですが、社務所はとっても混んでいました。神職さんや巫女さんは大勢働いています。 混んでたこともあってか、御朱印頂くまで少し待ったんですが、とってもカッコイイ御朱印がいただけました。
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