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いろいろな風景が見えました。
17日・19日・20日・21日
家族でどうにか乗り越えました。
飲酒運転は「しなければ」罪にはなりません
法律が変化していくのは
状況に応じて・・・
大切なんだと感じました。
これまで、法律を作っている人、どんな思いで作ってきたのだろう
きっとひとりの命を救いたいともう気持ちがあってできた法律がたくさんあるのだな
とそう思いました。
そう思うと「危険運転致死傷罪」は多くの遺族の人の思いで始まり
それに賛同した人のおもいが募ったものだとおもいます
それにはたくさんの犠牲者が・・・
悲しいです。。。
人の思いは必ず何かをつなげる思いなり形になります。
人との出会いが人生を変えていきますが、ここまでこれた・・・・
「想い」を伝える人でありたいと思います。
飲酒運転をさせない環境をめざして・・・
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今日の日記
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応援してます






人は、どんなに優れた理性のある人格者でも、時として過ちを侵してしまうものだと思います。その過ちが犯罪と呼ぶ程になるか否かは紙一重です。
交通事故はそれが顕著な事柄の一つでしょう。うっかり…注意したつもり…それで起こしてしまうこともあります。
他人事ではありません。
日々、様々なパターンの事故が起こり、それに伴う新たな法律が犠牲者が出た後で成立しています。
《罪と罰》
罰を受けないために罪を犯さない努力…
それが法律の所在になってしまうと、ちょっと、人間の不完全さ未熟さを感じますね。
いつの時代も、まずは法律より犠牲者が先に存在するんです。
その度に『犠牲を無駄にしないで』と誰かが訴えます。
いっそのこと、酒類を扱う飲食店は駐車場を設けてはいけない…という法律でも出来れば、飲酒運転は激減するのでしょうか?
しませんよね。
罰より怖いもの。
それは、自分への過信や甘さ。
それに気付くきっかけが何より必要なんでしょうね。
人間なんて、誰もがみんな不完全なのですから。
加害者になるも被害者になるも、明日は我が身かもしれないのですから。
2011/1/23(日) 午前 3:58 [ 14番目の月 ]
14番目の月さま
法律ってとっても難しいものです。
交通事故は誰もが起こす可能性のあるものです。
私でも可能性があります。
ですが、「飲酒運転」は違います。
飲酒運転は必ず防げます。
「犠牲を無駄にしないで」
その重みを知ったのは、事故の被害者になってしまったから・・・
・・・法律を変えようと「心から叫んでる人がいるんだ」と思いました。
でも、すべては耳に入りません。
まず、法律より、心がゆとりがあるように
きっと今回の私たちの事故も「日常の飲酒運転の」積み重ねです。
酒店だけを犠牲にすることも、したたくない。
それは、店主の人だって、生活をしないとだから・・・
では・・・
法律は守らないといけない
その後の社会的な変化については
私たち自身が、1人1人の個人が「相手」を思いやることができる事が出来れば、一番いいことだと思います。
何よりも、「相手を思いやる」事が事故や事件を一つでもなくす道だと私は思います。
小さな事でも「一日一善」がみんなができるといいですね。
私もそうして生きていきたいです。
2011/1/23(日) 午後 0:07 [ Ozawa juri ]