家族の光の中へ/ 小沢事件/あいの会〜活動〜

あいの会を立ち上げました。心の寄りどことが私も必要でした・・・

全体表示

[ リスト ]

矢倉克夫君 ありがとうございます。
 なかなか具体的に区切るというのは難しいというのは本当に私も感じているところではあります。ただ、御意見としては非常に、ありがとうございました、貴重なところでありました。
 同じ質問を泉澤参考人にさせていただきたいと思うんですが、先ほども冤罪防止等の観点からも裁判員裁判制度というのを評価される御意見ございました。そういう部分では、今回、この裁判員裁判制度の趣旨というところからであればできる限り裁判員裁判制度をやるべきなんですが、制度自体の趣旨を崩さないように一定の除外を認めたというところであります。
 この点についてどのようにお考えであるのか、御意見をいただければと思います。
参考人(泉澤章君) 結論からいうと、私も小沢参考人と同じように、なかなか、日数で区切るとかそういう客観的な基準を、仮にもしも例外を認めるとしたら基準を立てるというのは難しいと思います。
 やはり、最初に言いましたけれども、制度設計を最初考えたときに、さんざん議論した末、しかしここの部分について例外を設けなかったというのは、あり得べき制度としてやはり裁判員裁判でやるべきだという裁判については、工夫を幾つかしたり、その点について例えば改正があり得るとしても、例えば区分審理の問題なんかもそうだったんですけれども、しかしそれは制度を十分に活用できるのではないかということが前提だったと思います。その後出たいろんな長い裁判、百日を超えるような裁判、先ほど先生もおっしゃいましたけれども、でも、それでもやはりあれはできたわけですよね。
 また、じゃプラス何日だったら、プラス一週間だったらもうできなくなっていたかといったら、やっぱりそういうことはないわけであって、むしろそのときに求められるのは法曹三者の協力の仕方ですよね。協力というのは、裁判の進行や工夫の仕方。そこら辺がうまく工夫できてやれば、架空の論理ではやはり例外ということはあり得るかもしれませんけれども、それを言ってしまえば法律は全てそうなのであって、やはり先ほどの小沢参考人と同じように、あり得べき、つまり裁判員裁判としてあり得べきものであれば、裁判の対象なのであれば、私は裁判員裁判でやった方がよろしいというふうに考えております。
矢倉克夫君 ありがとうございます。
 おっしゃるとおり、できる限り裁判員裁判でやるべきであると。簡単にここから先はできるできないというふうに区切れるものではないというところはやはりあるかと思います。その点では、今お話もあった法曹三者の協力というものも、運用というものもこれからしっかりどうやっていくとかというところが大事であるかと思います。
 それで、小木曽参考人にお伺いしたいんですが、どうやってこれを区切っていくのかというところ、過去の例等で形式的に区切るというのはなかなか難しいというところであるかと思います。
 その上で、じゃ、著しく長期であるとか、そういうものを他方で全く個別に判断するだけではなかなか難しいところもあって、ある程度の基準を持って、しかし余り形式的に区切らないようにするにはどのような努力が今後必要であるのか、御教示いただければと思います。
参考人(小木曽綾君) これは部会の議論でもかなりな時間を掛けて議論があったところであります。先ほども申しましたように、何日で切ることはできないという結論に至ったというのは今までの議論のとおりであろうと思います。
 これは、自分が例えばどこかの会社に勤務していて週五日で働いていてという、そういう労働形態であったらどうだろうかというふうに考えたときに、今例えば何かの仕事をやっている、プロジェクトをやっているとかという仕事をしている、そこからどのくらい離れたら職業人としてやっていけるんだろうかというような視点でも議論はあったわけですけれども、また、それが四か月なのか六か月なのか一年なのかというような議論がありました。これも結局結論は出ませんでした。
 じゃ、将来的にもしそのような事態が生じたときにどうするのかということですが、これは初めから一年、二年掛かるということになれば、いかなる負担を強いてでも裁判員でやれということには無理があろうということであろうと思いますけれども。
 それより前の段階というのは、やはり選任手続に入ってみて呼出し掛けたけれども十分に集まらないというような事例が出てきて、これは当事者それから裁判所で考えて、どう考えても無理だよねということになったときにその判断がされて、そして、そういう事例が、めったにないといいながら積み重なるというのはちょっと矛盾しているんですけれども、しかし、過去にそういう事例があった、それと比べてどうだろうというふうにして、だんだんでき上がっていくのではないかというよりほかにお答えのしようがないようにも考えております。
矢倉克夫君 ありがとうございます。
 あと、先ほど小木曽参考人、四日間の事例を挙げられました。インフルエンザで解任された裁判員の方がいて、補充が見付からなかったと。たしか、これ水戸かどこかの事案だったかと思うんですけど。審理がある程度長期にわたるかどうかというところとはまた別の要素でやはり欠員が出ることもあるということを示されたんだと思います。
 そういう点では、例えば裁判員の補充の在り方とかもまた別途これから考えていかなければいけないと思うんですが、その辺り、また御教示、何か御意見ありましたら、いただければと思います。
参考人(小木曽綾君) これもやはり議論の過程で、それなら補充裁判員をできるだけたくさん置いておけばいいではないかという議論もありましたけれども、今法律では裁判員と同数以上の補充裁判員を置かないことになっていると思いますけれども、じゃそこの部分を改正して補充裁判員をたくさん置けばいいのかといいますと、しかし、補充裁判員というのは、そのために出てきて、裁判に列席はしますけれども評決権はないというような地位ですから、そういう役割を負う人をたくさんお願いするというのもこれもまたいかがなものだろうかということで、補充裁判員をたくさん置けばいいという解決にはならなかったものだと承知しております。
矢倉克夫君 ありがとうございます。
 ちょっと、最後の質問になるかもしれないんですが、今回の法案とは離れて、被害者の人権ということも今後やっぱりしっかりいろんな方面で考えていかなければいけないと、先ほども小沢参考人の話も聞いて私も思ったところであります。
 とりわけ、被告人の人権を重視をしていくのは、これはやはり様々な観点からも大事な部分であるんですが、他方で、国民の司法に対する信頼感、裁判制度そのものを維持する上でも、被害者の人権という部分もやはり強調してこれから考えていかなければいけないというところでございます。
 最後、ちょっと泉澤参考人、いろいろ刑事弁護等も担当されたお立場から、被害者の人権というところについて、今後課題とすべき、そしてどういうふうに考えていくのか、御意見等ございましたら、一言いただければと思います。
参考人(泉澤章君) 先ほども言いましたけれども、私も被疑者、被告人を守る立場から、刑事弁護人としてずっとやってきたというのがあります。
 ただ、そうはいえ、やはり、例えば実際交通事故のように、過失の責任はどうあれ人が亡くなったという事件もやるわけなんですね。犯人がまた全然別のところにいて亡くなった方というのと、ちょっとそれはまた性質が別になるというふうに思います。そういうときは私も、そういう方、御遺族のことはやっぱり考えざるを得ない。
 また、弁護士というのはやっぱり逆転する立場があるわけですね。要するに、同じように被害者の方の立場に立って民事訴訟の代理人になることもあると。非常に複雑な立場に置かれるわけなんですけれども。そのときにやはり一番考えるのは、先ほども言いましたが、憲法というのは細かい規定を置いて被疑者、被告人の権利を守っている、これは国と、個人というか、被疑者、被告人とが究極の場で対決する部分であるからだということを話したと思います。
 じゃ、被害者の方の人権はどうかというふうな話なんですけれども、被害者の方はもちろん憲法で人権、生命、自由、財産が守られているわけですね。これをどう具体化していくというのは、私の立場からはなかなか具体案というのは出てきませんけれども、やはりそれは非常に尊重されるべきだし、それでこそむしろ刑事司法制度だって円滑に回っていくんだというふうに思います。その点について、今までの弁護士としての立場から目が行き届かなかったり制度に対する無関心があったとすれば、私は率直にそれは反省すべきだなというふうには思っております。
 ただ、そうはいえ、やはりしかし最後に付け加えなきゃならないのは、私どもは、と同時に冤罪被害に遭った人もたくさん見ているわけです。袴田さんは、要するに、まだ再審開始決定は確定しておりませんけれども、四十数年間勾留されていて、率直に言ったら、精神的には回復ができるかできないかという立場に置かれている。私が弁護人であった菅家さんという方も十七年間無実の罪で、彼は完全に無実だったわけなんだけれども、ずっと拘留され続けたわけですよね。彼の生命、自由、財産、取り戻せませんよね、彼自身も。ということについて、やはり最終的には、私の立場からは、どうしていくのか、これを制度の上でどう彼らの自由や人権を守るためにできるのかということに、やっぱり究極のある種の少数者の人権を守るという立場からは考えざるを得ないというところにあります。
 ですので、簡単にバランスというふうに言えないことは重々承知はしておりますが、私の立場からは、やはり被害者の方の人権は本当に非常に重要である、しかし、やはり被疑者、被告人の方の人権というのが守られるようなきちんとした制度をつくっていかないと司法全体が立ち行かなくなるというふうに私は考えています。
 以上です。
理事(熊谷大君) 矢倉君、時間が来ております。
矢倉克夫君 もう終わります。
 両方守っていくように頑張っていきたいと思います。
 ありがとうございます。
真山勇一君 維新の党の真山勇一と申します。よろしくお願いいたします。
 今回のお三人の参考人の方、本当に貴重なお話をありがとうございました。
 お三方とも、私は、現行の裁判員制度というものをある程度実際に進めてきて評価をされているというふうに感じております。その一方で、この六年間の間にいろいろな問題も出てきているということの御指摘もそれぞれの立場から伺えたような気がします。
 私はちょっとお三方に、いわゆる証拠、裁判というのはやっぱり、真相は何か、真実は何かということには証拠がすごく大事だと思うので、その証拠ということについて御意見をまず伺いたいというふうに思うんですけれども。
 まず小沢参考人に伺いたいんですが、今日わざわざこうして、御自分の関わった裁判でこういうものを証拠で出したいということがあったけれどもそれがかなわなかったというお話を伺いました。そのときに当然、これを証拠として出したいといったときに、それはできませんという説明は受けたと思うんですね。その受けた説明というのは納得ができるものだったのかどうかということと、それから、証拠というのは、非常に衝撃度が強かったりとても証拠として出すには忍びないようなものだからということで除外されるというふうに解釈しているんですが、この写真自体は、私、個人的には証拠として出してもいいのではないかなという印象も受けたんですけれども、小沢参考人御自身がこれ証拠として採用すべきだという感じを持たれたかどうか、その辺りをまず伺いたいと思います。
参考人(小沢樹里君) 私たち自身は、この妹の写真をとにかく出したい、そして裁判員の方に見てもらって、二十代の若い子がこんなふうになってしまったのはこの事件があったからなんだというのを、結果としてそこであって、その先もこの子は一生負い続けるんだということを知ってもらいたかったんですね。なので、この証拠を絶対に見てもらいたいという思いを常に持ってやってきました。
 その中で、証拠の説明についてのお話ですが、一番最初は、時間がないからということで裁判官の方から言われたんだということを聞きました。時間の短縮ということを考えて、たくさん両親の笑顔の写真、それから妹の今の顔写真というのを出したかったんですが、じゃ、それをスライドにして速く流しますということもやりました。それから模造紙を作って、じゃ、これならば一瞬で見れるので、それでもいいから見てほしいということで様々な工夫をしましたが、最終的にはやはり裁判員の心情が揺らいでしまうというので却下されてしまったんですね。
 実際に裁判員の精神的負担というのをかなり主張されてきて感じたことなんですけれど、裁判員だからこそ当事者の、当時の被害者、加害者、どんな事件に関わってきたのかということをしっかり見ていただきたいというのを常に感じていました。被害者がどんな事件に巻き込まれてきたか、その無念というのがよく出ているものだと思います。
 実際に私たちは遺体の写真ということは出すことすらもできなかったんですが、そういう証拠が私たちの手元にあったらば、最低限の証拠として、動かない証拠として見ていただけたら、やはり事件の重大性であったりを判断する材料になったんではないかなというのを感じております。
真山勇一君 ありがとうございました。
 それで、もう一点、小沢さんにお伺いしたいんですけれども、裁判員裁判、それから被害者参加というのは、やっぱり一般の市民の感覚を裁判に取り入れるということでやってきているわけですけれども、先ほどのお話の中で、被害者側としての意識とそれから裁判員の意識というのは割と似ているところがあってよかったというふうな評価を伺ったんですが、逆に言ったら立場が全然違うわけですよね、被害者ということと、それから客観的に見る裁判員ということで。両方経験されていたらなおさらよかったと思うんですね。
 ちょっと裁判員としても選ばれたということをおっしゃっていたので、両方経験したら余計分かりいいんじゃないかと思うんですが、被害者参加ということで、被害者の立場で、裁判員の方でいろいろ言うことと、何か、逆に言うと同じ市民側だけれども、ううん、こういう辺りはちょっと感覚違うなとか、そんなことを感じられたことというのはあったでしょうか。
参考人(小沢樹里君) 私たちは遺族側ですが、ある日突然遺族になったわけで、そこまでの間というのは通常の、普通の人と同じ感覚を持ってきたんですね。
 今、ちょっとこれが合っているのかどうかというのは分からないんですが、今まで本当に裁判が始まって以来、まず先例というものは何かというのを非常に重視しているような傾向を感じたんです。ところが、裁判員が始まってから、前回、裁判官だけでやったときの先例をずっと持ち越していたら裁判員を入れた意味がやはりなくなってしまうと思うんですね。ある程度基準として裁判官だけでやってきたときの基準があったとしても、それを基に裁判員が新たに先例をつくっていくことが裁判員裁判の意義だと思うんですね。なので、今まではこうだった、今まではこうだったとはいえ、やはり市民感覚が入った以上、また一からつくっていく、また経験を積んでいく、法律をまた見ていくというのもとても大事なのではないかなと感じております。
真山勇一君 ありがとうございました。
 先ほどの小沢参考人の、この写真が証拠として採用されなかったことについて、泉澤参考人は証拠というのはできるだけ採用すべきだという御意見、先ほどおっしゃって、それから、小木曽参考人の方からはある程度絞り込むこともやむを得ないんじゃないかというお話をちょっと伺ったと思うんですけど、こういう写真が証拠として採用されないことについての考え方、それから証拠の全体の御意見というのをもう一度ちょっと伺いたいと思います。泉澤参考人の方から伺いたいと思います。
参考人(泉澤章君) まず、先ほどの写真のことですけれども、私もこの裁判、別に担当したわけではなかったので、なぜこれが出せなかったのかよく分からないというか、多分、公判前整理手続をやったのであれば、そこでかなり絞り込まれたのかなという気はしますが。私が見ても、個別の事件に別の弁護人が口を出すというのは本当によくないんですけれども、ただ、私が見た限りでは、やはり被害の感情もそうですし、被害の状況ですよね、状況をある種客観的に示しているということがあるので、確かに小沢参考人がなぜこれがというふうに思ったのはある程度うなずけるかなというふうには思います。ただ、あくまでも、私が担当していなかったので、外野からの声ですので余り参考にならないかもしれません。
 その上で、証拠のことなんですけれども、先ほどの繰り返しになるかもしれませんが、一番私ども裁判員裁判が開始されるというときに恐れたのが、やはり証拠が非常に絞り込まれるんじゃないかということだったんですよね。有罪方向に向けての証拠が絞り込まれるというのであれば、弁護人の立場からいえばそれはいいかもしれませんけれども、しかし、実は絞り込むという作業の中でこちらに有利な証拠だってあることもあるわけですよね。類型証拠開示や争点関連証拠開示で全部出ていればいいですけれども、そうじゃない可能性ももちろんあるわけでありますし。
 あともう一つは、やはり弁護側の立証のときにもやはり出したい証拠というのが実はあるわけなんです。それがやはり、いや、これは主張と関連しないとかそういうことで絞り込まれていくことによって、最終的には事件の真相、全体像が分からなくなるということもあり得ると。そうすると、言ってみれば、本当に弁護人のやり方、裁判体の対応等によって有罪、無罪がはっきり分かれてしまうと。ある程度、それこそ差があるかもしれませんけれども、それはいかがなものかなというふうには考えました。
 私ども、昨年やった千葉の裁判なんかでも、これも繰り返しになるかもしれませんが、弁護側の方でもこれは裁判の証拠として出したいんだと、ところが裁判所の方では、いや、それは何と関係するんだと、関連する証拠じゃなかったらやっぱりこちらはちょっとという話になって、率直に言ってかなりもめました。私も、裁判官に対して悪態つくわけじゃないですけれども、非常に緊張関係に立ったんですけれども、でも最終的にはやはり、こういう趣旨の下で出すということで裁判所としては認めた上で、適切な判断に私は至ったというふうに思います。そこでの裁判所の対応は最初はやはりいかがなものかと思ったんだけれども、最終的には適切な対応を取っていただいて出せたというふうに思います。それによって、やっぱり裁判員は証拠をきちんと見て事件の全体像が分かる。その中で、果たしてそれは犯人とされている人が認識あったのかなかったのかというところで判断したんだと思うんですよね。
 だから、証拠の絞り込みというのは審理をきちんとやるため、また合理的な期間でやるためには必要なのかもしれませんけれども、余り絞り込むと非常に危険だというのは今でも変わりません。これ、裁判員裁判自体が誤判や冤罪の防止に役立ち得ると先ほどありましたけれども、しかし、こういう点をこれからの運用で非常に絞り込んでしまったりすると逆の作用もあるんじゃないかというふうに私も考えています。
 以上です。
参考人(小木曽綾君) まず一般的なことですけれども、証拠調べを請求する際には、その証拠によって何を証明したいのかということを説明して、立証趣旨と言っていますけれども、証拠の請求をするということになっていますので、それによって何を立証するのか、その立証する事項というのは、被告人がその事実をやったのかやらないのかということに関する事実であったり、あるいは犯情と言っている悪質性に関する事情であったりするわけですけれども、それにそれぞれ関連する証拠であるからこの証拠を取り調べてもらいたいということになるわけであります。
   〔理事熊谷大君退席、委員長着席〕
 そのときに、裁判に何を期待するのかということとも関係すると思いますけれども、刑事裁判は検察側の立証が成功するかどうかということをめぐって争われるものですので、上の方で神様が見ていたような、いわゆる真実というものがその場で明らかになるという制度設計にはなっておりません。ただし、先ほど申しましたように、検察官が主張する、被告人がその行為をやったこと、どの程度悪かったのかといったことについて証明するのに必要な証拠であれば、それは当然採用されなければならないと思いますし、審理の計画を立ててしまって、時間がもうないからそれは見ないでくださいというのは、これは本末転倒であろうと思います。
 裁判員の場合は重い事件が対象ですから、当然、傷害、殺人ということはあるわけで、事案によっては凄惨な写真を見なければいけないということもあると思います。また、裁判を理解するというのであれば、見なければいけないものは見なければいけないのだと私は思います。例えば、暴行や傷害の程度が軽いんだというふうに被告人が言っているときに、いや重いんだという主張があった場合には、やはり見なければいけないだろうと思います。
 ただ、一方で、PTSDになったといって国を訴えているという事案もありますように、そこで見るか見ないか、それが必要か必要でないかという話になるわけですけれども、それによって裁判員が具合が悪くなるということがあってもいけないわけですので、それは適切に処理してもらわなければいけないというふうに思います。
 以上が一般論ですけれども、私も個別の事案については事情を知りませんから何とも申せませんけれども、これが採用されなかったということについての可能性としては、恐らくその被告人が事実について争いがある段階で受傷の程度を示す写真を見せてはいけないというふうに考えたのか、それから、裁判員がそれを見てショックを受けるというふうに考えたのかと思いますけれども、受傷の程度を示す証拠であれば、これは当然見るべき証拠ではないかというふうに考えます。ただし、事実に争いがあるときにビジュアルで物を見せられますと、争いがある場合にはその判断に何らか不当な影響が及ぶおそれがあるということは一般的には言えるのだと思います。
真山勇一君 お三方の御意見、ありがとうございました。これからの審議でも是非生かしていきたいというふうに思っております。
 どうもありがとうございました。
仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
 今日は三人の参考人の皆さん、本当にありがとうございました。
 裁判員の参加によって事実認定に社会常識を反映させるという点について、まず小沢参考人からお尋ねをしたいと思うんですけれども、亡くなられた義理の御両親と、そして弟さん、妹さんに心からお見舞いとお悔やみを申し上げたいと思います。
 参考人意見の中で、危険運転致死傷幇助罪で同乗者二人が実刑判決を受けた事件に参加をされて、その中での裁判員の補充尋問のお話がありました。A被告人とB被告人の会社内での役職上が横並びであっても、実際は被告人二人の間に上下関係があったことを裁判員の質問によって的確に浮き彫りになったと。その後、職権でB被告人の検察の供述調書が採用されたという、この市民感覚の反映が判決にどのように結び付いたか、生きたかというのは、もちろん裁判員ではなかったわけですからその評議の中身は分からないとは思うんですけれども、被害者御遺族としてどんなふうに感じられたかというのはいかがでしょうか。
参考人(小沢樹里君) まず、そこについては、やはり危険運転致死傷というのはハンドルを持った加害者ですが、危険運転致死傷幇助罪というのはハンドルを持たない犯罪者なわけです。どこでハンドルを持つだけの幇助をしたのかというのをしっかりと裁判員が理解するとなったときに、その車中の中でどのような会話があったかないかというものを検察側の供述調書の中にはしっかりと書いてあったんですね。それを見たいと、そこに書いてあるんじゃないかというのが裁判の中で争われて、最終的には、そこに関して裁判員の方から見たいということを言われたんです。
 実際にはここは争わないという話だったんですが、被告人の方から、そこの部分に関しても私たちはやっていないんだという無罪主張だったので、もう一度そこを見たいということだったのですが、やはり公判前整理手続の段階で証拠が絞られ過ぎてしまったので、そこのそもそも物がないので裁判員が判断をすることができないという状況になってしまって、通常であれば公判前整理手続の中でそれを復活させるということはなかなか難しいんですが、裁判員がやはりどうしてもそこの会話、どういう事実があったかというのをしっかりと見たいという要望があったので、しっかりとそれが裁判官によって職権で採用されたという流れなんですね。
 やはりこの段階で、一番最初私が申しましたが、公判前整理手続で私たちは意見を言いたいわけではなくて、しっかりと見極めたいと。意見を言うのは検察官であっていいと思うんですね、やはり公益の利益をしっかりと尊重してくださるのが検察官ですから。そこではなくて、証拠の絞り過ぎ、ここはもうちょっと入れたいんだということを後ででもいいから言えるように、しっかりと公判前整理手続で弁護士でも参加ができるようになれば、この絞り込みがなかったのではないかと考えております。
仁比聡平君 つまり、今のお話は、職業法曹だけで行われる公判前整理手続で証拠が絞り込まれ、争点は絞られてしまったけれども、実際の公判での審理で裁判員が参加している中で、ここが争点なのではないかということで、裁判員の方の質問を始めとして、争点が復活したというか生きてきたというか、そうしたことなんですか。
参考人(小沢樹里君) はい、そうです。
仁比聡平君 逆に、被害者参加をできなかった二つの事件、加害運転手の危険運転致死傷罪事件とそれから飲食店の店主さんの事件、これは極めて分かりにくかったというお話だったんですけれども、職業裁判官が主宰し裁判員が参加をしないこの二つの事件というのは、これどうすれば分かりやすかったと思いますか。
参考人(小沢樹里君) 何点かあると思いますが、まずは、通常の裁判ですと、誰に理解してもらうという中で、被害者というのは一切入っていないんですね。もちろん法曹者の中の話を聞いていて、加害者自身もやはり話が納得できない状態で、法律用語で話がどんどん進んでしまっているというところが一点。
 また、二点目に、傍聴席側に被害者は座っています。通常の以前までの裁判であれば検察官の隣ではなかったので、そうなったときに、やはり声が聞き取りにくいというのもあります。
 それから、今は裁判員が見えるようにということで証拠が大きなビジョンで見えるようになっていますが、前回までは、証拠を、ここを示してくださいというので証言台の中で加害者が指したとしても、私たちが見ることができなかったので、裁判の審理の方向性が私たちの方から見ることができませんでした。
 また、それから一番大きいのは、やはり証拠を、裁判の始まる前に私たちが実況見分調書を見ることができるというのは非常に大きかったんじゃないかなと思います。何が起きているのかということで、被害者が知りたいのは真実であって偽物のことではないので、そこに関しては裁判員と一緒なのかなと思っています。
仁比聡平君 ありがとうございます。
 今のお話は、つまり、裁判員裁判において、公判中心主義だとか、直接主義、口頭主義だとか、そうしたことが強調される中で感じておられる分かりやすさなのではないかと思うんですけれども、実はそれは刑事訴訟の大原則のはずだと思うんですね。
 小木曽参考人にお尋ねしたいと思うんですが、冒頭、裁判員法一条を示されて、参加は国民の権利ではないという立場をまず大前提としてお述べになったんですけれども、そこの、何というんでしょうか、法理的な議論は一応横に置いても、裁判員裁判が施行されて六年たって、実際に職業裁判官だけで行われてきた裁判の中に裁判員が参加するという経験が積み重ねられる中で、今、小沢参考人がおっしゃったような、おのずから事実認定に国民の社会常識が反映していっているというこの現象は当然起こっているし、それは裁判員制度の否定するものではない、裁判員裁判が元々やっぱり内在的に持っているものだと私は思うんですけれども、そこはいかがでしょうか。
参考人(小木曽綾君) 異論ございません。
 ただ、権利として、ある国民が裁判に参加するということを要求するという保障はされていないという趣旨であります。
 国民が参加することによって、先ほど私申しましたけれども、裁判が共有財産であれば、それは国民が分かる言葉で語られなければならないし、国民が納得できるものでなければいけないということを申し上げましたけれども、全くそれは今委員がおっしゃったことと反するものではないと思います。
仁比聡平君 そうした裁判員裁判に、先ほど小沢参考人が、被害者の立場はもちろん、被告人から真相といいますか、を引き出す上でも、そうした覚悟を決めて裁判員の選定手続に臨まれたというお話がありました。
 国民の側は、まさかお客さんなんかという位置付けではなくて、自らそうした覚悟を決めて選任に臨んでこられていると思うんです。そうした裁判員裁判から著しく長期を除外するという問題について、結局、小木曽参考人も具体的基準はないとおっしゃっているんだと思うんですよ。手続的には別の裁判体が判断するとかあるいは不服申立てがあるということなんだけれども、著しく長期、多数とは何か、あるいはその判断要素は何かというとその基準はないとおっしゃっているんじゃないかと私は思うんですけれども。
 そうすると、例えば一回選任手続を行ったら、先ほどの水戸でしたかの事件のように、水戸地裁のケースのように、審理期間四日間なんだけれども裁判員が出てこないということになったら、そうしたら、これ何だか、裁判員が選定できないから刑事裁判が始められないから、だから裁判官だけでやるのかみたいなことは、これ著しく長期じゃないんだろうとは思うんですけど、どこでどう判断するということになりますか。
参考人(小木曽綾君) 今おっしゃったように、四日が著しく長期ということにはならないだろうという、これは我々の言葉で言うところの文理解釈でもって、これには当然入らないよねということになるんだろうと思います。
 基準が具体的にできないというのは、先ほどから議論がありましたように、はっきり何日というふうに言い切ることは難しいということだったわけです。しかし、誰がどう見ても、四日なり十日なりでこれが著しく長期だよねということにはならないということだろうと思います。
仁比聡平君 具体的基準がない中で、裁判官の職権で裁判員対象事件から外されてしまうというこの仕組みが一体合理的なのか、裁判員法そのものに本当に沿うのかというのは、私は極めて疑問に思っているんです。
 ちょっと別の角度で、刑事裁判としての裁判員制度という観点で泉澤参考人にお尋ねしたいんですが、たしか足利事件の審理の中で菅家さんの自白の供述をした録音テープが法廷で再現された場面があったかと思うんです。その傍聴をしておられた市民の方に伺うと、涙ながらに自白をするその菅家さんの声を聞いて、もしこれが裁判員裁判だったならば裁判員は皆有罪の心証を抱いたのではないかというお話には、本当になるほどと思わされたんですね。
 こうした捏造された証拠あるいは自白の強要、そしてその証拠化というものが現に重大刑事裁判において行われてきている以上、裁判員に事実を誤らせないために、証拠開示を含めた適正な刑事手続というのは極めて重要だと思うんですけれども、いかがでしょうか。
参考人(泉澤章君) おっしゃるとおりだというふうに思います。
 足利事件の再審公判のときには、菅家さんはそのテープを法廷で流されるのを聞いて具合が悪くなってしまいまして、私、ちょうど隣で付き添っていたんだけれども、途中で退席したりしたこともありました。
 なぜかというと、一つにはもちろん嫌な思い出は思い出したくないというのもあるんでしょうけれども、あのテープは検察官の取調べなんですね。実際にはその前に警察での取調べというのがあるわけです。それはテープはありません。そこで彼がどういうことをされて、どういうふうに言ってみれば検察官の前に行っても話すんだよというふうに言われたかというのは、全然出てこないんですね。ないんですよ。その中でいろいろと話も警察の方でされて、彼はそれを信じ切っていて、検察官の前におずおずと出て、やったね、やりましたと。ところが、途中で否認する。そうするとまた優しくなだめられて、また帰ってくると、今度はやっぱりやりましたと泣くというふうなことを繰り返している。
 全面可視化した場合にどうかという議論はまたありますけれども、私は、やっぱりその捜査の過程、過程そのものを証拠化しなければ、証拠化という形で残さなければ、やはり菅家さんはどんな裁判制度になっても救えなかったんじゃないかと思います。
 あれはDNA鑑定だけの問題で終わっているような感はありますけれども、そんなことはなくて、あれがあったけれども、やはり細かい自白をしているわけですね。なぜそういう自白ができたかということについて分析するのと、やはり教訓としては、捜査過程を可視化するというのは要するに証拠化するということですよね、それが非常に重要である。
 証拠化したものを起訴後、弁護人が全面的にそれを見た上で、きちんとした言ってみればその証拠についての評価がなされるようにしなければならないので、あの裁判で私は体験した非常に大きな今でも残っているのは、やはり逮捕から検察に連れていかれてまた裁判までがすごくブラックボックスなわけなんですよね。そこがきちんと証拠化されて、開示されて明らかになり、かつDNA鑑定の問題というものを、科学的にどうなのかということをきちんとやっておれば、私はああいう悲劇は生まれなかったんだというふうに今でも思っています。
 なので、先生おっしゃるとおり、証拠、証拠化ですね、それで証拠の開示、特に全面開示というふうに我々弁護人はずっと前から言っていますけれども、それはまだなされておりませんが、その必要性というのは冤罪が起きるたびに非常に言われるわけですね。袴田事件なんかもそうですけれども、何十年もたってから倉庫にあったテープが見付かりましたなんということがもう普通に言われるわけですよ。これはおかしい、これはどう考えてもおかしいというふうに皆さんも思われるわけですね。
 なので、やはり証拠の大事さが前提となっているのであれば、それを全面開示しておくというのが、やはり今でもそうですし、これから裁判員裁判制度をきちんと運用するに当たっても非常に重要なことだなというふうに思っています。
仁比聡平君 ありがとうございました。
 時間が参りましたので終わりますけれども、今のようなことがありながら、今度の法改正の議論の中では、特別部会でもここは別の部会に任すみたいな話にどうやらなっているのかなというふうにも思われまして、そういう点も疑問に思っているということを申し上げて、終わります。
 ありがとうございました。
田中茂君 日本を元気にする会・無所属会、無所属の田中茂といいます。
 今日は、小木曽参考人、小沢参考人、泉澤参考人の皆様、貴重な時間を割いていただき、本当にありがとうございます。特に、小沢参考人には、身のつまされるような思いで聞いておりましたが、被害者の御遺族という立場でお話をしていただき、本当にありがとうございました。
 私、最初にちょっとお聞きしたいのは、小木曽参考人と泉澤参考人にお聞きしたいんですが、これ、二〇〇九年に裁判員裁判施行されまして六年たつわけですが、お二人の参考人は当初のイメージというか裁判員裁判のイメージがあったと思うんですが、六年たって何か違うな、異なるなという印象があったものがあればお聞かせいただきたいんですが、お二人の参考人に是非お願いいたしたいと思います。
参考人(小木曽綾君) 私が始まる以前に気に掛けていたのは、辞退率がどのくらいだろうかということですね。
 始まる前の世論調査ではかなり多くの国民がやりたくないというふうに言っていて、実際にその選任手続にどのくらい出てくるんだろうかということを気に掛けておりましたけれども、やってみたら八割方ですか出席しておられて、もちろん今でも若干辞退率の数字に変化があるわけですけれども。しかし、真面目に出てきて、そして、裁判官に伺いますと、大体会う裁判官ごとに、裁判員裁判を経験した裁判官に話を聞きますと、裁判員の真面目さであるとか、何というんでしょう、事実を見る視点は非常に鋭いものがあるとか、傾聴に値するものがあるという感想を聞きますので、そういう意味では、当初心配されていたような、やってはみたけれどもみんなやりたくないというようなことにはならなかったということが、何か違うなというよりは、印象としてはそういう感想を持っております。


.
Ozawa juri
Ozawa juri
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
友だち(13)
  • yos*iki*z
  • blu*cav*14*
  • しむ
  • hib*ki0*01j*
  • 中村主水
  • v_m_h_atsu
友だち一覧

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!
花王ニベアクリームをお得に購入
マツモトキヨシで使えるクーポンが
当たるチャンス!<Yahoo! JAPAN>
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
10/31まで秋の行楽キャンペーン実施中

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事