失言大臣

失言大臣

このところ大臣の失言から辞任に追い込まれる事例が続いている。
党内には気の緩みを警戒する空気が広がっているそうである。
総理はその尻拭いに躍起になっている。
しかし、もっと根源的な問題が隠されているように思う。どういうことかというと、
彼らの失言は気の緩みどころか、彼らの体質から飛び出した本音音ではないかということである。
「これが東北でよかった」「首都圏だったら大変だった」という考えは、考えてみれば常識的な感想である。
ほとんどだれもがそう思い、そう口にするだろう。しかし、これはあくまでも通俗的な常識にすぎない。
少し良識を働かせれば、被災者の心情を逆なでする自己中心的な思考であることぐらい、すぐに判断できる。
にもかかわらずこういう発想に取りつかれるのは、発言者の阿りが良識の鏡を曇らせるからである。
価値観の判断喪失である。
「学芸員はがんだ」発言も根は同じだ。世をあげて観光資源を充実させようと努力している。政府も地方も
余念がない。役所は色々策を講じる。そこで学芸員にも一肌脱いでもらいたいくらいのことは考える。しかし、
彼は役場の観光課の職員ではない。れっきとした学芸員である。彼にはやるべき仕事がある。彼の非協力的態度はまさに「がん」である。こうした苦情への阿りが大臣の発言の背景にある。
これは上に立つ者の不遜な醜さであるが、権力者の偉そうな発言は、まさに常識的であるが良識的ではない。
これらは伝統的な日本的精神風土に根差したもので、失言どころの話では無い。
加藤周一はかって、大臣の失言問題に関して、「どうして1年に1回ずつそんな失言をするかといえば、かなり多くの人々が同じような考えを持っているからでしょう」と述べている。いわば国民が伝統的な精神風土に、どっかり漬かっている限り、政治家の精神構造もそれと同心円的にならざるをえない。東大の法学部出身の大臣にしてこの体たらくである以上、日本の近代化は百年清河を待つほどむなしい。



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失言大臣

失言大臣

このところ大臣の失言から辞任に追い込まれる事例が続いている。
党内には気の緩みを警戒する空気が広がっているそうである。
総理はその尻拭いに躍起になっている。
しかし、もっと根源的な問題が隠されているように思う。どういうことかというと、
彼らの失言は気の緩みどころか、彼らの体質から飛び出した本音音ではないかということである。
「これが東北でよかった」「首都圏だったら大変だった」という考えは、考えてみれば常識的な感想である。
ほとんどだれもがそう思い、そう口にするだろう。しかし、これはあくまでも通俗的な常識にすぎない。
少し良識を働かせれば、被災者の心情を逆なでする自己中心的な思考であることぐらい、すぐに判断できる。
にもかかわらずこういう発想に取りつかれるのは、発言者の阿りが良識の鏡を曇らせるからである。
価値観の判断喪失である。
「学芸員はがんだ」発言も根は同じだ。世をあげて観光資源を充実させようと努力している。政府も地方も
余念がない。役所は色々策を講じる。そこで学芸員にも一肌脱いでもらいたいくらいのことは考える。しかし、
彼は役場の観光課の職員ではない。れっきとした学芸員である。彼にはやるべき仕事がある。彼の非協力的態度はまさに「がん」である。こうした苦情への阿りが大臣の発言の背景にある。
これは上に立つ者の不遜な醜さであるが、権力者の偉そうな発言は、まさに常識的であるが良識的ではない。
これらは伝統的な日本的精神風土に根差したもので、失言どころの話では無い。
加藤周一はかって、大臣の失言問題に関して、「どうして1年に1回ずつそんな失言をするかといえば、かなり多くの人々が同じような考えを持っているからでしょう」と述べている。いわば国民が伝統的な精神風土に、どっかり漬かっている限り、政治家の精神構造もそれと同心円的にならざるをえない。東大の法学部出身の大臣にしてこの体たらくである以上、日本の近代化は百年清河を待つほどむなしい。



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コワイ安倍内閣(3)

 この趣旨に、稲田をはじめ閣僚のほぼ全員が賛同し会員になっている。稲田は道徳規範を教育勅語の核だと詭弁を弄しているが、本末転倒である。彼女は(閣僚は)教育勅語の核心が「主権在君ならびに神話的国家観にある(48年衆議院議決)」ことを、百も承知であるはずである。
 内閣の決議は、この核心に触れずに教材として使うことがあたかも可能であるかのような言い逃れをしている点で国民を愚弄している。教育勅語を教材として使うことは必然的に憲法98条を犯すことにならざるを得ない。これまでも平然として安倍内閣は憲法を蹂躙してきたが、ここにきてその体質を鮮明にしてきた。
 恐るべき内閣である。国民の各論反対総論賛成の消極的支持で命脈を保っている内閣は早期に退陣させなければ、国民は不幸になるだろう。#

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コワイ安倍内閣(2)

 そもそも「国柄」をめぐる議論は、戦後70年を節目に改憲論がクローズアップされるのと軌を一にして広がりを見せていた。この流れは安倍内閣の誕生によって勢いを増した感がある。彼らが主張する「国柄」とはいうまでもなく新憲法の全否定により、明治帝国憲法の精神を復活させることにある。そのための「草の根」の運動が「日本会議」であり、実践的運動体の中枢が安倍内閣である。「日本会議」の特別顧問は、安倍であり麻生であるという。
 その「日本会議」の全貌は、すでに菅野完『日本会議の研究』などによって詳らかにされているが、ここでは文芸評論家の加藤典洋の指摘を紹介したい。彼は2014年の米議会報告書を引用しつつ次のように述べている。

   日本会議は、伝統的な自分の国の価値観の再興に向けた「草の根」
  の 「国民運動」をめざし、皇室を中心とした「美しい日本」を再建し、
  「教育の正常化」を推進し、改憲を通じて国の「自主独立」をめざすこと
  を趣旨とした団体である。


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怖い安倍内閣(1)

北朝鮮も怖いが、安倍内閣も怖い。先日「恭二として教育勅語を使用することを否定するものではない」旨の閣議決定がなされた。これは「親孝行や友達を大切にするとかそういう教育勅語の核の部分は今も大切なもの」だとする稲田防衛大臣の国会答弁を、彼女の個人的な信条を吐露したものだとする安倍のフォローが偽りであることを証明するもので、閣僚すべてが共有する価値観であることを自ら認めたものである。これを受けてさっそく文科大臣も教育現場での教育勅語の使用を認めたのは当然である。さらに道徳の教科書のパン屋を和菓子屋に差し替えるという笑えないエピソードも飛び出した。
こういう事態に直面して「コワイ」と思わないような良心的国民がいるだろうか。森本学園問題もこの観点からとらえ直す必要がある。たまたまテレビの画像に映った学園の看板に「肇国舎」とあるのを目にした人がいるだろうか。まさに皇国史観を建学の理念に掲げた学校であることは明らかである。
この精神に安倍夫妻が共鳴したところに事の発端がある。だから「水穂の国」の小学校建立の際に、賛同し寄付をすることは全く自然の道理である。これを否定する論理は成り立たない。逆に籠池から安倍に献金したら大問題だ。これが安倍の郷里の学校への寄付なら美談に終わるだろう。「寄付して何が悪い」と本来なら開き直るべきだった。それを意地を張ったところに国民は疑念を抱いた。

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