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秋葉総本宮、国史見在社、旧県社、別表神社 神紋:七葉紅葉 祭神:火之迦具土神 例祭日:12月16日 最寄の交通手段: 秋葉山本宮秋葉神社は静岡県浜松市天竜区にある秋葉山(866m)に鎮座する神社。 秋葉信仰の大本で、全国にある秋葉神社の総本宮。 祭神は伊邪那岐・伊邪那美の御子・火の神様である火之迦具土神を祀っていて、防火に霊験がある。 秋葉山本宮秋葉神社は上社と下社があり、上社は秋葉山山頂に、下社は麓の春野町領家、天竜川支流の気田川のほとりに鎮座する。 「上社・一の鳥居」 元は秋葉山自体を御神体とする山岳信仰に始まったと考えられ、社伝によれば和銅2年(706)に社殿が造営されたといわれていますが、「秋葉山縁起」によると養老2年(718)に行基によって開山されたともいわれています。 古くは岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)と呼ばれ、日本の正史の一つである「三代実録」の貞観16年(863)5月10日の項には「遠江國正六位上岐氣保神(きけほのかみ)に從五位を授けき」とあるのはこの秋葉神社を指すと考えられています。 秋葉神社はその後、仏教と習合、修験霊場となり、現在の下社に大登山霊院(秋葉寺)という別当寺が創建された。 鎌倉時代末期には越後から三尺坊という神通力を持つ修験者が来て、三尺坊の没後、現在の上社に三尺坊は観音菩薩の化身とされ「秋葉三尺坊大権現」として祀り、明治期まで続く。 江戸時代には「秋葉講」という組織(同様のものでは「富士講」が有名)が各地で作られ、交代で代表者が講社で集めた金銭を使い参拝祈願し、また秋葉寺から秋葉権現を勧請するなどしたことから現在でも各地に秋葉神社が鎮座する。 享保8年(1723)には後西天皇より「正一位秋葉大権現」と書かれた宸筆の勅額を賜る。 明治になり、明治5年(1930)に発せられた教部省の指令により権現号が廃され「秋葉神社」と改め、上社・下社とも火之迦具土神を祭神とし、別当寺であった大登山秋葉寺は廃寺となり、静岡県袋井市の可睡斎へと移された。 そして昭和27年(1952)に現在の秋葉山本宮秋葉神社と改称した。 先に下社に参拝していたので、次は秋葉山山頂にある上社へ。 下社の近くから徒歩で登ることもできるみたいですが、車で上社まで行けるので車で行きました。 下社からだと気田川沿いを西に走り、東雲名から全面舗装されたスーパー林道を登っていきます。 しばらく登ると駐車場と鳥居があるので、そこに車を停めて参道を登って行きました。 参拝してから7年近く経っているので大分様変わりしているはずですが、当時は参道の工事をしていて車の方の参道を歩いていき、途中の山門はまだ建築中でした。 「山門」 写真ではほとんど完成に近いので、参道もほとんど工事は終わっているはず。 「社務所前から」 上社はなんといっても珍しい金の鳥居。 実際に金で出来てるわけではないだろうけど、金色の鳥居って珍しい。 そして金の鳥居をくぐると拝殿。結構大きな注連縄。 「拝殿」 拝殿から後ろを振り返ると金の鳥居から下は雲。なんか幻想的な感じ。晴れてるときっと素晴らしい眺望なはずです。 御朱印帳はもしかしたら上社でも頂けるのかもしれないけど、先に御朱印帳は下社で拝受していたので、下社の隣に上社の御朱印を。 下社のもそうだけどお気に入りの一つです。 |
寺社仏閣・静岡県(6)
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秋葉総本宮、国史見在社、旧県社、別表神社 神紋:七葉紅葉 祭神:火之迦具土神 例祭日:12月16日 最寄の交通手段: 秋葉山本宮秋葉神社は静岡県浜松市天竜区にある秋葉山(866m)に鎮座する神社。 秋葉信仰の大本で、全国にある秋葉神社の総本宮。 祭神は伊邪那岐・伊邪那美の御子・火の神様である火之迦具土神を祀っていて、防火に霊験がある。 秋葉山本宮秋葉神社は上社と下社があり、上社は秋葉山山頂に、下社は麓の春野町領家、天竜川支流の気田川のほとりに鎮座する。 「下社参道入口」 元は秋葉山自体を御神体とする山岳信仰に始まったと考えられ、社伝によれば和銅2年(706)に社殿が造営されたといわれていますが、「秋葉山縁起」によると養老2年(718)に行基によって開山されたともいわれています。 古くは岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)と呼ばれ、日本の正史の一つである「三代実録」の貞観16年(863)5月10日の項には「遠江國正六位上岐氣保神(きけほのかみ)に從五位を授けき」とあるのはこの秋葉神社を指すと考えられています。 秋葉神社はその後、仏教と習合、修験霊場となり、現在の下社に大登山霊院(秋葉寺)という別当寺が創建された。 鎌倉時代末期には越後から三尺坊という神通力を持つ修験者が来て、三尺坊の没後、現在の上社に三尺坊は観音菩薩の化身とされ「秋葉三尺坊大権現」として祀り、明治期まで続く。 江戸時代には「秋葉講」という組織(同様のものでは「富士講」が有名)が各地で作られ、交代で代表者が講社で集めた金銭を使い参拝祈願し、また秋葉寺から秋葉権現を勧請するなどしたことから現在でも各地に秋葉神社が鎮座する。 享保8年(1723)には後西天皇より「正一位秋葉大権現」と書かれた宸筆の勅額を賜る。 明治になり、明治5年(1930)に発せられた教部省の指令により権現号が廃され「秋葉神社」と改め、上社・下社とも火之迦具土神を祭神とし、別当寺であった大登山秋葉寺は廃寺となり、静岡県袋井市の可睡斎へと移された。 そして昭和27年(1952)に現在の秋葉山本宮秋葉神社と改称した。 「下社参道」 下社は参道入口に駐車場とバス停があって、おみやげ品を売る店もあったりして、さながらお寺の門前な雰囲気である。(かつては神仏混淆だったので間違いではないが) 石段を登って行くとこじんまりとした拝殿があり、左側に社務所がある。 「下社拝殿」 下社は小さいながらも森に囲まれてて良い雰囲気だった。 秋葉山本宮秋葉神社にはオリジナルの御朱印帳がある。 カバーをめくると秋葉神社の説明文と左側に元明天皇の「あなたうと秋葉のやまにましませる この日の本の火防ぎの神」の御詠歌が。 御朱印帳は下社で拝受したものですが、上社でも同じ物がいただけるかもしれません。 ちなみに、参拝した当初の目的は、秋葉信仰の総本宮であるってことよりも、「月姫」(同人ゲーム)の遠野秋葉の秋葉で秋葉神社の総本宮だからという、ちょっと違う理由での参拝だった気がする。 ↓参考:遠野秋葉
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前回、人穴浅間神社の記事を書いたわけですが、そのつづき。いよいよ人穴へと入ります。そして前回のおさらい。 「人穴」は静岡県富士宮市の人穴浅間神社境内にある溶岩洞穴。鎌倉時代の「吾妻鑑」で将軍の命で探索に入った家来主従が原因不明の怪奇現象で4人死亡して命からがら逃げ帰ってきた洞窟です。 16世紀には長谷川角行が修行を行い、富士山信仰の一つ「富士講」の聖地となりました。 現在神社の境内には富士講の石碑が立ち並んで、さながら墓場のようになっているので心霊スポットにもなっています。 まぁ、ざっとこんな感じでしょうか。 人穴浅間神社に関しては前回の記事に書いてありますのでそちらに…。 とりあえず、そのままの格好ではちょっと不便なので、LEDライト・長靴は必須です。あとはジャンパーなどの防寒着、行場などで使うロウソクとライター、そしてデジカメがあればOKだと思います。 それでは「人穴」へ。 人穴浅間神社の社殿の右側に「人穴」の入り口があります。 入り口といっても横にぽっかり穴の入り口があるわけではなくて、石段を降りていった先に入り口がある感じ。 この人穴は他の観光地化された鍾乳洞とかそういう感じではなく、まったく観光地化されていない洞窟なので、内部には照明が全くありません。 ですのでLEDライトは必需品。これが無いと穴に入ったら二進も三進もいきません。もう暗闇。 石段を降りていってまず左側に石仏があります。なんか門番みたいな感じですね。 入口の天井は低いです。すこし屈みながら入ります。 この入り口を入ってから自分の時はスゴイ霧でした。寒いというわけではなく湿度が高くて空気が少し淀んでいる感じ。 一瞬火山性ガスか何かかと思って焦りましたが、どうもそういうわけではなさそうなので前進。 ライトで先を照らすと木製の建物が見えてきます。 この建物は富士講の行場だと思われます。 友人からロウソクの方が雰囲気いいよってことだったので、ロウソクを灯してみました。 ちなみに、この友人は白装束で人穴に籠って行をして一夜明かした人。夜に肝試しで来たカップルがビックリして途中で引き返したそうなw カメラのフラッシュより自然で暖かな感じ。これだけで一気に入る前の妙な雰囲気から一変して、なんかこう癒される感じじゃないですか? 行場の奥には赤文字で書かれた富士講の石碑。 枯れた榊に蝋燭立てやワンカップのお酒、それにキットカットまでお供えされています。 行場の後ろには溶岩の大きな柱があるので左右に迂回します。 行場から奥は地面が水でぬかるんでいるので注意。 写真のように左右に木製の歩道が設置されているので、そこを歩くと大丈夫です。念のため長靴の方が安心できます。(写真は行場の右側) 行場の裏側はこのような感じで広い空間になっています。 床には四角形のコンクリートっぽい基礎みたいなのが2ヶ所ほど。行場が作られていたのかもしれません。 あと…この写真は心霊写真ではなくて霧だと思う。フラッシュの関係でその部分だけモヤモヤっと写っているのだろうけど。 まぁ、自分は見えない人だから心霊写真ではないということで。富士講の方の霊だったら先達様よろしくおねがいしますm(_ _)m。 さらに奥に進む。ここらへんは丸い断面のチューブ形状。いかにも溶岩洞穴らしい感じが残っています。 奥に見えるのは恐らく浅間大神の石像を祀る祠。 近づくとこんな感じ。左側の天井が崩落したのか一部崩れた岩の上に祀られていました。 その崩れた岩の右側から奥に進めます。 その崩れた岩の先、すぐ右側には2体の石仏。非常に見づらいですけど…。 これフラッシュなど照明を当てると目の部分が白く光って見えます。なんか怖いです。 ここまで来ると最深部は目の前。 蝋燭立てとかが見えます。そしてこの先、一気に天井が低くなります。 中腰よりしゃがまないと奥に進めません。 そして、その先にあるのが「浅間大神」と書かれた石碑。 ここが最深部です。このあたりも地面が水でぬかるんでいました。 「吾妻鑑」では大河が流れているとかなんとかありましたけど、水の溜まったぬかるみ程度なもんです。 怪奇現象もありませんでしたし、主従が怪死したのは個人的には火山性ガスとか一酸化炭素中毒で死んだのかなぁとか予想しているんですが。
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旧村社 神紋:丸に棕櫚 祭神:木花咲夜媛命、徳川家康、藤原角行 例祭日:7月10日 最寄の交通機関: 人穴浅間神社は、富士山西麓の富士宮市人穴に鎮座している浅間神社。 「富士講」の発祥の地で、富士信仰の聖地。境内は「人穴富士講遺跡」という富士宮市指定史跡になっている。 人穴浅間神社は富士宮市の北、県道75号線沿いの人穴地区にある。 富士宮側から北に向かって県道75号を北上すると右手に鳥居と、木製で山の形をした人穴の説明板があるので、それが目印。 事前に大体の場所を把握していなければ見つけづらいかもしれない。ちなみにカーナビには表示されていたが…。 県道から参道へと入っていくと、参道は左側に折れて、参道の左右には草の生えた広場、その奥に社殿へと向かう緩やかな階段がある。 訪れた時間が冬場の夕方5時頃ということも相まって、あまり神社という感じがしない。なんというか寂しい感じの場所という印象。 とりあえず車は参道の右側に停めて、長靴、防寒用のジャケットを装備。LEDライト、ロウソク、ライター、そして一眼レフをリュックに詰めていざ神社へ。 さて、この石段の上に人穴浅間神社と人穴、富士講の石碑群の人穴富士講遺跡があります。 とりあえず「人穴」という名前がなんだか気味が悪いように感じた人もいると思いますが、そもそも人穴とは何ぞやと… 人穴とは富士山麓にある溶岩洞穴の一つで、人穴浅間神社の社殿の横にぽっかり開いている洞窟の事をいいますが、この洞窟…怖い話があるのです。 鎌倉時代の歴史書「吾妻鑑」によると、建仁3年(1203)6月に、鎌倉幕府2代将軍・源頼家による「富士の巻狩」の際に家来の新田四郎忠常主従6人に人穴を探検させたことでも有名で、中に入ってから出てくるまでに一昼夜かかって、中には大河が流れていたり、コウモリがいっぱいいたり、その時には怪奇を見た従者4人が死亡し、新田四郎忠常は命からがら戻ってきたらしい。 「浅間大菩薩の御在所」なので近づいてはいけないと、当時の古老は言っていたそうで、その頃から富士山信仰の聖地として崇敬あるいは恐れられていたようです。 洞窟は遠く江ノ島までつながっているという伝説のあるそんな人穴ですが、実際はそんな入って出てくるまで一日かかるくらいの長い洞窟ではないし川も流れてない。調査によれば総延長83.3mでわりと短い洞窟です。 その後、戦国時代末期の16世紀から17世紀にかけて富士講の開祖といわれる長谷川角行が洞窟内で四寸五分の角材の上に爪先立ちをする千日行を行って、富士講の聖地となり、富士講の信者が富士山登拝の前後に訪れる聖地でもありました。 さて、石段を登って行くとお墓のような石碑群が立ち並んでいて、その先に人穴浅間神社の社殿が鎮座しています。 「石段の最初に現れる富士講の石碑」 「人穴浅間神社・社殿」 社殿に向かう参道の右手にまず墓のような石碑、左手奥にはさらに沢山の石碑群が立ち並んでいます。 とりあえず富士講の石碑ということなのですが、見た感じはお墓以外の何物でもない印象を受けます。 長谷川角行の富士講では人穴が浄土であり、角行自身もここで入滅したということなので、富士講の行者たちもここで眠るという思いがあったそうです。 人穴浅間神社自体の創建は慶安元年(1648)及び寛文5年(1665)で、前身の光�寺の富士講二世・日珀、三世・珀心によって再興されたことに始まります。(wikiより) 明治以後は浅間神社(現在も登録名は浅間神社。「人穴」浅間神社は正式ではない)として社殿を建立し御三柱を祭神とし、昭和17年(1942)、陸軍により人穴部落と共に強制移転をさせられたが、昭和29年(1954)に再び氏神として仮社殿を建立し現在に至る。 境内の富士講の碑塔は全部で233基。主に講祖や先達等の遺徳を称えるものであったり、富士山登拝の大願成就を記念したもので、江戸期のものでは天明~嘉永年間(1781-1854)に建立されたものが35基と一番多い。 ちょうど富士講の最盛期で、主に関東(江戸・安房・上総・下総)の信者によるものである。 ここが、社殿の右側にある人穴の入り口。 とりあえず縄が張ってあって、立て看板にも「「さわらない」「近寄らない」「入らない」の「3ない」行動にご協力ください」って書いてあるので、肝試しとか心霊スポットめぐりの一環で来てる人はご遠慮ください。 確かに先の震災の影響で崩れやすくなっているのかもしれないので注意が必要かもしれません。 人穴に関しては友人からの詳しい情報を得ていて、前日から浅間神社参りをしていたので、聖地たる人穴には富士講の信者として参拝しました。 つまりは…冒頭での装備はこのため。つまり入って奥まで行ってみたわけですが。 |
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住所:静岡県富士宮市山宮740 旧村社、富士山本宮浅間大社・元末社 神紋:丸に棕櫚 祭神:木之花佐久夜毘売命 例祭日:10月19日 最寄の交通機関: 山宮浅間神社は静岡県富士宮市山宮に鎮座する浅間神社。 全国にある浅間神社の総本宮・富士山本宮浅間大社の元宮で、現在地に遷座する以前に浅間大神を祀り、古代祭祀が行われていた場所がこの山宮浅間神社です。 静岡県富士宮市、国道469号と県道180号のが交差する山宮交差点から県道を北に700m程走った信号のすぐ脇に山宮浅間神社の参道入口がある。 正式には浅間神社で、地名と由来から山宮浅間神社と呼ばれる。 冒頭にも述べたとおり、山宮浅間神社は富士山本宮浅間大社の元宮で、本殿を持たない古代祭祀遺跡が残り、背後の富士山を遥拝する形になっていて、全国にある浅間神社の中でも最も古い歴史があると考えられ、その歴史は第7代・孝霊天皇の御代(紀元前260~215年)まで遡る。 孝霊天皇の時代に富士山が噴火し国中が荒れ果てたので、第11代・垂仁天皇はその治世の3年(紀元前27年)に浅間大神を山足(山麓の意)の地に祭り、山霊を鎮められたことに始まる。 そして第12代・景行天皇の御代、日本武尊が勅命により東夷征伐の途中、駿河国で賊の攻撃に遭われた際に、陣中で富士の神を祈念され無事災難を免れ、深く富士の神の恩恵に感謝し、神霊をこの山宮に祭られたと伝えられている。 平安時代初期の大同元年(806)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が勅命により東夷を征討した帰途、浅間大神の神域を敬い奉って、現在浅間大社のある地に壮大な社殿を造り神霊を山宮から遷し奉ったと伝えている。 そういうこともあり山宮浅間神社と富士山本宮浅間大社はそれぞれ山宮と里宮という密接な関係がある。 本殿を持たない神社ではあるけど、かつて本殿を建てようという話が持ち上がって実際に上棟式までは工事が進んだものの風により倒されるということが何度も起きたため、地元の人達は「風の神の祟りがあるので本殿を造ってはいけない」という伝承を守り、現在まで古代祭祀の形が現在まで残っている。 本殿は無いが籠屋と呼ばれる建物がある。一見拝殿のようにも見えるが神職が参籠する建物らしい。 籠屋から少し参道が伸びて、磐座へと登る階段がある。 本殿の役割を果たしている磐座。背後の林が切り開かれていて、背後に富士山が大きく映るので、まさに神体山である富士山を遥拝している感じ。 なお平成20年度の発掘調査では、12世紀に祭祀で使われたと思われる土師器群が出土したそうだ。 参道の入口にある道祖神さん。富士山周辺から山梨、長野にかけて今回旅行したけれど、結構道祖神遭遇率が高かった。特に長野。 平成22年9月19日には鎮座1900年祭が催行された。
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