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元木由記雄氏が振り返るラグビー人生
強烈なインパクトを残した“タイソン” 疑いなき、日本ラグビー界のレジェンドである。元木由記雄。大阪工大高(現・常翔学園)2年で全国高校大会に優勝し、高校日本代表に選出。筋肉質の肉体と精悍な表情から、当時の世界最強ボクサーをもじって「ラグビー界のタイソン」と呼ばれた。明大1年で大学日本一に輝き、同2年で日本代表入り。ワールドカップには20歳で選出された1991年大会を皮切りに、1995年、1999年、2003年と4大会連続で戦いに臨んだ。1999年には、それまで日本最多だった林敏之の通算38キャップを更新。2005年までに79キャップを積み重ねた。
強靱な肉体と精緻なスキルで戦い続けた伝説のラガーマンが語る世界のラグビーとは――。
――元木さんにとってのラグビー、テストマッチ(国際試合)、そしてワールドカップの魅力を聞かせてください。
ラグビーというスポーツは、80分間という長い時間をかけて、非常にハードに戦う。フィジカル、メンタル、スキル、全ての面で限界を超えたところで戦うスポーツです。
それが、国代表同士の戦いであるテストマッチとなるとまたフィジカルレベルが上がる。判断力も、クリエイティブな能力も、より求められる。一人一人にかかる責任も大きくなります。
――元木さんは20歳の1991年から4度のワールドカップを経験されていますね。
1991年は初めてだったし、自分も試合に出るチャンスがなかったんですが、ちょうど世界のラグビーが水面下でプロ化に進んでいく境目の時期だったと思いますね。今振り返ると、当時の僕らの意識は『世界に勝つ』というよりは『どう世界に挑戦するか』という意識だったと思います。2015年のワールドカップで結果を出したときとか、サンウルブズでずっと世界の強敵と試合を重ねながらワールドカップを迎えるのとは、だいぶ違う条件で臨んでいました。 NZ戦の大敗「応援してくれている方々を裏切る形に…」――たくさんの試合を経験された中で、印象深い試合を挙げていただくと?
いろいろありますけど、やっぱり1995年南アフリカ大会のニュージーランド戦(17対145)はすごく印象に残っています。歴史的な大敗を喫してしまって、僕自身ももちろん悔しかったし、応援してくれている方々を裏切る形になってしまったけれど、あれが日本代表のスタートになった面もあると思います。
そのあと、1999年や2003年のワールドカップでは、ある程度、良い試合ができるようになりました。でも、後半の途中までは競り合っていても、最後は力の差が出てしまっていた。僕自身、最後の20分をどうしたら勝てるのかなと、そこをずっと考えていました。
――ワールドカップでは勝敗以外でもいろいろなことを経験されたのではないでしょうか。
1999年のウェールズ大会では、ミレニアムスタジアム(現プリンシパリティ・スタジアム)に7万人の観衆が集まった中で試合をしました。7万人が歌うウェールズの国歌は、鳥肌が立ちました。相手の国歌ではあるけれど、ラグビーの伝統の重みをすごく感じたし、テストマッチを戦う名誉を感じました。
2019年には日本でワールドカップが開かれますが、日本にもああいうラグビー文化が根づいてほしいと思いますね。次の日に会社や学校で『昨日の試合はすごかったな』とか、そういう会話がかわされるような存在に、ラグビーもなっていかなきゃと思います。 憧れていたのはフランスのラグビー――ワールドカップに4回出場しただけでなく、1996年にはバーバリアンズ(世界の一流選手が選ばれるチーム)に選ばれてスコットランドと対戦する栄誉を得ていますね。
世界中のラグビー選手にとって憧れのチームですが、自分が選ばれたと聞いたときは『え?』という感じで、ホントに現実感がありませんでした。うれしさ、誇り、そういうものを持つ余裕もなかった。でも、現地へ行ってチームが集合すると、周りは世界的に有名な選手ばかり。練習は試合の前日に1回やっただけだったけど、一流選手には練習がいらないんだなと思いました(笑)。細かいサインプレーは一切ないけれど『ここでボールが欲しいな』と思ったときはパスがくるし、『ここでは要らん』と思ったときはSO(スタンドオフ)が自分で仕掛けたり、蹴ったりする。当たり前のプレーを誰もが普通にこなしていることがすごいと思いましたね。
――海外のラグビーにはどんな印象をもっていましたか。
憧れていたのはフランスのラグビーですね。ラグビーを始めたばかりの小さい頃はフランスが好きでした。FL(フランカー)エリック・シャン、No.8(ナンバーエイト)ロドリゲス、CTB(センター)セラ、FB(フルバック)のブランコ……スター選手がそろっていて、ボールをつないでつないで、すごく面白いラグビーをしていた。世界でフランスだけが違うラグビーをしていて、カッコイイなと思って見ていました。
特にセラは、すごい体勢からパスを放ったりしていて、マネしてました。VHSのビデオテープを何度も巻き戻して見たりしていました(笑)。 京産大は『日本一を目指そう』と言えるチームに――日本開催のワールドカップが1年後に迫りました。元木さんはどういう形で関わろう、盛り上げようとお考えですか?
僕は今、京産大のヘッドコーチをしているので、まずはいい選手をラグビー界に送り出すことが一番の仕事だと思っています。それと同時に、ワールドカップのアンバサダーにもなっていますので、これまでラグビーと接点のなかった人たちにラグビーの魅力を感じてもらう、興味を持ってもらうことも自分の仕事だと思っています。2019年を日本ラグビーの新しいスタートにしないといけない。
ラグビーって、一言で言うと『絆』を感じるスポーツだと思うんです。スクラムでは、FW(フォワード)の選手は痛い思いをして、体を張ってボールを出してくれる。そのボールをスコアまで持っていくのはBK(バックス)の選手だったりするけれど、トライを決めた選手が派手に喜んだりしないのは、それまでボールを取ったり繋いだりしてくれた選手への感謝があるから。今はちょっと薄れてきたと言われるかもしれないけれど、選手同士の横とのつながりはラグビーの魅力だと思う。それはラグビーを知らない人にも感じ取ってもらえると思います。
――いまは京産大のヘッドコーチですね。
今年で6年目になります。まずは関西で優勝できるチームになって、全国でもいいゲームができるようになろう、と言ってずっとやってきましたが、一昨年、昨年と2年連続で全国ベスト8に入ることができて、今年はようやく『日本一を目指そう』と言えるチームになったと思います。狙えるチームになる可能性は十分ある、ということです。期待してください。 |
京産大ラグビー話題
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元日本代表の伊藤鐘史氏が京産大コーチ就任京産大のコーチに就任する伊藤鐘史氏。神山グラウンドで大西健監督) 春からは恩師とともに、大学日本一を目指す日々が始まる。
2月20日、日本代表、神戸製鋼でLOとして活躍し、2017年度限りで現役を引退した伊藤鐘史氏が、4月から母校・京都産業大学ラグビー部のFWコーチに就任することが発表された。
伊藤氏は京都市北区上賀茂にある大学で行われた記者会見に大西健監督とともに出席。抱負を述べた。
大西監督が教え子をFWコーチとして招いたのは、悲願である大学日本一を実現するため。 「5年前に元木(由記雄)コーチを招いた際に、“本気で帝京大学を倒して日本一になる”と言いました。しかし、まだ帝京大学が9連覇している状況が続いています。今回、彼を招いたのは、さらに一層“本気で帝京大学を倒すんだ、本気で日本一に挑戦するんだ”という強い意志を学生たちに示すためです」
伊藤氏は兵庫工でラグビーを始め、京産大に入学。1年からレギュラーとして活躍し、4年時には主将として、チームを関西大学リーグ2位に導いた。卒業後はリコーに入社、2009年度に神戸製鋼に移籍。2017年度で引退するまでトップリーグ135試合に出場した。2012年にはエディー・ジョーンズ日本代表前ヘッドコーチに才能を見出され、日本代表に招集された。2015年にイングランドで開催されたワールドカップにも出場。南アフリカを破ったチームの一員でもある。エディー・ジョーンズ氏の下でチームが強くなる過程を経験したことは、これからコーチを始める上で、大きなアドバンテージになる。
伊藤氏は「大西監督に4年間指導していただいたことで、社会人で15年間プレーすることができました」と、大学時代を振り返る。
「京都産業大学には2つの理念があって、ひとつは“いついかなる時も大学日本一を目指す”。もうひとつが“学生らしく一生懸命ひたむきに”ということ。このふたつの理念を実現するために、頑張っていきたいと思っています」
チームは今季、関西大学リーグ2位。大学選手権では準々決勝で明大に敗退している。伊藤新コーチは、春からは大西監督、元木コーチとスクラムを組んで関西大学リーグ優勝、そして打倒・関東勢を目指してグラウンドに立つ。
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2018年4月1日付けで、ラグビー部のフォワードコーチに、卒業生で元日本代表選手の伊藤 鐘史さん(2003年経済学部卒)が就任すると発表しました。
伊藤さんは、大学4年時に主将を務め、ジャパンラグビートップリーグのリコーブラックラムズや神戸製鋼コベルコスティーラーズで活躍。2012年に、31歳で初めて日本代表に選ばれ、2015年にイギリスで開催されたワールドカップに出場し、日本の大躍進に貢献しました。 大西監督は、「日本一を実現するために十分な力を持っている元木コーチ、伊藤コーチらと力を合わせ、本気で9連覇中の帝京大学を倒し、日本一になる」と宣戦布告。伊藤さんは、「京都産業大学の変わらぬ理念、『いついかなる時も大学日本一を目指す』、『学生らしく一生懸命、ひた向きに』という2つの理念を実現し、日本一になる」と抱負を述べました。 ※京都産業大学ラグビー部 全国大学選手権出場29回 全国大学選手権準決勝進出7回1983・1985・1990・1993・1994・1997・2006) 関西大学Aリーグ優勝4回(1990・1994・1997・1998) 日本代表としてワールドカップに出場した選手8人 田倉政憲 ワールドカップ1991・1995に出場。代表キャップ16 前田達也 ワールドカップ1991に出場。代表キャップ4 吉田 明 ワールドカップ1995・1999に出場。代表キャップ17 廣瀬佳司 ワールドカップ1995・1999・2003に出場。代表キャップ40 大畑大介 ワールドカップ1999・2003に出場。代表キャップ58 伊藤鐘史 ワールドカップ2015に出場。代表キャップ36 田中史朗 ワールドカップ2011・2015に出場。代表キャップ64 山下裕史 ワールドカップ2015に出場。代表キャップ49 |
元日本代表の伊藤鐘史氏就任関西大学ラグビーAリーグの京産大は20日、京都市内の同校で会見し、元日本代表ロックでOBの伊藤鐘史氏(37)がFWコーチに就任することを発表した。 新シーズンは大西健監督の下に、元木由記雄ヘッドコーチと田倉政憲、伊藤鐘史両FWコーチと、日本代表としてW杯を経験した3人がフルタイムで指導にあたる。 大学ラグビーは帝京大が1月に史上最多となる9連覇を達成。京産大は2季連続で大学選手権8強で敗れており、大西監督は「本気で帝京を倒す。宣戦布告の意思表示です」と伊藤氏のコーチ就任に動いた理由を説明。就任46年目となる大西監督は、来シーズン終了後に定年となるため「私はあと2年しかない。それまでに日本一になる夢をかなえてくれる人材がそろった。私には元木という右腕がいる。彼が入ったことで左腕も手に入れた」と語った。 京産大卒の伊藤氏は4年時には主将を務め、リコーを経て09年から神戸製鋼でプレーした。12年には31歳で日本代表に初選出され、15年W杯に出場。日本代表キャップ36で、昨季限りで引退した。 日本代表時代にエディー・ジョーンズ監督(現イングランド代表監督)の指導も受けた伊藤氏は「私の現役時代、繰り返したくない4年間が二度ある。それは京産大時代の大西先生の4年間と、エディー・ジョーンズの4年間。その4年は、考えられないくらい走った。でも、その二度の4年間で、人間としての基礎を作って頂いた。ぶれない、妥協しない、それが私のラグビー選手としての基盤にある。努力を止めないことと、夢を追って取り組むことを(部員に)伝えたい」と話した。 就任は4月1日から。伝統の強力FWにさらに磨きをかけ、悲願の大学日本一を目指す。 |
京都産業大学 対 明治大学を…。ジャパンが23-23と引き分けた、2017年11月25日のフランス戦もいい試合だった。
(写真/Getty Images) あなたの1票が誌面構成に反映される、かも。
シーズン終了後の恒例、『ラグマガ読者が選ぶBEST OF 2017-2018』のファン投票を募集中です。2017-2018年シーズンのラグビー界最大のトピックはなんだった? 記憶に残った試合、シーンは? いちばん活躍した選手は?
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皆さんのオピニオンが、ラグビーマガジンの誌面を作ります。
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