7人制女子ラグビーWS北九州大会開幕 17歳松田が2トライラグビー7人制女子の国際大会、ワールドシリーズ(WS)第4戦の北九州大会が20日、北九州市のミクニワールドスタジアム北九州で開幕し、各組4チームによる予選リーグでA組の日本は3戦全敗で最下位となった。21日は9〜12位の順位決定戦に回る。 日本は初戦で昨夏の7人制女子ワールドカップ(W杯)を制したニュージーランドに0−43で完敗した反省から、2戦目以降は積極的なアタックを展開。同W杯準優勝のフランスに19−33と健闘し、ロシア戦は後半途中まで21−14でリードした。終盤に2トライ(2ゴール)を許して敗れたが、中村知春主将(アルカス熊谷)は「昨年までと違い、(互角に)戦える時間が長くなった」と手応えをつかんだ。 今月初めに代表デビューし、WS初出場だった17歳の松田凛日(りんか)(国学院栃木高)はロシア戦で2トライと大暴れ。15人制男子元日本代表の努さんを父に持つ新星は「持ち味の強く前に出る動きでトライを取れた」と来年の東京五輪に向けて自信を深めた。 |
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元ボブスレー日本代表・押切麻李亜、舞台は冬から夏へ―。中札内村出身で元ボブスレー日本代表の押切麻李亜(まりあ、24)=ぷらう、帯広南商高出=が、女子ラグビー転向で夏季五輪出場を目指す。18年平昌五輪出場を逃して心機一転、昨春にラグビーのニュージーランド留学に参加して転向を決意した。小学時代はスピードスケートに打ち込み、高校では陸上とボブスレーを両立。自身4つ目の競技で、悲願の五輪出場を目指す。 その目に迷いはなかった。押切は、昨年4月から北海道バーバリアンズディアナに所属し、28日開幕の「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2019」に向けて調整を積んでいる。「冬場は合宿に呼んでもらったり、すごくいい経験をさせてもらった。昨年よりも上達していると思う。初戦からいいプレーができるようにしたい」と言葉に力を込めた。 ボブスレーでは、2017年世界選手権(ドイツ)の2人乗りで男女通じて日本勢最高の7位。平昌五輪代表に有力視されていたが、直前に代表から漏れた。失意のどん底だった昨年3月、親交のあった北海道バーバリアンズの関係者に誘われてニュージーランドでのラグビー留学に参加した。当初はボブスレーとの二刀流も考えていたが、押切は「やり始めたら難しくて。ちゃんと(ラグビーに)専念してやりたいと思った」。新天地で勝負する覚悟を決めた。 パワーなら負けない。2人乗りのボブスレーでは先頭のパイロットとして活躍。約200キロのソリに勢いをつけ、ハンドル操作を行う役を務めてきた。「日本人の中では(パワーは)ある方。ボブスレーでのトレーニングが生きている」と押切。昨季はフォワードで公式戦に出場。ボブスレーで培った推進力で、相手ディフェンスに猛突進した。 異色の競技人生を歩んできた。姉・美沙紀(26)=富士急=は平昌五輪スピードスケート代表。小学1年から姉とスピードスケートを始め、中学2年で陸上に転向した。帯広南商高では陸上とボブスレーを両立させた。卒業後にボブスレー一本に絞るなど、スピードスケート一筋の姉とは真逆だが、押切は「ラグビーを始めたのも五輪を目指すため。やるからには上を目指したい」。夢をかなえるために、押切は何度でも“トライ”する。(清藤 駿太) ◆押切 麻李亜(おしぎり・まりあ)1994年11月15日、中札内村生まれ。24歳。小学1年でスピードスケートを始める。中学2年で陸上に転向し、帯広南商高ではボブスレーとの二刀流だった。2012年ユース冬季五輪で8位。17年世界選手権2人乗りではパイロットを務め、日本男女最高成績となる7位。172・5センチ、74キロ。 |
残り20分の大きな壁/元日本代表CTB元木由記雄氏<俺のW杯(3)> ワールドカップ(W杯)経験者が語るシリーズ「俺のW杯」の第3回は、明大時代の91年大会から4大会連続でメンバー入りした元日本代表CTBの元木由記雄(47=現京産大ヘッドコーチ)です。幾度となく、強豪国と接戦を演じながらも「残り20分の壁」に阻まれてきました。届きそうで、届かなかった1勝−。その歴史を、振り返ります。 【写真】10年、平尾誠二GMから花束を贈られる元木由記雄氏 ◇ ◇ ◇ その時ふと夢を見た。ただ夢は夢であり、それから約25分後に会場に響くノーサイドの笛で目覚めると、現実はやはり残酷だった。 03年10月12日、W杯オーストラリア大会。日本の初戦はスコットランドだった。フランカー箕内主将、NO8伊藤らが体を張り、タックル成功率は相手を上回る82%。失点を最小限に止めた前半は6−15で折り返した。9点差を追う後半14分、SOミラーとCTB元木のループで相手防御を崩すと、最後はWTB小野沢が飛び込んでついに4点差。大波乱の予感を察した観衆はざわめき始めていた。 日本の負の歴史が変わるかもしれない−。そんな考えが元木の脳裏をかすめた。しかし、後半30分すぎに3連続トライを浴びる。結果は11−32の完敗だった。 「(小野沢の)トライの瞬間は『行ける』という思いと同時に、体がキツくなり始めていたんです。相手との力の差はあっても、ラスト20分までは(強豪と)戦えた。でも残り20分で相手を上回り、突き放す方法が確立されていなかった」 続く2戦目のフランスにも、後半途中まで19−20と粘りながら最終スコアは19−51。振り返れば95年南ア大会のアイルランド戦も後半20分まで21−26と接戦を演じながら、終盤に力尽きて28−50で敗れた。「残り20分」が大きな壁だった。 明大時代の91年に初めてW杯メンバー入りしてから、4大会連続で出場。世界の壁を破れぬまま、その03年が最後のW杯になった。 「どうやったら世界のトップ10の国に勝てるのか。ジャパンの時はずっと悩んでいました。考えても、考えても答えは出なかった。僕らの時代は(体力差で劣る)フィジカルを避けて、小手先で勝負をした。でも、小手先で勝てるほど世界は甘くない。(15年大会で)南アに勝ったエディー(ジョーンズ)がすごいのは、弱みを強みに変えたこと。勤勉な日本人にフィジカルやセットプレーで勝つことを求めて結果を出した」 日本代表キャップ数は79。長い現役生活で1つだけ、忘れたい試合がある。95年大会、17−145でニュージーランドに大敗した試合に、元木は出ていた。 「代表に誇りを持っていましたから。出ている選手には、責任の重さがあるんです。『はよ、終わってくれ』。ラグビーをしていて、そう思ったのは、あの試合だけ。全てが通用しない。辛い試合やった」 届きそうで、決して届くことのなかった世界との差。もがき、苦しみ、悩んだ時間があったからこそ現代表へ伝えたいことがある。 「サッカーは02年日韓大会で結果を残して、文化が根付いた。ラグビーも自国開催で結果を残すことができれば、新たなスタートを切ることができる。日本が成長していることを、世界に示してもらいたい」 心からそう願っている。(敬称略)【益子浩一】 ◆元木由記雄(もとき・ゆきお)1971年(昭46)8月27日、東大阪市生まれ。大阪工大高(現常翔学園)で全国制覇。明大で3度の大学選手権優勝。94年に神戸製鋼入りし7連覇を達成。日本代表79キャップ。10年に引退。現在は京産大のヘッドコーチ。 |
SH田中史朗、監督にも物申す激アツご意見番「衝突も必要」日本代表を史上初のW杯8強へ導く注目選手「推しメン」の5人目はSH田中史朗(34)=キヤノン=。2011年、15年W杯に出場し、南半球最高峰リーグ「スーパーラグビー」に日本人で初めて参戦するなど経験豊富なベテランは、日本代表の“ご意見番”としてヘッドコーチらにもの申すことも辞さない。使命感に燃え、史上初の8強入りを目指す。 最年長34歳の田中は“小さな激辛唐辛子”と呼ばれるご意見番だ。身長166センチで笑顔が印象的だが、相手が監督でもガブリとかみつくなど、負けん気は人一倍。16年に「負けるぐらいなら、嫌われる」という本を出版したほどで、「チームが良くなるためには衝突も必要なこと」と胸を張る。 京産大時代から監督と衝突し、15年W杯で日本を3勝に導いたエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチ(現イングランド代表監督)との口げんかも日常茶飯事だった。「お互いに納得する答えが出るまでとことんやり合えば、チームがハッピーになれる。日本人の悪いところは間違ってることを否定しないこと」と、言い切った。 13年に王国ニュージーランドに渡り“衝突は意思疎通を深めるツール”と確信した。日本人で初めて南半球の最高峰リーグ「スーパーラグビー」に参戦。4季加わったハイランダーズで15年には初優勝に貢献した。当時のチームはジェイミー・ジョセフ現日本代表HCが指揮官を務め、トニー・ブラウン代表コーチが右腕だった。「2人でしょっちゅう衝突してた。けど、ラグビーに対する構え方が熱かった」と、影響を受けた。 15年W杯では、献身的に支えてきた元バドミントン選手の智美夫人に、「命がけで戦うから、もし俺が死んだら新しいいい人見つけてな」と決死の覚悟を伝えて、歴史的3勝に貢献。19年大会に向け「めっちゃ燃え尽きた」時期があったが、「やっぱりラグビーが好き」と、くすぶる炎に油を注いだ。 使命は史上初の8強入り、そして「子供たちにラグビーの楽しさを伝えること」だ。「一人では何もできないけど、全員の力が集まれば何でもできる」。座右の銘は「信は力なり」。熱き魂を胸に、3度目のW杯に挑む。(小河原 俊哉) ◆田中 史朗(たなか・ふみあき)1985年1月3日、京都府生まれ。34歳。伏見工、京産大卒。2007年に三洋電機(現パナソニック)に加入し12季在籍。19年にキヤノンに移籍。08年初代表でキャップ数69。W杯は11、15年出場。14年に世界トップ選手が集う「バーバリアンズ」に日本人3人目の選出。家族は妻と1男1女。166センチ、72キロ。 |
【推しメン15】<3>FB松島“酔拳ステップ”で世界に切り込む 9月20日開幕のラグビーW杯日本大会に向け、スポーツ報知ではカウントダウン企画をスタート。第1弾特集「推しメン15(フィフティーン)」では、日本代表を史上初の8強へと導く注目選手15人を紹介する。 普段は物静かなFB松島幸太朗(26)=サントリー=は、W杯日本大会を「いいプレーヤーだと証明したい場」と力強く語る。現在、日本代表候補でニュージーランド遠征中。前回15年W杯で注目された五郎丸歩(33)=ヤマハ発動機=のポジションを継ぐが、持ち味は正反対の斬り込み隊長役だ。憧れの香港アクション俳優ジャッキー・チェンばりの“酔拳ステップ”で相手を幻惑する。 変幻自在のステップと当たりの強さは世界トップレベルの松島。前回W杯から4年を経て、自己主張の思いも強くなった。「W杯は自分がいいプレーヤーと証明したい場でもあるし、絶対、活躍したい」 物静かな男だが「自分を表現するツール」というラグビーではアグレッシブ。「学芸会とかでは口数の少ない役割を選んでいて。昔はシャイでしたけど、最近は違う」。得意分野では目立ちたがり屋。「好きじゃないところで目立つのは嫌いだけど、好きだと思った分野では目立ちたい。子供の頃の憧れがジャッキー・チェンで、ハリウッドスターとかアクションスターになりたかったんですよ」 生まれ故郷は南アフリカ。ジンバブエ人の父・ロドリクさん(故人)と母・多恵子さんの間に生まれた一人っ子で、6歳だった99年に日本に移住した。ラグビー人生の転機は桐蔭学園高卒業後、修業で故郷に単身渡ったことだった。「行ってきなさい。自分がしっかり成長できるところで頑張ってきて」と母の言葉に勇気づけられたが、ホームシックにもなった。「けど、振り返れば、あの南アフリカでの2年で人生を決断した。俺はラグビーで生きていくんだと」。同国のU―20代表候補にもなった。 15年W杯はウィングとして1次リーグ4戦すべてに先発し日本の3勝に貢献。当時、FBには絶対的な存在感を放った五郎丸がいた。キックが得意だった五郎丸とは対照的に、ポジションを継いだ松島は斬り込み隊長の役目を背負う。円陣の端っこにいた引っ込み思案は、今や中心のリーダー格に。「前は付いていくだけだったけど、今は率先して発言するようになった。ラン、ステップワークを一番見てほしい」。見せ場はジャッキーばりの“酔拳ステップ”。観客も酔いしれるプレーを見せつける。(小河原 俊哉) ◆松島 幸太朗(まつしま・こうたろう)1993年2月26日、南アフリカ・プレトリア生まれ。26歳。ポジションはFB。サントリー所属。ラグビーは南アで6歳から。桐蔭学園高2年時の09年度に花園で準優勝、10年度優勝。11年に南アのスーパーラグビー・シャークスのアカデミーに入団し12年の同国U―20代表候補に。初代表は14年5月でキャップ数30。178センチ、88キロ。 |





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