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延べ訪問者数10万超えで、創作小説だけ書いているのもなんだから、当サイトの「涼宮ハルヒと僕の憂鬱」の「僕」の意味について、語ろう。
当サイトは、開設以来、この名称なわけだが
よく誤解されているというか、10人中10人が誤解しているのだが
「涼宮ハルヒと僕の憂鬱」の「僕」とは、この私=はしもとを意味してるわけじゃない。
はしもとは、自分のことを僕というので、ミスリードしやすい部分ではあるんだけど。
タイトル名に使ってる「僕」とは、2つ理由があるんですが
まず1つはキャラクター小説に使われる「僕」、語り部を意味している。
だから「はしもと」とは関係ないんですね、じつは(笑)
「はしもと」はハルヒと恋人気分になったつもりか、とか
ときどき誤解を受けるときもあるんですが
まったく関係ないです(笑)
ハルヒの語り部キョンは「僕」なんて使ってないじゃん、「俺」じゃん。
という指摘はごもっとも。
それでもあえて「僕」にしているには理由があります。
それはセカイ系といわれる物語が「きみと僕」の2人で構成される物語だからです。
はしもとは、「涼宮ハルヒの憂鬱」は、セカイ系といわれる物語群の影響下にありながら
セカイ系の枠内からはみ出た、「セカイ系NEXT」というべき、作品であると思うので
それをわかりやすくみせるために、意図的に「僕」を追加しているわけです。
次の理由は、「僕」とはYouでもなく、Meでもなく、Weだということです。
「僕」という語り部は、読者・視聴者目線なので、語り部=Weというとわかりやすいでしょうか?
「僕」を付け加えるのは、ハルヒの抱えた「憂鬱」がハルヒだけでなく、Weにもあるとわからせたかったからなんですよ、じつは。
なんで、そんなことをするのって。
最初は「ハルヒ」のファンサイトであるとともに、評論サイトとしての役割を負わせたからでしょうね、たぶん(笑)
なぜハルヒが受けるか。なぜハルヒダンスが流行ったのか。
ハルヒが変人だからでも、スーパーユーティリィプレイヤーだからでもない。
多くの人たちにとって、ハルヒと同じ憂鬱を少なからずもっているからです。
そのなかで、行動力を持って、いろいろ取り組むからこそ、たとえそこに迷惑な要素があったとしても、あこがれるわけです。
作中においても。
ふつうの人になりたかった長門や、同じように超能力や未来人という不思議要素を背負いつつ、ハルヒの観察者として対応をさせられている古泉やみくるは、残念ながらハルヒと同一の憂鬱は持っていないと思うのですが(キョンとは別の悩みを持っているといった方がいいと思うけど)、作品中では、キョンはハルヒと同一の憂鬱を実は抱えているわけです。ひねくれた性格を持っているので、みえにくくなってますけどね。
「あなただってこの世界にあきあきしてたんじゃないの」
と「憂鬱」でハルヒはキョンに迫るわけですが。
同一の「憂鬱」を持ち合わせていた、ある意味、共犯者だからこそ
ハルヒは宇宙人の長門でも、未来人のみくるでも、超能力者の古泉でもなく
キョンと2人だけの世界を築こうとするわけですけど。
ちなみに、ハルヒシリーズは、シリーズだけあって徐々に変遷していきます。
その部分まで含めて語ると、さらに長文になるので、とりあえず、このコラムはこれにて終了します。
※そこまで考えて、付けてはいるんだけど、理解されなくたっていい(笑)
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