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(文章がかなり酷かったので、少し校正した。これでも誤字脱字はあると思うがお許しを)
クラナドアフターの最終回をもう少し、褒めてもいいかな、と思ったので時間差ですが補足を。
クラナドのラジオである「渚と早苗と秋生のおまえにハイパーレインボー」を聴いていると、、渚と朋也の結婚後のシーンをみて「いままで結婚に踏み出すことができずにいましたが、これで踏ん切りがつきました」というお便りを出してみたり、朋也と父の和解シーンをみて「朋也と同じように、いつか僕も、父へ感謝の気持ちを素直に言える機会が来るのでしょうか」的なお便りを出しているような人が、意外に多くいることがわかる。
こういう感じで、ある一定割合の人の人生に影響を与えるのが「クラナド」というアニメの特徴なんだと思うが。
「結婚を決めました」とお便りを寄せた方が渚の死亡回をみると、いくらその後に、朋也が汐と2人で幸福な関係を築いたとしても、不安にもなるだろうし、そういう意味では、最終回みたいな展開もあっていいかなと。
だったら死なすよ、みたいに思われる方もいるかと思いますが、このアニメは「結婚して家庭を持つことはいいことだよ」と訴えつつ、同時に「たとえそこで不幸があったとしても過去を悔まず、乗り越えていくことが大事だ」とも訴えているわけで。
過去を悔まず、家庭や仕事や町の住人たちといい関係を築いていると、ああいった奇跡は起こるよ、みたいな感じなのも、とりあえずはいいんじゃないかと、思うようになりました。
※ちなみにクラナド世界を、いろいろな形で説明される方がいます。確かにそうした説明はできるだろうし、またいろいろな回で伏線はちりばめられ、並行世界物としては割とよく(世界が描けている)と僕は思います。ただ、このアニメはそうした世界観の出来によって作品の良し悪しが決まるものではないんじゃないでしょうか。「朋也のように仕事を頑張ろう」「父への感謝の念を忘れてはならない」「旅行回をみて家族サービスしようと思った」的な見方が1番、いいんじゃないかと思います。
ちなみにクラナドのテーマは「家族」「町」「人生」と、いろいろな言い方はできると思いますが、僕なりの解釈は自分の器の小ささを知り、他人と協力し合う。その協力のなかにこそ、奇跡の力があるんだ、ということなんだと理解してます。
セカイ系というのは、とかく世界のあらゆることを全部1人で背負い、1人ですべてを解決しようとしがちです。
ムントなんて、その典型だと思いますが、「ユメミ手伝え、キミがいないとダメなんだ」「世界がこうなってしまったのはユメミの心に問題があるからだ」的な話が続きます。他者との協力が必要だというテーマも、このアニメにはあるんだと思いますが、結局のところ、このアニメではそんなものは、酒のつまみ程度。心に響きません。
※そもそもこのアニメ、「あきらめない」心の重要性を説くのに、河で入水自殺しようと思った人が、「あきらめない」心を持って、河を渡りきろうとする、物語を展開するくらいですから。入水自殺と、河を渡りきろうとする行為は、見た目いっしょですし、意味わかんないですけど(笑)。
ほかセカイ系ではないですが、「コードギアス」「キャシャーン」とかも、全部1人で背負いこむタイプですよね。
ルルーシュもなんでもかんでも1人で背負いこまず、協力しあうことさえできれば、もっと幸せな世界が築けたと思いますが。
さらにキャシャーンも、もっとみんなと協力しあうように心がけるべきだったと正直思いますがね。1人でなにもかもを背負うのではなく、みんなを笑わせるような行為をすることが、自分の罪を軽減すべきだってことが、どうやら最後までわかってくれなくて。
キャシャーンはいろいろな人間・ロボットに出会い、そういうことを訴えたキャラも多数いたと思うのですが、はっきりいってこれだけのキャラにあっても、罪を償う意識は日増しに増強したとしても、本質的に変わっておらず。とりあえず数体でひきこもって仲良くやってきますわ、ルナを殺さないよ、というわりに、ブライキング・ボスを殺したり、ロボット数体倒した意味はいったい全体なんだったのか。
「俺は戦わない」と前回、誓ったのに、「死を忘れたら、また来るよ」って、もう重症だろ、キャシャーンよ(笑)死を与える前に、希望を与えることで、短い命でも満足できるような、精神的な戦いを、彼らにする気はないのか? それじゃ単なる殺戮者じゃん。狂いすぎです(笑)
萌えアニメやギャルゲーアニメをいろいろこき下ろす評論家もいますが、それらのファンは自身のアニメの欠点くらい知ってみていると思うのですが、こういうアニメ(←コードギアスについては、そうした欠点がみえる形に最初からなってましたが)を好きなファンの方が、僕からみるともっと、重症のような気がするんですが(笑)。
いや彼らのカテゴリー内にとどまってくれている人たちには何もいうつもりはありませんが。性懲りもない手合いがいて、萌えアニメやギャルゲーアニメを好きな人たちを批判する方がいる。こういう方々は、いったい全体、どういった頭の構造をしてるのかと、正直、疑ってしまう。
ちなみに僕は「キャシャーン」みたいなアニメがダメといってるわけではないですよ。さらにいうと萌えアニメを批判することがダメだともいってない。ただ萌えアニメとかを揶揄する前に、自分の見ているアニメの欠点ぐらいきちんと認識しろ、といってるだけで。
自分の好きなジャンルはただひたすら褒めまくり、わからないジャンルは、けなしまくるような行為はみてて、どうかと思う。評論とは自分の好き嫌いに関わらず、斬ることができる人間ではないでしょうか。
※概してこういう輩は、AIRをけなす割には、ジャンルが違うだけで、AIRみたいな構図を持つアニメを褒めたりする傾向が強いので(笑)。
ただ、こういう成長しているようで、じつのところまったく成長していないキャラクターは、アニメ的な主人公とはいえるんですけどね。僕からみると、マクロスFのアルトと同根のキャラで、あんまし褒める気にはならないけど。
※ちなみに生は有限だから、いまを輝かしく生きるみたいなとってつけたようなテーマを持って、このアニメは、褒めるようなことはできませんね。永遠の命を持とうとしても、人間は獲得できませんからね。むしろそれより神様ぶって、死という名の殺戮を与える行為を正当化するキャシャーンは、永遠の命を与えるといいながら、殺戮を行うルナとまったく変わりなく、ゴ―マンそのものだと僕は思うだけですけど。
そういう意味ではじつのところ
クラナドも、幻想世界の描写をみていくと、謎の少女がセカイをすべて背負っているようにみえるのですが、主人公である朋也(ロボット)にその役割を被せていませんし、さらに謎の少女自体も、多くの人物の「町の思い」に助けられて生きているところがあります。
たぶん、クラナドもセカイ系に属す作品なんだと思いますが、他のセカイ系とは真逆で、多くの人物による「支え」がみえてくる構図となっている。
たとえば仕事仲間の、芳野さんは「できないことがあったらおれにいえ。おまえのできないことはおれがやる。逆におれができないことはおまえにやってもらう。仕事ってもんはそうして回すもんだ」といいます。
また秋生さんなんかも義父としての立場から芳野さんと同様のセリフを家族としての立場から吐きますし、早苗さんもセリフこそ、吐きませんが朋也たちを支えているのがわかります。
そういえば大人陣でみていくと、朋也は、学校では幸村先生にも助けられてきましたね。
朋也の支えになっている存在の最たるものが渚だったわけですが。いずれにせよ、このアニメでは仕事仲間、家族、あるいは友人と、朋也を支えてくれる人物がたくさんいることを視聴者にみせてきたわけです。
そしてそうしたたくさんの支援があって、朋也は立ち直り、あれだけ反抗していた父に対しても、最終的には、自分をきちんと育ててくれたことへの感謝の念を述べるわけです。
ほかのアニメでは、せいぜい学園内の友達やごく少数の身内、戦闘仲間内に助けられることはあっても、ここまで多角的にさまざまな人物から支援を受ける描写があるアニメは少ないんじゃないでしょうか。すくなくともセカイ系的なアニメでこういった展開はなかったと思います。
そんなところが素晴らしいところなんだと、僕は思います。
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