|
住所:鹿児島県肝属郡南大隅町(旧・根占町)根占川南5076 311230 1304710 旧郷社 神紋:梶の葉 祭神:建御名方命,事代主命 例祭日:10月28日 最寄の交通機関: 日本の神社の鳥居には色々な種類の鳥居がありますが、なかなかこの神社の鳥居は珍しいかもしれない。 それは二基の鳥居が横に並んだ「並列鳥居」。 並列鳥居があるのは鹿児島県南大隅町の諏訪神社。 平成の大合併で町名が変わっていますが、元は根占町でした。 鹿児島県は錦江湾入口の指宿港とを結ぶフェリー埠頭があり、ここから南へ行くと本土最南端の佐多岬、北へ行くと特攻隊の基地があった鹿屋などがあります。 その起点となる根占港からまっすぐ山へ向かうと正面に特徴的な並列鳥居の諏訪神社が鎮座しています。 恐らく日本本土としては最南端の諏訪神社だと思われます。(手元の資料では) 元々、参拝する神社としてチェックをしていなかったのですが、使ってる地図に並列鳥居のことが載っていたので興味があって参拝しに行きました。 鳥居自体は平成6年竣工ということで結構新しいので、元々がこういう並列鳥居だったのかは分かりません。 ちょうど社務所も工事していたので由緒とか聞きに凸はしなかったんですけど、鳥居の扁額はどっちも諏訪神社なんですよね。 どうやら元々は上宮と下宮が並んでいたという事が真相らしい。 イメージ的にはどっちかが◯でどっちかが×で、×の方は泥水のトラップが仕掛けられてたりって感じなんですけど、後から調べてみたら左から入って右から出るのが正しいそうです。 見づらいですが拝殿の中には大量のよだれかけが奉納されていました。 社殿は横から見るとこんな感じ。割りと小さめ。 個人的には並列鳥居も気になるんですが、神社ではよくある手水舎の井筒の説明板が手書きで描かれてたのが衝撃的だったw 服は水玉じゃないけど再現度高いw |
寺社仏閣・鹿児島県(3)
-
詳細
全1ページ
[1]
コメント(2)
|
住所:鹿児島県鹿児島市上竜尾町2-1 (N34°36’20'',E130°33’39" ) 旧無格社 神紋:三つ寄せ菊の葉 祭神:[主祭神]西郷隆盛 :[配祀]桐野利秋以下薩軍戦没者 例祭日:2月22日、9月24日 最寄の交通機関: 南洲神社は鹿児島県鹿児島市に鎮座する西郷隆盛と桐野利秋以下薩摩軍兵士を祀る神社。 社号の「南洲」は西郷隆盛の号を指す。 明治10年に勃発した西南戦争は、9月24日に西郷隆盛の自刃と城山の陥落によって終りましたが、戦後まもなく西郷隆盛をはじめ薩摩軍の英霊を祀る祠を建てようという話が起こり、明治13年(1880)1月1日に参拝所が建設。 明治20年2月に西郷隆盛は賊名を解かれて正三位を追贈されました。大正2年(1913)9月に社殿が竣工。当時は「南洲祠堂」と呼ばれていましたが、大正11年6月28日に現在の「南洲神社」という社号が許されました。 昭和2年9月には桐野利秋以下諸将士の神霊を祀る摂社が同じ境内に建てられ、10月には神社五十年祭が盛大に行なわれました。 昭和20年7月、戦災により社殿、摂社、社務所を焼失。昭和32年9月に本殿、44年4月に社務所、45年12月に拝殿が再建されました。 境内には猫がいてかなり人馴れしている様子。 この後、手水舎で水を飲んでいた…「手水舎の水を飲んではいけません」 拝殿内にある西郷隆盛の銅像と彩色像。 やはり西郷さんと犬はセットなのだろうか…。 彩色像はちょっとコミカルな感じもする。 下は西郷家の家紋である「三つ寄せ菊の葉」。 南洲神社の社紋がそうだけれど、ネットで西郷隆盛・家紋と検索するとほとんどが明治天皇から下賜された「抱き葉十六弁菊」が出てくる。 南洲神社へは参道を通らずに境内の隣にある「西郷南洲顕彰館」経由で参拝しました。 南洲神社と顕彰館の間が西南戦争で無くなった西郷隆盛や桐野利秋をはじめとする薩摩軍兵士の墓地があります。 「中央が西郷隆盛の墓。左が桐野利秋の墓」 「少年兵の墓もある。14歳とか…。」 「拝殿横にある招魂碑。後ろのプレートには戦没者の名前がきざまれている。」 「参道には大正2年に作られた電灯がある。国の有形文化財に指定。」 |
|
旧別格官幣社、別表神社 神紋:丸に十の字 祭神:照国大明神(島津斉彬公) 例祭日:10月28日 最寄の交通機関: 照國神社は鹿児島県鹿児島市中心部にある、薩摩藩主・島津斉彬を祀った神社です。 「大鳥居」 祭神の島津斉彬公は、島津家第28代当主・薩摩藩11代藩主。「幕末の四賢侯」のうちの一人でもあります。 文化6年(1809)に誕生し、嘉永4年(1851)に43歳で薩摩藩主、安政5年(1858)に死去しますが、わずかか7年間の在任中、西欧列強の進出に危機感を抱くと同時に西欧の技術を取り入れるべく、藩の富国強兵と殖産興業政策を奨め、鹿児島市北部の磯地区に「集成館」という造船・造砲・製鉄・紡績・ガラスなどの工場群を建設するほか、明治維新で活躍する西郷隆盛・大久保利通などの人材の育成や、日本の船と諸外国の船との区別するために制定された「日章旗(日の丸)」を発案するなど近代日本に与えた影響は大きい。。 「神門」 「拝殿」 その生前の功績から神社設立の運動が起こり、文久2年(1861)、鶴丸城の西域である南泉院に社地が決定し、文久3年(1863)5月11日に勅命によって照國大明神の神号を授けられ社殿を建設。元治元年(1864)に社殿が完成し「照國神社」の社号が付けられた。 明治6年(1873)に県社、明治15年(1882)に別格官幣社に列格し、明治34年(1901)には正一位の神階を授かります。 創建時の社殿は権現造で、明治10年(1877)の西南の役で焼失、明治15年(1882)に流造の社殿が建設され、明治42年(1909)に改築されますが、昭和20年8月に戦災により焼失。昭和33年に本殿、昭和38年に拝殿が再建され現在に至ります。 「斉鶴」 「島津斉彬公銅像」 境内にある照国文庫資料館には島津重豪・斉興・斉彬の資料が展示されています。 照國神社にはオリジナルの御朱印帳もあります。 余談として…大河ドラマ『篤姫』で篤姫と小松帯刀が持っていたお守りは照国神社ではなくて、仙巌園内にある御庭神社のお守り。近くの猫神神社の隣の売店で1個でも2個セットでも購入することが出来る。 |
全1ページ
[1]



