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森元首相が10月6日の青森での講演で安倍退陣に触れ、「心配が、全部当てはまった」と語ったと読売新聞が伝えている。
「腸が丈夫でなかった。直してからやるのでも遅くないと思っていた」
「安倍元外相の子息として、一目置かれて育ってきたが、本当のの苦労をまだ体験してなかった」
森大長(おおおさ)の心配は的中したようだが、後の祭りだ。
だから、「俺は先に福田をと思っていたんだ」という言外の含みがありそうだ。
早くから、父安倍外相の秘書官などを経験したが、その時代の安倍子息どのは、マンガとゲームに熱中していたと言われた。政治を深く勉強するという姿勢ではなかったようだ。
1993年、宮沢内閣不信任案賛成を突きつけて、小沢羽田グループが新生党へ走った総選挙で、安倍子息殿は当選する。
細川羽田政権のほぼ一年間の野党時代から、議員活動が始まった事になる。
「安倍元外相の子息として、一目置かれて育ってきた」安倍晋三さんは、同時に
「福田元首相の子息として、一目置かれて育ってきた」福田康夫さんだろう。
安倍元首相の子息「である」こと、福田元首相の子息「である」ことが、現実には一目も二目も三目も置かれて、そのことで指導的地位に祭り上げられていく。
何に優れ、何が出来るというより「する」ことを「である」事が凌駕する。
他に優れた人が、いないわけではあるまい。しかし、そのことによって祭り上げられる事は難しいようだ。 二世、三世そこかしこ、出自優先のシステムか。
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