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明治40年(1907)にイタリアルネッサンス風デザインを基調とした
第八師団弘前偕行社(国重要文化財)が完成しました。
設計担当者は当時の陸軍関係施設を一手に引き受けてきた弘前を代表する
棟梁【堀江佐吉】
終戦後、偕行社は解散し現在は弘前厚生学院記念館となっています。
来年修復工事に入ると4年間見学出来なくなりそうなので行ってきました。
正面
玄関ポーチぺディメントには「八」をもじった「蜂」の鉄製飾りがユーモアです
第八師団の親睦・構成組織で当時ここで社交ダンスを楽しむ姿があったらしい
暖炉には、外国製と思われるタイルが張ってます
何とも重厚感があり、向こう側も廊下になっています
こんな感じです・・・
鍵をよく見てくださいね・・・当時は−のネジしかなかったそうです
八甲田山の映画にも登場した会議室・・・カーテンレールも当時のまま
師団長室 今まで見た事のない形の火鉢
灰皿です
縦長の上げ下げ窓・・・手で簡単に調整できました
大蔵省より払い下げられた後、保育舎として使われていたなごりが・・・
東西に長い主体部は、桁行き48.8mの規模
九代藩主津軽寧親別邸跡地約22,000㎡
主に将校の社交場や物販・厚生施設として活用されたそうです |
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おはよう♪
立派な建物ですね♪
一般に公開され見て頂いて
観光名所になると良いですね♪
ナイス!ポチ☆
2012/9/28(金) 午前 8:34
まさに質実剛健の気質が感じられる・・・・

木造建設の極致ですね・・・
映画で見る軍隊の一シーンが浮かんでくるようですね!
ほら・・・白い軍服に鼻髭を生やした渡哲也&モックン風の将校が長い廊下の向こうからやってきそうです!
[ 為次郎 ]
2012/9/28(金) 午前 8:57
Aちゃん こんにちは^^
ハイここは既に観光名所ですよ
ただ国や市のものではなく、学校法人管理にあるので修復費は補助を受けても大変らしいです
[ 和奴 ]
2012/9/28(金) 午後 0:50
為次郎さん こんにちは^^
このホールはまだ卒業式とか入学式に使用されています
そうそう色んなシーンが浮かんできて出来るならしばらく佇んでいたかったです
趣あるいい建物でした・・・
[ 和奴 ]
2012/9/28(金) 午後 0:57
こんばんは
映画の世界ですね。
歴史あるものはオーラがちがいます。
凛として 美しいですが 哀しい歴史もあるんでしょうね。
[ つや姫日記 ]
2012/9/28(金) 午後 6:37
天は我を見放したか…。あの名シーンを思い出しました。
こんな立派な建物が保存されているのは素晴らしいですね。
佐世保には水交社という海軍士官の社交場がありました。残念ながら海自佐世保史料館の建物の一部に残っているだけです。
ポチッ!
[ ノッポなホピさん ]
2012/9/28(金) 午後 7:03
つや姫さん こんばんは^^
今まで弘前の名所をお届けしてきましたが、
いやぁ本当に名所だらけです(^^)v
洋館の街とうたわれてますが、すごい棟梁がいたものです
[ 和奴 ]
2012/9/28(金) 午後 7:33
ホピさん こんばんは^^
もし、あのホールに寝ころんだら正にそのセリフが
聞こえて来そうですね
塾生の方でまだ見てない方が殆どでした
近くから発信していかなくっちゃ(笑)急げ〜間に合わないぞ〜(笑)
[ 和奴 ]
2012/9/28(金) 午後 7:37
国重要文化財だけあって文句のつけようがない建物ですね。
堀江佐吉は弘前市街地の銀行なども手がけ、以前から名うての大工とお見受けしておりました。
デザイナーは外人で、打ち合わせのために通訳が必要だったのではないでしょうか?
それとも図面だけで彼が判断したのか?大いに興味を引かれるところです。
きょうも大変いい記事にスポットを当てて頂きました。ありがとうございます。MN
2014/2/8(土) 午後 7:34
ミックさん こんばんは^^
堀江佐吉さんはどのようにして建築を学んだのでしょうね・・・
偉大なる棟梁・・・現在の堀江組さんになら資料がいっぱい残っていると思います。
彼については何れしっかり調べたいと思っています。
弘前へ住んでから最も興味のある人物です。
トラックバック記事へのコメントありがとうございます。
[ 和奴 ]
2014/2/8(土) 午後 9:17