家族の光の中へ/ 小沢事件/あいの会〜活動〜

あいの会を立ち上げました。心の寄りどことが私も必要でした・・・

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あいの会で5周年記念集会を行うこととなりました。

選挙の最中にはなりますが、どうかお時間ありましたらいらしていただき

多くの方に知っていただける機会も持つことができればと思っております。

参加無料、当日いきなりの参加でも構いません

知っていただく機会を作れたことに感謝しております。




  • 日時   2017年10月14日(土)
  • 場所   TKP大宮ビジネスセンター
  • 時間   13時30分〜16時30分(13時開場予定)
  • 内容   関東交通犯罪遺族の会(通称・あいの会)5周年記念集会
        一部 交通犯罪遺族 中村正文「ある日突然奪われた家族」
        二部 防衛医学大学校教授 高橋聡美
       「喪失体験後の家族を支える」〜レジリエンス 悲しみの力〜
     




関東交通犯罪遺族の会(通称 あいの会)


代表 小沢樹里


心が張り裂けそうな事件が起きてしましました。

毎日衝撃的な内容が世の中に出ていますが
お子さんたちの心のケアは、おばあさまがされることとなると思います
とても悲しい事、でも暖かな手があっても、背中をさするくらい

近い人ってなかなかいません。。。
おばあさまにもケアが必要と思いますが、ですが
私たち家族と同じように両親がなくなり
子供だけが残された事案に
妹は最初見た時に、時間が止まったように感じたようです。

「おばあちゃんとかいるのかな」「いるみたい」
「よかったぁ」
心からもれた、かすかな言葉はきっと自分を投影していたんだと思います。

誰もいないのはきついよね
自分自身と照らし合わせることがとても辛い事ですが
妹にとって、客観的に見る事が出来るようになってきたのだと
少し感じました。

きっと最後の言葉もないまま・・・
過ぎていく日々になると思います。
けっして家族で抱えられる大きさの悲しみではありません。
生活ががらりと変わることに、戸惑いすらもあっという間に時間に飲み込まれていくと思います。

でも、多くの人が何ができるのかきっと模索していると思います。
人は暖かい


いつかそう思える日が来ますようにと心から願うばかりです。


参考人(泉澤章君) 先生おっしゃったように、私も制度が始まる前は非常に懐疑的な部分も多かったです。何度も言いますけれども、制度自体が従前我々が求めてきたような陪審制度とはやっぱり異なるものであって、裁判官にリードされるような裁判になるのではないか、また、証拠が非常に絞られて、弁護側の主張や立証についても絞られるのではないか、そういう懸念を抱いておりました。
 やってみてですけれども、実質六年たって、その懸念が当たっている裁判も残念ながらあるというふうに思います、聞いておる部分もあります。ただ、率直に私も体験して申し上げれば、もちろん運用がこれからどうなるかにもよるかもしれませんけれども、裁判官の言ってみれば自分の役割を自覚した上での適切なリードや証拠の絞り方等もしていて、非常に争った事件の中でも最近では従前にはない無罪判決なんかも出ているところを見れば、そういう意味でいえば、裁判員裁判は私が当初から申しております国民の司法参加、市民感覚を裁判に反映することによって誤判や冤罪を防止するという観点からいうと前進部分はあったかなと、また大きかったかなというふうには思います。
 逆に、じゃ、当初思っていたのがそのとおりになったというのと悪い面があったかといいますと、これは私自身は体験しておりませんけれども、やはり裁判所によっては、合議体によっては非常に、先ほどの話にもありますけれども、主張や証拠を絞ると。今はもうないと思いますけれども、一時期は法廷でストップウオッチを持って弁護人が話すのを計っていたと。一分ちょっとオーバーしたとかいうような注意をしたという裁判所もあって、ちょっと新聞等で騒がれたことがありますけれども。審理計画を最初に決めておくばかりに、それにとらわれて、するべき、また、しておかしくないような主張や立証について尽くさないというようなのも散見されました。今後は是非なくなってほしいと思いますけれども、その点についてはまだ十分注意するべきかなと思っています。
 最後に一つあるとすれば、私自身は国民の司法参加は必要だというふうに思っておるのです。裁判員裁判が一定の重大事件のみに限っているというのは、私はこれは何とかならないものかなと、繰り返しますが思っております。非常に被告人が争って有罪、無罪が注目されるという事件は、実は現在の裁判員裁判の対象事件以外にもたくさんございます。
 いろんな審議会の例でも出てきますけれども、痴漢事件とか、私はやっておりませんけれども、私の友人の弁護人が何人もやっておりまして、かなり労力と時間を使って、いろんな方法を取って無罪を獲得したり、又は有罪になったりもしておりますけれども、言ってみれば裁判と格闘しているというような状況があります。こういうのをむしろ、それこそ通勤電車の中で、満員電車の中で、いつも乗る人たちを含めた一般市民の感覚で裁いた方が私はいいのではないかなというふうに思っています。その意味でも、否認事件で争っている事件については対象を広げていっても私はいいのではないか。
 また、先ほど小木曽参考人もおっしゃいましたけれども、国民もこの裁判員裁判の意義というのをやはり自覚して、客体、要するに教え導かれる客体ではなくて自分たちが参加する、民主主義の言ってみれば基礎ですよね、そういうことの自覚をしていく、また、いけるのであれば私はそれを拡大する方向で考えていってもいいのではないかというふうに思っております。
 以上です。
田中茂君 ありがとうございます。
 そこで、単刀直入にちょっとお聞きしたいんですが、私も裁判員裁判は続けた方がいいと思っておるんですが、今現在、裁判員裁判を、この趣旨を守りながらこれを続けさせるためにどこが一番ネックになるのか、どういうふうに解決すればそれは良くなるのか。もっと国民に浸透させる、そして分かりやすくさせる、裁判員制度をより充実させる、それで一番のネックになるというのは何なのか、またそれをどうやって解決すればいいのか、そういう解決手段があるのか、その点を三人の参考人の方にお聞きしたいんですが、よろしくお願いいたします。
参考人(小木曽綾君) 現在のところ、参加された裁判員のアンケートでは、よい経験をしたというふうにお答えになるのが九割方であると記憶しております。ただ、一方で辞退率がだんだん上がってきているということが懸念されるという点でありますけれども、制度の趣旨、目的を実現するためには、やはり参加への呼びかけはもちろん工夫するんでしょうし、私、学校での教育というのが重要なような気がいたします。もしかするとですけど、今回の法案は負担感の軽減にも資するかもしれません。これは強くは申しませんが。
 一つ留意すべきは、陪審とか参審員を持っている国の歴史はこれ数百年の単位でありまして、制度の定着や評価には時間がある程度掛かるということではないかと思います。国民の参加とか、国民が主体的にその問題を考える、じゃどういうことがあればそういう目的が達成されたのかというのは物差しでは測れませんから、制度を維持する際には、もちろん行政府も司法府も努力するんでしょうし、例えば立法府としても、制度の維持、普及に必要な予算を認めるというような方法で協力するということが必要になってくるのではないかと考えております。
参考人(小沢樹里君) 私は、裁判員が、私も小さな息子がいますが、先生がおっしゃったように、小さな頃からの理解というのが、この先長く見たときに非常に大きな可能性につながるのではないかと子供を通して感じることがありました。
 その中で、実を言うと私はこの裁判員裁判が始まる前に模擬裁判というものに参加したことがあったんですが、そのときに感じたのは、裁判官の誘導がかなり多いなということを感じました。ですが、実際自分自身が体験をして、中に入ってみたわけではないですが、新聞等など客観的に裁判員の評価というものを最終的に聞いたときに、かなり裁判員自身も自覚を持って判断した場合には、そうではなくてしっかりと意見を言えているんじゃないかなというのを感じました。だからこそ、私たちの新聞には、裁判官と私たちの差があったというような見出しがあったんですね。それがあってよかったなというのを感じました。
 二点目に、裁判員をやる上で男女比であったり年齢比というものもしっかりと組み込んでいかないと、やはり差がどうしても出てしまうのではないかなと思います。というのも、意見を言うとなったときに、被害者がどの年齢かというのが分かりません、そうなったときに、やはり年齢が様々いないと平等を保てないというような感じがします。
 また、あとは、写真を見るということに関しても、先ほど話しましたように、遺体であったりとか傷の写真であったりとか、そういうものを見るんだというような前置きをしっかりとこの先もしていくということが非常に大事になっていくのではないかな。見ないかもしれないで来るのよりかは、見るということを前提に来ることで心構えと精神的な安心感も得られるのではないかなと思います。
 また、四つ目が、裁判員は、私は人を見る目がしっかりあると思います。確かに法律の上では素人です。ですが、人として熟練した方もいらっしゃいますので、そういう面でいえば、先ほど両方にいらっしゃる先生方がおっしゃるように、サラリーマンであったり主婦目線がしっかりと判決の中にまで行き届いた文面になるように、私は、今後そういうようなところもしっかりと見ていく、だからこそ市民の意義があるんだということを感じるというのが必要だと思います。
 それから、最後になりますが、地域性であったりとか勝手な思い込みというものがまだまだ、裁判員をやる中でかなり柔軟に考えましょうということで、ストップウオッチであったりとか、いろんな意見があります。被害者の中でも、十分しか意見陳述を言えないよという裁判体と、一時間できますよという裁判体がいろいろあるんですね。
 そこの流動性というものが何で変わっているのかというと、実を言うと検察官だと思うんですね。検察官の勉強であったり被害者とのコミュニケーションというのがしっかりとすることで十分に解決するものもあるんじゃないかなと思いますので、検察官にしっかりと、被害者に対してのコミュニケーションという面ではそこを十分勉強していくことでかなりクリアになっていくんじゃないかなと私は感じております。
 以上です。
参考人(泉澤章君) もうお二人の参考人の方々の意見で大分尽くされているというふうに思います。
 私も、一番大切なのを一つだけといったら、やはり教育であろうかと思います。ただ、裁判員裁判だけの教育をするというのはそれほど効果はないのかなと思います。なぜなら、やっぱり先ほどから何度も出ておりますように、裁判員は負担を負うんですけれども、裁判において導かれる客体じゃなくて、自分たちが主体となって物を考えて発言をし評議をするという、本当に民主主義の、言ってみれば民主主義の学校じゃないですけれども、そういうところがあるわけなんですよね。
 日本人って、ずっと戦後そういう教育を受けてきたといいながら、私も含めて、やっぱりそういうのが不得意ではないですか。それをやはり私たちの次の世代、新しい世代の方々が、そうじゃない、人間は多様性があり、かつ意見を言い、みんなで話し合った上で物事を決めていくんだということが、やっぱり学校教育においてきちんと、きちんとこれが教育されていけば、きっと裁判員裁判にあなたなりませんかと言われても、私はこの国をつくっている国民であると、民主主義を自分たちが体現し現実化していくためには参加します、そしてそこで私の意見を述べます、そしてそこで決めていきますということができると思うんですよね。
 なので、皆さんも同じことを言っていると思うんですけれども、教育、次の世代への教育、しかも裁判員裁判特有というよりはむしろ民主主義はいかなるものかという教育を本当に、形だけじゃなくて、本当の意味でやっていくことこそが一番この制度を続けていくことに大事だというふうに思っています。
 以上です。
田中茂君 ありがとうございます。まさに私も教育だと思っております。
 もう一つ、小沢参考人がおっしゃったように、何らかの証拠の一つにしても、確かに一言何か丁寧に説明をしてあげれば、その証拠どういう証拠なのかと、そのたった一つの、裁判官なり誰かがそういう丁寧に説明しただけでも全然違ってくると、確かにそう思っております。
 今日は本当に三人の参考人の方に貴重なお話を聞かさせていただきまして、ありがとうございました。
谷亮子君 谷亮子です。よろしくお願いいたします。
 本日は、裁判員の参加する刑事裁判に関する法律の一部を改正する法律案についての参考人の方々への質疑ということでございまして、参考人の皆様におかれましては、大変お忙しい中御出席していただき、また大変貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。是非、今後の法案審議に生かさせていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 まず初めに、小木曽参考人にお伺いさせていただきたいと思います。
 裁判員裁判において、検察官の求刑を上回る判決が急減していることへの評価について伺いたいと思います。
 報道によりますと、裁判員裁判が始まった当初は先例に縛られない判決が増えまして、最高裁によりますと、検察の求刑を上回る判決が、平成二十二年から平成二十五年の間に、それぞれ、平成二十二年は五件、平成二十三年は十件、平成二十四年は十九件、平成二十五年は十四件と従来を大幅に上回るペースで推移しておりましたけれども、昨年、平成二十六年は二件にこれは急減いたしまして、また今年、平成二十七年は三月末時点ではこれはゼロ件であるということでございます。
 この傾向につきましては、先例や求刑の位置付けがきちんと理解されるようになったことへの表れと評価される見方もあれば、裁判官の先例重視の姿勢が強まり、評議において裁判員が十分に意見を言えなくなっているというおそれがあるとの懸念する見方もあるようでございます。
 この求刑を上回る判決が急減していることについての小木曽参考人の評価といいますか、分析される点についてお聞かせいただきたいと思います。
参考人(小木曽綾君) まず、その数の評価といいますのは、統計的な数の評価というのはある程度の材料が必要でありまして、そのために、そのためにというか、今委員がおっしゃった、急減しているという評価をしていいかいけないかということを判断するのには、まだもう少し材料が必要なのではないかと考えています。統計的な数値の理解というのは、ある数字に影響を与え得る様々な要素を全部照らし合わせてみて、そして原因と結果の関係があるかもしれないということが言えるかどうかという程度のものですから、十分な材料がないと何とも言えないところであろうと思います。
 ただ、一方で性犯罪については裁判員になって量刑が重くなってきているという傾向もまさに統計的には見えるわけでありまして、一概に最高裁判所のあの判決があったのでみんなが遠慮して刑を下げているという評価が、これもですから材料が十分ないので何とも言えませんけれども、というふうに言うことができるかどうかはまだ分からないところですけれども。
 ただ、先ほども申しましたように、上訴審で、ほかの事件と比べて、同じような事実、犯情であるけれども著しく従来の判決と違う判決が下されるということが逆に正しいのだろうかということもありますので、そうしたことを勘案した結果刑が言い渡されているのであれば、それはそれで健全なことかもしれません。
谷亮子君 ありがとうございます。
 やはりその背景には個々の事案によるものであるということもあると思いますし、さらには、先生が今おっしゃられましたように、その材料等がそうしたことを含めて今後の判断になっていくのではないかなと思います。
 また、裁判員裁判において適正な評議が行われていくように、先例を出発点とするよりも、市民のそうした健全な良識ある意見、またそうしたことを生かしていくというような、反映させるというようなことがやはり裁判員裁判の趣旨であるというふうに私も思っております。
 そして、もう一点伺いたいと思います。退職後の裁判官の守秘義務の在り方についても伺いたいと思います。
 裁判員の守秘義務の罰則の在り方についてはこれまでも様々な議論がなされてきたところですが、一方で、裁判官には守秘義務が課せられているものの罰則が設けられていないという現状にございます。
 そこで、今後、裁判に関する守秘義務の重要性に鑑みて、裁判官の退職後の守秘義務の遵守の担保策についてもこれは何らかの検討をすべきではないかと私は考えるんですけれども、その点、小木曽参考人はどのようにお考えになりますでしょうか。
参考人(小木曽綾君) 正直申しまして今までその点は考えたことがありませんけれども、これは、職業裁判官としてトレーニングを受けてきているので、辞めた後も職務上知り得た秘密をあちこちでしゃべることはなかろうという事実上の信頼と制度上の担保というのがあったからだろうと思いますし、今、そのようなことで、退職後の裁判官が何かあちこちで言って問題になって、あっ、この間、何かあったような、そういえば、ありましたですね、記憶がありますが、それが問題になるほど増えているということではないだろうと思うんですが、もしそういったようなことが今後増えるのであれば、それは何か考えないといけないということになるのかもしれません。
谷亮子君 ありがとうございます。
 非常に多いというわけではないんですけれども、先生おっしゃられるように、そうしたことへの対応、対策というのがやはりないという現状でありますので、そうしたことも、今後、先を見据えていろいろなことを検討していっていただきたいなというふうに思っております。
 次に、小沢参考人にお伺いさせていただきたいと思います。
 本日お配りいただきました資料等も拝見させていただきました。その中にございました、裁判員と比べて被害者の立場で考えさせられたことというところで、裁判員だけが受けられるサービスがあるということに私たちは気付きましたとございました。被害者の方々におかれましては、やはり生活をやりくりして遠方から裁判に参加しているという現状もございまして、小沢参考人におかれましても、先ほど、やはり小さなお子様がいらっしゃるということで、裁判に臨むに当たっては非常に大変な思いをされたというふうに思います。
 そこで、私はやはり第一義的に行われなければならないのは被害者の救済であるというふうに思っておりまして、裁判員へのそうした配慮等はあるんですけれども、被害者へのやはりそうした手助け、配慮等が必要であるというふうに私も考えておりますけれども、その点、具体的にどのような点で、子育てしながらの方でいらっしゃったり、介護をしながらの裁判に臨まれる方でいらっしゃったり、様々にあると思いますが、その点、どのような点で大変なのかということを具体的にお伺いしたいと思います。
参考人(小沢樹里君) 私自身ですが、事件当時、息子が四歳でした。やはりある日突然事件に遭ったわけで、何の用意もなくある日突然裁判にも関わっていくという状態になったんですが、一番困ったのはやはり保育のことで、私のうちからさいたま地裁ですが、一時間半ぐらい掛かるんですが、大体始まるのが十時、その前に一回打合せをしましょうとか、まず心のクールダウンと考えると三十分前に来てくださいと。ですが、私はそのとき弟も一緒に連れていっていて、先ほどお話ししましたが、車椅子の状態だったんですね。なので、十分ゆとりを持たないといけないんですね。なので、もう三十分よりも前に行かないとその指定した時間に行けないということがありました。
 その時点で、私の地元で息子を預けようと思ったときに、本当、やっているのが八時からとなってしまうともう間に合わないんですね。子供を連れて裁判に行くのか、それとも全然知らない地域で子供を預けるのか、どういうふうにしたらいいんだろうと思ったときに、最終的には、しばらくしてから地域のそういうサービスというのがあるというのを知ったんですが、そうだとしても、やはり子供を安心して預けて、行って、また、裁判が五時に終わりました、そこから検察官の説明を聞きました、そこから帰ると、子供はもうあっという間に寝ているんですよね。そこまでの間、どう子供の育児をしたらいいんだろうというのは非常に大変な経験をしました。
 また、介護に関しても、私は祖母を見なくちゃいけないというのがありましたので、やはり、すぐ簡易的に預けられる場所というのが、もっと前に言わないといけないと言われたんですが、そこに関しても少し猶予をいただけたらいいなと思いました。
 両方を考えると、私たち被害者というのは非常に、先ほどおっしゃってくださったように、精神的な負担もそうですが、肉体的な負担、それからそれを渡すのに当たって金銭的な負担も掛かるんですね。じゃどうしたらここを全部解決できるかというと、やはり被害者の条例というものがしっかりと県や市でできれば、そこに私たちが子供たちを安心して預ける場というものがあれば、随分そこがクリアになるんじゃないかなと思います。
 まだまだ理解が足りない部分であったり、もちろん本当、裁判員になってできるものというのがありますが、やはり被害者の現状をしっかり見ていただいて、どうそこを解決していくかというものを見ていただければなと思いました。
谷亮子君 貴重な御意見だったと思います。
 本当に大変な御経験の中から、突然そうした境遇になるということで本当に様々に大変なことがあるんですけど、やはり国としても、そうした被害者の立場に立った救済、手助け、配慮といったことを今後本委員会でも是非提案させていただきたいなというふうに思っています。
 また、先日は、裁判員裁判の裁判員の方たちの、子育てをされながら裁判員を務められている方たちの環境整備ということで取り上げさせていただきまして、そうした保育サービス、全国では有料のところもあるし無料のところもあるしというような現状で、なかなか子育てをしながら、また介護をしながらという現状が大変なんだという裁判員の方もいらっしゃいましたので、そこはやはり本当に被害者の方たち併せて、これはしっかりと取り組むべき姿勢が必要だなというふうに改めて感じさせていただきました。ありがとうございます。
 最後に、時間も限られているんですけれども、泉澤参考人にお聞かせいただきたいと思います。公判前整理手続に被害者弁護士が参加することについての御意見を伺いたいと思います。
 泉澤参考人は、これまでに多くの被告人の刑事弁護に携わってこられたと存じ上げておりますけれども、裁判員裁判における公判前整理手続に被害者側弁護士を参加させてほしいという要望についてはどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。ちょっと重なる点もあると思いますが、お聞かせいただきたいと思います。
参考人(泉澤章君) この点につきまして、私は非常に検討して研究したということはございませんので、これはあくまでも御質問の中で私が考えたということでよろしいでしょうか。
 公判前整理手続がそもそもどうあるべきかということの中で、実は、刑事弁護をやる弁護士の中でもいろんな意見がありました。例えば、公判前整理手続をなぜ公開できないのかと。法廷を使ったとしても公開の場ではやりませんよね。むしろそうするべきではないかとか、あと、被告人の方が求めたら公開すべきではないかというような話があります。
 それはなぜかというと、公判前整理手続であってもやはり裁判の一過程であって、そこで争点が絞り込まれたり証拠が絞り込まれるわけであって、そこをむしろ、被疑者、被告人の立場からいっても、例えば、被告人ももちろんのことながら、それを支援する人であるとか、そういう人たちも見たいと、裁判が今後どうなるかを見たいとなるので、密室の公判前整理手続っていかがなものかという議論があったんですね。
 仮にもしも同じような文脈でいえば被害者参加が認められるのであれば、公開の中で被害者の代理人の方が来るということもできるというふうには思います。
 ただ、御存じのとおり、今、公判前整理手続自体を原則として公開するということはもちろんしていないわけであって、法曹プラス被告人も来ることはありますけれども、そういう場でのみやっていると。そこで仮にもしもいろんなことが決まり、ある種の例えば心証を得たということになれば、残念ながら公判というのはセレモニーにしかすぎなくなる可能性はあるわけですよね。私はそれは全然いい制度運用だとは思ってはいなくて、やはりほとんどの刑事弁護人もそう思っていると思います。
 なので、むしろ、おっしゃったように、被害者の方の代理人が参加できるかというのを裏からいえば、公判前整理手続をもっと公開したりすることができるのかということと重なるんだと思います。私は、個人的な見解ですけれども、ある一定の要件の下に公判前整理手続は開放する、公開するものだというような考え方があってもいいのではないかというふうに思っております。
 以上です。
谷亮子君 大変貴重な御意見だったと思います。今後の法案の審議等に生かさせていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
委員長(魚住裕一郎君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言御挨拶申し上げます。
 本日は、長時間にわたり御出席を賜り、貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 本日の審査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後零時三十分散会

矢倉克夫君 ありがとうございます。
 なかなか具体的に区切るというのは難しいというのは本当に私も感じているところではあります。ただ、御意見としては非常に、ありがとうございました、貴重なところでありました。
 同じ質問を泉澤参考人にさせていただきたいと思うんですが、先ほども冤罪防止等の観点からも裁判員裁判制度というのを評価される御意見ございました。そういう部分では、今回、この裁判員裁判制度の趣旨というところからであればできる限り裁判員裁判制度をやるべきなんですが、制度自体の趣旨を崩さないように一定の除外を認めたというところであります。
 この点についてどのようにお考えであるのか、御意見をいただければと思います。
参考人(泉澤章君) 結論からいうと、私も小沢参考人と同じように、なかなか、日数で区切るとかそういう客観的な基準を、仮にもしも例外を認めるとしたら基準を立てるというのは難しいと思います。
 やはり、最初に言いましたけれども、制度設計を最初考えたときに、さんざん議論した末、しかしここの部分について例外を設けなかったというのは、あり得べき制度としてやはり裁判員裁判でやるべきだという裁判については、工夫を幾つかしたり、その点について例えば改正があり得るとしても、例えば区分審理の問題なんかもそうだったんですけれども、しかしそれは制度を十分に活用できるのではないかということが前提だったと思います。その後出たいろんな長い裁判、百日を超えるような裁判、先ほど先生もおっしゃいましたけれども、でも、それでもやはりあれはできたわけですよね。
 また、じゃプラス何日だったら、プラス一週間だったらもうできなくなっていたかといったら、やっぱりそういうことはないわけであって、むしろそのときに求められるのは法曹三者の協力の仕方ですよね。協力というのは、裁判の進行や工夫の仕方。そこら辺がうまく工夫できてやれば、架空の論理ではやはり例外ということはあり得るかもしれませんけれども、それを言ってしまえば法律は全てそうなのであって、やはり先ほどの小沢参考人と同じように、あり得べき、つまり裁判員裁判としてあり得べきものであれば、裁判の対象なのであれば、私は裁判員裁判でやった方がよろしいというふうに考えております。
矢倉克夫君 ありがとうございます。
 おっしゃるとおり、できる限り裁判員裁判でやるべきであると。簡単にここから先はできるできないというふうに区切れるものではないというところはやはりあるかと思います。その点では、今お話もあった法曹三者の協力というものも、運用というものもこれからしっかりどうやっていくとかというところが大事であるかと思います。
 それで、小木曽参考人にお伺いしたいんですが、どうやってこれを区切っていくのかというところ、過去の例等で形式的に区切るというのはなかなか難しいというところであるかと思います。
 その上で、じゃ、著しく長期であるとか、そういうものを他方で全く個別に判断するだけではなかなか難しいところもあって、ある程度の基準を持って、しかし余り形式的に区切らないようにするにはどのような努力が今後必要であるのか、御教示いただければと思います。
参考人(小木曽綾君) これは部会の議論でもかなりな時間を掛けて議論があったところであります。先ほども申しましたように、何日で切ることはできないという結論に至ったというのは今までの議論のとおりであろうと思います。
 これは、自分が例えばどこかの会社に勤務していて週五日で働いていてという、そういう労働形態であったらどうだろうかというふうに考えたときに、今例えば何かの仕事をやっている、プロジェクトをやっているとかという仕事をしている、そこからどのくらい離れたら職業人としてやっていけるんだろうかというような視点でも議論はあったわけですけれども、また、それが四か月なのか六か月なのか一年なのかというような議論がありました。これも結局結論は出ませんでした。
 じゃ、将来的にもしそのような事態が生じたときにどうするのかということですが、これは初めから一年、二年掛かるということになれば、いかなる負担を強いてでも裁判員でやれということには無理があろうということであろうと思いますけれども。
 それより前の段階というのは、やはり選任手続に入ってみて呼出し掛けたけれども十分に集まらないというような事例が出てきて、これは当事者それから裁判所で考えて、どう考えても無理だよねということになったときにその判断がされて、そして、そういう事例が、めったにないといいながら積み重なるというのはちょっと矛盾しているんですけれども、しかし、過去にそういう事例があった、それと比べてどうだろうというふうにして、だんだんでき上がっていくのではないかというよりほかにお答えのしようがないようにも考えております。
矢倉克夫君 ありがとうございます。
 あと、先ほど小木曽参考人、四日間の事例を挙げられました。インフルエンザで解任された裁判員の方がいて、補充が見付からなかったと。たしか、これ水戸かどこかの事案だったかと思うんですけど。審理がある程度長期にわたるかどうかというところとはまた別の要素でやはり欠員が出ることもあるということを示されたんだと思います。
 そういう点では、例えば裁判員の補充の在り方とかもまた別途これから考えていかなければいけないと思うんですが、その辺り、また御教示、何か御意見ありましたら、いただければと思います。
参考人(小木曽綾君) これもやはり議論の過程で、それなら補充裁判員をできるだけたくさん置いておけばいいではないかという議論もありましたけれども、今法律では裁判員と同数以上の補充裁判員を置かないことになっていると思いますけれども、じゃそこの部分を改正して補充裁判員をたくさん置けばいいのかといいますと、しかし、補充裁判員というのは、そのために出てきて、裁判に列席はしますけれども評決権はないというような地位ですから、そういう役割を負う人をたくさんお願いするというのもこれもまたいかがなものだろうかということで、補充裁判員をたくさん置けばいいという解決にはならなかったものだと承知しております。
矢倉克夫君 ありがとうございます。
 ちょっと、最後の質問になるかもしれないんですが、今回の法案とは離れて、被害者の人権ということも今後やっぱりしっかりいろんな方面で考えていかなければいけないと、先ほども小沢参考人の話も聞いて私も思ったところであります。
 とりわけ、被告人の人権を重視をしていくのは、これはやはり様々な観点からも大事な部分であるんですが、他方で、国民の司法に対する信頼感、裁判制度そのものを維持する上でも、被害者の人権という部分もやはり強調してこれから考えていかなければいけないというところでございます。
 最後、ちょっと泉澤参考人、いろいろ刑事弁護等も担当されたお立場から、被害者の人権というところについて、今後課題とすべき、そしてどういうふうに考えていくのか、御意見等ございましたら、一言いただければと思います。
参考人(泉澤章君) 先ほども言いましたけれども、私も被疑者、被告人を守る立場から、刑事弁護人としてずっとやってきたというのがあります。
 ただ、そうはいえ、やはり、例えば実際交通事故のように、過失の責任はどうあれ人が亡くなったという事件もやるわけなんですね。犯人がまた全然別のところにいて亡くなった方というのと、ちょっとそれはまた性質が別になるというふうに思います。そういうときは私も、そういう方、御遺族のことはやっぱり考えざるを得ない。
 また、弁護士というのはやっぱり逆転する立場があるわけですね。要するに、同じように被害者の方の立場に立って民事訴訟の代理人になることもあると。非常に複雑な立場に置かれるわけなんですけれども。そのときにやはり一番考えるのは、先ほども言いましたが、憲法というのは細かい規定を置いて被疑者、被告人の権利を守っている、これは国と、個人というか、被疑者、被告人とが究極の場で対決する部分であるからだということを話したと思います。
 じゃ、被害者の方の人権はどうかというふうな話なんですけれども、被害者の方はもちろん憲法で人権、生命、自由、財産が守られているわけですね。これをどう具体化していくというのは、私の立場からはなかなか具体案というのは出てきませんけれども、やはりそれは非常に尊重されるべきだし、それでこそむしろ刑事司法制度だって円滑に回っていくんだというふうに思います。その点について、今までの弁護士としての立場から目が行き届かなかったり制度に対する無関心があったとすれば、私は率直にそれは反省すべきだなというふうには思っております。
 ただ、そうはいえ、やはりしかし最後に付け加えなきゃならないのは、私どもは、と同時に冤罪被害に遭った人もたくさん見ているわけです。袴田さんは、要するに、まだ再審開始決定は確定しておりませんけれども、四十数年間勾留されていて、率直に言ったら、精神的には回復ができるかできないかという立場に置かれている。私が弁護人であった菅家さんという方も十七年間無実の罪で、彼は完全に無実だったわけなんだけれども、ずっと拘留され続けたわけですよね。彼の生命、自由、財産、取り戻せませんよね、彼自身も。ということについて、やはり最終的には、私の立場からは、どうしていくのか、これを制度の上でどう彼らの自由や人権を守るためにできるのかということに、やっぱり究極のある種の少数者の人権を守るという立場からは考えざるを得ないというところにあります。
 ですので、簡単にバランスというふうに言えないことは重々承知はしておりますが、私の立場からは、やはり被害者の方の人権は本当に非常に重要である、しかし、やはり被疑者、被告人の方の人権というのが守られるようなきちんとした制度をつくっていかないと司法全体が立ち行かなくなるというふうに私は考えています。
 以上です。
理事(熊谷大君) 矢倉君、時間が来ております。
矢倉克夫君 もう終わります。
 両方守っていくように頑張っていきたいと思います。
 ありがとうございます。
真山勇一君 維新の党の真山勇一と申します。よろしくお願いいたします。
 今回のお三人の参考人の方、本当に貴重なお話をありがとうございました。
 お三方とも、私は、現行の裁判員制度というものをある程度実際に進めてきて評価をされているというふうに感じております。その一方で、この六年間の間にいろいろな問題も出てきているということの御指摘もそれぞれの立場から伺えたような気がします。
 私はちょっとお三方に、いわゆる証拠、裁判というのはやっぱり、真相は何か、真実は何かということには証拠がすごく大事だと思うので、その証拠ということについて御意見をまず伺いたいというふうに思うんですけれども。
 まず小沢参考人に伺いたいんですが、今日わざわざこうして、御自分の関わった裁判でこういうものを証拠で出したいということがあったけれどもそれがかなわなかったというお話を伺いました。そのときに当然、これを証拠として出したいといったときに、それはできませんという説明は受けたと思うんですね。その受けた説明というのは納得ができるものだったのかどうかということと、それから、証拠というのは、非常に衝撃度が強かったりとても証拠として出すには忍びないようなものだからということで除外されるというふうに解釈しているんですが、この写真自体は、私、個人的には証拠として出してもいいのではないかなという印象も受けたんですけれども、小沢参考人御自身がこれ証拠として採用すべきだという感じを持たれたかどうか、その辺りをまず伺いたいと思います。
参考人(小沢樹里君) 私たち自身は、この妹の写真をとにかく出したい、そして裁判員の方に見てもらって、二十代の若い子がこんなふうになってしまったのはこの事件があったからなんだというのを、結果としてそこであって、その先もこの子は一生負い続けるんだということを知ってもらいたかったんですね。なので、この証拠を絶対に見てもらいたいという思いを常に持ってやってきました。
 その中で、証拠の説明についてのお話ですが、一番最初は、時間がないからということで裁判官の方から言われたんだということを聞きました。時間の短縮ということを考えて、たくさん両親の笑顔の写真、それから妹の今の顔写真というのを出したかったんですが、じゃ、それをスライドにして速く流しますということもやりました。それから模造紙を作って、じゃ、これならば一瞬で見れるので、それでもいいから見てほしいということで様々な工夫をしましたが、最終的にはやはり裁判員の心情が揺らいでしまうというので却下されてしまったんですね。
 実際に裁判員の精神的負担というのをかなり主張されてきて感じたことなんですけれど、裁判員だからこそ当事者の、当時の被害者、加害者、どんな事件に関わってきたのかということをしっかり見ていただきたいというのを常に感じていました。被害者がどんな事件に巻き込まれてきたか、その無念というのがよく出ているものだと思います。
 実際に私たちは遺体の写真ということは出すことすらもできなかったんですが、そういう証拠が私たちの手元にあったらば、最低限の証拠として、動かない証拠として見ていただけたら、やはり事件の重大性であったりを判断する材料になったんではないかなというのを感じております。
真山勇一君 ありがとうございました。
 それで、もう一点、小沢さんにお伺いしたいんですけれども、裁判員裁判、それから被害者参加というのは、やっぱり一般の市民の感覚を裁判に取り入れるということでやってきているわけですけれども、先ほどのお話の中で、被害者側としての意識とそれから裁判員の意識というのは割と似ているところがあってよかったというふうな評価を伺ったんですが、逆に言ったら立場が全然違うわけですよね、被害者ということと、それから客観的に見る裁判員ということで。両方経験されていたらなおさらよかったと思うんですね。
 ちょっと裁判員としても選ばれたということをおっしゃっていたので、両方経験したら余計分かりいいんじゃないかと思うんですが、被害者参加ということで、被害者の立場で、裁判員の方でいろいろ言うことと、何か、逆に言うと同じ市民側だけれども、ううん、こういう辺りはちょっと感覚違うなとか、そんなことを感じられたことというのはあったでしょうか。
参考人(小沢樹里君) 私たちは遺族側ですが、ある日突然遺族になったわけで、そこまでの間というのは通常の、普通の人と同じ感覚を持ってきたんですね。
 今、ちょっとこれが合っているのかどうかというのは分からないんですが、今まで本当に裁判が始まって以来、まず先例というものは何かというのを非常に重視しているような傾向を感じたんです。ところが、裁判員が始まってから、前回、裁判官だけでやったときの先例をずっと持ち越していたら裁判員を入れた意味がやはりなくなってしまうと思うんですね。ある程度基準として裁判官だけでやってきたときの基準があったとしても、それを基に裁判員が新たに先例をつくっていくことが裁判員裁判の意義だと思うんですね。なので、今まではこうだった、今まではこうだったとはいえ、やはり市民感覚が入った以上、また一からつくっていく、また経験を積んでいく、法律をまた見ていくというのもとても大事なのではないかなと感じております。
真山勇一君 ありがとうございました。
 先ほどの小沢参考人の、この写真が証拠として採用されなかったことについて、泉澤参考人は証拠というのはできるだけ採用すべきだという御意見、先ほどおっしゃって、それから、小木曽参考人の方からはある程度絞り込むこともやむを得ないんじゃないかというお話をちょっと伺ったと思うんですけど、こういう写真が証拠として採用されないことについての考え方、それから証拠の全体の御意見というのをもう一度ちょっと伺いたいと思います。泉澤参考人の方から伺いたいと思います。
参考人(泉澤章君) まず、先ほどの写真のことですけれども、私もこの裁判、別に担当したわけではなかったので、なぜこれが出せなかったのかよく分からないというか、多分、公判前整理手続をやったのであれば、そこでかなり絞り込まれたのかなという気はしますが。私が見ても、個別の事件に別の弁護人が口を出すというのは本当によくないんですけれども、ただ、私が見た限りでは、やはり被害の感情もそうですし、被害の状況ですよね、状況をある種客観的に示しているということがあるので、確かに小沢参考人がなぜこれがというふうに思ったのはある程度うなずけるかなというふうには思います。ただ、あくまでも、私が担当していなかったので、外野からの声ですので余り参考にならないかもしれません。
 その上で、証拠のことなんですけれども、先ほどの繰り返しになるかもしれませんが、一番私ども裁判員裁判が開始されるというときに恐れたのが、やはり証拠が非常に絞り込まれるんじゃないかということだったんですよね。有罪方向に向けての証拠が絞り込まれるというのであれば、弁護人の立場からいえばそれはいいかもしれませんけれども、しかし、実は絞り込むという作業の中でこちらに有利な証拠だってあることもあるわけですよね。類型証拠開示や争点関連証拠開示で全部出ていればいいですけれども、そうじゃない可能性ももちろんあるわけでありますし。
 あともう一つは、やはり弁護側の立証のときにもやはり出したい証拠というのが実はあるわけなんです。それがやはり、いや、これは主張と関連しないとかそういうことで絞り込まれていくことによって、最終的には事件の真相、全体像が分からなくなるということもあり得ると。そうすると、言ってみれば、本当に弁護人のやり方、裁判体の対応等によって有罪、無罪がはっきり分かれてしまうと。ある程度、それこそ差があるかもしれませんけれども、それはいかがなものかなというふうには考えました。
 私ども、昨年やった千葉の裁判なんかでも、これも繰り返しになるかもしれませんが、弁護側の方でもこれは裁判の証拠として出したいんだと、ところが裁判所の方では、いや、それは何と関係するんだと、関連する証拠じゃなかったらやっぱりこちらはちょっとという話になって、率直に言ってかなりもめました。私も、裁判官に対して悪態つくわけじゃないですけれども、非常に緊張関係に立ったんですけれども、でも最終的にはやはり、こういう趣旨の下で出すということで裁判所としては認めた上で、適切な判断に私は至ったというふうに思います。そこでの裁判所の対応は最初はやはりいかがなものかと思ったんだけれども、最終的には適切な対応を取っていただいて出せたというふうに思います。それによって、やっぱり裁判員は証拠をきちんと見て事件の全体像が分かる。その中で、果たしてそれは犯人とされている人が認識あったのかなかったのかというところで判断したんだと思うんですよね。
 だから、証拠の絞り込みというのは審理をきちんとやるため、また合理的な期間でやるためには必要なのかもしれませんけれども、余り絞り込むと非常に危険だというのは今でも変わりません。これ、裁判員裁判自体が誤判や冤罪の防止に役立ち得ると先ほどありましたけれども、しかし、こういう点をこれからの運用で非常に絞り込んでしまったりすると逆の作用もあるんじゃないかというふうに私も考えています。
 以上です。
参考人(小木曽綾君) まず一般的なことですけれども、証拠調べを請求する際には、その証拠によって何を証明したいのかということを説明して、立証趣旨と言っていますけれども、証拠の請求をするということになっていますので、それによって何を立証するのか、その立証する事項というのは、被告人がその事実をやったのかやらないのかということに関する事実であったり、あるいは犯情と言っている悪質性に関する事情であったりするわけですけれども、それにそれぞれ関連する証拠であるからこの証拠を取り調べてもらいたいということになるわけであります。
   〔理事熊谷大君退席、委員長着席〕
 そのときに、裁判に何を期待するのかということとも関係すると思いますけれども、刑事裁判は検察側の立証が成功するかどうかということをめぐって争われるものですので、上の方で神様が見ていたような、いわゆる真実というものがその場で明らかになるという制度設計にはなっておりません。ただし、先ほど申しましたように、検察官が主張する、被告人がその行為をやったこと、どの程度悪かったのかといったことについて証明するのに必要な証拠であれば、それは当然採用されなければならないと思いますし、審理の計画を立ててしまって、時間がもうないからそれは見ないでくださいというのは、これは本末転倒であろうと思います。
 裁判員の場合は重い事件が対象ですから、当然、傷害、殺人ということはあるわけで、事案によっては凄惨な写真を見なければいけないということもあると思います。また、裁判を理解するというのであれば、見なければいけないものは見なければいけないのだと私は思います。例えば、暴行や傷害の程度が軽いんだというふうに被告人が言っているときに、いや重いんだという主張があった場合には、やはり見なければいけないだろうと思います。
 ただ、一方で、PTSDになったといって国を訴えているという事案もありますように、そこで見るか見ないか、それが必要か必要でないかという話になるわけですけれども、それによって裁判員が具合が悪くなるということがあってもいけないわけですので、それは適切に処理してもらわなければいけないというふうに思います。
 以上が一般論ですけれども、私も個別の事案については事情を知りませんから何とも申せませんけれども、これが採用されなかったということについての可能性としては、恐らくその被告人が事実について争いがある段階で受傷の程度を示す写真を見せてはいけないというふうに考えたのか、それから、裁判員がそれを見てショックを受けるというふうに考えたのかと思いますけれども、受傷の程度を示す証拠であれば、これは当然見るべき証拠ではないかというふうに考えます。ただし、事実に争いがあるときにビジュアルで物を見せられますと、争いがある場合にはその判断に何らか不当な影響が及ぶおそれがあるということは一般的には言えるのだと思います。
真山勇一君 お三方の御意見、ありがとうございました。これからの審議でも是非生かしていきたいというふうに思っております。
 どうもありがとうございました。
仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
 今日は三人の参考人の皆さん、本当にありがとうございました。
 裁判員の参加によって事実認定に社会常識を反映させるという点について、まず小沢参考人からお尋ねをしたいと思うんですけれども、亡くなられた義理の御両親と、そして弟さん、妹さんに心からお見舞いとお悔やみを申し上げたいと思います。
 参考人意見の中で、危険運転致死傷幇助罪で同乗者二人が実刑判決を受けた事件に参加をされて、その中での裁判員の補充尋問のお話がありました。A被告人とB被告人の会社内での役職上が横並びであっても、実際は被告人二人の間に上下関係があったことを裁判員の質問によって的確に浮き彫りになったと。その後、職権でB被告人の検察の供述調書が採用されたという、この市民感覚の反映が判決にどのように結び付いたか、生きたかというのは、もちろん裁判員ではなかったわけですからその評議の中身は分からないとは思うんですけれども、被害者御遺族としてどんなふうに感じられたかというのはいかがでしょうか。
参考人(小沢樹里君) まず、そこについては、やはり危険運転致死傷というのはハンドルを持った加害者ですが、危険運転致死傷幇助罪というのはハンドルを持たない犯罪者なわけです。どこでハンドルを持つだけの幇助をしたのかというのをしっかりと裁判員が理解するとなったときに、その車中の中でどのような会話があったかないかというものを検察側の供述調書の中にはしっかりと書いてあったんですね。それを見たいと、そこに書いてあるんじゃないかというのが裁判の中で争われて、最終的には、そこに関して裁判員の方から見たいということを言われたんです。
 実際にはここは争わないという話だったんですが、被告人の方から、そこの部分に関しても私たちはやっていないんだという無罪主張だったので、もう一度そこを見たいということだったのですが、やはり公判前整理手続の段階で証拠が絞られ過ぎてしまったので、そこのそもそも物がないので裁判員が判断をすることができないという状況になってしまって、通常であれば公判前整理手続の中でそれを復活させるということはなかなか難しいんですが、裁判員がやはりどうしてもそこの会話、どういう事実があったかというのをしっかりと見たいという要望があったので、しっかりとそれが裁判官によって職権で採用されたという流れなんですね。
 やはりこの段階で、一番最初私が申しましたが、公判前整理手続で私たちは意見を言いたいわけではなくて、しっかりと見極めたいと。意見を言うのは検察官であっていいと思うんですね、やはり公益の利益をしっかりと尊重してくださるのが検察官ですから。そこではなくて、証拠の絞り過ぎ、ここはもうちょっと入れたいんだということを後ででもいいから言えるように、しっかりと公判前整理手続で弁護士でも参加ができるようになれば、この絞り込みがなかったのではないかと考えております。
仁比聡平君 つまり、今のお話は、職業法曹だけで行われる公判前整理手続で証拠が絞り込まれ、争点は絞られてしまったけれども、実際の公判での審理で裁判員が参加している中で、ここが争点なのではないかということで、裁判員の方の質問を始めとして、争点が復活したというか生きてきたというか、そうしたことなんですか。
参考人(小沢樹里君) はい、そうです。
仁比聡平君 逆に、被害者参加をできなかった二つの事件、加害運転手の危険運転致死傷罪事件とそれから飲食店の店主さんの事件、これは極めて分かりにくかったというお話だったんですけれども、職業裁判官が主宰し裁判員が参加をしないこの二つの事件というのは、これどうすれば分かりやすかったと思いますか。
参考人(小沢樹里君) 何点かあると思いますが、まずは、通常の裁判ですと、誰に理解してもらうという中で、被害者というのは一切入っていないんですね。もちろん法曹者の中の話を聞いていて、加害者自身もやはり話が納得できない状態で、法律用語で話がどんどん進んでしまっているというところが一点。
 また、二点目に、傍聴席側に被害者は座っています。通常の以前までの裁判であれば検察官の隣ではなかったので、そうなったときに、やはり声が聞き取りにくいというのもあります。
 それから、今は裁判員が見えるようにということで証拠が大きなビジョンで見えるようになっていますが、前回までは、証拠を、ここを示してくださいというので証言台の中で加害者が指したとしても、私たちが見ることができなかったので、裁判の審理の方向性が私たちの方から見ることができませんでした。
 また、それから一番大きいのは、やはり証拠を、裁判の始まる前に私たちが実況見分調書を見ることができるというのは非常に大きかったんじゃないかなと思います。何が起きているのかということで、被害者が知りたいのは真実であって偽物のことではないので、そこに関しては裁判員と一緒なのかなと思っています。
仁比聡平君 ありがとうございます。
 今のお話は、つまり、裁判員裁判において、公判中心主義だとか、直接主義、口頭主義だとか、そうしたことが強調される中で感じておられる分かりやすさなのではないかと思うんですけれども、実はそれは刑事訴訟の大原則のはずだと思うんですね。
 小木曽参考人にお尋ねしたいと思うんですが、冒頭、裁判員法一条を示されて、参加は国民の権利ではないという立場をまず大前提としてお述べになったんですけれども、そこの、何というんでしょうか、法理的な議論は一応横に置いても、裁判員裁判が施行されて六年たって、実際に職業裁判官だけで行われてきた裁判の中に裁判員が参加するという経験が積み重ねられる中で、今、小沢参考人がおっしゃったような、おのずから事実認定に国民の社会常識が反映していっているというこの現象は当然起こっているし、それは裁判員制度の否定するものではない、裁判員裁判が元々やっぱり内在的に持っているものだと私は思うんですけれども、そこはいかがでしょうか。
参考人(小木曽綾君) 異論ございません。
 ただ、権利として、ある国民が裁判に参加するということを要求するという保障はされていないという趣旨であります。
 国民が参加することによって、先ほど私申しましたけれども、裁判が共有財産であれば、それは国民が分かる言葉で語られなければならないし、国民が納得できるものでなければいけないということを申し上げましたけれども、全くそれは今委員がおっしゃったことと反するものではないと思います。
仁比聡平君 そうした裁判員裁判に、先ほど小沢参考人が、被害者の立場はもちろん、被告人から真相といいますか、を引き出す上でも、そうした覚悟を決めて裁判員の選定手続に臨まれたというお話がありました。
 国民の側は、まさかお客さんなんかという位置付けではなくて、自らそうした覚悟を決めて選任に臨んでこられていると思うんです。そうした裁判員裁判から著しく長期を除外するという問題について、結局、小木曽参考人も具体的基準はないとおっしゃっているんだと思うんですよ。手続的には別の裁判体が判断するとかあるいは不服申立てがあるということなんだけれども、著しく長期、多数とは何か、あるいはその判断要素は何かというとその基準はないとおっしゃっているんじゃないかと私は思うんですけれども。
 そうすると、例えば一回選任手続を行ったら、先ほどの水戸でしたかの事件のように、水戸地裁のケースのように、審理期間四日間なんだけれども裁判員が出てこないということになったら、そうしたら、これ何だか、裁判員が選定できないから刑事裁判が始められないから、だから裁判官だけでやるのかみたいなことは、これ著しく長期じゃないんだろうとは思うんですけど、どこでどう判断するということになりますか。
参考人(小木曽綾君) 今おっしゃったように、四日が著しく長期ということにはならないだろうという、これは我々の言葉で言うところの文理解釈でもって、これには当然入らないよねということになるんだろうと思います。
 基準が具体的にできないというのは、先ほどから議論がありましたように、はっきり何日というふうに言い切ることは難しいということだったわけです。しかし、誰がどう見ても、四日なり十日なりでこれが著しく長期だよねということにはならないということだろうと思います。
仁比聡平君 具体的基準がない中で、裁判官の職権で裁判員対象事件から外されてしまうというこの仕組みが一体合理的なのか、裁判員法そのものに本当に沿うのかというのは、私は極めて疑問に思っているんです。
 ちょっと別の角度で、刑事裁判としての裁判員制度という観点で泉澤参考人にお尋ねしたいんですが、たしか足利事件の審理の中で菅家さんの自白の供述をした録音テープが法廷で再現された場面があったかと思うんです。その傍聴をしておられた市民の方に伺うと、涙ながらに自白をするその菅家さんの声を聞いて、もしこれが裁判員裁判だったならば裁判員は皆有罪の心証を抱いたのではないかというお話には、本当になるほどと思わされたんですね。
 こうした捏造された証拠あるいは自白の強要、そしてその証拠化というものが現に重大刑事裁判において行われてきている以上、裁判員に事実を誤らせないために、証拠開示を含めた適正な刑事手続というのは極めて重要だと思うんですけれども、いかがでしょうか。
参考人(泉澤章君) おっしゃるとおりだというふうに思います。
 足利事件の再審公判のときには、菅家さんはそのテープを法廷で流されるのを聞いて具合が悪くなってしまいまして、私、ちょうど隣で付き添っていたんだけれども、途中で退席したりしたこともありました。
 なぜかというと、一つにはもちろん嫌な思い出は思い出したくないというのもあるんでしょうけれども、あのテープは検察官の取調べなんですね。実際にはその前に警察での取調べというのがあるわけです。それはテープはありません。そこで彼がどういうことをされて、どういうふうに言ってみれば検察官の前に行っても話すんだよというふうに言われたかというのは、全然出てこないんですね。ないんですよ。その中でいろいろと話も警察の方でされて、彼はそれを信じ切っていて、検察官の前におずおずと出て、やったね、やりましたと。ところが、途中で否認する。そうするとまた優しくなだめられて、また帰ってくると、今度はやっぱりやりましたと泣くというふうなことを繰り返している。
 全面可視化した場合にどうかという議論はまたありますけれども、私は、やっぱりその捜査の過程、過程そのものを証拠化しなければ、証拠化という形で残さなければ、やはり菅家さんはどんな裁判制度になっても救えなかったんじゃないかと思います。
 あれはDNA鑑定だけの問題で終わっているような感はありますけれども、そんなことはなくて、あれがあったけれども、やはり細かい自白をしているわけですね。なぜそういう自白ができたかということについて分析するのと、やはり教訓としては、捜査過程を可視化するというのは要するに証拠化するということですよね、それが非常に重要である。
 証拠化したものを起訴後、弁護人が全面的にそれを見た上で、きちんとした言ってみればその証拠についての評価がなされるようにしなければならないので、あの裁判で私は体験した非常に大きな今でも残っているのは、やはり逮捕から検察に連れていかれてまた裁判までがすごくブラックボックスなわけなんですよね。そこがきちんと証拠化されて、開示されて明らかになり、かつDNA鑑定の問題というものを、科学的にどうなのかということをきちんとやっておれば、私はああいう悲劇は生まれなかったんだというふうに今でも思っています。
 なので、先生おっしゃるとおり、証拠、証拠化ですね、それで証拠の開示、特に全面開示というふうに我々弁護人はずっと前から言っていますけれども、それはまだなされておりませんが、その必要性というのは冤罪が起きるたびに非常に言われるわけですね。袴田事件なんかもそうですけれども、何十年もたってから倉庫にあったテープが見付かりましたなんということがもう普通に言われるわけですよ。これはおかしい、これはどう考えてもおかしいというふうに皆さんも思われるわけですね。
 なので、やはり証拠の大事さが前提となっているのであれば、それを全面開示しておくというのが、やはり今でもそうですし、これから裁判員裁判制度をきちんと運用するに当たっても非常に重要なことだなというふうに思っています。
仁比聡平君 ありがとうございました。
 時間が参りましたので終わりますけれども、今のようなことがありながら、今度の法改正の議論の中では、特別部会でもここは別の部会に任すみたいな話にどうやらなっているのかなというふうにも思われまして、そういう点も疑問に思っているということを申し上げて、終わります。
 ありがとうございました。
田中茂君 日本を元気にする会・無所属会、無所属の田中茂といいます。
 今日は、小木曽参考人、小沢参考人、泉澤参考人の皆様、貴重な時間を割いていただき、本当にありがとうございます。特に、小沢参考人には、身のつまされるような思いで聞いておりましたが、被害者の御遺族という立場でお話をしていただき、本当にありがとうございました。
 私、最初にちょっとお聞きしたいのは、小木曽参考人と泉澤参考人にお聞きしたいんですが、これ、二〇〇九年に裁判員裁判施行されまして六年たつわけですが、お二人の参考人は当初のイメージというか裁判員裁判のイメージがあったと思うんですが、六年たって何か違うな、異なるなという印象があったものがあればお聞かせいただきたいんですが、お二人の参考人に是非お願いいたしたいと思います。
参考人(小木曽綾君) 私が始まる以前に気に掛けていたのは、辞退率がどのくらいだろうかということですね。
 始まる前の世論調査ではかなり多くの国民がやりたくないというふうに言っていて、実際にその選任手続にどのくらい出てくるんだろうかということを気に掛けておりましたけれども、やってみたら八割方ですか出席しておられて、もちろん今でも若干辞退率の数字に変化があるわけですけれども。しかし、真面目に出てきて、そして、裁判官に伺いますと、大体会う裁判官ごとに、裁判員裁判を経験した裁判官に話を聞きますと、裁判員の真面目さであるとか、何というんでしょう、事実を見る視点は非常に鋭いものがあるとか、傾聴に値するものがあるという感想を聞きますので、そういう意味では、当初心配されていたような、やってはみたけれどもみんなやりたくないというようなことにはならなかったということが、何か違うなというよりは、印象としてはそういう感想を持っております。

 ここまで聞いてくださり、誠にありがとうございました。
委員長(魚住裕一郎君) ありがとうございました。
 次に、泉澤参考人にお願いいたします。泉澤参考人。
参考人(泉澤章君) 弁護士の泉澤と申します。肩書は長いものがたくさん付いておりますが、ただ、今日は一人の刑事弁護人としてここに来て、裁判員裁判に関する話をしたいというふうに思います。
 お手元にレジュメを配っておりますが、これに従ってお話をしていきたいと思います。
 まず、裁判員裁判、これを導入したときですが、私たち弁護士の間でも様々な意見がありました。今までの硬直化した裁判、官僚的裁判を、国民の司法参加、一般の市民の方々の社会常識を反映させることによって打破するという意味もあるのだろうという意見もございました。ただ、裁判員法一条、これが制定されており、これは司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資すると書いておりますが、国民の司法参加への一般市民の社会常識を反映ということは書かれておりません。
 当初あった解説によれば、現在の刑事裁判は基本的にきちんと機能しているという評価を前提として、新しい時代にふさわしく、国民にとってより身近な司法を実現するための手段として導入されたとある裁判官の方が解説で書かれております。果たしてそうでしょうか。
 その後、刑事司法を取り巻く状況は激変と言ってよかったというふうに思います。偶然かもしれませんが、裁判員裁判が施行された二〇〇九年五月二十一日以降、非常に大きな刑事司法をめぐる状況の変化があったというふうに思います。
 一つは足利事件。これは同じ年の五月にDNA鑑定が他人であるということが分かった事件で、私もその弁護団の一員として活動しておりましたが、この足利事件、また布川事件、東電女性社員殺人事件等が再審無罪になるということで、連日マスコミを騒がせたのは御記憶のことだというふうに思います。昨年は死刑事件であります袴田事件、これが、まだ即時抗告審が続いておりますが、再審開始決定が出ております。
 このような重大冤罪事件、これまでの刑事裁判において重大な冤罪事件があったのだということが皆さんの目の前に明るみに出たということです。また、厚労省事件、これは最終的には村木さんが無罪になりましたけれども、これをきっかけとして、検察、そして裁判所、さらには刑事司法そのものへの国民の信頼がかなり低下したのではないかというふうに思います。
 このような国民の言ってみれば世論を背景にして、検察の在り方検討会議や法制審特別部会、これらが設置されて、新しい刑事司法改革はどうなのだという議論が続けられてきたのだというふうに思います。
 このような言ってみれば裁判員裁判施行後の事情を見ると、やはり既存の刑事司法は果たして本当にきちんと機能していたのだろうか、こういう疑問が私はあるというふうに思います。現在の刑事司法が基本的にきちんと機能しているという評価を前提とするという当初の理念は、これはやはり置き換えるべきである。そういう意味では、裁判員法一条、この理念は、やはり一般市民の方々の社会常識が反映される、そのような国民の司法参加、この点に非常に重点を置くべきではないかというふうに私は考えます。
 さて、日本国憲法の問題を少し話します。
 憲法が刑事手続について詳細な規定を置いているのは皆さんも御存じかと思います。人権規定の中でやはり分量としても一番多いことになっています。憲法三十一条以下、もちろん通常の裁判に関する規定もございますが、四十条まで、これが刑事手続に関する規定になっております。
 なぜ憲法上このような刑事手続に関する規定が詳細に規定されているのか。それはやはり、刑事事件、これによって対象とされる人は個人。被疑者、被告人は、国家という大きな権力との間で対峙するという究極の場に置かれるからだというふうに思います。また、そのように習いました。
 刑事裁判の手続の原則である推定無罪の原則であるとか、また疑わしきは被告人の利益、このような原則を前提とした刑事手続、その一環として、要するに刑事手続の一環としての裁判員裁判制度、これにも当然ながら生かされるべきであるというふうに私は思います。一人の無辜も罰してはいけない、この考え方が前提となって裁判員裁判制度も運用されるべきであるし、また、改正が必要なのであれば改正されるべきであるというふうに考えます。
 その意味で、裁判員裁判の存在意義は、国民の司法参加によって、刑事裁判、この中で特に事実認定がありますけれども、に社会常識を反映させて、最終的には誤判や冤罪を防止すること、そこにこそ重点が置かれるべきではないかなというふうに私、刑事弁護人の立場としては考えます。
 事実認定と書いたのは、やはり事実認定、事実のあるなしについては、裁判官はもちろん慣れてはいるでしょうが、プロというふうには言えないと思います。一般市民の方々も、一般の社会の中で生きてきて事実の有無についてはきちんと判断ができる、こういう前提に立っているからこそ、私たちはその国民の常識というものを信頼できるのだというふうに思います。国民の司法参加の持つ非常に積極的な意義、これを重視して私たちは裁判員裁判制度を運用すべきであるし、制度を担っていくべきであるというふうに思います。
 最初に述べました裁判員法一条におけるこの理念、これは、現在の刑事裁判が基本的にきちんと機能しているんだと国民に理解してもらう、刑事裁判を理解してもらうというふうなものであれば、国民はやはり客体でしかないわけなのです。教え導かれる客体としての国民でしかないというふうに思います。
 しかし、国民の司法参加の持つ積極的意義を考えれば、もはや国民は単なる客体として見ることはできないと思います。民主主義を支える主体としての国民、これが司法の場に参加することこそが積極的な意義を持つのだというふうに思います。それゆえ、国民のこの司法参加を安易に制約するということは、私はできないというふうに考えます。
 さて、視点を若干変えまして、私も刑事弁護人ですので、一番気になるのはやはり冤罪です。これらの構造的原因が裁判員裁判とどう関係するかということについて、私の若干意見を述べさせていただきたいというふうに思います。
 先ほど様々な冤罪事件が明るみになったというふうな話をしましたが、日本型冤罪事件、その構造の分析というのがされておりまして、様々な原因が言われております。
 例えば、長期の被疑者、被告人の身体的拘留、いわゆる人質司法と呼ばれますが、そのようなことや、捜査機関による密室取調べ、そしてそこで得られた自白、これが裁判所では非常に偏重される、そして調書裁判、証拠の偏在、弁護人や被告人の方にはなかなか自らに有利な証拠というものが手に入らない、また弁護人による防御権が弱い、様々なことが言われております。
 これらにより今までの重大な冤罪も発生してきたとすれば、それらは裁判員裁判制度が成立することによってどう変容してきたのかということを私は考えるべきだというふうに思います。もちろん、裁判員裁判制度は対象事件が限られておりますから、刑事裁判一般の議論にそのままストレートに入らないかもしれませんが、やはり裁判員裁判制度が今までの、従来の刑事司法に与えた影響というのは、私はあるというふうに思います。
 長期の身体的拘束はまだ続いておりますが、しかし、保釈率の上昇ということも言われております。捜査機関による密室の取調べは、これは現在、全面可視化の議論に行っています。まだ遅々として進まないところはあるでしょうが、そのような議論に進んでいる。自白の偏重と調書裁判については、裁判員裁判は公判中心主義によるのだというふうにされ、またそのような運用もかなり進んでおります。証拠の偏在については、証拠の開示、類型証拠開示や争点関連証拠の開示で進んでいるというふうになっています。また、弁護人の防御権についても様々な試行がなされているという、そういうプラス面も私はあるというふうに思います。
 個人的体験によると、私も裁判員裁判の否認事件を担当しまして、昨年、千葉地裁で無罪事件を一つ獲得いたしました。それはなぜそうなったかというと、私の分析によると、やはり証拠の開示が非常に全体的なものがなされたということと、それを、裁判長の一つの力量もあったのかもしれませんが、非常に絞り込まずに裁判において出し、また裁判員の方々に適切にそれらを示して説明、指摘を受けたと、そういうところがあったのだというふうに思います。
 ただ、マイナス面というものを見逃せませんでした。非常に期間はタイトです、短いです。これはやはり裁判員の方々に負担を掛けないという面はあるかもしれませんが、しかし、ちゃんとした刑事裁判をやるのであれば、ある程度のやはり負担は、私は免れないというふうに思います。この点については、やはり改善する必要があるのじゃないかなというふうに私は考えました。
 さて、最後に、裁判員裁判制度改定を含む現在の司法制度改革について、その論議に望むものについて幾つかお話をしたいと思います。
 一つは、今まで話してきました国民の司法参加の積極的意義を前進させるために、ここに求められているものを是非議論していただきたいというふうに思います。率直に言えば、国民の司法参加を広げるという意味、前進させるという意味での例えば否認事件の選択権であるとか、そういうことについては議論していただきたいなというふうに私は考えます。
 さらに、裁判員制度それだけではなく、それを含めた一体としての刑事司法制度改革の視点としても、先ほど言った、例えば誤判のもとになっておる様々な原因を払拭するような制度改革を更に進めていただきたい。可視化、また証拠開示、特に全面開示を私たち弁護士は求めてきましたが、そういうことについて更に前進させていただきたい。今、ほかのところでは刑事訴訟法等一部改正案も議論になっているようですが、そこではむしろ治安立法であるとか司法取引のような、私から見れば、残念ながら冤罪の可能性を含むような制度が取り上げられようとしていることについては、私自体は危惧を抱いております。
 いずれにしましても、国民の司法参加の積極的意義、これを前進させるような議論を是非していただきたい。また、一体としての刑事司法制度改革、これを是非進めて、更に広めて、刑事司法を本当に国民のものとして、誤判、冤罪をなくす社会制度を是非先生方にはつくっていただきたいと切に願う次第であります。
 御清聴ありがとうございました。
委員長(魚住裕一郎君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
三宅伸吾君 自由民主党、三宅伸吾でございます。
 本日は、小木曽様、小沢様、泉澤様、貴重なお時間を割いていただき、すばらしいお話を賜りまして、本当にありがとうございました。
 まず最初に、小木曽参考人と泉澤参考人にちょっとお話を伺いたいと思います。
 小沢参考人から、胸の痛むような体験の中から幾つかの制度改正の御提案がございました。例えば、整理手続の中で被害者の弁護人もちょっと参加させてもらえないかとか、幾つかあったかと思いますけれども、法律家から見て、小木曽様、泉澤様、小沢様の御提案についてどのような御感想をお持ちになったか、まず小木曽様からお聞かせいただけないかと思います。
参考人(小木曽綾君) 公判前整理手続に被害者又はその依頼を受けた弁護士を参加させるべきであるという議論があることは承知しております。
 ただ、被害者参加人の手続における地位というのは非常に微妙、刑事訴訟法上の地位ということですが、これは、済みません、我々は理屈屋ですので理屈で申しますけれども、被害者参加人というのは、訴訟の当事者として訴因を設定したり証拠調べを請求したり、それから上訴したりするという権利は与えられておりません。
 検察官の主張、立証に対して被告人から反論を加えて、その結果、検察官の証明責任が果たされているということを判断するのが裁判の目的であるということになっておりまして、これが現行法のいわゆる訴訟構造と言われるものであります。そういう仕組みで裁判するんだということですね。ですから、公判での主張、立証の対象は、公益の代表者たる検察官とそれから被告人の間で決定されるものでありまして、それを決定する場が公判整理手続であるということになっております。したがいまして、その本体の訴訟で当事者でない被害者の参加人がここに加わるということを理論的に説明することは難しいと私は考えております。
 ただし、刑事訴訟法は、検察官が被害者参加人と意思疎通を図って訴訟活動について十分に説明することを求めておりますし、また、公判前整理手続が終了した後でも裁判所には職権で必要と認める証拠調べをすることが認められているのは、小沢参考人がおっしゃったとおりだと思います。
 したがいまして、適切な公判前手続の運用でありますとか訴訟指揮が行われれば、事実認定や量刑について法律の範囲内で必要な証拠が取り調べられないということにはなっていないと考えております。
 以上です。
参考人(泉澤章君) 私、刑事被疑者、被告人の弁護を多く担当してきました。ただ、先ほど被害者の方の話を聞いて、法律家に、特に私どもにも足りなかったのは、やはり被害者の方々の人権が守られているのかということであったというふうに私自身も思っております。ただ、事裁判になって、じゃどういう制度がよろしいのかということを考えた場合に、やはり先ほど小木曽先生がおっしゃったように、様々な難しい問題があると思います。
 ただ、共通していることも一つありました。先ほど小沢さんのお話を聞いていて、非常に私参考になりました。例えば、市民感覚を入れることが裁判員裁判をつくった理由だったと、ゆえに一般市民の感覚というものを大事にしてほしいということ、それが一つ。
 もう一つは証拠の採用についてでありますが、手続では証拠を絞り過ぎていると、裁判員の負担にばかり配慮する裁判所の運用というのは、これは真相を十分に解明できず不満が残るというふうなお話をなさいました。私もそれは同感であります。立場は違えど、やはり刑事司法において事案の真相を明らかにするということについて言えば、証拠を絞り過ぎるということについては、これは運用としてはよろしくないというふうに私自身も考えております。
 先ほど、千葉の裁判、私が体験した話もしましたが、これは被疑者、被告人の立場に立ってみても有利な証拠を裁判所が絞り過ぎるということがありますが、先ほどの裁判ではそれを絞らずに、ある程度これを裁判員の方々に見せて判断を委ねたということをいたしました。私は、それが最終的には、もちろん結果がよろしかったからよろしいというわけではなくて、そのような運用がやはり裁判員にとっても納得がいく裁判の結果として表れたのではないかなというふうに思いましたので、非常にその点は参考になった次第であります。
 以上です。
三宅伸吾君 小沢参考人にお聞きをいたします。
 お話の中で、やっぱり市民感覚の意義、市民感覚という言葉がやっぱりキーワードだと思っております。裁判員裁判は、いわゆる一般の国民が裁判官と一緒に議論をして刑の重さ、量刑を決めるわけであります。
 ただ、最近、高等裁判所とか最高裁判所におきまして、裁判員裁判の判決の量刑よりもっと緩くする、例えば死刑を無期懲役にするとか懲役十五年を十年にするとか、そういう高裁、上告の判決が出ております。当然、高裁、最高裁は職業裁判官だけで議論をして一審の裁判員裁判の判断を覆しているわけでございますけれども、そういう仕組みにつきまして、小沢さんはどういうふうに思われますでしょうか。
参考人(小沢樹里君) 確かに、本当にそういうことがあります。一審で裁判員裁判ですが、日本ではまだ二審であったりとかに関しては裁判員裁判にはなっていませんが、諸外国、フランスやドイツやイタリアなどに関しては二審であっても裁判員裁判を取り入れているそうなんですね。であれば、やはり日本も同じようにして市民感覚をしっかりと取り入れた裁判を最後までしていただくことで、法律と国民の間の差が開かないようにしていただければなと思います。
 以上です。
三宅伸吾君 この点に関しまして、今年に入って三件、最高裁におきまして、一審の死刑判決を無期懲役に変えた高裁判決を支持する最高裁の決定が出ております。その判決の中に、こういう補足意見の表現がございます。裁判員裁判は刑事裁判に国民の良識を反映させるという趣旨で導入されたはずであるのに、それが控訴審の職業裁判官の判断のみによって変更されるのであれば裁判員裁判導入の意味がないのではないかとの批判もあり得るところであると。結論は逆になっているんでございますけど、こういう指摘があるということを千葉裁判官は指摘をされておられます。
 その点につきまして、泉澤参考人と小木曽参考人、この裁判員裁判の結論と異なる上訴審の判決の在り方につきまして、御意見ございましたら是非お聞かせください。
参考人(泉澤章君) 委員の先生がおっしゃったように、確かに最近、上級審において裁判員裁判が覆される、特に死刑事件について非常にマスコミでも有名になりました。ただ、これは今までも、例えば裁判員裁判で無罪になったものが控訴審で有罪になる、逆の例もまたあるわけなんですね。日本は三審制を取っておりますので、もちろんそういうことはあるんでしょう。
 ただ、私は、一般市民の感覚を取り入れるという意味での裁判員裁判の制度趣旨に基づけば、先ほどの少数意見にもありましたけれども、その人たちによって出た判決というのはやはり非常に重みがあるというふうに思います。
 ただ、私ども刑事弁護人からいうと、しかし、やはり刑事弁護の原理の中では疑わしきは被告人の利益にもありますし、それだけではなくて、言ってみれば被疑者、被告人の方々の利益というか権利もあるわけで、要するに無罪を主張する権利というものがあるわけですね。それが控訴審において疑わしきは被告人の利益にということに立ち返って無罪になるという例があるとすれば、それ自体はやはりあり得るものだというふうに私は考えております。
 ただ、諸外国においては控訴審、上訴審においてもやはり、これは多分陪審とか参審裁判だというふうに思いますけれども、あるというふうに私もお話を聞きました。制度の一つとしてはそういうことも私はあり得るんではないかなというふうには思っております。
参考人(小木曽綾君) 裁判を国の制度として動かすということは、結局、その制度を国民の共有財産として維持するということだろうと思います。被告人に生命、身体、財産を奪うような制裁を科す、その際には、そのプロセスが国民に理解できるような言葉で語られて、そして国民が納得できる結論であって初めて正当であるということが裁判員を支える理念でもあろうと思います。
 ただ、そのような立法趣旨、裁判員制度の目的であるとすれば、裁判に裁判員が参加して評議を尽くすということ自体に意義があるというふうにも見られるわけでありまして、裁判員裁判での結論、量刑や事実認定が尊重されるべきであるにしても、事実認定のルールに反する認定や過去の事例との比較で全く不合理に、しかも十分な説明なく重い刑が科される、例えばですね、例えば重い刑が科される、つまりその裁判に携わった者の一時的な感情で量刑が決せられるということがあるとすれば、むしろ司法制度への信頼が失われることになるのではないかと思います。
 したがいまして、罪刑の均衡という観点から裁判官による審査があったり、事実認定について裁判員裁判の判断と異なる判断が上訴審であるということは、むしろ司法制度としては健全なありようではないかと見ることもできると思います。
三宅伸吾君 今回の法案は、長期間の場合等にベンチトライアル、裁判員裁判ではない職業裁判官だけにする例外規定を追加するということであります。現行法でも、裁判員法第二条三項に、争いがない事件等については、裁判員四人、裁判官一人、こういう例外の小さな裁判体を予定しているわけでございますけれども、これまで一度もこの規定による裁判が行われておりません。
 新しい、この著しく長期に掛かるやつで裁判員を六人もお願いするのは大変だということで例外をつくる一方で、現行法の裁判員の少ない合議体を一回も形成していないということにつきまして、泉澤さんと小木曽さんはどう思われますでしょうか。
参考人(泉澤章君) 少ない裁判体でまだやられていない、この点について私は、御質問の趣旨はよく分かりましたが、余り考えたこと、検討したことはございませんでした。
 ただ、長期裁判の場合にやっぱり例外を設けるということについては、これは私の知る限りでも、かなりこの制度をつくるときにもさんざん議論されてきたことだというふうに思いました。それによって今の制度ができ上がっているというところだと思います。実際に施行してみて、さいたま地裁とか、かなり長い例もありました。でも、それはいろいろな工夫をした上で、やはりそれは裁判としては成り立っているわけでございます。
 私が思うに、いろいろ議論した末、しかしこの裁判において長期裁判であっても例外を求めないということはなぜかというと、やはりそれは裁判員裁判の意義があったんだと思います。やはり重大な裁判、事件について国民に司法参加していただいて、国民のそれこそ意見や感覚をそういう重大な裁判こそ反映させるのが、これが裁判員裁判であると。多分そのような趣旨に基づいて、私が考えるには、やはり例外を設けなかった。むしろ、やり方はいろいろあるでしょうと、そのうちにできた例えば区分審理の問題とか、いろいろなことを工夫することでできるであろうというふうに考えたんだと思います。
 先ほど小さな裁判体の例がありましたけれども、それがあるけれどもなされていない。逆に、大きな裁判というか、通常の裁判員裁判においてまだ例外に当たるような事由も、多分今でもないというふうに言われているわけですよね、現実には。それを何となく架空で想像して、それを制度として求めるというのはちょっと違うのではないかなと私自身は思っております。
参考人(小木曽綾君) 小さな裁判体で行うという制度は、重大な事件でしかし争いがないものについてはそれで行うという関心で設けてあるものでありますけれども、今法案になっているのは、争いがあるとかないとかということよりは、長期にわたるのでその部分の裁判員の負担を考慮したということですので、両者の狙いはそれぞれ別であろうというふうに考えております。
三宅伸吾君 終わります。
小川敏夫君 民主党の小川敏夫でございます。
 今日は、参考人の皆様、貴重な御意見ありがとうございます。
 それで、まず泉澤参考人にお尋ねいたします。
 御意見の趣旨として、裁判員制度というものを肯定的に捉えていただき、その一つとして冤罪を生むのを防止する、冤罪の防止、そうした面での効果もあるという御意見であるとお伺いいたしましたけれども、冤罪の防止そのものは刑事訴訟法全体の問題で大きな問題でありますけれども、しかし、この裁判員制度が冤罪の防止に寄与しているということであれば、それは大変好ましいことだというふうに思います。
 そうした面から、裁判員裁判が冤罪の防止という面で有効に機能しているというところをもう少し詳しくお話しいただいて、さらに、そうした面で、冤罪の防止という観点から、裁判員裁判の制度をこのように改善したい、改正したいというような御意見ももしございましたら、御披露していただきたいと思います。
参考人(泉澤章君) 今の御質問の中で、裁判員裁判が冤罪の防止にとって非常に前進というか、させるものであるというふうなことだと思いますが、当初、やはりこの裁判員裁判制度が導入されるときには、むしろ冤罪を生むのではないか、多くするのではないかという議論もありました。例えば、証拠を非常に圧縮して出させるとか、弁護側の主張について、また立証についても非常に絞るとか、そういう議論がございました。
   〔委員長退席、理事熊谷大君着席〕
 私は、手放しで裁判員裁判制度が冤罪の防止に役立つというふうには思いません。ただ、今までの少なくとも運用の中で前進面があったとすれば証拠ですね。証拠をできるだけ出させる、前に出させる、類型証拠開示や争点関連証拠でも出させるということがあったというふうに思います。これまで証拠の偏在によって弁護側が証拠をなかなか見れないということがございました。これがやはり冤罪の一つの原因だったわけであって、これを、裁判員裁判が公判前整理手続とドッキングさせることによって事前に開示させるということとなった、これは一つの私は前進ではなかったかなと思います。
 ただ、これは非常に危ないところもございまして、先生方も御存じだと思いますけれども、要するに、本当に全部出たのかということについて言えば、まだそれはよく分からないところがございます。
 全て開示ということになっておりませんのと、あともう一つ、やはり弁護側の主張や立証を公判前整理手続で全部もう出しなさいということになってしまうと、やはり私ども弁護士は事件になってから仕事として入っていくわけであって、言ってみれば後から入っていくわけですよね。そうなった場合、無罪を主張するための証拠がなかなかない。その下で、早くとにかく言えと、なぜ無罪になるのかということを言われても困るわけですね。そういうことがもしも運用の面で厳しくなれば、むしろ、じっくりやれば無罪だったものが有罪になってしまう可能性も私はあるというふうに思います。だから、手放しで喜ぶわけにはいかない。
 ただ、先ほど言ったように、証拠について、類型証拠開示や争点関連証拠開示で今のところはかなりの証拠が出ているし、あと検察官も運用によって任意開示で大分出すということになっておりますので、これをかなり早い段階で検察側が運用していただければ、これは一つ冤罪をなくすための前進になるのではないかなというふうに思います。これが一番私としては体験的には大きな一つの前進面だったというふうに思いました。
小川敏夫君 小木曽参考人にお尋ねいたします。
 小木曽参考人のお話の前提として、小木曽参考人もこの裁判員制度を肯定的に捉えていらっしゃるというふうに私思ったわけでございますが、泉澤参考人の方からは、冤罪防止という面から、この裁判員制度、肯定的な御意見いただきました。あるいは、小沢参考人からは、裁判員裁判によって被害者の立場の声も聞いていただいたという面で、裁判員制度に肯定的な御意見をいただきました。
 こうした面で、裁判員制度について小木曽参考人はどのようにお考えになっているか、御意見をお聞かせいただければと思いますが。
参考人(小木曽綾君) まず、誤判の防止ということですけれども、陪審制度にしても参審制度にしても、それを導入している国の制度趣旨、目的が誤判防止にあるというふうには私は考えてはおりません。
 例えば、英米の陪審制度であれば、これは国の処罰権から個人を守る盾であるということでありまして、歴史的には、有罪であることが証拠上明らかであっても、有罪にすると極めて重い刑罰が科されるということが分かっているものをあえて無罪評決をするということが行われた時期もございます。
 参審制度は、いろんな国のものがあると思いますけれども、例えばフランスでは、フランス革命のときにイギリスの制度を学んで参審制度を入れたわけですけれども、これは、それまで貴族に独占されていた国政、裁判を含む国政を国民の手に取り戻すというか、国民のものにするということで革命が行われ、併せて裁判にも国民が参加するということになったものでありまして、そのときの目的が、事実認定を正確にする、つまり誤判を防止するということではなかっただろうと思います。
 ただ、先ほどからお話出ておりますように、市民感覚が反映されるということで、結果的に、裁判官が見る物の見方とそれに国民の見る物の見方が合わさって、そこで議論がされることによって有罪だったものが無罪ということになるということはあるのだろうと思います。ただ、この施行後の数を見ますと、有罪率も控訴率も裁判員制度が始まる前と後でほとんど変わっていないのではなかったかと私は記憶しております。
 そうすると、では、なぜ肯定的に評価するのかということですけれども、そのようにして国民がそれに参加すると、刑事裁判というのはこういうものかと、被告人の自由、財産、場合によっては生命まで刑罰として奪うという、裁判というのはこういうものかということが、裁判員が理解する、ひいてはそれが国民の理解につながると。
 犯罪というのはどこか社会の問題を反映するものですから、やがて、そうした実務が積み重ねられることによって、どうして被告人はそういう行為に出たんだろうということを社会全体の問題として考えるということになっていくことを期待しております。
小川敏夫君 参考人お三方にお尋ねしますが、裁判員裁判というものがうまく機能して国民に受け入れられているという状況が迎えられているというふうに思いますし、今日、参考人のお三方の御意見も、裁判員制度について前向きな、肯定的な御意見であるというふうにお伺いいたしましたが、私は、こうして順調に来た裁判員裁判、より国民の司法参加を広げるという意味でこの対象を広げてはどうかというふうにも思っております。
 具体的には、対象事件を広げるとか、あるいは地裁だけでなくて高裁でも裁判員の仕組みを導入するとかいうような形で、裁判員の裁判を拡大するというのかな、要するに制度の適用を広げていく方向で検討したらいいのではないかと私自身は思っておるんですが、参考人お三方はそれぞれいかがでございましょうか。
 あと、泉澤参考人、小木曽参考人の御意見いただきましたが、もしそれに対する御意見がありましたら、それも付け加えていただいて結構でございます。
参考人(泉澤章君) 私も、裁判員裁判ができたから冤罪や誤判が防止されるとは考えておりませんし、やはり、何度も言っておりますように、これの運用の仕方や理念によっては逆のことになることだってあり得るんだというふうに思います。そこはまずははっきりさせておきたいというふうに思います。
 その上で、あとは、小木曽先生の考え方もございますでしょうけれども、私はやはり弁護士の立場なので、ちょっと個人的なことかもしれませんが、やはり今まで私たちの先輩方というのは非常に大きな事件を扱ってきた、最終的には無罪になったんだけれども、その間には非常に努力というか死闘を繰り広げてきたという先輩方がたくさんいます。私は自由法曹団という団体に入っておるんですけれども、そこはかつて松川事件とかいろんな事件をやった弁護士が多くて、私も上田誠吉先生とか非常に高名な弁護士に憧れて弁護士になったというのがあります。
 その立場からいうと、彼らに私が聞いたので、一番何が今まで苦労しましたかと聞くと、裁判官全てではないですけれども、やはり非常に官僚的な裁判官の考え方、裁判所の対応等について、どうこれを打破していくかということについて非常に苦労したという話を聞きました。
 だから、これに対して、国民の一般的な感覚が入ることによってその点だけでも変わっていけばやはり裁判も変わっていくのではないかというふうに、もちろんそんな単純にはいかないかもしれませんけれども、考えて、私はこの裁判員裁判の前進が冤罪、誤判の防止になればいいと、また、そういうふうに運用すべきだし、していくべきだというふうに思ったという次第なんです。
 それが一つと、もう一つ御質問にありました対象を広げたらどうかということなんですけれども、その意味では私もそう思います。単純に対象を広げるというよりも、刑事裁判制度が一体となって、やはり冤罪、誤判の防止、きちんとした市民感覚を反映した手続を、言ってみれば、何といいますか、つくっていく、その中で対象を広げていく。
 例えば、可視化の問題一つ取っても、今は裁判員裁判ということとあと特捜事件にしか適用されないというような議論がございますけれども、仮にもしも裁判員裁判を多少広げるのであれば、多分可視化の範囲も当然ながら広げなきゃ駄目でしょうし、証拠の開示の範囲も広げなきゃならない。そういうこともみんな一緒になって広げていくということが、私はこれは本当は一番正しいやり方だと思います。もちろん試行錯誤ややり方の順序がありますでしょうけれども、結論的に私はそれが一番正しい方法ではないかなというふうに思っている次第です。
 以上です。
参考人(小沢樹里君) 私は、その対象を広げるということに関しても、高裁で裁判員裁判をやはり入れるということも非常にいいんではないかなと思います。
 というのも、やはり私自身、裁判員裁判を経験したときに、先ほども言いましたけど、証拠の制限であったりとかした場合であっても、市民感覚が入って、自分たちが見たいという要望というのはやはり周りも見たいと思って当然だと思いますし、実を言うと私自身も候補者として選ばれたことがありました。最後の最後までは、ちょうど最後のところで落とされてしまったんですが、すごくやはりもうそこに行くまでの間に覚悟して、行こう、しっかり見届けようと思っていた人が周りにも多かったように感じます。
 もちろん中にはちょっと困ったなという方もいると思いますが、随分と市民の中でも浸透してきたんじゃないかなと思いますし、また、私たち被害者にとっても、被害者の意見を聞くだけではなくて加害者の意見も引き出すという面では、裁判員の意見というのは非常に大切なんじゃないかなと考えております。
 以上です。
参考人(小木曽綾君) この法案が、長期にわたる場合には負担が重くなるからというようなことを理由にしているということもあるわけですけれども、それでもその負担を背負ってでもやるべきだという考え方ももちろんあると思いますけれども、一方で辞退率が上がっているということもあるわけでありまして、であればそれを上げればいいではないかという考え方はもちろんあるわけですけれども、刑事事件の対象を広げるということでいえば、それに係るやはり国民の負担、手続に係る人的、物的資源の配分として、そうしなければならないかどうかということとにらみ合わせながら考えなければいけないものだと思います。
 それから、民事行政事件に広げていくということについては、これは将来の議論に委ねられるのだろうと思います。私は今現在それについて特定の意見を持っているわけではありません。
 上訴ですけれども、刑事事件の上訴について裁判員をということですけれども、これ、三審制といいますけれども、第一審、二審、控訴審、上訴審、それぞれ役割が違っておりまして、現在の日本では、第一審の裁判の事実認定とそれから法律の適用、量刑等に誤りがあってそれが判決に影響を及ぼすという場合にだけ、その誤りの部分を審査するために上訴審が判断するという仕組みになっておりまして、上告審は憲法問題を主に担当するという役割分担になっております。ですので、控訴審、上訴審というのは、やはり法律の専門家が判断するということに適した場なのではないかというふうに考えております。
小川敏夫君 ありがとうございます。
矢倉克夫君 公明党の矢倉克夫です。
 今日は、小木曽参考人、小沢参考人、泉澤参考人、大変貴重な御意見を賜りまして、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。とりわけ、小沢参考人からは、御自身の、また御家族のつらい経験等もこの場のような形でしっかりとまたお話しもいただきました。大変参考にさせていただきました。
 私も法律家の端くれの一つではあるんですが、やはり法律家はどうしても、例えば刑事裁判とはこういうものであるべきだであったり、思考の部分で最初から枠を決めて議論をするところがありまして、また目的に向かって必要最小限のことを聞くというところがあるんですが。お話をお伺いもして、国民の観点、市民の観点というところからすると、被害者の方が聞きたいことを聞くという、そういう機会をしっかりと与えていく、その思いを伝える、ぶつけるという機会を大事にしていくということはやはり大事なことであるなと。目的としてもまたしっかり考えていかなければいけないところであるし、被害者の人権ということも考えていかなければいけない、更に検討しなきゃいけないことであるというふうに改めてお教えいただきました。本当にありがとうございます。
 後ほど時間があればその点もまた御質問させていただきたいと思うんですが、ひとまず今日は法案のところを、まず先に裁判員制度のところで参考人に御質問をさせていただきたいと思います。
 まず小沢参考人にちょっとお伺いしたいと思うんですが、今回の法案、一つは、審理が長くなる可能性のある裁判員裁判、そちらについては裁判員裁判の制度から除外をして普通の裁判官の裁判に戻すということが一つの問題になっています。大体それは長期がどれぐらいかというところなんですけれども、先ほど小沢参考人のお話の中でも、この裁判員裁判の制度というものの重要性の観点から考えると、裁判員の負担というところ、そこはある程度考慮をしなければ、考慮というのは、負担もやはり前提として考えなければいけないというような御意見もあったかと思います。
 その負担とのバランスで、今回、裁判員制度から除外すべき部分というのはどれぐらいなのかというところが問題になっておりまして、今までですと、大体、選任から判決まで百二十五日間ぐらいが最長、あと百日間があったりとかするんですが、今までの議論ですと、それぐらいまでは裁判員として現に今までできてきたわけですので除外はしないだろうというような論調が非常に強い部分ではあります。
 この点、他方で、長期にわたる裁判ほど国民の関心も高いわけですから裁判員裁判でやるべきではないかと、その辺りのバランスをどう捉えるのかというところが非常に問題なんですが、率直な御意見として、大体これぐらいであれば裁判員として負担を感じながらでもやはりやるべきではないかというところがもしございましたら、御意見をいただければと思います。
参考人(小沢樹里君) 非常に難しいことだと思います。百日の段階で、遺族がどのように関わっているかというその御遺族の状況であったり、事件の裁判体の、それこそ無罪を争うのか争わないかによってもすごく意見が分かれるのではないのかなと思うんですけれども、私だけの意見として考えるのであれば、やはり争う事件であって、遺族も関心があって、遺族がやりたいという意見があるのであれば、しっかりと裁判員裁判を取り入れてもらいたいなと思いますけれども、裁判員の意義というのがやはり非常に大きいと私は感じているものですから、百日で区切るのか百一日で区切るのかとかというような部分に関して、私自身で意見を言うのは非常にちょっと難しいのかなと感じています。
 ただ、少なくとも裁判員の意義があるのではないかと思っております。


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