今日の景色

毎日の生活(今日の景色)を写真で記した日記です。

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大阪の北浜にある「花外桜」(大阪市中央区北浜1丁目1-12)は、
大久保利通とゆかりがあります。
西郷隆盛、木戸孝充と並んで「維新三傑」のひとりの
大久保利通(1830−1878)は薩摩藩出身で、
花外桜」で、『大阪会議』をもち明治新政府の礎を築きました
 
 
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「花外桜」は灘波橋南詰交差点の大阪証券取引所五代友厚像の前から
東100m離れた土佐堀通にあります。
 
 
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          波橋南詰の大阪証券取引所前の五代友厚像と土佐堀通(左・東側
           大久保利通の「大阪会議」に力をかし、大阪株式取引所を開業した
          薩摩藩士の五代友厚
 
 
1868(慶応4)年1月、新政府で遷都機運あるなか、
参与大久保利通(39歳)は、因習の京都を離れ、交通の開けた大坂以外に
首都はないと大坂遷都を提案し、これに長州の木戸孝充が賛成。
いったん決まりますが、公家、京都市民の猛反対を受け、
その後、遷都しなくても衰退の心配ない大坂から江戸に決定します。
 
明治6年、明治政府にとって最大の危機の年となります。
1874(明治6)年6月、朝鮮側が日本の国書を拒絶し、使節を侮辱したと報告があり、
朝鮮から居留民を引き揚げるか、
武力で修好条約の締結を迫るかの選択の議案が内閣に提出されます。
板垣退助が主張する武力行使論をしりどけた西郷は第3の道として、
自らが全権大使となる使節団派遣を8月に閣議決定します。
 
9月、欧米視察から帰国した岩倉具視は、
このままでは、西郷ら留守内閣に主導権を取られる危機感を募らせ
大久保らと内地優先論で反論します。
 
 
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                明治4年欧米12カ国を歴訪した岩倉使節団
               端木戸孝充、中央岩倉具視、右端大久保利通。
 
 
10月、土壇場で岩倉は、「西郷派遣は時期尚早」と
閣議決定に反する上奏をし、天皇の裁可を得ます。
 
 
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                       明治6年の閣議想像図
 
内閣を構成していた9名の参議のうち、
西郷、副島種臣(そえじまたねおみ)、江藤新平、板垣退助、後藤象二郎の参議5名が辞職し、
つづいて、政・軍・官600名余が辞任し、
明治政府にとって最大の政治危機となりました。 
 
大久保利通は、西郷隆盛や板垣退助が下野し、政局の打開に苦慮して
内務省をはじめ政府の制度の設置・再編を行いました。
ところが、台湾出兵をめぐり木戸孝充(長州藩)までが職を去り、
政府に対する不満は佐賀の乱はじめ各地に勃発し、
板垣は、愛国公党を結成し自由民権運動を起こしました。
 
明治7年、大阪で官界から実業界にはいっていた井上薫は、
混迷する政局打開のために伊藤博文とで仲介役を務めました。
これにより大久保は立憲政体、三権分立、二院制議会を認め、
木戸は復帰し、板垣は協力する方向に転じます。
 
明治8年2月、木戸は、井上、伊藤も同席して、大久保と板垣を
北浜の料亭「加賀伊(かがい)」に招待して、三者会議がおこないました。
 
 
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      三権分立、漸次立憲合意に至る大阪会議の「加賀伊(かがい)店」(旧店名)
      上段左から大久保利通、木戸孝充、板垣退助
      下段左から伊藤博文、井上薫
 
 
この会議を大坂会議と呼び、この席は1ヶ月に及ぶ議論の労いで、
木戸は舞台となった料亭・加賀伊(かがい)の店名を「花外桜」
と改名するよう、店にはかりました。
 
 
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       大阪会議での料亭・「加賀伊(かがい)」は以後「花外桜」。
       現在、改修・建設中の大阪北浜日本料理店「花外桜」
 
 
明治8年3月、木戸、板垣は政府の参議に復帰しましたが、
江華島事件をめぐって木戸と板垣は対立し、
板垣は辞職、木戸は政府内地位低下で
大阪会議での新体制は崩壊し、大久保主導の体制が強化されました。
 
大阪の北浜でもたれた花外桜での大阪会議は、
日本の立憲政体や議会政治の方向が定められた会合となりました。
 
 
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大久保利通と大阪会議
 
1830(文政13)年 9月26日鹿児島城下高麗町(現鹿児島市高麗町)誕生
1851(嘉永4)年   西郷、大久保利通らと「近思録」(朱子学の入門書)購読組織結成。
1862(文久2)年  公武合体運動のために島津久光・兵を率いて上洛 。            
1863(文久3)年  薩英戦争。生麦事件を契機に薩英戦争勃発。英国側に敗れる。
              薩摩藩、公武合体の切り札として西郷を赦免召還する。
1864(元治元)年  禁門の変が勃発、薩摩藩は長州と戦う。
1865(慶応元)年  西郷、5月坂本竜馬と面談。
1866(慶応2)年  西郷、長州藩士木戸孝充(桂小五郎)と薩長同盟を結ぶ。
              第2次長州征伐が行われる。
1867(慶応3)年  長州や安芸と会合し、王政復古断行を決める。
               第2回パリ万国博覧会が開催される。
                            10月徳川慶喜大政を奉還。(江戸幕府滅びる)
               12月王政復古の大号令。
1868(慶応4)年  月鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争始まる。
                 京都の鳥羽・伏見で薩長土軍と旧幕府軍が衝突。
                 国内に開国和親を布告。
                 大久保利通、大坂遷都を提案。
              4月西郷隆盛、旧幕府軍総裁・勝海舟と会見し、江戸城開城
              9月英国公使バークス事件。会津藩降伏。明治と改元。 
1869(明治2)年   戊辰戦争終結。
1870(明治3)年   勅使・岩倉具視、大久保利通らが鹿児島に西郷の出使を促す。
1870(明治4)年    藩主島津忠義とともに大量の兵士を率いて上京。 
               廃藩置県を断行。岩倉使節団出発(12.23)。プロイセンがドイツを統一。
1872(明治5)年    政府は西郷に託され、兵部省を廃止し陸軍省・海軍省を置く。
                新橋・横浜間で鉄道が開通。国立銀行条例定める。
               3月岩倉使節団(ワシントン着)。
1873(明治6)年    太陽暦を採用。地租改正条例制定。閣議で西郷の朝鮮派遣。
                9月岩倉使節団帰着(9.13)。
            10月岩倉、大久保らと西郷対立。(明治6年の政変)
                大久保利通、内務省設置。
1874(明治7)年    佐賀の乱。西郷、私学校(銃隊学校、砲隊学校、幼年学校)創設。
1875(明治8)年    2月「花外桜」で大阪会議(大久保、木戸、板垣、井上、伊藤)
1877(明治10)年  2月西郷軍が鹿児島を出陣(2月3日西南戦争始まる)
              9月24日 政府軍城山総攻撃、西郷隆盛自刃
1878(明治11)年  5月14日紀尾井阪(現東京都千代田区紀尾井町)にて暗殺される、47歳卒。
              
 
 
 
 6月3日
 
 
 
 
 
 

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