ここから本文です
アイエエエエ! ジンジャ!? ジンジャナンデ!?
旧・クモノカケラのブログです。道南から神社・お寺の御朱印情報などを二次元も絡めて発信します。

書庫寺社仏閣・和歌山県(4)

記事検索
検索

全1ページ

[1]

松原王子神社 (まつばらおうじじんじゃ)



住所:和歌山県日高郡美浜町吉原771 (N33°53'12'',E135°08'55" )

熊野九十九王子

祭神:[主祭神]伊弉諾命,伊弉冊命,月読神,大日霊女貴神,倉稲魂神
   :[合祀]武甕槌神,経津主神,天児屋根神,比売神

例祭日:8月16日、10月第3日曜

最寄の交通機関:






和歌山県御坊市の西隣の美浜町に松原王子神社は鎮座しています。

イメージ 1
イメージ 2

社号からも分かる通り「熊野九十九王子」の一社と考えられ、延宝6年(1678)に書かれた「日高鑑」の吉原浦の条には「宮弐社内壱社王子、壱社御霊宮」と記載が見られる神社です。

イメージ 3
「拝殿に掛かる祭神名の額」

一般的な熊野参詣道のルートではありませんが、熊野詣の人々が船で比井湊(日高町比井)に上陸してから紀伊路を南下し熊野参詣へ向かう場合に当地が一つの要衝とされていたと考えられます。

社殿は享和3年(1803)に再建され、昭和11年に改修と同時に社務所が新築されています。

イメージ 4



境内の木々は昔から保護されてきた天然林で、町の文化財に指定されています。

県指定文化財 松原王子神社の社叢

此の社叢は面積約三〇アール、数百年にわたって保護されて来た日高地方でも稀な天然林である。特に、暖地性のイヌマキ、カゴノキ、エノキ、ムクノキなどを中心に四九科八十種におよぶシダ類以上の高等植物が生い茂り、中には直径一メートルをこえるクスノキやウバメガシの巨木のほか、ナギ、イスノキ、ホルトノキなども生育している。長期にわたる森林の変遷をよく見ることのできる貴重な社叢である。
(昭和四六年指定)
昭和六三年十月 美浜町教育委員会

イメージ 5

参拝時は大雨。濡れた土の匂いと木々からのフィトンチッドの匂いが良い感じでした。

御坊市から川を挟んで向かいの美浜町市街地に鎮座する神社ですが、そこだけ境内は鎮守の杜を形成していて、鬱蒼としています。

社殿も大きくなく、ただ熊野九十九王子としてはこんな感じかなという印象の神社でした。

ここに参拝したのは同じ美浜町の御崎神社に参拝したのと同じ理由。つまり「AIR」の舞台探訪のためです。

高野山 女人堂 (こうやさん にょにんどう)








女人堂は真言宗の総本山である高野山の北西、高野山へ至る高野七口の一つの不動口にあるお堂で、かつてはここが女人結界だった。

イメージ 1

明治5年(1872)に女人禁制が解除されるまでは高野七口それぞれに女人堂が建っていたが、現在残っているのはこの不動口の女人堂のみとなっています。

女人堂
高野山の北西の入口にある不動口にいまだのこる女人堂は、一千年余りの間女人禁制であった高野山の七つの入口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一の残存建造物である。むかし、女性はここから山内に入ることが許されなかった。
和歌山県教育委員会・総本山金剛峯寺

高野山金剛峯寺から高野山ケーブルに向かうようにして行くと右手に女人堂があり、そこからが高野山ケーブルへと続くバス専用道路になっています。

イメージ 2

御崎神社 (みさきじんじゃ)



住所:和歌山県日高郡美浜町和田1788-1 (N33°53'35",E135°07'25" )

旧郷社、国史見在社

神紋:

祭神:[主祭神]雷大神,猿田彦大神,事代主大神,天照皇大神
   :[配祀]速玉彦大神,豊玉彦大神,天忍穂耳尊,天瓊瓊杵尊

例祭日:7月15日、10月第4日曜、12月15日

最寄の交通機関:御坊南海バス・日の岬パーク線「御崎神社前」下車






御崎神社は和歌山県御坊市の西隣の美浜町に鎮座する神社。

美浜町は紀伊半島最西端の日ノ御埼がある町。日ノ御埼の先は徳島県で、瀬戸内海と外海との海路の要衝にある。

イメージ 1
イメージ 2

祭神は猿田彦大神の他7柱。御崎神社は古来から海上交通の要衝・日ノ御埼の守護として、「南海第一御崎大明神」「日御崎大神」「導きの神」と呼ばれ崇敬されてきた。

ただ現在鎮座している場所はその日ノ御埼からはだいぶ距離がある。

元々は小池荘に鎮座していたのが、現在地の背後の山の中腹、宮の段という場所に遷座し、現在地へは貞観元年(857)に現在地に遷座。(資料によっては貞観3年(859)とも)

イメージ 3
イメージ 4

創建年代は不明なものの、この和歌山県日高郡ではもっとも古い神社で、当社に伝わる伝記によれば神武天皇が熊野へ入った時、神功皇后が幼い後の応神天皇にあった時、仁徳天皇の妃が熊野へ行幸したときなど参拝があったらしい。

平安時代初期の「三代実録」にも記載される国史見在社、清和天皇の治世である貞観17年(875)10月10日には「紀伊國正六位上三前神に從五位下を授けき」とあり、「紀伊国神名帳」には「日高郡正三位御崎神」との記載ががあるほか、「紀伊続風土記」には「中世には社殿壮麗で神田2町2反」と記されていることからも当時としては大きな霊験あらたかな神社であったことが分かる。

江戸時代にも紀州徳川家からの崇敬もあり、特に紀州藩第10代藩主・徳川治宝からは紀州沖を航行する船舶の安全祈願の他、天保9年(1838)5月には真筆の「海幸船守」と書かれた扁額が奉納された。

明治6年(1873)4月に日高郡で初めて郷社に列格。

境内社として金比羅神社(祭神:大物主神)、祖霊社(祭神:氏子の祖霊)、忠魂社(祭神:護国の英霊)が鎮座している。


境内には樹齢千百年以上と推定されるウバメガシの老木が2本ある。

現在地に遷座されたときに数百本が庭木として植えられたウバメガシのうちの貴重な老木であるが、そのうちの南側の一本が塩害で根が腐って来たところに木食い虫による被害がトドメとなって、平成22年現在、根元での切断が濃厚となっているらしい。



ちなみに…

御坊・美浜に来た一つの理由は、この御坊市や美浜町一帯が『AIR』(TV版)の舞台になっているからで、御崎神社も当初は作品内で登場する神社のモデルではないかということもあって、いわゆる聖地巡礼している人たち(自分も含め)が結構参拝したのではないかなと思われます。

イメージ 5

TV版の神社のモデルは東京の谷保天満宮なのですが、TV版での登場人物は美浜町に住んでる設定のようなので、イメージ的モデルとしてはこの神社ということでいいのかもしれない。神社周辺の雰囲気は夏の快晴の時に訪れたりすると、AIRの夏の雰囲気が味わえます。

目の前の「煙樹ヶ浜」は舞台になっているようですね。

イメージ 6

瀧尻王子宮 十郷神社 (たきじりおうじのみや とごうじんじゃ)




旧村社、熊野九十九王子、五体王子

通称:滝尻王子

神紋:(未確認)

祭神:[主祭神]:皇大神
    [配祀]:日子火能迩迩芸命、天忍穂耳命、日子穂穂手見命、鵜茅葺不合命

例祭日:10月10日(秋季例祭)

最寄の交通機関:JR紀伊田辺駅から龍神バス 栗栖川・熊野本宮行き「滝尻」バス停下車










熊野九十九王子の中で最も格式が高いとされる「五体王子」の一つに数えられている滝尻王子は、和歌山県田辺市中辺路町の石船川(いしぶりがわ)が富田川(岩田川)に合流する地点、滝尻橋がある所に鎮座しています。

中辺路町内の王子跡は国指定史跡「熊野参詣道」として登録されていて、祭神は皇大神、本地仏は不空羂索菩薩と言われています。


イメージ 1

イメージ 2




田辺から本宮・那智に至る中辺路の中で、稲葉根王子から滝尻王子までの古道は、今ではその跡を探すことは難しく、岩田川の右岸をしばらく遡ったあと、向越(むかいごし)付近で川を渡ってそこから左岸を進み、山を越して滝尻へ出るという、何度も川を渡らなければいけない難所でした。

滝尻という地名は、川がこの付近で急流になり、石に触れたりして音高く流れることからきています。




滝尻王子の創建は不明ですが、天仁2年(1109)に藤原宗忠の日記『中右記』の滝尻の項に、「初めて御山の内に入る」と記されていることから、それ以前には滝尻王子が成立していたことが分かります。

和歌山県田辺市から熊野本宮大社まで至る道を「中辺路」(なかへち)と言い、かつては滝尻から本宮まで至る山々を聖域としていて、滝尻王子はその聖域への入口にあたる重要な場所でした。

この熊野の聖域に入る際には岩田川、石船川の2つの川で水垢離(祓)をしてから入ることになっていて、仁和寺所蔵『熊野縁起』では、

「滝尻で水浴する事は、右河は観音を念じて浴す、左河は薬師を念じて沐す」

「滝尻両方河に、橋より上には千手浄土御座、又、丑寅より流れたる河には、薬師浄土御座す、彼水は偏に浄刹より落ち水なり、是以て無垢無終の罪滅す」

とあり、右の川(岩田川)は千手観音、左の川(石船川)は薬師如来の居る浄土から流れてくる水だと考えられ、その水で身体を清めることで罪を洗い流すと考えられていました。



平安時代には、ここで水垢離が行われ滝尻王子に奉幣する他に、経供養や里神楽が奉納され、後鳥羽上皇の和歌会が開かれることもありました。

その和歌会に詠まれた歌が書かれた懐紙を「熊野懐紙」と呼ばれて、歌人に珍重された他、都では高値で売買されていました。



室町時代に入ってからは徐々に上層階級の熊野信仰は衰え、熊野参詣道も何度も川を渡る滝尻・剣ノ山経由ではなく、潮見峠越えにルートが変わったため荒廃が進み、寛喜元年(1229)に熊野詣をした藤原頼資の日記『民経記』によれば、

「路次の王子、皆以て破壊顛倒し実なし、もっとも以て歎かるべき事なり、法皇の行宮ことごとく壊れ取られ地あり、滝尻並びに御山のうちの御所は残れり、後白河院の御時の御所は、その後修理云々、当時虎狼の栖の如し」

と当時の荒廃の様子が記されています。


明治になってからは社格が村社になって、栗栖川村10地区の神社がここへ合祀され、十郷神社(とごうじんじゃ)と称し、社殿も改築されたものの、戦後は各地区で神体を持ち帰ったため、元の滝尻王子に戻り、厳密に言えば「十郷神社」ではありませんが、「滝尻王子宮 十郷神社」と呼ばれ現在に至っています。








滝尻王子の脇の古道を進んで、急な山道を登っていくと、まず「胎内くぐり」と呼ばれている穴の開いた大岩があり、その上に藤原秀衡にまつわる伝説が残る「乳岩」と呼ばれる岩屋があります。


まず、胎内くぐりは熊野参詣道が潮見峠越えのルートに変わって、室町時代からはこの滝尻から剣ノ山を経由する参詣者がいなくなったものの、その土地の人間は春秋の彼岸に滝尻王子に参り、そこで竹杖を持って山道を登り、この岩穴をくぐって山の上にあった亀石という石塔に参ってきたといわれ、この岩穴を抜けるのを胎内くぐりと言い、女性がここをくぐれば安産するという俗信が残っています。


イメージ 3
「乳岩」


その胎内くぐりの上の乳岩は、奥州藤原三代の藤原秀衡夫妻が懐妊のお礼にと熊野詣をしたとき、ここで急に産気づき、この岩屋で出産したと言われ、秀衡夫妻は赤ん坊をここに残して熊野本宮へ参詣。

急いで戻ると、赤ん坊は岩から落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だったという伝説が残っていて、その時の子供が藤原秀衡の三男、忠衡と言われています。

滝尻王子には藤原秀衡が寄進したと言われる七堂伽藍が建立されていた他、秀衡が奉納したといわれる「黒漆小太刀」(国重文)が神宝として伝わっていますが、一説には鳥羽上皇の奉納したものとも言われています。



乳岩からさらに山道を登っていくと、次の熊野九十九王子・「不寝(ねず)王子跡」があります。








イメージ 4



御朱印は、滝尻王子の休憩所の中に書置きのものがあり、購入すると店員の方が日付を書き込んでくれます。

なお、店員のオジさん曰く、滝尻王子から不寝王子までの400mの登りは熊野古道・中辺路の中で一番の難所だそうで、実際距離に騙された私はふらふらになりながら不寝王子まで登って帰ってきました。

途中にある「胎内くぐり」を自分も試そうかと思ったんですが、これは服が汚れるという狭さだったので諦めて帰ってきました。(まぁ、安産といっても自分は男だし…)


滝尻王子の前を流れる石船川を挟んで向かいには熊野古道館という熊野古道関係の資料を展示している施設があって、また、滝尻王子は熊野本宮大社まで熊野古道を踏破する人たちの出発点になっています。

滝尻王子には結構広い駐車場があって、そこで車中泊をしていましたが、ここから熊野古道を歩いて行ったと思われる人の車もありました。

いつか中辺路を踏破してみたいと思います。


実は滝尻王子に参拝した大きな理由が、「Air」や「CLANNAD」というゲームを作った「Key」というメーカーが、西牟婁地域観光地「熊野参詣道」のPRとして、滝尻王子に参拝している伊吹風子(CLANNADに登場)を描いたポスターがありまして、是非参拝したいという思いから参拝させていただきました。

詳しくはこちら

全1ページ

[1]

高倉伽月
高倉伽月
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事