論理非論理綴り帳 怒髪天突き運動ただ今冬眠中

物言わぬは腹ふくるるわざなり。かたじけなく存じ候。上総介上総。只今、積年の「無題」を新ファイルへ整理中、追い付かずござ候。

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2009年6月20日、21日の連夜、テレビ朝日系列で放送された「刑事一代」は、さすがに見応えがあった。
渡辺謙の熱演、やはり大した俳優だと感じ入った。
始まりの部分、昭和50年10月、平塚宅を、回想録の依頼で訪れた新聞記者と同行した女性カメラマン、相武紗季が、平塚役の渡辺謙の振り向きざまに、カシャッとシャッターを切ると、「勝手に撮るな」と渡辺が、一喝、怒鳴りつける。
相武紗季の、固まったような驚いた瞬間の表情は、まさに本物で、渡辺謙の「イベント」狙いが成功した。
初対面同士、通常なら、事前に挨拶をするところ、渡辺は、そのシーンを狙って、わざと顔を合わせずに、いきなりの本番での、初対面となった。

平塚八兵衛、けんか八兵衛とは、耳にしていたが、ここまでの、熱血漢、警察内部でも、いつも捜査会議で最高幹部などにぶつかっていく、これほどの人だとは思わなかった。
時代が違う。鍛えが違う。エネルギーが違う。

共演した役者さんが、昭和は既に、時代劇だと言っていた。
夏服の開襟シャツに昭和を感じるとあったが、まさに、そうだ。
さすがに、部屋の天井の扇風機は、ドラマで見られなかったように思う。

平塚八兵衛が、警視庁巡査になったのは昭和14年、1939年という。所は鳥居坂署。
ピンとくるのは、あのスパイ、ゾルゲだ。麻布辺りに住んでいたゾルゲを見張っていたのは、所轄の鳥居坂署だったはずだ。
平塚は、まだ交番勤務で、その任に当たっていなかったかもしれない。
始まりは、まだ拷問が横行していた戦前だ。

「デカにはよー、0点か100点しか、ねぇんだ」
三億円事件の九ヶ月前に、捜査責任者の地位と共に、辞職した平塚にとって、それは、耐え難い敗北感だったのだろう。
幾多の表彰を受け、昇進試験なしに警視に上り詰めた、捜査の神様にとって、三億円事件の0点は、ひどくこたえたものだったろう。

退官四年後の昭和54年、1979年に66歳で病で亡くなっている。
身も心も熱く一心に刑事捜査に、ホシを捕まえるために、費やした人生だったのだろう。

さて、三億円事件である。
昨年12月、三億円事件四十年の節目に、これもこのドラマと連動していたのか、恐らくテレビ朝日が、当時、平塚さんと共に捜査に当たった斉藤さんという元刑事の、捜査メモを元に、ドラマの再現を交えて、三億円事件を追った番組を放送した。
また、朝のワイドショーでも、30分ばかりの番組を放送した。

三億円事件が起こったのは、昭和43年12月10日、平塚さんが、府中の捜査本部に招かれたのは、昭和44年4月2日、約四ヶ月近く経ってのことである。
斉藤刑事は、当初から、この捜査に当たっていた。
平塚さんは、憧れの人であり、警視庁の捜査一課に引き上げてくれた恩人でもあったという。

最高の重要参考人は、父親が白バイ隊の小隊長の息子、19歳の少年Aだった。
豪雨の中、片手運転で現金輸送車を停止させた犯人は、オートバイの運転技術に長けていた。
Aはオートバイも、車の運転もこなした。
                                                                     当時は、多摩地区にも少年不良グループがひしめいていて、Aは、どのグループとも交流を持つ、犯罪非行少年だった。
斉藤元刑事は、詳細な各グループの組織図を作り上げていた。

車荒らし37件、車窃盗63件、車の三角窓を破って盗む手口だった。
三億円事件に使われた二台のカローラの盗難も、そうだった。
事件の九ヶ月前には、府中のスーパーのレジで、発煙筒を焚き、ダイナマイトに見せかけて、現金を奪うという事件もあった。
まさに、三億円事件の現場と同じだ。

当時、発煙筒は出回っておらず、極めてもの珍しく、車に詳しい一部の人間しか知らないものだった。
Aは荒んでいて、過去二年間に、窃盗、傷害、恐喝で五回逮捕されていた。
その年の8月に、恐喝で逮捕されたが、移送中に脱走していた。

当時の仲間の女性 「ちょっと違う存在。黙っていれば、いいところのお坊ちゃんって感じ。
育ちのいい所の男って感じ。すごく頭がいい、って(皆が)言ってた。
だけど、もし悪いことをするなら、あの子が計画立ててもおかしくないような、頭はあったんじゃない。

警察は多分、知ってますよ。だから、一番先に疑われたんじゃないかな。
やるなら、彼しかいないな、多分」
Aは仲間からも一目置かれていた。

斉藤刑事の調べでは、Aは、数ヶ月前に運送会社の金庫を襲う計画を立てていた。
事件の翌日には「スナックをやりたい。金はある」と仲間に言っていた。
また、現金輸送車襲撃計画を話していた。

友人Jは、「Aはオートバイの運転もうまかった。彼の父親が、白バイ隊の小隊長で、白バイ警官になりすますことも可能だったんじゃないか」
犯人は、左手を水平に伸ばして、車を止め、服装にも隙がなかった。

斉藤刑事は、事件当日、特別警戒中にもかかわらず、その父親が現場を離れ、自宅に戻ったことに疑いを抱いた。 
脱走中の少年Aが自宅に戻っている疑いで、斉藤啓治と二人は、隣家でA宅を見張ることになった。
署長は、このことは他言無用で、自分にだけ報告しろと命じた。

12月15日、日昼、隣家で張り込んでいると立川署の刑事が「息子さんはいませんか」と、訪れた。別件の恐喝案件で捜査していた。 母親は「いません。ずっと帰っていません」と答えた。        夜、七時頃、隣家から若者が聞くような音楽が聞こえてきた。「いるな」
まもなく、父親が帰ってきた。

「静かにしろ。おい、やめろ」ドタバタと怒鳴り合う声が聞こえた。
所在の確実性を確信して、二人は府中署に戻る。時計は23時10分。
署長「そうか、家にいるのか。明日、任意で引っ張る」
斉藤「なぜ、ですか」
署長「令状を取らなくちゃならないしな」

斉藤刑事は、なぜ明日の朝まで待つのか、真意を測りかねた。
そして、部屋に戻っているところに、0時12分、電話がかかってきた。
「少年Aが自殺した」

12月15日、別件の恐喝容疑で、少年Aを出頭させるように、父親に要請していたようだ。
23時31分、A宅のあたりに、救急車のサイレンの音が鳴り響いた。
母親から、「息子が毒物を飲んで、苦しんでいる」という通報があった。

隊員が駆けつけると、Aの頭を父親が、足を母親が持って待っていた。
隊員A「何を飲んだんですか?」
父親「わからない」 
隊員「何を飲んだかわからないと、手当が出来ませんよ。お母さんはわからないんですか?」
母親「わかりません」

運ばれた病院でも、二人は答えなかった。
隊員「何を飲んだのかわからないと、助けようがないんです。息子さんが死んでもいいんですか」
Aは午前1時30分に亡くなった。

もう一人、A宅に駆けつけたN救急隊員が証言する。四十年目にして、初めてのことである。
警察からは、「目にしたことは、一切、口外するな」と口止めされていたという。
「今まで何千件も経験してきたが、こういうのは、滅多にないケースで、特異な事故だった」

入ると、少年は両親によって、玄関脇に既に運ばれていた。
意識はなく、ぐったりしていた。
「お母さんは、早く運んで、早く運んでと大騒ぎしていたが、父親は、ただ、立っているだけ。
普通なら驚きますよ。 ずっと、立ちっぱなしで、一言もしゃべらない。
これは、おかしいなと思う感じがしたんです」

青酸カリは、父親が知り合いの板金工場から、譲り受けたものだった。
仲間のJ氏 「何で死んだのか、皆、疑問視。(Aは)自殺するようなタイプじゃないんですよ」
他の仲間も、異口同音に、「絶対自殺するような性格ではない」と言う。

斉藤刑事は、朝九時半に、A宅に入った。それは、実に奇妙な現場だった。
少年Aの部屋を調べた斉藤は、違和感を覚えた。ある疑惑を拭えなかった。
ベッドがあり、部屋に尾は二つのコップがあった。
その一つからは、青酸カリが検出されたが、他の一つからは、検出されなかった。

枕元には、便せん二枚の遺書があり、親を恨んでいるような内容が書かれていた。
斉藤は、これと、事件の四日前に、日本信託銀行に送りつけられた脅迫状の筆跡と比較した。
「こういう、細い字を書くんだ、あいつ。 よく似ている。あーやったと思ったよ。
これで、筆跡鑑定が出て、一件落着と思っていた」

ところが、少しして、署長が「シロだよ。鑑定結果は不一致だ。もう、少年Aには手を出すな。
この件は、上で預かる」
斉藤刑事「どうしてですか」
署長「上が、そう決めたんだよ」

斉藤は納得できなかった。「しゃくにさわるよ」「たばこは止める。捜査は止めない」
「白か黒か、結論が出るまでに、徹底的にやって、追っていきたいよ。
だからといって、組織を壊すわけにはいかない。組織の中の一員だから」

事件から11日後に、あのモンタージュ写真が作られた。これには、ある重大な秘密が秘められていた。
(続く)

(画像はテレビ朝日より)

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