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旧郷社、准勅祭社 神紋:三つ巴 祭神:伊邪那美命、伊邪那岐命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命 例祭日:8月13日 最寄の交通手段:JR「王子駅」下車、徒歩3分 王子神社は東京都北区、JR王子駅の西側に鎮座する神社。 元亨2年(1322)領主・豊島氏が紀州熊野権現を勧請して「若一王子宮」を奉斎したのが始まりで、「王子」の地名の由来にもなっています。 歴代の領主からの崇敬が篤く、小田原北条氏の朱印状、社領の寄進に続き、天正19年(1591)徳川家康が社領二百石を寄進、将軍家の祈願所と定め、寛永11年(1636)三代将軍・徳川家光、元禄16年(1703)に五代将軍・徳川綱吉、天明2年(1782)十代将軍・徳川家治、文政3年(1820)十一代将軍・徳川家斉からの社殿の造営があり「王子権現」として崇敬されました。 明治以前は禅夷山東光院金輪寺が別当として管理していましたが、明治の神仏分離により明治元年11月に「王子神社」と改称し、准勅祭社となりました。 昭和6年に社殿屋根銅板葺替、昭和10年に社務所を新築しましたが、昭和20年(1945)4月13日に戦災によって社殿を焼失。 昭和27年に復興奉賛会を結成し、昭和37年に鉄筋コンクリート造の社殿を再建し境内の緑化活動を重ね、昭和56年に社殿の修築が行われました。 途中でカメラの電池が切れて写真が一枚しか撮れなかったというオチ。 何度もカメラのON・OFFを繰り返してなんとか撮った位なので境内はゆっくり回れず、残念ながら境内はあまり記憶に残っていません…
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寺社仏閣・東京都(7)
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神紋:梅鉢 祭神:菅原道真 例祭日:9月25日に近い土・日 最寄の交通手段:JR横浜線「町田駅」下車、徒歩4分 町田天満宮は東京都町田市に鎮座する神社。 町田駅から南に向かって歩くと右手に線路を挟んだ奥に鎮守の杜が見えてきます。 参道は線路を跨ぐ歩道橋に直接つながっています。 町田天満宮の詳しい創建年代は明らかではありませんが、元和元年(1615)に原町田村の名家であった三橋氏・武藤氏により社殿が造営されたという資料が残っています。 原町田村は天正10年(1582)に町田村の村民が開拓し分村独立した村で、その原町田村には鎮守となる神社がなかったことから、その頃に創建されたと考えられます。 明治5年に原町田村の大火の際に社殿が焼失し、明治23年7月本殿を相州愛甲郡中津村の彫刻師で当時名工であった和田光親ならびに義親により造営し、明治27年4月覆殿および拝殿を再建しました。 昭和39年8月に大綱神社を合祀し、昭和42年9月社殿を現在の尾州檜造銅板葺に造営。社名は元は菅原神社、天満宮と呼ばれていたのを昭和39年に町田天満宮に改称しました。 「拝殿」 「扁額」 「撫で牛」 拝殿の右側には社務所。左側には神輿殿と境内社が鎮座しています。 「境内社」 境内社には大物主神(金比羅宮)、素盞鳴尊(八雲社)、恵比寿神(西の宮)、聖徳太子をお祀りしています。 |
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旧村社 神紋:三つ巴 祭神:倉稲魂命,天鈿女命,瓊瓊杵尊 例祭日: 最寄の交通手段:JR「新橋駅」下車、徒歩3分 烏森神社は東京は新橋駅東口のビル街の間にひっそりと鎮座する神社で、倉稲魂命を祀っていることから烏森稲荷とも呼ばれる。 カラフルな御朱印が頂けることでも有名。 「参道は南側に伸びている。」 「右側が授与所」 「社殿はコンクリート造の近代建築なデザイン」 「社殿の1階にあるおみくじとか結んだりする所」 「ちょっとした手水鉢」 御朱印は四方に四色の三つ巴を配して、真ん中にはカラスの紋の朱印が押されたもので大変カラフル。 それでいて墨書がしっかりしているので決しておかしくない。 一目でどこの神社か分かる御朱印というのも珍しいと思います。
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旧官幣大社、東京五社、准勅祭社(東京十社)、別表神社、艦内奉斎神社(護衛艦ひえい) 神紋:三つ巴、十六八重菊、丸に二葉葵 祭神:[主祭神]大山咋神 :[配祀]国常立神、伊弉冉神、足仲彦尊 例祭日:6月15日 最寄の交通機関:地下鉄千代田線「国会議事堂前駅」徒歩5分、地下鉄銀座線・南北線「溜池山王駅」徒歩3分 日枝神社は東京都千代田区永田町、日本の政治の中心地のすぐ近くにある神社。 「山王鳥居(永田町側)」 「神門」 「拝殿」 日枝神社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祠ったのを前身として、文明10年(1478)6月25日に、川越城主・太田道灌が江戸築城の際に、鎮護の神として川越から日吉山王社(川越日枝神社)を勧請したのが始まり。 元々は江戸城の北の曲輪梅林に鎮座していましたが、天正18年(1590)に徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とする事になった際に、城内・紅葉山に遷座され、慶長11、12年(1606,1607)に2代将軍・秀忠の時の江戸城大改築の際には、半蔵門外の元山王(現在の国立劇場付近)に遷座しました。 明暦3年(1657)の「明暦の大火」で社殿が焼失したのを機に、時の将軍・家綱は万治2年(1659)に赤坂の溜池の松平忠房邸(現在地)を官収して、ここに社殿を造営・遷座した。 「神門の『皇城之鎮』の扁額」 「外堀通り側の山王鳥居」 日枝神社は例祭の『山王祭』が有名。 元和元年(1625)からは神田明神の「神田祭」と隔年で行われていた。 明治元年(1868)11月の東京奠都の際に准勅祭社に指定され、その後、大正元年(1912)には官幣大社に昇格した。 昭和20年(1945)5月に、万治2年造営の国宝の社殿が東京大空襲によって焼失(末社山王稲荷神社は現存)、社殿は昭和33年(1958)6月に再建された。 2008年の12月に参拝。 永田町にあるから警備とか物々しいのかと思ってたら意外にそうでもなく、近くにビルとかあるのに山の上にあってきちんと鎮守の森とかもあるし、都会の神社にありがちな無機質さがそこまで見受けられない神社かなと思いました。 ただ、やっぱり高層ビルが周りにあるっていうのはなんだかなぁって感じはします。 ・護衛艦「ひえい」 海上自衛隊の護衛艦ひえいの艦内神社(神棚)には艦名との由来から日枝神社の御札が祀られていたという。 先代の戦艦比叡には、由来となった比叡山山麓にある日吉・日枝・山王の総本宮である日吉大社が祀られていたが、「ひえい」は何故か東京の日枝神社に変わってしまった。
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旧村社 神紋:三つ葉葵 祭神:[主祭神]火産霊命(ほむすびのみこと) :[配祀]罔象女命(みずはのめのみこと)、大山祗命(おおやまずみのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと) :勝軍地蔵尊、普賢大菩薩 例祭日:9月24日 最寄の交通機関:JR「新橋駅」から徒歩20分、地下鉄日比谷線「神谷町駅」徒歩5分 愛宕神社は、林立するビルのため目立たないが、東京都心としては珍しい自然の山・愛宕山(海抜26m)の山頂に鎮座する神社で、『出世の石段』で有名な神社。 火の神様である火産霊神(ほむすびのみこと)を祀っている。 芝の増上寺からは北に歩いて10分ほどの場所にある。 創建は慶長8年(1603)9月24日に徳川家康の命によって、奉行・石川六郎左衛門尉が仮殿を建立したのが愛宕神社の始まり。 ちなみに愛宕神社の総本宮は京都の愛宕神社。 慶長15年(1610)に本社、末社、仁王門、坂下総門、別当所などが将軍家の寄進により建立されたほか、元和3年(1617)に2代将軍・徳川秀忠が、武蔵国豊島郡王子村に社領二百石を寄進されるなど、幕府からの尊崇も厚く、また、万延元年(1860)3月3日に「桜田門外の変」で水戸浪士達が井伊直弼を討ち取る前に祈願を行ったのがこの愛宕神社です。 社殿は嘉永2年(1849)の江戸大火災で焼失し、明治10年(1877)9月に再建されますが、大正12年(1923)9月1日の関東大震災、昭和20年(1945)5月24日の東京大空襲と、度重なる禍により太郎坊神社以外の社殿が灰燼に期しますが、昭和33年(1958)9月に再建され現在に至ります。 愛宕山は駅のプラットホームでかかっている『鉄道唱歌』の第1集1番の 汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として の中で歌われている山で、明治元年(1868)3月13日の江戸総攻撃の前に、勝海舟が官軍の西郷隆盛を愛宕山に誘って、眼下の街が戦火に遭うことがないように説得したとも言われています。 神社への86段ある階段は男坂呼ばれていて、上るにしんどく、下るに恐ろしい急な階段です。 この男坂ですが、別名を「出世の石段」と言います。 寛永11年(1634)1月28日に、江戸幕府2台将軍・徳川秀忠の命日に、3台将軍・徳川家光が芝の増上寺に参詣の帰りに、愛宕山の梅の花を観賞の際に、丸亀城主・生駒雅楽頭の家臣・曲垣平九郎盛澄が馬でこの階段を登り国家安泰を祈願してから梅の花を手折り、階段を下りて将軍に梅の花を献上した事から日本一の馬術の名人として有名になったことから「出世の石段」と呼ばれるようになりました。 |


