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朝日新聞20面
“RE”の時代3より。
「恋空」「ALWAYS」が流行ったことをあげつつ、昨今のリバイバルブーム、ベタ物語の復活に絡んだ紙面構成。
そのなかで京都大の大澤真幸教授はこうコメント。
「われわれの現実では、何が幸福か、何が善か、わからなくなってしまっている。社会が何を理想とするのかを示す物語が不在だから、あえて思っいきり単純でベタな物語にコミットすることで、その不在を乗り越えようとするのではないか。そのかかわり方自体には一種のアイロニーがある」
まー、なんとなく書かれていることに共感した。
そもそも、いまの時代、何が善か、なんて言いきれる人なんていないわけで。
僕が生まれる前の、安保闘争とか、イデオロギー色まみれた時代や、あるいは宗教におぼれている人に向けてだったら、「善なんか存在しない。社会なんていつも不安定なんだ」、と訴えるのは効果はあるんだろうけど、いまの時代に、そんなことを訴えられたところで「そんなものはいわれんでも、わかってる」と思うわけで。
そんな社会に否定的な物語に、きっと多くの人が疲れはじめている。
そうかといって、社会規範を示す物語なんぞ、作りにくいし、そういうのを示せるほど、自分に責任を持てる奴なんかいないわけで。
本来、「善なんか存在しない。社会はいつも不安定だ」と訴えるのも、それなりに「責任」が生じるものなのだけど、多分、昔の人たちはリスクがあるもとに訴えていたんだけど。
だってね、イデオロギーを信仰する人たちに、「おめーの考えは正義じゃねーんだ」というのはけっこう勇気いりますもんね。
それが、なんていうか、いまはあきらかに、主義主張を持つことを拒否し、もっとも責められないニヒリズムというポジションに位置し、そのなかで訴えているふりをしているわけで。
社会へのコミットメントを避けているというか。
そういうポジションは確かに頭良さそうだし、社会を知ってそうなんだけど、社会のなかでどう生き抜くべきかをまったく教えてないわけで。
人間や社会はどうしようもないのはわかった。で、それでどうなわけ? っていう話なわけで。
そんな物語ばかりが氾濫して。
けっきょくのところ、ベタに回帰せざるを得ない。
ベタでSOS団という共同体を肯定する「ハルヒ」は、だから売れたんだよなと思う。
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