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ここまで聞いてくださり、誠にありがとうございました。
○委員長(魚住裕一郎君) ありがとうございました。 次に、泉澤参考人にお願いいたします。泉澤参考人。 ○参考人(泉澤章君) 弁護士の泉澤と申します。肩書は長いものがたくさん付いておりますが、ただ、今日は一人の刑事弁護人としてここに来て、裁判員裁判に関する話をしたいというふうに思います。 お手元にレジュメを配っておりますが、これに従ってお話をしていきたいと思います。 まず、裁判員裁判、これを導入したときですが、私たち弁護士の間でも様々な意見がありました。今までの硬直化した裁判、官僚的裁判を、国民の司法参加、一般の市民の方々の社会常識を反映させることによって打破するという意味もあるのだろうという意見もございました。ただ、裁判員法一条、これが制定されており、これは司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資すると書いておりますが、国民の司法参加への一般市民の社会常識を反映ということは書かれておりません。 当初あった解説によれば、現在の刑事裁判は基本的にきちんと機能しているという評価を前提として、新しい時代にふさわしく、国民にとってより身近な司法を実現するための手段として導入されたとある裁判官の方が解説で書かれております。果たしてそうでしょうか。 その後、刑事司法を取り巻く状況は激変と言ってよかったというふうに思います。偶然かもしれませんが、裁判員裁判が施行された二〇〇九年五月二十一日以降、非常に大きな刑事司法をめぐる状況の変化があったというふうに思います。 一つは足利事件。これは同じ年の五月にDNA鑑定が他人であるということが分かった事件で、私もその弁護団の一員として活動しておりましたが、この足利事件、また布川事件、東電女性社員殺人事件等が再審無罪になるということで、連日マスコミを騒がせたのは御記憶のことだというふうに思います。昨年は死刑事件であります袴田事件、これが、まだ即時抗告審が続いておりますが、再審開始決定が出ております。 このような重大冤罪事件、これまでの刑事裁判において重大な冤罪事件があったのだということが皆さんの目の前に明るみに出たということです。また、厚労省事件、これは最終的には村木さんが無罪になりましたけれども、これをきっかけとして、検察、そして裁判所、さらには刑事司法そのものへの国民の信頼がかなり低下したのではないかというふうに思います。 このような国民の言ってみれば世論を背景にして、検察の在り方検討会議や法制審特別部会、これらが設置されて、新しい刑事司法改革はどうなのだという議論が続けられてきたのだというふうに思います。 このような言ってみれば裁判員裁判施行後の事情を見ると、やはり既存の刑事司法は果たして本当にきちんと機能していたのだろうか、こういう疑問が私はあるというふうに思います。現在の刑事司法が基本的にきちんと機能しているという評価を前提とするという当初の理念は、これはやはり置き換えるべきである。そういう意味では、裁判員法一条、この理念は、やはり一般市民の方々の社会常識が反映される、そのような国民の司法参加、この点に非常に重点を置くべきではないかというふうに私は考えます。 さて、日本国憲法の問題を少し話します。 憲法が刑事手続について詳細な規定を置いているのは皆さんも御存じかと思います。人権規定の中でやはり分量としても一番多いことになっています。憲法三十一条以下、もちろん通常の裁判に関する規定もございますが、四十条まで、これが刑事手続に関する規定になっております。 なぜ憲法上このような刑事手続に関する規定が詳細に規定されているのか。それはやはり、刑事事件、これによって対象とされる人は個人。被疑者、被告人は、国家という大きな権力との間で対峙するという究極の場に置かれるからだというふうに思います。また、そのように習いました。 刑事裁判の手続の原則である推定無罪の原則であるとか、また疑わしきは被告人の利益、このような原則を前提とした刑事手続、その一環として、要するに刑事手続の一環としての裁判員裁判制度、これにも当然ながら生かされるべきであるというふうに私は思います。一人の無辜も罰してはいけない、この考え方が前提となって裁判員裁判制度も運用されるべきであるし、また、改正が必要なのであれば改正されるべきであるというふうに考えます。 その意味で、裁判員裁判の存在意義は、国民の司法参加によって、刑事裁判、この中で特に事実認定がありますけれども、に社会常識を反映させて、最終的には誤判や冤罪を防止すること、そこにこそ重点が置かれるべきではないかなというふうに私、刑事弁護人の立場としては考えます。 事実認定と書いたのは、やはり事実認定、事実のあるなしについては、裁判官はもちろん慣れてはいるでしょうが、プロというふうには言えないと思います。一般市民の方々も、一般の社会の中で生きてきて事実の有無についてはきちんと判断ができる、こういう前提に立っているからこそ、私たちはその国民の常識というものを信頼できるのだというふうに思います。国民の司法参加の持つ非常に積極的な意義、これを重視して私たちは裁判員裁判制度を運用すべきであるし、制度を担っていくべきであるというふうに思います。 最初に述べました裁判員法一条におけるこの理念、これは、現在の刑事裁判が基本的にきちんと機能しているんだと国民に理解してもらう、刑事裁判を理解してもらうというふうなものであれば、国民はやはり客体でしかないわけなのです。教え導かれる客体としての国民でしかないというふうに思います。 しかし、国民の司法参加の持つ積極的意義を考えれば、もはや国民は単なる客体として見ることはできないと思います。民主主義を支える主体としての国民、これが司法の場に参加することこそが積極的な意義を持つのだというふうに思います。それゆえ、国民のこの司法参加を安易に制約するということは、私はできないというふうに考えます。 さて、視点を若干変えまして、私も刑事弁護人ですので、一番気になるのはやはり冤罪です。これらの構造的原因が裁判員裁判とどう関係するかということについて、私の若干意見を述べさせていただきたいというふうに思います。 先ほど様々な冤罪事件が明るみになったというふうな話をしましたが、日本型冤罪事件、その構造の分析というのがされておりまして、様々な原因が言われております。 例えば、長期の被疑者、被告人の身体的拘留、いわゆる人質司法と呼ばれますが、そのようなことや、捜査機関による密室取調べ、そしてそこで得られた自白、これが裁判所では非常に偏重される、そして調書裁判、証拠の偏在、弁護人や被告人の方にはなかなか自らに有利な証拠というものが手に入らない、また弁護人による防御権が弱い、様々なことが言われております。 これらにより今までの重大な冤罪も発生してきたとすれば、それらは裁判員裁判制度が成立することによってどう変容してきたのかということを私は考えるべきだというふうに思います。もちろん、裁判員裁判制度は対象事件が限られておりますから、刑事裁判一般の議論にそのままストレートに入らないかもしれませんが、やはり裁判員裁判制度が今までの、従来の刑事司法に与えた影響というのは、私はあるというふうに思います。 長期の身体的拘束はまだ続いておりますが、しかし、保釈率の上昇ということも言われております。捜査機関による密室の取調べは、これは現在、全面可視化の議論に行っています。まだ遅々として進まないところはあるでしょうが、そのような議論に進んでいる。自白の偏重と調書裁判については、裁判員裁判は公判中心主義によるのだというふうにされ、またそのような運用もかなり進んでおります。証拠の偏在については、証拠の開示、類型証拠開示や争点関連証拠の開示で進んでいるというふうになっています。また、弁護人の防御権についても様々な試行がなされているという、そういうプラス面も私はあるというふうに思います。 個人的体験によると、私も裁判員裁判の否認事件を担当しまして、昨年、千葉地裁で無罪事件を一つ獲得いたしました。それはなぜそうなったかというと、私の分析によると、やはり証拠の開示が非常に全体的なものがなされたということと、それを、裁判長の一つの力量もあったのかもしれませんが、非常に絞り込まずに裁判において出し、また裁判員の方々に適切にそれらを示して説明、指摘を受けたと、そういうところがあったのだというふうに思います。 ただ、マイナス面というものを見逃せませんでした。非常に期間はタイトです、短いです。これはやはり裁判員の方々に負担を掛けないという面はあるかもしれませんが、しかし、ちゃんとした刑事裁判をやるのであれば、ある程度のやはり負担は、私は免れないというふうに思います。この点については、やはり改善する必要があるのじゃないかなというふうに私は考えました。 さて、最後に、裁判員裁判制度改定を含む現在の司法制度改革について、その論議に望むものについて幾つかお話をしたいと思います。 一つは、今まで話してきました国民の司法参加の積極的意義を前進させるために、ここに求められているものを是非議論していただきたいというふうに思います。率直に言えば、国民の司法参加を広げるという意味、前進させるという意味での例えば否認事件の選択権であるとか、そういうことについては議論していただきたいなというふうに私は考えます。 さらに、裁判員制度それだけではなく、それを含めた一体としての刑事司法制度改革の視点としても、先ほど言った、例えば誤判のもとになっておる様々な原因を払拭するような制度改革を更に進めていただきたい。可視化、また証拠開示、特に全面開示を私たち弁護士は求めてきましたが、そういうことについて更に前進させていただきたい。今、ほかのところでは刑事訴訟法等一部改正案も議論になっているようですが、そこではむしろ治安立法であるとか司法取引のような、私から見れば、残念ながら冤罪の可能性を含むような制度が取り上げられようとしていることについては、私自体は危惧を抱いております。 いずれにしましても、国民の司法参加の積極的意義、これを前進させるような議論を是非していただきたい。また、一体としての刑事司法制度改革、これを是非進めて、更に広めて、刑事司法を本当に国民のものとして、誤判、冤罪をなくす社会制度を是非先生方にはつくっていただきたいと切に願う次第であります。 御清聴ありがとうございました。 ○委員長(魚住裕一郎君) ありがとうございました。 以上で参考人の意見陳述は終わりました。 これより参考人に対する質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。 ○三宅伸吾君 自由民主党、三宅伸吾でございます。 本日は、小木曽様、小沢様、泉澤様、貴重なお時間を割いていただき、すばらしいお話を賜りまして、本当にありがとうございました。 まず最初に、小木曽参考人と泉澤参考人にちょっとお話を伺いたいと思います。 小沢参考人から、胸の痛むような体験の中から幾つかの制度改正の御提案がございました。例えば、整理手続の中で被害者の弁護人もちょっと参加させてもらえないかとか、幾つかあったかと思いますけれども、法律家から見て、小木曽様、泉澤様、小沢様の御提案についてどのような御感想をお持ちになったか、まず小木曽様からお聞かせいただけないかと思います。 ○参考人(小木曽綾君) 公判前整理手続に被害者又はその依頼を受けた弁護士を参加させるべきであるという議論があることは承知しております。 ただ、被害者参加人の手続における地位というのは非常に微妙、刑事訴訟法上の地位ということですが、これは、済みません、我々は理屈屋ですので理屈で申しますけれども、被害者参加人というのは、訴訟の当事者として訴因を設定したり証拠調べを請求したり、それから上訴したりするという権利は与えられておりません。 検察官の主張、立証に対して被告人から反論を加えて、その結果、検察官の証明責任が果たされているということを判断するのが裁判の目的であるということになっておりまして、これが現行法のいわゆる訴訟構造と言われるものであります。そういう仕組みで裁判するんだということですね。ですから、公判での主張、立証の対象は、公益の代表者たる検察官とそれから被告人の間で決定されるものでありまして、それを決定する場が公判整理手続であるということになっております。したがいまして、その本体の訴訟で当事者でない被害者の参加人がここに加わるということを理論的に説明することは難しいと私は考えております。 ただし、刑事訴訟法は、検察官が被害者参加人と意思疎通を図って訴訟活動について十分に説明することを求めておりますし、また、公判前整理手続が終了した後でも裁判所には職権で必要と認める証拠調べをすることが認められているのは、小沢参考人がおっしゃったとおりだと思います。 したがいまして、適切な公判前手続の運用でありますとか訴訟指揮が行われれば、事実認定や量刑について法律の範囲内で必要な証拠が取り調べられないということにはなっていないと考えております。 以上です。 ○参考人(泉澤章君) 私、刑事被疑者、被告人の弁護を多く担当してきました。ただ、先ほど被害者の方の話を聞いて、法律家に、特に私どもにも足りなかったのは、やはり被害者の方々の人権が守られているのかということであったというふうに私自身も思っております。ただ、事裁判になって、じゃどういう制度がよろしいのかということを考えた場合に、やはり先ほど小木曽先生がおっしゃったように、様々な難しい問題があると思います。 ただ、共通していることも一つありました。先ほど小沢さんのお話を聞いていて、非常に私参考になりました。例えば、市民感覚を入れることが裁判員裁判をつくった理由だったと、ゆえに一般市民の感覚というものを大事にしてほしいということ、それが一つ。 もう一つは証拠の採用についてでありますが、手続では証拠を絞り過ぎていると、裁判員の負担にばかり配慮する裁判所の運用というのは、これは真相を十分に解明できず不満が残るというふうなお話をなさいました。私もそれは同感であります。立場は違えど、やはり刑事司法において事案の真相を明らかにするということについて言えば、証拠を絞り過ぎるということについては、これは運用としてはよろしくないというふうに私自身も考えております。 先ほど、千葉の裁判、私が体験した話もしましたが、これは被疑者、被告人の立場に立ってみても有利な証拠を裁判所が絞り過ぎるということがありますが、先ほどの裁判ではそれを絞らずに、ある程度これを裁判員の方々に見せて判断を委ねたということをいたしました。私は、それが最終的には、もちろん結果がよろしかったからよろしいというわけではなくて、そのような運用がやはり裁判員にとっても納得がいく裁判の結果として表れたのではないかなというふうに思いましたので、非常にその点は参考になった次第であります。 以上です。 ○三宅伸吾君 小沢参考人にお聞きをいたします。 お話の中で、やっぱり市民感覚の意義、市民感覚という言葉がやっぱりキーワードだと思っております。裁判員裁判は、いわゆる一般の国民が裁判官と一緒に議論をして刑の重さ、量刑を決めるわけであります。 ただ、最近、高等裁判所とか最高裁判所におきまして、裁判員裁判の判決の量刑よりもっと緩くする、例えば死刑を無期懲役にするとか懲役十五年を十年にするとか、そういう高裁、上告の判決が出ております。当然、高裁、最高裁は職業裁判官だけで議論をして一審の裁判員裁判の判断を覆しているわけでございますけれども、そういう仕組みにつきまして、小沢さんはどういうふうに思われますでしょうか。 ○参考人(小沢樹里君) 確かに、本当にそういうことがあります。一審で裁判員裁判ですが、日本ではまだ二審であったりとかに関しては裁判員裁判にはなっていませんが、諸外国、フランスやドイツやイタリアなどに関しては二審であっても裁判員裁判を取り入れているそうなんですね。であれば、やはり日本も同じようにして市民感覚をしっかりと取り入れた裁判を最後までしていただくことで、法律と国民の間の差が開かないようにしていただければなと思います。 以上です。 ○三宅伸吾君 この点に関しまして、今年に入って三件、最高裁におきまして、一審の死刑判決を無期懲役に変えた高裁判決を支持する最高裁の決定が出ております。その判決の中に、こういう補足意見の表現がございます。裁判員裁判は刑事裁判に国民の良識を反映させるという趣旨で導入されたはずであるのに、それが控訴審の職業裁判官の判断のみによって変更されるのであれば裁判員裁判導入の意味がないのではないかとの批判もあり得るところであると。結論は逆になっているんでございますけど、こういう指摘があるということを千葉裁判官は指摘をされておられます。 その点につきまして、泉澤参考人と小木曽参考人、この裁判員裁判の結論と異なる上訴審の判決の在り方につきまして、御意見ございましたら是非お聞かせください。 ○参考人(泉澤章君) 委員の先生がおっしゃったように、確かに最近、上級審において裁判員裁判が覆される、特に死刑事件について非常にマスコミでも有名になりました。ただ、これは今までも、例えば裁判員裁判で無罪になったものが控訴審で有罪になる、逆の例もまたあるわけなんですね。日本は三審制を取っておりますので、もちろんそういうことはあるんでしょう。 ただ、私は、一般市民の感覚を取り入れるという意味での裁判員裁判の制度趣旨に基づけば、先ほどの少数意見にもありましたけれども、その人たちによって出た判決というのはやはり非常に重みがあるというふうに思います。 ただ、私ども刑事弁護人からいうと、しかし、やはり刑事弁護の原理の中では疑わしきは被告人の利益にもありますし、それだけではなくて、言ってみれば被疑者、被告人の方々の利益というか権利もあるわけで、要するに無罪を主張する権利というものがあるわけですね。それが控訴審において疑わしきは被告人の利益にということに立ち返って無罪になるという例があるとすれば、それ自体はやはりあり得るものだというふうに私は考えております。 ただ、諸外国においては控訴審、上訴審においてもやはり、これは多分陪審とか参審裁判だというふうに思いますけれども、あるというふうに私もお話を聞きました。制度の一つとしてはそういうことも私はあり得るんではないかなというふうには思っております。 ○参考人(小木曽綾君) 裁判を国の制度として動かすということは、結局、その制度を国民の共有財産として維持するということだろうと思います。被告人に生命、身体、財産を奪うような制裁を科す、その際には、そのプロセスが国民に理解できるような言葉で語られて、そして国民が納得できる結論であって初めて正当であるということが裁判員を支える理念でもあろうと思います。 ただ、そのような立法趣旨、裁判員制度の目的であるとすれば、裁判に裁判員が参加して評議を尽くすということ自体に意義があるというふうにも見られるわけでありまして、裁判員裁判での結論、量刑や事実認定が尊重されるべきであるにしても、事実認定のルールに反する認定や過去の事例との比較で全く不合理に、しかも十分な説明なく重い刑が科される、例えばですね、例えば重い刑が科される、つまりその裁判に携わった者の一時的な感情で量刑が決せられるということがあるとすれば、むしろ司法制度への信頼が失われることになるのではないかと思います。 したがいまして、罪刑の均衡という観点から裁判官による審査があったり、事実認定について裁判員裁判の判断と異なる判断が上訴審であるということは、むしろ司法制度としては健全なありようではないかと見ることもできると思います。 ○三宅伸吾君 今回の法案は、長期間の場合等にベンチトライアル、裁判員裁判ではない職業裁判官だけにする例外規定を追加するということであります。現行法でも、裁判員法第二条三項に、争いがない事件等については、裁判員四人、裁判官一人、こういう例外の小さな裁判体を予定しているわけでございますけれども、これまで一度もこの規定による裁判が行われておりません。 新しい、この著しく長期に掛かるやつで裁判員を六人もお願いするのは大変だということで例外をつくる一方で、現行法の裁判員の少ない合議体を一回も形成していないということにつきまして、泉澤さんと小木曽さんはどう思われますでしょうか。 ○参考人(泉澤章君) 少ない裁判体でまだやられていない、この点について私は、御質問の趣旨はよく分かりましたが、余り考えたこと、検討したことはございませんでした。 ただ、長期裁判の場合にやっぱり例外を設けるということについては、これは私の知る限りでも、かなりこの制度をつくるときにもさんざん議論されてきたことだというふうに思いました。それによって今の制度ができ上がっているというところだと思います。実際に施行してみて、さいたま地裁とか、かなり長い例もありました。でも、それはいろいろな工夫をした上で、やはりそれは裁判としては成り立っているわけでございます。 私が思うに、いろいろ議論した末、しかしこの裁判において長期裁判であっても例外を求めないということはなぜかというと、やはりそれは裁判員裁判の意義があったんだと思います。やはり重大な裁判、事件について国民に司法参加していただいて、国民のそれこそ意見や感覚をそういう重大な裁判こそ反映させるのが、これが裁判員裁判であると。多分そのような趣旨に基づいて、私が考えるには、やはり例外を設けなかった。むしろ、やり方はいろいろあるでしょうと、そのうちにできた例えば区分審理の問題とか、いろいろなことを工夫することでできるであろうというふうに考えたんだと思います。 先ほど小さな裁判体の例がありましたけれども、それがあるけれどもなされていない。逆に、大きな裁判というか、通常の裁判員裁判においてまだ例外に当たるような事由も、多分今でもないというふうに言われているわけですよね、現実には。それを何となく架空で想像して、それを制度として求めるというのはちょっと違うのではないかなと私自身は思っております。 ○参考人(小木曽綾君) 小さな裁判体で行うという制度は、重大な事件でしかし争いがないものについてはそれで行うという関心で設けてあるものでありますけれども、今法案になっているのは、争いがあるとかないとかということよりは、長期にわたるのでその部分の裁判員の負担を考慮したということですので、両者の狙いはそれぞれ別であろうというふうに考えております。 ○三宅伸吾君 終わります。 ○小川敏夫君 民主党の小川敏夫でございます。 今日は、参考人の皆様、貴重な御意見ありがとうございます。 それで、まず泉澤参考人にお尋ねいたします。 御意見の趣旨として、裁判員制度というものを肯定的に捉えていただき、その一つとして冤罪を生むのを防止する、冤罪の防止、そうした面での効果もあるという御意見であるとお伺いいたしましたけれども、冤罪の防止そのものは刑事訴訟法全体の問題で大きな問題でありますけれども、しかし、この裁判員制度が冤罪の防止に寄与しているということであれば、それは大変好ましいことだというふうに思います。 そうした面から、裁判員裁判が冤罪の防止という面で有効に機能しているというところをもう少し詳しくお話しいただいて、さらに、そうした面で、冤罪の防止という観点から、裁判員裁判の制度をこのように改善したい、改正したいというような御意見ももしございましたら、御披露していただきたいと思います。 ○参考人(泉澤章君) 今の御質問の中で、裁判員裁判が冤罪の防止にとって非常に前進というか、させるものであるというふうなことだと思いますが、当初、やはりこの裁判員裁判制度が導入されるときには、むしろ冤罪を生むのではないか、多くするのではないかという議論もありました。例えば、証拠を非常に圧縮して出させるとか、弁護側の主張について、また立証についても非常に絞るとか、そういう議論がございました。 〔委員長退席、理事熊谷大君着席〕 私は、手放しで裁判員裁判制度が冤罪の防止に役立つというふうには思いません。ただ、今までの少なくとも運用の中で前進面があったとすれば証拠ですね。証拠をできるだけ出させる、前に出させる、類型証拠開示や争点関連証拠でも出させるということがあったというふうに思います。これまで証拠の偏在によって弁護側が証拠をなかなか見れないということがございました。これがやはり冤罪の一つの原因だったわけであって、これを、裁判員裁判が公判前整理手続とドッキングさせることによって事前に開示させるということとなった、これは一つの私は前進ではなかったかなと思います。 ただ、これは非常に危ないところもございまして、先生方も御存じだと思いますけれども、要するに、本当に全部出たのかということについて言えば、まだそれはよく分からないところがございます。 全て開示ということになっておりませんのと、あともう一つ、やはり弁護側の主張や立証を公判前整理手続で全部もう出しなさいということになってしまうと、やはり私ども弁護士は事件になってから仕事として入っていくわけであって、言ってみれば後から入っていくわけですよね。そうなった場合、無罪を主張するための証拠がなかなかない。その下で、早くとにかく言えと、なぜ無罪になるのかということを言われても困るわけですね。そういうことがもしも運用の面で厳しくなれば、むしろ、じっくりやれば無罪だったものが有罪になってしまう可能性も私はあるというふうに思います。だから、手放しで喜ぶわけにはいかない。 ただ、先ほど言ったように、証拠について、類型証拠開示や争点関連証拠開示で今のところはかなりの証拠が出ているし、あと検察官も運用によって任意開示で大分出すということになっておりますので、これをかなり早い段階で検察側が運用していただければ、これは一つ冤罪をなくすための前進になるのではないかなというふうに思います。これが一番私としては体験的には大きな一つの前進面だったというふうに思いました。 ○小川敏夫君 小木曽参考人にお尋ねいたします。 小木曽参考人のお話の前提として、小木曽参考人もこの裁判員制度を肯定的に捉えていらっしゃるというふうに私思ったわけでございますが、泉澤参考人の方からは、冤罪防止という面から、この裁判員制度、肯定的な御意見いただきました。あるいは、小沢参考人からは、裁判員裁判によって被害者の立場の声も聞いていただいたという面で、裁判員制度に肯定的な御意見をいただきました。 こうした面で、裁判員制度について小木曽参考人はどのようにお考えになっているか、御意見をお聞かせいただければと思いますが。 ○参考人(小木曽綾君) まず、誤判の防止ということですけれども、陪審制度にしても参審制度にしても、それを導入している国の制度趣旨、目的が誤判防止にあるというふうには私は考えてはおりません。 例えば、英米の陪審制度であれば、これは国の処罰権から個人を守る盾であるということでありまして、歴史的には、有罪であることが証拠上明らかであっても、有罪にすると極めて重い刑罰が科されるということが分かっているものをあえて無罪評決をするということが行われた時期もございます。 参審制度は、いろんな国のものがあると思いますけれども、例えばフランスでは、フランス革命のときにイギリスの制度を学んで参審制度を入れたわけですけれども、これは、それまで貴族に独占されていた国政、裁判を含む国政を国民の手に取り戻すというか、国民のものにするということで革命が行われ、併せて裁判にも国民が参加するということになったものでありまして、そのときの目的が、事実認定を正確にする、つまり誤判を防止するということではなかっただろうと思います。 ただ、先ほどからお話出ておりますように、市民感覚が反映されるということで、結果的に、裁判官が見る物の見方とそれに国民の見る物の見方が合わさって、そこで議論がされることによって有罪だったものが無罪ということになるということはあるのだろうと思います。ただ、この施行後の数を見ますと、有罪率も控訴率も裁判員制度が始まる前と後でほとんど変わっていないのではなかったかと私は記憶しております。 そうすると、では、なぜ肯定的に評価するのかということですけれども、そのようにして国民がそれに参加すると、刑事裁判というのはこういうものかと、被告人の自由、財産、場合によっては生命まで刑罰として奪うという、裁判というのはこういうものかということが、裁判員が理解する、ひいてはそれが国民の理解につながると。 犯罪というのはどこか社会の問題を反映するものですから、やがて、そうした実務が積み重ねられることによって、どうして被告人はそういう行為に出たんだろうということを社会全体の問題として考えるということになっていくことを期待しております。 ○小川敏夫君 参考人お三方にお尋ねしますが、裁判員裁判というものがうまく機能して国民に受け入れられているという状況が迎えられているというふうに思いますし、今日、参考人のお三方の御意見も、裁判員制度について前向きな、肯定的な御意見であるというふうにお伺いいたしましたが、私は、こうして順調に来た裁判員裁判、より国民の司法参加を広げるという意味でこの対象を広げてはどうかというふうにも思っております。 具体的には、対象事件を広げるとか、あるいは地裁だけでなくて高裁でも裁判員の仕組みを導入するとかいうような形で、裁判員の裁判を拡大するというのかな、要するに制度の適用を広げていく方向で検討したらいいのではないかと私自身は思っておるんですが、参考人お三方はそれぞれいかがでございましょうか。 あと、泉澤参考人、小木曽参考人の御意見いただきましたが、もしそれに対する御意見がありましたら、それも付け加えていただいて結構でございます。 ○参考人(泉澤章君) 私も、裁判員裁判ができたから冤罪や誤判が防止されるとは考えておりませんし、やはり、何度も言っておりますように、これの運用の仕方や理念によっては逆のことになることだってあり得るんだというふうに思います。そこはまずははっきりさせておきたいというふうに思います。 その上で、あとは、小木曽先生の考え方もございますでしょうけれども、私はやはり弁護士の立場なので、ちょっと個人的なことかもしれませんが、やはり今まで私たちの先輩方というのは非常に大きな事件を扱ってきた、最終的には無罪になったんだけれども、その間には非常に努力というか死闘を繰り広げてきたという先輩方がたくさんいます。私は自由法曹団という団体に入っておるんですけれども、そこはかつて松川事件とかいろんな事件をやった弁護士が多くて、私も上田誠吉先生とか非常に高名な弁護士に憧れて弁護士になったというのがあります。 その立場からいうと、彼らに私が聞いたので、一番何が今まで苦労しましたかと聞くと、裁判官全てではないですけれども、やはり非常に官僚的な裁判官の考え方、裁判所の対応等について、どうこれを打破していくかということについて非常に苦労したという話を聞きました。 だから、これに対して、国民の一般的な感覚が入ることによってその点だけでも変わっていけばやはり裁判も変わっていくのではないかというふうに、もちろんそんな単純にはいかないかもしれませんけれども、考えて、私はこの裁判員裁判の前進が冤罪、誤判の防止になればいいと、また、そういうふうに運用すべきだし、していくべきだというふうに思ったという次第なんです。 それが一つと、もう一つ御質問にありました対象を広げたらどうかということなんですけれども、その意味では私もそう思います。単純に対象を広げるというよりも、刑事裁判制度が一体となって、やはり冤罪、誤判の防止、きちんとした市民感覚を反映した手続を、言ってみれば、何といいますか、つくっていく、その中で対象を広げていく。 例えば、可視化の問題一つ取っても、今は裁判員裁判ということとあと特捜事件にしか適用されないというような議論がございますけれども、仮にもしも裁判員裁判を多少広げるのであれば、多分可視化の範囲も当然ながら広げなきゃ駄目でしょうし、証拠の開示の範囲も広げなきゃならない。そういうこともみんな一緒になって広げていくということが、私はこれは本当は一番正しいやり方だと思います。もちろん試行錯誤ややり方の順序がありますでしょうけれども、結論的に私はそれが一番正しい方法ではないかなというふうに思っている次第です。 以上です。 ○参考人(小沢樹里君) 私は、その対象を広げるということに関しても、高裁で裁判員裁判をやはり入れるということも非常にいいんではないかなと思います。 というのも、やはり私自身、裁判員裁判を経験したときに、先ほども言いましたけど、証拠の制限であったりとかした場合であっても、市民感覚が入って、自分たちが見たいという要望というのはやはり周りも見たいと思って当然だと思いますし、実を言うと私自身も候補者として選ばれたことがありました。最後の最後までは、ちょうど最後のところで落とされてしまったんですが、すごくやはりもうそこに行くまでの間に覚悟して、行こう、しっかり見届けようと思っていた人が周りにも多かったように感じます。 もちろん中にはちょっと困ったなという方もいると思いますが、随分と市民の中でも浸透してきたんじゃないかなと思いますし、また、私たち被害者にとっても、被害者の意見を聞くだけではなくて加害者の意見も引き出すという面では、裁判員の意見というのは非常に大切なんじゃないかなと考えております。 以上です。 ○参考人(小木曽綾君) この法案が、長期にわたる場合には負担が重くなるからというようなことを理由にしているということもあるわけですけれども、それでもその負担を背負ってでもやるべきだという考え方ももちろんあると思いますけれども、一方で辞退率が上がっているということもあるわけでありまして、であればそれを上げればいいではないかという考え方はもちろんあるわけですけれども、刑事事件の対象を広げるということでいえば、それに係るやはり国民の負担、手続に係る人的、物的資源の配分として、そうしなければならないかどうかということとにらみ合わせながら考えなければいけないものだと思います。 それから、民事行政事件に広げていくということについては、これは将来の議論に委ねられるのだろうと思います。私は今現在それについて特定の意見を持っているわけではありません。 上訴ですけれども、刑事事件の上訴について裁判員をということですけれども、これ、三審制といいますけれども、第一審、二審、控訴審、上訴審、それぞれ役割が違っておりまして、現在の日本では、第一審の裁判の事実認定とそれから法律の適用、量刑等に誤りがあってそれが判決に影響を及ぼすという場合にだけ、その誤りの部分を審査するために上訴審が判断するという仕組みになっておりまして、上告審は憲法問題を主に担当するという役割分担になっております。ですので、控訴審、上訴審というのは、やはり法律の専門家が判断するということに適した場なのではないかというふうに考えております。 ○小川敏夫君 ありがとうございます。 ○矢倉克夫君 公明党の矢倉克夫です。 今日は、小木曽参考人、小沢参考人、泉澤参考人、大変貴重な御意見を賜りまして、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。とりわけ、小沢参考人からは、御自身の、また御家族のつらい経験等もこの場のような形でしっかりとまたお話しもいただきました。大変参考にさせていただきました。 私も法律家の端くれの一つではあるんですが、やはり法律家はどうしても、例えば刑事裁判とはこういうものであるべきだであったり、思考の部分で最初から枠を決めて議論をするところがありまして、また目的に向かって必要最小限のことを聞くというところがあるんですが。お話をお伺いもして、国民の観点、市民の観点というところからすると、被害者の方が聞きたいことを聞くという、そういう機会をしっかりと与えていく、その思いを伝える、ぶつけるという機会を大事にしていくということはやはり大事なことであるなと。目的としてもまたしっかり考えていかなければいけないところであるし、被害者の人権ということも考えていかなければいけない、更に検討しなきゃいけないことであるというふうに改めてお教えいただきました。本当にありがとうございます。 後ほど時間があればその点もまた御質問させていただきたいと思うんですが、ひとまず今日は法案のところを、まず先に裁判員制度のところで参考人に御質問をさせていただきたいと思います。 まず小沢参考人にちょっとお伺いしたいと思うんですが、今回の法案、一つは、審理が長くなる可能性のある裁判員裁判、そちらについては裁判員裁判の制度から除外をして普通の裁判官の裁判に戻すということが一つの問題になっています。大体それは長期がどれぐらいかというところなんですけれども、先ほど小沢参考人のお話の中でも、この裁判員裁判の制度というものの重要性の観点から考えると、裁判員の負担というところ、そこはある程度考慮をしなければ、考慮というのは、負担もやはり前提として考えなければいけないというような御意見もあったかと思います。 その負担とのバランスで、今回、裁判員制度から除外すべき部分というのはどれぐらいなのかというところが問題になっておりまして、今までですと、大体、選任から判決まで百二十五日間ぐらいが最長、あと百日間があったりとかするんですが、今までの議論ですと、それぐらいまでは裁判員として現に今までできてきたわけですので除外はしないだろうというような論調が非常に強い部分ではあります。 この点、他方で、長期にわたる裁判ほど国民の関心も高いわけですから裁判員裁判でやるべきではないかと、その辺りのバランスをどう捉えるのかというところが非常に問題なんですが、率直な御意見として、大体これぐらいであれば裁判員として負担を感じながらでもやはりやるべきではないかというところがもしございましたら、御意見をいただければと思います。 ○参考人(小沢樹里君) 非常に難しいことだと思います。百日の段階で、遺族がどのように関わっているかというその御遺族の状況であったり、事件の裁判体の、それこそ無罪を争うのか争わないかによってもすごく意見が分かれるのではないのかなと思うんですけれども、私だけの意見として考えるのであれば、やはり争う事件であって、遺族も関心があって、遺族がやりたいという意見があるのであれば、しっかりと裁判員裁判を取り入れてもらいたいなと思いますけれども、裁判員の意義というのがやはり非常に大きいと私は感じているものですから、百日で区切るのか百一日で区切るのかとかというような部分に関して、私自身で意見を言うのは非常にちょっと難しいのかなと感じています。 ただ、少なくとも裁判員の意義があるのではないかと思っております。 |
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