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2019年4月13日(土)・14日(日)に行われる、サンコーインダストリーpresents 2019関西セブンズフェスティバル、プロップセブンズの出場登録選手が決定しましたので、お知らせいたします。
大学の部:4月13日(土)
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http://rugby-kansai.or.jp/wp-content/uploads/2019/04/daigakumenbar2-1.jpg ※メンバーは変更になる場合があります。
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2019年04月09日
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野球も人生も近道なし/蔦文也池田高校にも春が来た。3月10日、三好市吉野川運動公園池田球場には池田ナインの声が響いていた。18年の練習試合初戦。 【写真】映画「蔦監督〜高校野球を変えた男の真実〜」の舞台挨拶に立った蔦哲一朗監督とつたはーん 最近は必ず智弁和歌山が池田までやってくる。池田の元監督・岡田康志や現監督・井上力と、智弁和歌山を率いる高嶋仁との縁で、春を呼ぶ一戦が行われている。高嶋は公式戦と変わらない試合中立ちっぱなしの姿勢。智弁和歌山の選手も力を存分に出した。池田はダブルヘッダー2試合とも大敗した。 翌日、池田のチームは愛媛県へ遠征。居残りの10人に満たない部員は朝8時過ぎに学校グラウンドで練習を開始し、ランニングの掛け声は400メートルほど離れた蔦文也の自宅に届いた。 蔦は01年4月28日夜に、がんのため77歳で死去した。葬儀・告別式は自宅で営まれ、900人が参列。報徳学園監督時代に甲子園で戦った福島敦彦も訪れていた。帝京監督の前田三夫も駆けつけた。前田は83年センバツ1回戦で池田に0−11と大敗した後、蔦を師と仰ぎ、甲子園で優勝を果たした。蔦の死を惜しむ人が自宅周辺にあふれかえった。 51年に池田高校社会科教諭となった蔦は、翌年正式に野球部監督就任。戦時中に覚えた酒が、若き指導者だった時期には過ぎることが多かった。病院嫌いでもあった。甲子園で夏1回、春2回優勝を飾ったが、輝いたのは長い高校野球の歴史からみれば一瞬だろう。池田の監督として甲子園に初出場するまでには、20年かかった。輝くための準備期間は長く、苦しさも伴う。しかしそこに、信念が浮かび上がってくる。 「甲子園に初めて出るまでにかかった20年という期間を通して得た人生観は、野球に近道はないということじゃった。人生に近道はないということじゃ」 しっかりノックが打てないなどの理由を挙げて、92年3月に68歳で監督を正式引退した。同年、第1号の池田町名誉町民賞を受けている。蔦と野球を結んだ言葉がたくさん残った。 「山あいの町の子供たちに 一度でいいから 大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」 「鍛錬千日之行 勝負一瞬之行」 「たかが野球 されど野球」 多くの好選手や熱心な指導者も生まれた。16年から母校の監督を務める井上もその1人だ。86年センバツ優勝メンバーで、監督としても06、07年に徳島商で甲子園に出場した。だから井上は今、甲子園には「戻りたい」と表現する。恩師や先輩、同期、後輩、現役選手、町の人々ら大勢の思いとともに歩を進める。 センバツに出場できなかったある年の早春に聞いた、蔦の声を思い出した。 「もう今から夏が待ち遠しい。甲子園というところは、いくつになっても『ああ、もう1度行ってみたい』と思うところじゃ。だから生徒を鍛える」 池田町南側の小高い斜面に「蔦本家累代之墓」がある。蔦の戒名は「觀徹院誠文球道大居士」。町の北に吉野川が流れ、すぐに山がそびえる。山あいの町から蔦は、はるか北東にある大きな野球場を見続けている。(敬称略=おわり)【宇佐見英治】 (2018年3月18日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時) |
【推しメン15】<4>右プロップ具智元、スクラムに自信「8人固まれば怖くない」 日本代表を史上初のW杯8強へ導く注目選手「推しメン15」の4人目は、右プロップ具智元(グ・ジウォン、24)=ホンダ=。元韓国代表の父・東春さんから受け継いだ76センチの太ももでスクラムの最前列に立つ。8人一体のカベとなり、世界の大男たちにも「絶対負けない」覚悟で立ち向かう。
183センチ、122キロの具は毎試合、最初のスクラムで緊張に襲われる。足の位置、角度、手でつかむ場所…。「ひとつの間違いが取り返しのつかないことになる」。押し合いではなく、実は繊細な力比べ。「試合はスクラムにかかっている。絶対に負けたくない」とプライドをぶつける。 体格で劣る日本は長谷川慎コーチの下、FW8人が一塊になるスクラムを追求している。17年にスーパーラグビー(SR)のサンウルブズで初めて指導された具は、相手の圧力に屈し足を下げる悪癖を何度も叱責された。「大学までは一度楽な姿勢をとって立て直しても押せた。一人で何とかしよう、と思っていた。でも8人一体じゃなきゃダメだった」 けがで約4か月離脱した間にイメージトレーニングを重ね、17年7月のSR最終節ブルース戦で復帰。初めて思い通りのプレーができた。「人生で一番の自信になった」。昨年は代表戦5試合で先発起用された。 パワーの源は大好物のラーメン。大分・日本文理大付高時代は佐伯市の有名店「南国」まで約1時間歩いて食べに行った。拓大在学時は八王子市の「ラーメン二郎」に通い「大盛り2杯はいける」。現在、試合期間中は食生活に気を配るため、オフの「『天下一品』のこってり」を楽しみにしている。 たくましい太ももは韓国の名プロップでホンダでもプレーした父・東春さん譲り。大学時代は、成人男性の腹囲にも匹敵する83センチ。今は76センチに絞り、機動力を増した。父が「いい環境でラグビーをしてほしい」と願った通り、人懐っこい笑顔の「ぐーくん」は先輩たちにかわいがられるキャラ。1次リーグ同組の強豪アイルランド、スコットランドに対しても「大きくて先に当たられたら強いけど、8人で固まれば怖くない」と自信を持つ。W杯開催が決まり、日本代表で出たいと決意してから10年。スクラムを日本の生命線にしてみせる。(大和田 佳世) ◆具 智元(ぐ・じうぉん)1994年7月20日、韓国・ソウル生まれ。24歳。小6でラグビーを始める。ニュージーランド・ウェリントンに留学後、大分・日本文理大付に入学し2年時にU―17日本代表入り。拓大を経て17年からホンダ所属。スーパラグビーのサンウルブズには16年から参加。家族は両親、兄・智允(26)はホンダ所属のセンター。183センチ、122キロ。 ![]() 日本文理大付 おやじが教員の頃は佐伯学園やったけど… |
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