今季限りで勇退の京産大・大西監督 関西の大学スポーツ界をリードしてきた名将2人が今季限りで勇退する。京産大ラグビー部の大西健監督(69)は1973年の就任以来、無名の選手を鍛え上げ、スクラムを看板に躍進。4度の関西制覇のみならず、世界殿堂入りした大畑大介さんら日本代表を多数輩出した。40年以上、曲げずに貫いてきた信念の道のりをたどった。
23歳の青年がラグビー部監督に就任したのは大学創立9年目の1973年だった。同好会からスタートした部はBリーグに昇格したばかりで部員は30人ほど。グラウンドはハンドボール部やホッケー部と共有していた。まだ強豪校としての形すらない時に、強化を託された大西監督は最初に、こう話した。 選手とも年が変わらず、「キャプテンみたいな感じだった」。だから、練習後によく夢を語り合った。話し合いを重ねながらできたのが、今も生きる3つの目標だ。(1)同大と互角に戦えるチームを作ろう(2)ラグビー発祥の国、イングランドの芝を踏もう(3)大学チャンピオンになろう。練習だけではなく、グラウンドの確保や寮の部屋の手配、新入生の勧誘など、あらゆることに忙殺されながら、就任年にAリーグ昇格を決めた。 順調な船出も、すぐ壁にぶちあたった。啓光学園(現常翔啓光学園)、天理大での現役時代、いずれも監督を務めた藤井主計氏の影響で「スクラムを押すという発想はなかった」とランニングラグビーを志向。だが、上位へはなかなか食い込めなかった。78年の京大戦ではスクラムで完敗。「FWが押されるとバックスが全く機能しないということを嫌というほど思い知った」。まだ新興校で、人材確保もままならない。「努力で強くなれるところはスクラムとモールだ」。それが、伝統のスクラムが誕生したきっかけだった。 花が開いたのは就任10年目だった。82年に初めて全国大学選手権に出場。16―45で敗れたが、早大相手に認定トライを奪うなどスクラムでは優位に立ち、名をはせた。そして、87年のAリーグ最終戦。10―9の僅差で、同大に初めて勝利した。90年にはイングランドに遠征、ケンブリッジ大と試合した。 3つの目標のうち、2つは成就した。しかし、大学選手権では過去7度進んだ準決勝で敗退している。今年がラストチャンス。「最後だから…とは思っていない。毎年同じ気持ちでチャレンジしているから」と特別な感慨は漂わせないが、部員の合言葉は「大西先生のために日本一」だ。 開幕を控えたある日。柔和な表情で練習を見守っていた大西監督の顔つきが、スクラム練習が始まると一変した。声を荒らげる時もある。こだわりが垣間見える瞬間だ。 時には2時間にも及ぶスクラム練習だけではない。体重が落ちないように焼き肉や鍋を全員で囲む“栄養合宿”しかり、早朝の筋力トレーニングしかり。今では強豪校が当たり前にやっていることを40年以上前から、人知れず続けてきた。 「私にとって京産大ラグビー部は家族。家族のためなら頑張れる」 69歳の今も、5時半に起床し、6時半からのトレーニングで目を光らせる。コーチ陣に指導を任せている時でさえ、練習中は決して座らない。20代の時と変わらないスタイルで、最後のシーズンに挑む。 |
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恩師の“最後の授業”で講師役に 京産大大学ラグビーの強豪、京都産業大ラグビー部の練習を真剣なまなざしで見つめる車椅子の青年がいる。平成29年度の主将だった中川将弥さん(23)。大学4年生だった同年11月、試合中に頸椎損傷の大けがをし、一時は全身不随の恐れもあったが、懸命にリハビリを続け、今春に復学を果たした。現在は体育寮に住み込み、選手のサポートをしながら、今季限りで退任する大西健監督(69)への恩返しを誓っている。(宇山友明、丸山和郎) 京産大で19日に行われた大西監督の担当科目「スポーツと人間形成」の授業で、中川さんがゲストスピーカーを務めた。大西監督はまもなく定年を迎えるため、教授として教壇に立つのはこの日が最後。同科目ではこれまで、元五輪選手や元プロ野球選手ら100人を超える講師を招き、スポーツを通じた自己研(けん)鑽(さん)について学生に説いてきたが、監督が最後の授業に選んだのが、教え子の中川さんだった。 大西監督は「最後にふさわしい講師を考えていたら、一番身近なところに打って付けの人物がいた」と目を細める。中川さんは授業の中で、けがをしたときの心境や仲間の支えでリハビリを続けられたことなど自身の体験談を披露。講堂を埋め尽くした約300人の学生らに「チャンスがあれば勇気を出してチャレンジしてほしい」と訴えた。 中川さんは奈良・御所実高時代にフッカーとして高校日本代表候補に選ばれ、同26年に京産大に進学。4年生になって主将を任された。大けがに見舞われたのは、29年11月25日の関西大学リーグの近大戦。相手タックルで芝に首を打ち付け、意識を失った。「天と地がひっくり返ったような感覚だった」。その後、担架で運ばれる際に足の感覚がないことに気づくと、恐怖で涙が止まらなかった。 手術が成功して全身不随はまぬがれたが、術後はしばらく寝たきりの状態。リハビリをしようと起き上がるたびに貧血になり、何度も気を失った。それでも懸命にリハビリを続けられたのは、毎日病室に訪れてくれた仲間の支えがあったから。激励の輪は関西リーグの他大学のラグビー部にも広がり、各大学のチームカラーで折られた千羽鶴も病室に届けられた。 けがの直後は手がうまく使えず、日常生活も一人ではできなかったが、今では左半身が少しずつ回復し、左手でなら字も書けるようになった。現在は部の練習に毎日顔を出し、いつも監督のそばで現役選手にアドバイスを送っている。 事故当時について、大西監督は「頭が真っ白になった。監督生活で一番つらい出来事だった」と振り返るが、元気になった教え子の笑顔が心の支えにもなっている。中川さん自身も再びグラウンドに立つという夢がある。「けがをする前よりも楽しいし、復帰のためにラグビーに夢中になっている」と話す元主将。前向きにラグビーに接していくことが、監督への最大の恩返しになる。 |
ラグビー7人制五輪代表候補に藤田、中村ら 日本ラグビー協会は10日、2020年東京五輪に向けた7人制日本代表の第1次候補を発表し、男子は15人制代表で15年ワールドカップ(W杯)に出場した藤田慶和(パナソニック)ら13人、女子は16年リオデジャネイロ五輪代表主将の中村知春(アルカス熊谷)ら17人が選ばれた。 今後は練習生も含めて強化合宿を重ね、12月に第2次候補を選出。男子の第2次候補は五輪まで7人制に専念し、20年1月開幕予定のトップリーグには出場しない。 今月には1年後を見据え、男女とも「五輪シミュレーション」と題した本番さながらの合宿も実施する。選手村の置かれる東京都中央区晴海近郊のホテルに宿泊した上で、五輪会場の味の素スタジアム(東京都調布市)に移動しての練習試合などを計画。疲労度や試合のない時間の過ごし方などを検証する。 初採用されたリオ五輪で男子は4位、女子は10位だった。7人制代表の本城和彦強化委員長は「プレゼンス(存在感)を高めていくにはメダル獲得はマスト(必須)」と力を込めた。 |
京都産業大ラグビー部、悲願の全国制覇で退任の大西監督に花道なるかラグビーの関西大学リーグで4度の優勝経験がある京都産業大。40年以上にわたってチームを指導してきた大西健監督(69)が今季限りで退任することが決まっている。「ひたむきラグビー」を合言葉に、元日本代表でトライを量産した大畑大介氏や伊藤鐘史(しょうじ)氏、9月開幕のワールドカップ(W杯)でも活躍が期待される現日本代表の田中史朗(ふみあき)ら数々のトップ選手を輩出してきた伝統校。チームはまだ大学日本一の経験はないが、監督の最後の花道を飾るべく、今季は初の全国制覇に向かって突き進んでいく。 天理大出身の大西監督が京産大ラグビー部で指導するようになったのは1973年のこと。当時の主将と3つの夢を語り合った。 一、関西強豪の同志社大と互角に戦えるチームを作ろう 一、いつの日かラグビー発祥の国イングランドの芝を踏もう 一、大学チャンピオンになって、日本選手権で国立競技場に立とう チームは75年に関西大学リーグ1部リーグ(現在のAリーグ)に昇格し、90年に関西リーグを初制覇。同年には初めての英国遠征も経験し、2つの夢はかなえたが、まだ成し遂げられていないのが全国大学選手権で優勝することだ。 過去7回、同選手権の準決勝に駒を進めたが、いずれも敗退。大西監督は「簡単に手に入るものは夢じゃない。ずっと学生と一緒に夢を追えるのは幸せなこと」と笑顔で話すが、ロックの伊藤鐘平(しょうへい)主将(4年)は「一からたたき上げで鍛えてもらってきた。監督の最後のシーズンなので恩返しがしたい」。まずは関西リーグで3連覇中の天理大を撃破することが目標だ。 京産大は伝統的にスクラムを強みとしているが、大西監督は就任当時を振り返り、「昔は学生の体が細くて、プロップでも体重80キロぐらい。FW戦で圧倒されることが多かったので、体を大きくすることから始めた。今はどのチームでも食べることを重視しているけど、さきがけは京産だったかもしれない」と話す。 体を大きくするため、定期的に実施するのが「栄養合宿」だ。大相撲の力士がちゃんこ鍋を食べて体重を増やすように、部員たちは大きな茶碗(ちゃわん)を持って鍋を囲み、ご飯をおかわりしていく。この合宿には一つのルールがある。それは、食事の前後に体重を測定し、ノートに記入すること。部内には大畑ら歴代の部員の体重を記録したノートも残っている。監督は「1食で約4キロ増える学生もいる。いい選手ほど食べることにも貪欲だね」と目を細める。 また、毎年5月に新入部員歓迎会として開催する「猪突猛進会」では、その日の朝に生け捕りしたイノシシを2、3匹、豪快に丸焼きにし、みんなで平らげる。ラグビー部のファンの厚意で7年前に始まったイベントで、新入生にとっては「食」を意識する場ともいえそうだ。 また、京産大ラグビー部の特徴の一つが、比叡山の阿闍梨・叡南俊照さんとの交流だ。険しい山中を約千日かけて歩く荒行「千日回峰行」で知られる高僧で、約40年前、チームの低迷で監督が自信を失っていたとき、比叡山を訪ねて教えを請い、阿闍梨から「楽志(らくし)」という言葉をもらった。 「つらいことがいっぱいあっても、志を楽しめという意味で、この言葉に励まされてきた」。今でも試合のたびに比叡山に報告に訪れ、部員も奉仕活動に向かわせているという。 ときにはスクラムの練習を数時間繰り返すなど、厳しい練習が課されることもあるが、チームの「志」はもちろん全国制覇。伝統の赤紺のジャージーに身を包んだ若きラガーメンは猪突猛進あるのみだ。 |






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