論理非論理綴り帳 怒髪天突き運動ただ今冬眠中

物言わぬは腹ふくるるわざなり。かたじけなく存じ候。上総介上総。只今、積年の「無題」を新ファイルへ整理中、追い付かずござ候。

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思えば、1985年夏のJAL123便の墜落大事故が、今日のJAL・日本航空の低迷に大きく影響したことは、ぬぐいきれないだろう。
尊い500人を超す人命の損失は言うまでもないが、加害者とされた日本航空にとっても全く気の毒なことであった。
 
週刊現代2010年8月14日号は、事故当時日本航空に入社三年目のスチュワーデスで、同僚や先輩を失った青山さんという方が、当事者たちを取材して、入手した写真を取り上げている。
初めて知ったのだが、異変後、めいめいにマスクが降りている中、スチュワーデスが一人、通路に立ち、中側のお客に対している有名な写真も、Aさん一家が撮った写真だったというのだ。
 
Aさんは当時子供で、41歳の父親、40歳の母親、10歳の妹の三人を事故で失った。
大阪に住んでいて、デズニーランド観光の帰りに事故に遭遇してしまった。
その一家のカメラには10枚の写真が残っていた。
 
そのうちの5枚が窓の外を写したものだった。
最初の一枚は、窓際から妹さんが平穏に風景として撮ったものだが、他の4枚は、違うアングルで、2枚目は父親、3枚から5枚目は妹さんの隣にいた母親が撮ったものと推定されるという。
異変直後に、咄嗟にカメラをよこしてと、撮ったのだろう。
 
その二枚目の写真をデジタル処理すると、そこには黒い点と思われていた点が、実際にはオレンジ色の物体が、うっすらと浮かび上がっていた。
「オレンジ色の物体」については、当時、吉原公一郎氏が、独自に入手したビデオで、事故現場に「オレンジ色の金属片があった」とし、機体には全く用いられていない物だとし、「自衛隊ののミサイル実験のための無人標的機が衝突した可能性」を指摘した。
 
当時自衛隊が所有していた「ファイアービー」や「チャカII」などの無人標的機は、全体が赤みがかった鮮やかなオレンジ色に塗装されていて、これが事故に関わったというのだ。
 
「事故の十年前、大阪の空港で尻もち事故を起こし、米国での後部の圧力隔壁の修理が不十分で、これが裂けて外部の垂直尾翼を破壊して、あの30分もの迷走、ダッチロールの末、墜落した」という公式説明は、小学生でもわかるいかさまだ。
 
何よりの証拠は、あの異変後の機内の写真だ。
本当に圧力隔壁が破壊されたら、急減圧が起こり、白塵が舞い、意識もうろう、意識喪失を招き、かつてのハワイでの事故だったか、風船が破裂して空気が飛び出るように、、座席も人間も機内のあらゆるものが、ジェットコースターのように、外部に吹き飛ばされてしまう。
とても立ってなどいられない。
 
事故直後、上野村などの現場では、わざと、本当の事故現場に報道陣や地域の消防隊などが、行かれないような情報誘導がなされたとしか思えないと、多くの人が証言していた。
人命救助より、先になされなければならなかったことがあったのだろう。
その夜のうちに、ヘリが来ていたのに「何故、すぐ助けてくれなかったのだろう」と、生存者が語っている。
 
日本航空の従業員組合も、関係者も圧力隔壁説は断じてありえないと言って来た。
全く酷い話だ。墜落直後に救出が始まっていれば、より多くの人が助かったに違いない。
どのように、弔いの言葉をかければよいのだろうか。
危機的なダッチロールの状況下で書かれた、多くの残念無念の遺書の文言を思い出す。
 
25年経っても、悲しみは消えまい。
国民的歌手の坂本九ちゃんも亡くなった。
上を向いて、手を合わせましょうか。
 
 
 
 

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