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「俺は何者だ?」
(中略)
「俺はな、《ライオン》みたいなもんなんだよ。《ライオン》は自分のことを《ライオン》だなんて思ってねえんだよ。おまえらが勝手に名前をつけて、《ライオン》のことを知った気になってるだけなんだ。(中略)言っとくけどな、俺は《在日》でも、韓国人でも、朝鮮人でも、モンゴロイドでもねえんだ。俺を狭いところに押し込めるのはやめてくれ。俺は俺なんだ。いや、俺は俺であることも嫌なんだよ。俺は俺であることからも解放されたいんだ」(『GO』233〜234Pからの引用)
『GO』の主人公・杉原はどこにも属さない。日本人でもなければ、韓国人でも、ましてや《在日》でもない。高校生でさえない。なぜなら彼を1つのテリトリーに押しとどめることはできないからだ。
その意味で『GO』は、一読する前に誰もが思うように《在日》が日本人に虐げられる単純な物語ではない。杉原は確かに《在日》であり、それが故に日本人から差別される側の人間だ。だが、差別するのは日本人だけにとどまらない。韓国人からは「《在日》は日本で何の苦労もなく、のうのうと暮らしているやつだ」と軽蔑され、同胞であるはずの《在日》からも彼が日本の学校(高校)に進んだことで、「愛国精神を失った奴だ」と蔑まれる。
そう、『GO』はどこにも属さない永遠なる異邦人・杉原の物語なのだ。
※
じつは彼が異邦人であることをやめるきっかけは、いくらでもあった。やくざの子ども、加藤は杉原に対し、「俺はおまえと同じだ。俺といっしょにこの世界をのしあがっていこう」と誘うが彼は断る。杉原と同じように日本の学校(高校)に在籍する《在日》が、「ともに共闘して日本における《在日》の立場を良くしていこう」としゃべってもまったく無反応。杉原は否応ではなく、進んで異邦人でありつづけている。
そんな彼の生き方は大方の人には理解されない。普通の人とは違う杉原に、多くの人は嫌悪の情を浴びせるか、尊敬の念で慕うか、その2つの感情でしか接することができない。この2つの感情は時として、彼に対する暴力となって現れる。
黒人解放運動の指導者、マルコムXはこんな風に言っている。
『私は自衛のための暴力を、暴力とは呼ばない。知性と呼ぶ』
マルコムXがそうだったように、僕も暴力は嫌いだ。でもどうしようもない場合だってある。左の頬を打たれたら、右の頬を差し出せ? 嫌だ。頬じゃなくて急所を打ってくる奴だっているのだ。そもそも、打たれるようなことは何もしていないっていうのに。(同21Pからの引用)
ここに記されているとおり、杉原は決して喧嘩好きな人間ではない。たとえ、高校在籍期間中の喧嘩の成績が24連勝中負けなしという記録保持者であったとしても。(のちにこの成績は25勝1敗になる)
2
そんな永遠なる異邦人・杉原も愛する女性の前では、ただの1人の男。いつもの型やぶりな彼はいない。どこにでもいる少年にしかすぎない。
彼は日本人の女性・桜井椿に会い、恋におちる。ここでは、強靭さと知性をあわせもつ杉原の姿はいない。いつもは屁とも思っちゃいない《在日》という存在であることさえ、彼女にバレるのを極端に怖れ、言うことはできない。桜井椿も杉原を愛しているというのに。彼の枠からはみだした感情にこころを打たれているのに。
「わたしが言いたいのは、その犬みたいに好きな人を愛したいってこと。その犬の鳴き声は、わたしがこれまで聴いいてきたどんな音楽よりもきれいだった。わたし、好きな人をきちんと愛し続けて、もしその人を失ったとしても、あの犬みたいに泣けるような人間になりたいの。わたしが言いたいこと、分かる?」(同169Pからの引用)
桜井は杉原に対し、どんな悩みや秘密も受け止めると話す。このことを受け、ついに杉原は《在日》であることを彼女にしゃべるのだ。
しかし、結果は無残なものだった。「父が言うの。中国人と韓国人の血は汚いって」。彼女の言葉に誤解を解こうとひっしゃきになる杉原。
「いまの日本人の直接の先祖と思われている縄文人にはね、お酒が飲めない人は一人もいなかったんだ。これはDNAの調査で明らかになっている。というか、むかしのモンゴロイドたちは全員酒を飲めたんだ。ところが、約二万五千年前の中国の北部で突然変異の遺伝子を持った人間が生まれた。その人は生まれつきお酒が飲めない体質の持ち主だった。そして、いつ頃かは分からないけど、その人の子孫が弥生人として日本に渡来して、お酒が飲めない遺伝子を広めたんだ。君にはその遺伝子を受け継いでいる。その中国で生まれた遺伝子が交じっている君の血は汚いの」(同180Pからの引用)
桜井は杉原の言葉を頭で理解しようとするが、こころの中で納得することはできない。杉原を拒絶してしまう。呆然自失する杉原。杉原はいままで味わったことがない《在日》という壁をはじめて味わうのだ。
3
桜井から拒絶された杉原は、オヤジと対決する。《在日》、朝鮮分断など多くの問題を子どもに負わせ、苦悩するしか脳のないオヤジに活を入れるためだ。
しかし、オヤジは元ボクサー。彼を打ち負かすどころか、自分自身がぼこぼこに殴られまくられる。そしてオヤジは杉原にこう話すのだ。
「確かに、おまえの言う通りかもしれないな」(中略)「もう俺たちの時代じゃないってことだよ」(中略)「この国もだんだん変わり始めている。これからもっと変わって行くはずだ。在日だとか日本人だとか、そういうのは関係なくなっていくよ、きっと。だから、おまえたちの世代は、どんどん外へ目を向けて生きていくべきだ」(同216Pからの引用)
杉原はこの言葉を受け、変わりはじめる。オヤジからの敗北だけでなく、親友・正一の死も1つのきっかけとなったと思うが……。
エピローグ
変わりはじめた杉原に桜井から電話がかかる。一度、杉原を拒絶した彼女は最初に会ったときに行った学校で待っているというのだ。
杉原は桜井に会いに行く。そこでしゃべったのが冒頭にある言葉。《在日》でも韓国人でも日本人でもライオンでもエイリアンでもないと語る杉原。そんな激しい彼をとまどいながらも彼女は受け止める。そして少年・少女と大人の端境期にある2人は大きくなるのだ。
「ボクシングは自分の円を自分のこぶしで突き破って、円の外から何かを奪い取ってこようとする行為だよ。円の外には強い奴がたくさんいるぞ。奪い取るどころか、相手がおまえの円の中に入ってきて、大切なものを奪い取っていくことだってありえる。それに、当たり前だけど、殴られりゃ痛いし、相手を殴るのだって痛い。何よりも、殴りあうのは恐いぞ。それでも、おまえはボクシングを習いたいか? 円の中に収まっているほうが楽でいいぞ」(同59Pからの引用)
彼らは円の中の人生から外へ一歩踏み出す。杉原は名実ともに自分自身の殻を打ち破り、新しい人生の一歩を踏み出していくのだ。
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