熟柿

熟柿

 町のスーパーに行くと賞味期限が切れた果物がワゴンに入れられて打っています。
 きょうちらっと覗いたら付け根が少し黒ずんだばななと裏が少し柔らかくなった柿が
ありました。どちらも半額です。買い物かごにあったバナナを戻し、半額のバナナと柿
をかごに入れました。安くなった分酒のつまみにぶりの刺身を買ってきました。
 私は、熟柿と柔らかいバナナが大好きです。とろとろになった熟柿は最高です。
 卵も半額でしたが今日が賞味期限なのでやめときました。台所に置いておく間に
ひょっこになったら大変です。(11月7日)

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失言大臣

失言大臣

このところ大臣の失言から辞任に追い込まれる事例が続いている。
党内には気の緩みを警戒する空気が広がっているそうである。
総理はその尻拭いに躍起になっている。
しかし、もっと根源的な問題が隠されているように思う。どういうことかというと、
彼らの失言は気の緩みどころか、彼らの体質から飛び出した本音音ではないかということである。
「これが東北でよかった」「首都圏だったら大変だった」という考えは、考えてみれば常識的な感想である。
ほとんどだれもがそう思い、そう口にするだろう。しかし、これはあくまでも通俗的な常識にすぎない。
少し良識を働かせれば、被災者の心情を逆なでする自己中心的な思考であることぐらい、すぐに判断できる。
にもかかわらずこういう発想に取りつかれるのは、発言者の阿りが良識の鏡を曇らせるからである。
価値観の判断喪失である。
「学芸員はがんだ」発言も根は同じだ。世をあげて観光資源を充実させようと努力している。政府も地方も
余念がない。役所は色々策を講じる。そこで学芸員にも一肌脱いでもらいたいくらいのことは考える。しかし、
彼は役場の観光課の職員ではない。れっきとした学芸員である。彼にはやるべき仕事がある。彼の非協力的態度はまさに「がん」である。こうした苦情への阿りが大臣の発言の背景にある。
これは上に立つ者の不遜な醜さであるが、権力者の偉そうな発言は、まさに常識的であるが良識的ではない。
これらは伝統的な日本的精神風土に根差したもので、失言どころの話では無い。
加藤周一はかって、大臣の失言問題に関して、「どうして1年に1回ずつそんな失言をするかといえば、かなり多くの人々が同じような考えを持っているからでしょう」と述べている。いわば国民が伝統的な精神風土に、どっかり漬かっている限り、政治家の精神構造もそれと同心円的にならざるをえない。東大の法学部出身の大臣にしてこの体たらくである以上、日本の近代化は百年清河を待つほどむなしい。



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失言大臣

失言大臣

このところ大臣の失言から辞任に追い込まれる事例が続いている。
党内には気の緩みを警戒する空気が広がっているそうである。
総理はその尻拭いに躍起になっている。
しかし、もっと根源的な問題が隠されているように思う。どういうことかというと、
彼らの失言は気の緩みどころか、彼らの体質から飛び出した本音音ではないかということである。
「これが東北でよかった」「首都圏だったら大変だった」という考えは、考えてみれば常識的な感想である。
ほとんどだれもがそう思い、そう口にするだろう。しかし、これはあくまでも通俗的な常識にすぎない。
少し良識を働かせれば、被災者の心情を逆なでする自己中心的な思考であることぐらい、すぐに判断できる。
にもかかわらずこういう発想に取りつかれるのは、発言者の阿りが良識の鏡を曇らせるからである。
価値観の判断喪失である。
「学芸員はがんだ」発言も根は同じだ。世をあげて観光資源を充実させようと努力している。政府も地方も
余念がない。役所は色々策を講じる。そこで学芸員にも一肌脱いでもらいたいくらいのことは考える。しかし、
彼は役場の観光課の職員ではない。れっきとした学芸員である。彼にはやるべき仕事がある。彼の非協力的態度はまさに「がん」である。こうした苦情への阿りが大臣の発言の背景にある。
これは上に立つ者の不遜な醜さであるが、権力者の偉そうな発言は、まさに常識的であるが良識的ではない。
これらは伝統的な日本的精神風土に根差したもので、失言どころの話では無い。
加藤周一はかって、大臣の失言問題に関して、「どうして1年に1回ずつそんな失言をするかといえば、かなり多くの人々が同じような考えを持っているからでしょう」と述べている。いわば国民が伝統的な精神風土に、どっかり漬かっている限り、政治家の精神構造もそれと同心円的にならざるをえない。東大の法学部出身の大臣にしてこの体たらくである以上、日本の近代化は百年清河を待つほどむなしい。



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コワイ安倍内閣(3)

 この趣旨に、稲田をはじめ閣僚のほぼ全員が賛同し会員になっている。稲田は道徳規範を教育勅語の核だと詭弁を弄しているが、本末転倒である。彼女は(閣僚は)教育勅語の核心が「主権在君ならびに神話的国家観にある(48年衆議院議決)」ことを、百も承知であるはずである。
 内閣の決議は、この核心に触れずに教材として使うことがあたかも可能であるかのような言い逃れをしている点で国民を愚弄している。教育勅語を教材として使うことは必然的に憲法98条を犯すことにならざるを得ない。これまでも平然として安倍内閣は憲法を蹂躙してきたが、ここにきてその体質を鮮明にしてきた。
 恐るべき内閣である。国民の各論反対総論賛成の消極的支持で命脈を保っている内閣は早期に退陣させなければ、国民は不幸になるだろう。#

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コワイ安倍内閣(2)

 そもそも「国柄」をめぐる議論は、戦後70年を節目に改憲論がクローズアップされるのと軌を一にして広がりを見せていた。この流れは安倍内閣の誕生によって勢いを増した感がある。彼らが主張する「国柄」とはいうまでもなく新憲法の全否定により、明治帝国憲法の精神を復活させることにある。そのための「草の根」の運動が「日本会議」であり、実践的運動体の中枢が安倍内閣である。「日本会議」の特別顧問は、安倍であり麻生であるという。
 その「日本会議」の全貌は、すでに菅野完『日本会議の研究』などによって詳らかにされているが、ここでは文芸評論家の加藤典洋の指摘を紹介したい。彼は2014年の米議会報告書を引用しつつ次のように述べている。

   日本会議は、伝統的な自分の国の価値観の再興に向けた「草の根」
  の 「国民運動」をめざし、皇室を中心とした「美しい日本」を再建し、
  「教育の正常化」を推進し、改憲を通じて国の「自主独立」をめざすこと
  を趣旨とした団体である。


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