大谷とイチローが対面<マリナーズ−エンゼルス>◇4日(日本時間5日)◇セーフコフィールド エンゼルス大谷翔平投手(23)が、マリナーズ・イチロー(44)から“フェイク”をかけられた。 【写真】あいさつに向かうも逃げていくイチローを笑顔で追いかける大谷 試合前、左翼フィールドでキャッチボールを始めようとすると、右翼側でチームメートと談笑していたイチローを発見。駆け足で近寄り、背中越しからあいさつをしようとしたところ、突然イチローが振り返り、大谷から逃げるように走りだした。 これも、愛嬌(あいきょう)。その後すぐに2人は笑顔であいさつを交わし、約3分間、談笑した。マリナーズの特別補佐に就任したイチローと大谷の直接対決はかなわなかったが、「常に憧れ続ける」存在との対面で、終始、楽しそうな表情を見せていた。 大谷はこの日の試合前、変化球を混ぜて30球、ブルペンで投球練習を行った。ソーシア監督は「今日のブルペンも良かった。これからしっかり評価して考える」とコメント。正式な登板日の発表は現時点では発表されていないが、ブルペン入りの2日後、6日(同7日)の登板が有力だ。 |
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「ザ・スパイダース」で活躍 マッチ「愚か者」作曲1960年代にグループサウンズ「ザ・スパイダース」で活躍したギタリストの井上堯之(いのうえ・たかゆき)さんが2日に死去したことが4日、分かった。77歳。兵庫県出身。死因は明らかにされていない。沢田研二(69)のバックバンドを率い、ドラマ「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」のテーマ曲演奏にも携わるなど、多才なミュージシャンだった。5日に近親者のみで密葬を執り行う。 【写真】あの頃君は若かった…井上さんが活躍した「ザ・スパイダース」 井上さんは95年に初期の胃がんを手術。09年には肺気腫と診断され、「今後の活動が困難になる」との理由で引退。それでも、病と闘いながらソロライブや楽曲制作、講演などの活動を行っていた。 昨年5月2日には、同3月に亡くなったスパイダースの元メンバー、ムッシュかまやつさん(享年78)のお別れ会に参列。堺正章(71)、井上順(71)ら元メンバーが11年ぶりに集まった場で体調が優れない中、登壇。さすがに往年のプレーを見せることはできなかったが、出席者を笑顔にしていた。 井上さんは16歳でギターを始めた。オーディション番組を契機に音楽の世界に入り、後にスパイダースに加入。リードギタリストとして海外公演も行った。71年の解散後は沢田研二、萩原健一(67)のツインボーカルによるロックバンド「PYG(ピッグ)」を結成。沢田のソロデビュー後は、萩原を除くメンバーで「井上堯之バンド」として活動。「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」などでヒットを飛ばした沢田を、80年の解散までバックバンドとして支えた。 沢田のヒット曲「危険なふたり」のイントロを演奏したのも井上さん。72年に沢田がNHK紅白歌合戦に初出場した際も、専属バンドとして演奏した。これが今では当たり前となった「歌手が専属バンドを率いる」ことの先駆けだった。 ドラマ、映画の劇中音楽でも才能を発揮。俳優として独立した萩原との信頼関係も深く、出演ドラマ「太陽にほえろ!」のテーマ曲と劇中音楽の演奏を同バンドが担当。「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」、映画「青春の蹉跌(さてつ)」などの主演作を音楽で支えた。 クリエーターとしては、作曲した近藤真彦(53)の「愚か者」が87年の日本レコード大賞を受賞。同時期に萩原との競作で「愚か者よ」も手掛け、中島みゆき(66)の名曲「ファイト!」(83年)の編曲も手掛けた。 90年代以降はミュージカルの音楽監督にも挑戦し、新たなバンドでも活動。ギターサウンドの追究をし続けた職人肌のギタリストだった。 |

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