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青森県五所川原市金木町朝日山412-1
明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)が建築した入母屋造りの建物で
明治40年6月に落成
米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使い、階下11室278坪
2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪 戦後津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として町の観光名所となる
平成8年に旧金木町が買い取り、旅館としての「斜陽館」は
46年の歴史に幕を下ろす。現在は・・・
国指定重要文化財 太宰治記念館 斜陽館
入り口から真っ直ぐの土間
奥の米蔵 板の間・・・お二人の向こう側が元台所跡
ふたの下に炭が入ってます
下は常居 上は小間
座敷
座敷奥の津島家御仏壇 浄土真宗
京都の仏壇店に特別注文。高さ189㎝ 幅115㎝
三方開き左右各4枚さらにその中の障子も左右各4枚全部開くと幅は4mほど
太宰治は、この家を「苦悩の年鑑」の中で「この父はひどく大きい家を
建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いてます・・・
洋間
2階和室
風情がありますね・・・
2階廊下から
津島家の紋でしょうか!家の彼方此方に
事務室カウンター
ここから入ってこの椅子で商談したのでしょうか・・・
金木めし定食
津軽料理定番の貝みそ焼きとけの汁
そして津軽半島の春の風物詩の1つ「若生いこんぶのおにぎり」
春採り(1〜3月)の1年もの昆布を収穫し海風に干します。
薄く柔らかくそれでいて磯の香りがなんとも言えません・・・
津軽海峡は真昆布の産地であり、藩政時代から貴重な収入源でした。
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文学の風に吹かれながら、下↓へ下↓へとゆっくりスクロール・・・
最後で、ほっとしました。(笑)
「金木めし定食」食物繊維たっぷりで・・・昆布おにぎりも珍しい・・・
子供の頃・・・裸電球灯った囲炉裏端の晩御飯の光景が思い出されました。
Yahooニュース、<桜>「まつり」終了の弘前公園9日遅れでやっと満開とありました。写真つきで。
[ けんけん ]
2013/5/8(水) 午前 9:07
金木町の斜陽館。
残念ながら私は行ったことがありません。
太宰治の生家だということ位しか知識がありません。
それにしても中は凄い立派なつくりですね。
特に京都の仏壇店に特別注文して誂えた仏壇は超豪華版です。
太宰治はいいとこのお坊ちゃんだったんですね。(^o^)/
[ fuzzyman ]
2013/5/8(水) 午前 9:48
けんけんさん!
やっぱし花より団子でしょう(^O^)
人口の少ないこの小さな町で豪邸に度肝を抜かれますよね
2度目の訪問でしたが、少し大人になってから(笑)だと又見る目が違ってきて面白いですね!
今日は岩木山がスッキリ!
さぞ本丸からきれいに見えることでしょう・・・
青森教室の前に行こうかどうしようか迷える大人(^O^)/
[ 和奴 ]
2013/5/8(水) 午前 9:56
fuzzymanさん!
太宰治は四女七男の六男
父親は金融業 元貴族院議員 衆議院議員
三男も元知事・衆議院議員
想像もつかない生活をしていたのでしょうね・・・
作家である二女が1才の時この世に別れを告げたのは・・・
文才やお金に縁がないのでよく分かりませんです(+_+)(^O^)
[ 和奴 ]
2013/5/8(水) 午前 10:13
とてつもなく大きなお家で・・・財力の程が伺われますね!
一人で留守番をしてると・・・怖いかも?
太宰治という人物が育った環境が、キット作品や生き方に影響を与えたのかも知れませんね?
[ 為次郎 ]
2013/5/8(水) 午後 1:14
権勢を誇っていた家の仏壇って、本当に大きいですよね☆
2013/5/8(水) 午後 5:23
為次郎さん!
いやはや本当に大きいし、台所の横にお風呂の跡もありました!
夜はトイレが恐かったかも・・・
ちょっと読み返してみようかな・・・
そんな気持ちになりましたよ〜(^0_0^)
[ 和奴 ]
2013/5/8(水) 午後 5:46
タッちゃん!
確かにもう一つ近くにすごい仏壇があります!
これもかなりの驚きです!近々・・・☆
[ 和奴 ]
2013/5/8(水) 午後 5:48
素晴らしい建物でしたね


一つ一つが大きくて、梁の太さ、かまどの大きさ等々スケールのデカさにビックリ
今日の日記を拝見して和奴さんがあの時のガイドさんの様に思えます
今更ながら、あ〜ぁそうだったと思い返す私です
「若生いこんぶのおにぎり」
ちょっとしょっぱくて磯の香りがフワ〜ッとして美味しかったな〜
私にとって今回の弘前旅行は初めて訪れた場所が多く
思い出深い旅となりました
心から感謝しておりますm(__)m
また、おじゃまして良いですか〜〜〜
[ rikicahn ]
2013/5/8(水) 午後 8:32
rikichan!
どんだけお金持だったんでしょうね・・・
あの小さな町で不思議です( ..)
初めて若生い昆布食べてから10数年
青森に住まなきゃ美味しさと出会わなかったかも・・・
こっちも久々の場所で楽しめましたよ(^^♪
また穴場探しておきますね(^O^)
[ 和奴 ]
2013/5/8(水) 午後 9:50
こんばんは。
家の中で運動会が出来そうな広さですね(笑)
太宰治が「拾いだけで風情がない」とこき下ろした家も、年月がたつと風情が出るんですね。
若生いこんぶのおにぎり、いいなぁああ!! (^O^)
[ ノッポなホピさん ]
2013/5/8(水) 午後 11:01
ホピさん!
めぇ〜どぉ → めぇ〜よ → 美味しいよ(^O^)
若生い昆布おにぎりどうぞ( ^^) _U~~
大勢の人を雇ってたんでしょうね
ついつい掃除を心配しちゃう・・・貧乏症です(笑)
[ 和奴 ]
2013/5/8(水) 午後 11:34
和奴さん 太宰の事を思いながら、太宰のお家を見ました。 太宰は、恵まれた(お金)環境にあったが、両親の愛を、いっぱい受けきらなかったようですね。 父親の愛はしんじられずに、乳母に育てられたり・・・乳母たけをとっても、好きだったようですね。 和奴さんの写真で、太宰が、浮きあっ画って?くるような、気がします。
[ 展海峰 ]
2014/1/11(土) 午前 0:02
展海峰さんへ
おはようございます^^大雪でございます^^;
おかげさまで再度この家と向き合ってみました・・・
乳母たけさんの存在がなかったら、どうなっていたでしょうね・・・
「津軽」の小説は生まれてなかったかも・・・
改めて自分が両親にたっぷり愛情を注いでもらったことに感謝の念が湧いてきました・・・
[ 和奴 ]
2014/1/11(土) 午前 7:29
撮影お疲れ様でした。そして昨日は三つもトラックバックを頂きありがとうございました。
作家の長部日出雄(密使支倉常長の著者&太宰研究家)はこの家をラビリンス(迷宮)と称していますが、まさに迷路のような間取りはこの言葉が相応しいのではないかと思います。
やんちゃだった彼はいたずらをすると叔母のきゑからよくこの土蔵に閉じ込められそうになったということですが、子守役のタケがかばってくれたと語っています。
厳格な叔母はまさに太宰の母代わりだったのではないでしょうか?
長部氏は二階に関しては鹿鳴館風とも語っていましたがこれも的を得ているような気が致します。
余談ですがこの建物は津島家の後、銀行や旅館に使われたこともあったと聞いています。
旅館を営んでいた時、是非泊まってみたかったと後悔しております(笑)
昨日は大変いい記事をリンクして頂きました。相互トラックバックをさせて頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。ありがとうございます。MN
2014/1/13(月) 午前 8:38
ミックさん おはようございます^^
早速ありがとうございます。
長部氏の表現は的確ですね!
二階正に鹿鳴館風でした・・・「あっ」と声をあげた洋間でした。
明治の時代にどれだけの年月を要して建てられたのでしょうね。
いつの世も先人に度肝を抜かれ、後から知る私はいい刺激をいただくばかりです。
やはり古い記事にコメントをいただくのは嬉しいものですね^^
先日の「死に体」のコメントに大いに頷いています。
もう一度太宰と向き合うきっかけを下さり感謝致します。
津軽よいとこ今日も雪・ゆき・ユキです・・・
相互トラックバックありがとうございました。
[ 和奴 ]
2014/1/13(月) 午前 9:20
返コメントを頂きありがとうございます。古い記事がこうして生き返るのは本当に意義のあることと思い、改めて和奴さんに感謝申し上げる次第です。
さて小出しして大変申し訳ありませんが、この本記事に相応しいもう一つの記事(2010年12月の津軽半島小旅行時のもの)をトラックバックをさせて頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。
2014/1/13(月) 午後 0:39
ミックさんへ
もう一つのトラックバックありがとうございました。
大変興味深く拝見いたしました。
もう少し味わせてくださいね^^
竜飛と三厩の記事を見つけましたが、トラックバック先を探すことをも楽しんでおります♪
小説『現代版津軽』のどこかに・・・(^−^)
[ 和奴 ]
2014/1/13(月) 午後 4:03