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京都産業大学 C 対 龍谷大学 5月19日 12時
前半メンバー 1.横山慶太郎 ④ 京都成章高校
2.西井 翔 (にしい かける)大阪府立牧野高校
3.菊池 伸照 (きくち のぶてる)② 東海大福岡
4.川上 慎太郎 ② 報徳学園
5.金 一徹 ③ 大阪朝鮮 6. 檜垣 大宇 ① 大阪朝鮮
7. 平野 叶馬(ひらの きょうま)③ 西陵
8.永井 陸 ③ 北 稜
9.馬見塚 平 ① 御所 10.加藤 貴士 ② 京都学園
11.河 新太郎 ② 伏見工
12.内城 秀太 ② 筑紫丘 13.青木 悠紀 ② 筑 紫
14.堀田 礼恩 ① 京都成章
15. 栢本 光 ② 天 理
後半メンバー7 1.木村 圭汰 ① 筑紫台
2.吉田 泰助 ③ 石見智翠館
3.大橋 亮太 ② 東海大仰星
4.松本 雅哉 ② 京都成章
5.西村 彬 ① 洛 北
6.李 昌赳 ③ 大阪朝鮮 7.山村 幹太 ② 東海大仰星
8.鯰江 真路 ② 大阪商大付
9.吉松 玲於 ② 筑 紫 10.藤井 颯 ① 京都成章
11.稲名 海渡 ① 東海大翔洋
12.伊藤 豪大 ① 石見智翠館
13.平野 嵩幸 ② 天理 14.谷尾 智也 ④ 大阪ビジネスフロンティア高校
15.谷口 健太 ① 四日市農芸
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2018年05月18日
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元木由記雄氏が振り返るラグビー人生
強烈なインパクトを残した“タイソン” 疑いなき、日本ラグビー界のレジェンドである。元木由記雄。大阪工大高(現・常翔学園)2年で全国高校大会に優勝し、高校日本代表に選出。筋肉質の肉体と精悍な表情から、当時の世界最強ボクサーをもじって「ラグビー界のタイソン」と呼ばれた。明大1年で大学日本一に輝き、同2年で日本代表入り。ワールドカップには20歳で選出された1991年大会を皮切りに、1995年、1999年、2003年と4大会連続で戦いに臨んだ。1999年には、それまで日本最多だった林敏之の通算38キャップを更新。2005年までに79キャップを積み重ねた。
強靱な肉体と精緻なスキルで戦い続けた伝説のラガーマンが語る世界のラグビーとは――。
――元木さんにとってのラグビー、テストマッチ(国際試合)、そしてワールドカップの魅力を聞かせてください。
ラグビーというスポーツは、80分間という長い時間をかけて、非常にハードに戦う。フィジカル、メンタル、スキル、全ての面で限界を超えたところで戦うスポーツです。
それが、国代表同士の戦いであるテストマッチとなるとまたフィジカルレベルが上がる。判断力も、クリエイティブな能力も、より求められる。一人一人にかかる責任も大きくなります。
――元木さんは20歳の1991年から4度のワールドカップを経験されていますね。
1991年は初めてだったし、自分も試合に出るチャンスがなかったんですが、ちょうど世界のラグビーが水面下でプロ化に進んでいく境目の時期だったと思いますね。今振り返ると、当時の僕らの意識は『世界に勝つ』というよりは『どう世界に挑戦するか』という意識だったと思います。2015年のワールドカップで結果を出したときとか、サンウルブズでずっと世界の強敵と試合を重ねながらワールドカップを迎えるのとは、だいぶ違う条件で臨んでいました。 NZ戦の大敗「応援してくれている方々を裏切る形に…」――たくさんの試合を経験された中で、印象深い試合を挙げていただくと?
いろいろありますけど、やっぱり1995年南アフリカ大会のニュージーランド戦(17対145)はすごく印象に残っています。歴史的な大敗を喫してしまって、僕自身ももちろん悔しかったし、応援してくれている方々を裏切る形になってしまったけれど、あれが日本代表のスタートになった面もあると思います。
そのあと、1999年や2003年のワールドカップでは、ある程度、良い試合ができるようになりました。でも、後半の途中までは競り合っていても、最後は力の差が出てしまっていた。僕自身、最後の20分をどうしたら勝てるのかなと、そこをずっと考えていました。
――ワールドカップでは勝敗以外でもいろいろなことを経験されたのではないでしょうか。
1999年のウェールズ大会では、ミレニアムスタジアム(現プリンシパリティ・スタジアム)に7万人の観衆が集まった中で試合をしました。7万人が歌うウェールズの国歌は、鳥肌が立ちました。相手の国歌ではあるけれど、ラグビーの伝統の重みをすごく感じたし、テストマッチを戦う名誉を感じました。
2019年には日本でワールドカップが開かれますが、日本にもああいうラグビー文化が根づいてほしいと思いますね。次の日に会社や学校で『昨日の試合はすごかったな』とか、そういう会話がかわされるような存在に、ラグビーもなっていかなきゃと思います。 憧れていたのはフランスのラグビー――ワールドカップに4回出場しただけでなく、1996年にはバーバリアンズ(世界の一流選手が選ばれるチーム)に選ばれてスコットランドと対戦する栄誉を得ていますね。
世界中のラグビー選手にとって憧れのチームですが、自分が選ばれたと聞いたときは『え?』という感じで、ホントに現実感がありませんでした。うれしさ、誇り、そういうものを持つ余裕もなかった。でも、現地へ行ってチームが集合すると、周りは世界的に有名な選手ばかり。練習は試合の前日に1回やっただけだったけど、一流選手には練習がいらないんだなと思いました(笑)。細かいサインプレーは一切ないけれど『ここでボールが欲しいな』と思ったときはパスがくるし、『ここでは要らん』と思ったときはSO(スタンドオフ)が自分で仕掛けたり、蹴ったりする。当たり前のプレーを誰もが普通にこなしていることがすごいと思いましたね。
――海外のラグビーにはどんな印象をもっていましたか。
憧れていたのはフランスのラグビーですね。ラグビーを始めたばかりの小さい頃はフランスが好きでした。FL(フランカー)エリック・シャン、No.8(ナンバーエイト)ロドリゲス、CTB(センター)セラ、FB(フルバック)のブランコ……スター選手がそろっていて、ボールをつないでつないで、すごく面白いラグビーをしていた。世界でフランスだけが違うラグビーをしていて、カッコイイなと思って見ていました。
特にセラは、すごい体勢からパスを放ったりしていて、マネしてました。VHSのビデオテープを何度も巻き戻して見たりしていました(笑)。 京産大は『日本一を目指そう』と言えるチームに――日本開催のワールドカップが1年後に迫りました。元木さんはどういう形で関わろう、盛り上げようとお考えですか?
僕は今、京産大のヘッドコーチをしているので、まずはいい選手をラグビー界に送り出すことが一番の仕事だと思っています。それと同時に、ワールドカップのアンバサダーにもなっていますので、これまでラグビーと接点のなかった人たちにラグビーの魅力を感じてもらう、興味を持ってもらうことも自分の仕事だと思っています。2019年を日本ラグビーの新しいスタートにしないといけない。
ラグビーって、一言で言うと『絆』を感じるスポーツだと思うんです。スクラムでは、FW(フォワード)の選手は痛い思いをして、体を張ってボールを出してくれる。そのボールをスコアまで持っていくのはBK(バックス)の選手だったりするけれど、トライを決めた選手が派手に喜んだりしないのは、それまでボールを取ったり繋いだりしてくれた選手への感謝があるから。今はちょっと薄れてきたと言われるかもしれないけれど、選手同士の横とのつながりはラグビーの魅力だと思う。それはラグビーを知らない人にも感じ取ってもらえると思います。
――いまは京産大のヘッドコーチですね。
今年で6年目になります。まずは関西で優勝できるチームになって、全国でもいいゲームができるようになろう、と言ってずっとやってきましたが、一昨年、昨年と2年連続で全国ベスト8に入ることができて、今年はようやく『日本一を目指そう』と言えるチームになったと思います。狙えるチームになる可能性は十分ある、ということです。期待してください。 |
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今後もチェックよろしく。笑


