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更新が遅れて申し訳ありません。熊本、大分の皆さんにお見舞い申し上げます。 唐招提寺に行ってきました。今日から中国揚州生まれの瓊花(けいか)が公開されています。 藤、つつじも見頃です。 |
お寺訪問
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増上寺に行ってきました。徳川家の菩提寺ですね。東京タワーが借景として存していますね。 徳川家霊廟には将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られています。 騒音のない静かな世界です。 |
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立春の今日、法隆寺をぶらぶら散歩してきました。3時間ぐらいですが、陽の当たるところは暖かい日差しです。 中門が工事? 金堂には人が乗っている。 壁をおさえている? こんな施設も出来た。今日はお休み。 遅いお昼飯。 最後に夢殿拝観
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東大寺東塔院跡の現地説明会に行ってきました。鎌倉時代の塔ですが、とにかくでかい。 毎日新聞から→「基壇全体は高さ1.7メートル以上で27メートル四方、建物は17メートル四方。北側と東側に階段跡、周囲に玉石敷きが残っていた。全体の柱穴は4列。柱と柱の間隔は中央6メートル、両端5.4メートルで、鎌倉期再建の同寺南大門と一致した。今回の調査では、奈良時代の創建時の階段跡なども発見され、調査団は基壇が24メートル四方、柱は6列と推測。鎌倉期の再建で柱の数を減らす一方、柱をつなぐ部材で強度を高める「大仏様」を採用した可能性が判明した。調査団長の鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長(日本建築史)は「大仏様を導入した日本に例のない仏塔の可能性が強い。鎌倉期の建築技法の革新が分かる」と強調した。 東塔は764(天平宝字8)年ごろに西塔と併せて建設されたが、1181年1月(旧暦の治承4年12月)に平氏の南都焼き打ちで大仏殿や南大門などと共に焼失。大勧進職・重源(ちょうげん)が再建に着手し、臨済宗の開祖・栄西らの手を経て1238(嘉禎4)年ごろに東塔のみが再建された。1362(康安2)年に落雷で再び焼けた。東塔の高さは、寺の記録に33丈(約100メートル)、23丈(約70メートル)との記述が混在。調査団は「基壇の規模から高さの正確な推定は難しい」とするが、現存最大の京都市・東寺五重塔(高さ約55メートル、建物の1辺9メートル)をはるかに上回る。1998年に奈良県桜井市の吉備池廃寺跡で一辺30メートルの基壇跡が見つかった例があるが、詳しい文献が残るものとしては東大寺が最大級となる。宋で建築を学んだ技術者である重源は、合理的な思考の持ち主でもあったようだ。東塔に大陸風の「大仏様」を用いた可能性について、鈴木嘉吉・発掘調査団長は「巨大建築を堅牢に造るため、奈良時代の様式をやめる判断をした」と推測する。 東大寺には重源が死の半年前、1205年に書いた「重源上人勧進状」(重文)が残る。前年に建設が始まった東塔について、「完成すれば塔前で童子に法華経1000部を読ませたい」などと記している。勧進状を調査した綾村宏・京都女子大教授(日本史)は「気迫がほとばしり、塔再建への強い思いを感じる」と評価する。 東塔は重源の死から30年以上たってようやく完成した。東大寺は東塔基壇の復元も目指しており、今後の発掘で上部構造の解明が期待される。」 |
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6月の最初は、恒例の唐招提寺御影堂での開山忌。鑑真像や東山魁夷さんの障壁画を楽しみました。 金曜は雨模様でしたので午後からはゆったりした人でした。 |




