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原始人の見聞
日本の文化は一言では語れません。

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「新聞の挿絵(しんぶんのさしえ)」の始まり
 明治7年(1874)7月に具足屋より発刊された『東京日々新聞』に落合芳幾が挿絵を描いたのが日本における新聞の挿絵の始まりである。次いで、明治12年2月21日から『大阪朝日新聞』によって「集散離合連枝の光栄」と題する絵入り物語を出したが、これは日刊新聞の絵入り小説の始まりである。

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「新聞の碁譜(しんぶんのごふ)」の始まり
 明治31(1898)5月の神戸新聞に、棋譜が掲載され、次いで昭和5・6年頃から囲碁が盛んになると、各新聞とも競って碁譜を掲載し始め、これに大衆的な興味深い解説を付ける様になってから、益々流行し、さらに名棋士の呉清源や木谷実などが出現し、囲碁界は空前の盛況を見るに至った。

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「新聞の海外通信員(しんぶんのかいがいつうしんいん)」の始まり
 明治33(1900)2月に大阪毎日新聞社がジョセフ・モリスをロンドンの常設通信員としたのが、日本の新聞界における海外通信員の始まりである。
 ジョセフ・モリスは明治4年(1871)に工部省の“お雇い外国人”として来日し、10 年間にわたって日本の電信線架設を指導した技術者である。

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「新聞の案内広告(しんぶんのあんないこうこく)」の始まり
 明治31(1898)正月から『報知新聞』が第一面に職業案内、家屋の貸借、会合の通知などを掲載したのが始まりである。
  この時の広告料金は10銭、20銭、30銭の三種類であった。
 次いで明治33年3月3日から『時事新報』でも同種類の広告欄を設け、明治34年から東京の呉服店の案内、印刷所の案内、芝居の案内、保養所の案内などを始めた。
 これらの広告は料金が安かったため、当時の時勢に応じて大変評判が良かったという。

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「新聞に振り仮名付(しんぶんにふりがなつき)」の始まり
 明治12(1879)正月に大阪朝日新聞が発刊された時、当時はまだ活字に振り仮名を付けることが困難であったので、振り仮名付の活字を発明して印刷上にも一つの新生面を開いたのが始まりである。
 次いで、明治25年正月16日から東京日々新聞でも全文を振り仮名(ルビ)付に改めた。

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