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先ごろ、「名古屋レールアーカイブス(NRA)」の会報(News)の最新号(No.7:http://nagoyarail-acv.or.jp/nra/NRAnews07.pdf ※直リンクは避けておきます)を閲覧していたら、非常に興味深い記事が目を惹きました。
「名古屋レールアーカイブス」とは、かのパノラマカーの開発の中心のお一人であった白井昭さんらが中心になって設立された特定非営利活動法人(NPO)で、そのWebサイトにある設立趣意によれば、ひとことでは「鉄道資料を後世に伝える」 ことが目的であり、活動としては”鉄道写真・各種一次資料・乗車券・書籍などの保存と、その活用を行って”いるそうです。
NRA会報や時折鉄道雑誌に発表される白井昭さんの、特に東海地方の鉄道や名鉄に関しての記事は、元名鉄の技術者であり鉄道愛好者であられるというその視点から、非常に興味深いものばかりで、いつも楽しみに拝読しています。
前置きはさておき、その興味深い記事というのは・・・
「名鉄モ3400形の飯田入り」
という見出しです。
記事によりますと、
昭和15年11月12日から13日にかけて、「いもむし」こと名鉄3400系が飯田で一泊で、名古屋からの直通往復試運転が行われた
・・・というのです。
「飯田」といっても、名古屋の人や名鉄ファンにはにはなじみ深い、かつては小牧線の終点だった、北区の「上飯田」ではありません。
(それじゃあ何にも興味深くないですね
それは、長野県の「飯田市」です。
掲げられている長野の当時の新聞記事によれば、その後の昭和15年12月からは、毎日2往復の本運転が行われると、公表もされています。
名鉄の枠にとらわれないその壮大な構想、そして飯田線の風景の中を走るいもむし、飯田の駅にいもむしが停車している光景・・・なんだか、わくわくしてきませんか?
ルートの主体になる飯田線が国有化前されるのはその後の1943年(昭和18年)で、Wikipediaによればくだんの昭和15年には、豊川鉄道(豊橋〜大海)・鳳来寺鉄道(大海〜三河川合)・三信鉄道(三河川合〜天竜峡)・伊那電気鉄道(天竜峡〜辰野)と分かれていました。
すなわち、この本運転が実現していれば、5社直通運転が定期で行われていたことになります。
いやあ、スケールの大きい話ではありませんか。
試運転とはいえ、あの「いもむし」が飯田市まで行っていたなんて、想像するだけでも楽しい話です。
(残念ながら定期運転には至らなかったようです
その時代にタイムマシンで飛んで、見てみたい気分です。
今ではJ○東海のおえらい様からも、「閑散路線だから3セクに移管してしまえ」なんていう冷たい声もあると聞く飯田線も、その昔には地元の有志がこぞって開通させた、熱気あふれる路線だったんですねえ。
その大幹線を通って、名古屋から伊那谷へ直通列車が走る。
途中停車駅もごく少ない「快速電車」。
中央自動車道なんてまだ影も形もなく、名古屋と飯田の間の交通手段は飯田街道(で徒歩?)、あるいは幾つもの鉄道の乗り継ぎしかなかった昔、地元の皆さんにとっては、一大エポックだったことでしょうね。
さて、私がいかにロートルといっても
8年前に伊奈〜犬山間往復で催行された『パノラマカー白帯8連で行く犬山の旅』における見学から。
見学目的地の犬山検査場の奥に姿を現した、「いもむし」こと3400系。
当時、いもむしは定期運用を失って約半年が経ち、去就が名鉄ファンの関心の的でした。
ク2401側から。
この写真を見て気付きましたが、パンタグラフが上がっていたのはもちろん、室内にも灯が入っています。
当時定期運用を失って、犬山検査場の真ん中の露天の留置線でひたすらパンタを下ろして寝ている日々でしたが、この位置に移動して下さったのはもちろん、「生きているいもむしの姿を、見学者に見せてあげよう」という、犬山検査場の方々の心意気が感じられる姿ではないでしょうか。
モ3401側から。
昭和15年といえば、いもむしも登場して4年目の新鋭車。いろいろな塗色をまとった同車ですが、当時は実際、この緑色の塗装であったことでしょう。
事実、先述のNRA Newsの記事の中に掲げられている新聞記事本文中には
『名鐵の青い流線型快速電車』
と述べられています。
あの「流電」こと、晩年に飯田線の主だったクモハ52(当時は鉄道省モハ52)はこの時代、京阪神地区の急行運用で飯田線にはまだ縁もなく、この新型電車の姿を見た、時の伊那谷の方々の興奮はいかばかりだったでしょうか。
余談:
この記事を書くにあたり、飯田線関連についていろいろ調べていたんですが、面白い事実を再確認しました。
飯田線の本長篠から豊橋鉄道田口線(昭和43年廃止)という私鉄が出ていたのは、知る人ぞ知る(特に廃線探訪マニアには)事実ですが、この田口線は、昭和31年までは田口鉄道という私鉄でした。
昭和20年代後半には、当時狭軌(1067mm)であり地下の新名古屋駅構内で名鉄とつながっていた近鉄から(もちろん名鉄からも)、その田口鉄道まで団体列車が直通運転したことがあったという事実です。
これは、田口鉄道の沿線にある鳳来寺への参拝の便を図る団体臨時列車であったそうです。
本記事のいもむし飯田直通と同様、あの幻の田口鉄道へ近鉄から直通列車が走っていたなんて、壮大でロマンあふれるお話だと思いませんか?
(5月4日追記:上記、近鉄が田口鉄道へ乗り入れ、というエピソ−ドは随分昔に鉄道雑誌で読んだ記憶がありますが、今回の記事作成に当たり、Wikipediaで再確認することができました。)
(※注:この時代は、飯田線へは名鉄小坂井支線(昭和29年廃止)で、小坂井駅で連絡していました。
豊橋(昭和18年までは吉田)を経由せず直通するので、所要時間的には短くて済みました)
※画像はすべて犬山検査場にて、'02.2.22撮影
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3400系(いもむし)
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