山の辺の道
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今日、晩めの初詣に行ってきました ・・ 今年も、三輪明神 ^^デス 例年のごとく娘家族4人に加えて、 岡山からあちらの親父さんが上阪されたので総勢6名・・片言を話せるようになってきた上の孫が、 私と両方を交互に指差して「あ・・Gちゃん」「あ・・Gちゃん」と連呼しておりました^^;ナントナク テレクサイ そして、おみくじは、初めて引き当てた「凶」・・♭ さざなみの くにつみかみの うらびれて あれたるみやこ みればかなしも こころを落ち着けて自分を信じ、何事も自重すること・・という御神託を忘れない様にします! 葛城山が薄っすらと雪化粧・・二上山の二瘤の連なりを遠くに眺め、大和三山を久し振りに眺め 新年の安寧をあらためてお祈りしました ^^ 一歩後退することがあっても、二歩前進出来ます様に。。
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隣町の国道沿いを車で走っていて、車窓に垣間見える櫓が何時の頃からかずっと 気になっていたんですが、先日ようやく訪れる機会があって、それが何かを知ることが出来ました^^! ・・約2,000年前の「唐古・鍵遺跡」にシンボルとして復元された楼閣でした。 以前勤めていた会社の先輩がリタイヤ後、 橿原考古学研究所附属博物館と唐古・鍵考古学ミュージアムでボランティア・ガイドをなさっていて 以前から誘われていたんですが、今回ようやく見学に訪れました^^ ヒル ゴハン ニ ツラレ テ〜 ![]() 奈良盆地のほぼ中央に位置する弥生時代の多条環濠集落遺跡で、外濠を含めた 全体では約42万平方メートルの面積を占めるそうです。
外環濠エリアでは、土器や石器、木工所などと併せて銅鐸(ドウタク)鋳造工房関連施設跡もみつかっており、 大環濠内では、機能別に区画されていたと推定されています。 ![]() 楼閣と大型建物を描いたものほか、動植物や人物を描いた絵画土器片が 数多く出土していて興味深い。 ![]() 今・・遺跡は一面のコスモスに彩られていて、長閑な景色が広がっています ^^♪ ![]() ミュージアムには、発掘された器物とともに弥生時代の祭りのジオラマなどが 展示してあり、ビジュアルでアタイみたいな者でも判りやすかった^^デス
想像出来て楽しいです^^ネ それにしても、釣り針(獣骨)や農耕器具(木製)包丁(石器)そして機織機まで、当時と現在と その形状や仕組みがほとんど変わらないということに今更ながら驚かされました ^^! ![]() 唐古池の辺に、土器に描かれてあった楼閣が復元されています。 国道から見えた不思議な櫓は、これだったんです^^ この楼閣、中国・四川省の古墳(1-2c.頃)で出土した神仙世界の天門を表す図柄と 類似しているという記事もありました。。 ・・唐古池から望む東側には、三輪山の青い山容が見えていました。
大和王朝が出来る以前から、日本列島の各地だけでなく大陸とも交流があったと想像するだけで何だか 愉快な気分になってきます ^^♪ |
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天理から歩いてきた南の山の辺の道。。 初秋の陽光が降りそそぐ、明るくて清澄な空気の檜原神社の境内を 南に向かって三輪の杜の中へ入ってゆくと、いきなり深山の緑陰の山道に 誘い込まれたかのような感覚に陥ります。 ・・しばらく、その薄暗い山道を下って往くと いきなり荘重な白い塀が現れて、ちょっぴり驚かされます^^! それが、奈良末・平安時代初期の名僧といわれる玄賓僧都隠棲の地、玄賓庵(ゲンピンアン)です^^♪ ・・玄賓庵を出て、再びアップダウンを繰り返しながら、山路を辿ると、
やがて、人影も多くなり、三輪明神の摂社のひとつ狭井神社鳥居の前に到ります^^ |













































