精神科医の犯罪を問う

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精神科医や精神医学会がアンチスティグマを叫ぶことは、この上無い偽善です。当事者や家族ならまだしも、製薬会社から資金提供を受け、精神科医・製薬会社が主導となって展開されているこのキャンペーンは、決して患者の「スティグマ」をなくすものではありません。
 
彼らの意図をシンプルに読み解くと、「精神障害に対する差別のない社会」が目的ではなく、「人々が精神科を簡単に受診する社会」が目的なのです。一見して似ていますが、よく考えるとそれは全く別物です。彼らは、その目的(=顧客を増やす)ために、製薬資本によるフロントグループを作り、当事者や家族を前面に立たせ、いかにも彼らが主体となって展開するかのように見せかける手口を用いているのです。
 
もちろん、偏見に苦しみ、差別を受けてきた当事者や家族の立場は理解できます。しかし、世間の無理解に憤り、「社会」「世間」「一般人」を相手に戦っているとしたら、それは戦う相手を間違えています。なぜならば、そもそも世間に偏見を積極的植え付けた存在が無視されているからです。
 
精神障害および精神障害者に対する差別や偏見を煽り、日本の精神保健政策を歪めてきたのは、他でもない精神科医です。
 
これを理解できない人々は、本当の敵に目くらましをされ、意図を逸らされ、てなづけられ、間違った相手に攻撃をしかけているということになります。では、精神科医がいったい何をしてきたのでしょうか?
 
これが事実です。
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日本精神病院協会は、精神障害者を「常に平和と文化との妨害者」と表現(最後から6行目当たり)し、不安や恐怖を煽りたてることによって精神病院を乱立させることに成功しました。これによって日本は世界最大の精神病院大国となりました。この設立趣意書は1949年のことです。
 
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これも信じ難い内容です。日本精神衛生会と日本精神病院協会が連盟で厚生省に陳情を提出(1953年)したのですが、そこで「精神障害者の遺伝を防止するため優生手術の実施を促進せしむる財政措置を講ずること」と要望しているのです。
 
イメージ 3
 
 
精神障害が遺伝するという何ら科学的根拠のない情報を流布し、恐怖をあおり、優生手術を促進してきたということです。さすがは、ナチスの精神医学の系譜を継ぐ存在です。
 
ハンセン病では、国が誤った情報を元に実施された、差別的な隔離収容政策に対して公式に謝罪しました。一方、精神保健政策についてはどうでしょうか?
 
ドイツ精神医学ですら、過去の非人道的実践について公式に謝罪しました。日本の精神医学会は、謝罪や反省をするどころか、偏見があるのは世間の理解が足りないからだと責任を転嫁しようとしています。
 
こんな人々が「アンチスティグマ」と叫ぶことは、ヒトラーが人道主義者を名乗るようなものです。ちなみに、週明けにも都内で開催される世界精神医学会アンチスティグマ分科会国際会議の主催者であるこころのバリアフリー研究会事務局を調べてみると・・・
 
1日89錠という、超絶多剤大量処方をしているあの精神科医でした・・・
そこからして茶番なのです。
 

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権力の暴走と精神医療

権力が大きくなればなるほど、そこにはそれに見合う責任が伴います。責任なき権力はただの暴力でしかありません。もちろん権利にも責任が伴います。自由ですら責任が伴います。なぜならば、責任なき自由は無秩序・無法状態であり、結局お互いに律することができなければ互いの自由を侵害し合うだけだからです。
 
結局のところ、全てにおいて責任が必要であるということです。しかし、人間は時に責任を低下させたり、放棄してしまうこともあります。誤った責任感・正義感で暴走してしまうこともあります。これらに伴い、権力も暴走してしまうことがあります。
 
成熟した社会においては、権力が暴走しないよう、それを制御する何らかのシステムが存在します。三権分立であったり、行政やオンブズマンによる監視体制であったりします。
 
無論、細かいところまで全てに監視システムを強いるようになれば、それはそれで別問題が生じるので限度はあるでしょう。しかし、少なくとも本人の意思に反して人の身柄を拘束できる権限については、しっかりと第三者が監視できるようにする必要があります。
 
そもそも、日本国憲法においてはこのように書かれています。
[憲法第34条]
何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
 
しかし、これが守られていない領域があります。その代表格は言うまでもなく、精神保健と児童福祉の分野です。具体的には、精神保健指定医が「正当な理由」なしに強制入院させ、児童相談所が「正当な理由」なしに子どもを親から引き離し、身柄拘束と面会制限を強いているのです。
 
誤認逮捕はたった一件でもあれば大問題になりますが、強制入院や児童相談所の措置については、それが冤罪であるかどうかすら確かめられることもありません。要するに、精神保健指定医や児童相談所の判断が正当かどうかを公平に評価するシステムは存在せず(※精神医療審査会には公平性など存在しません)、被措置者は権利制限に対抗する手段すら持たないということです。
 
端的に表現すると法律上の不備なのですが、そのような不備が起こる背景には「専門家が誤った判断をするはずがない」「資格を有する専門家が悪意を持って不当に判断するはずがない」という思い込みがあります。
 
昔から強制入院の問題はありましたが、最近は児童相談所の問題が目につくようになっています。その理由は単純です。児童福祉の問題に精神医療が入り込んできたからです。精神医療が絡むと、恐ろしいまでの思考停止が起きるのです。それぞれの被害事例を分析すると、精神科の診断が、いかに社会的権利を不当に奪うのかがよくわかります。
 
児童福祉法もDV防止法も各種虐待防止法も、あまりにも不備が多く、本来の目的や理念に完全に反する適用が可能です。法律の不備を突く濫用がいとも簡単にできるのです。そして、それを手助けしているのが精神医療であることを強調しておきます。逆に、精神医療が口出ししなければ、ここまで事態は悪化していないと言えます。
 
最近は本当にひどい事例の報告を受けます。家族という単位が根本的に破壊されている様子が本当にわかります。本当の犯罪者は、自分の犯罪を隠すために、それを暴き出そうとする人々に罪をなすりつけます。誰かをハメたいのであれば、精神医療を利用すればよいのです。精神科医は、根拠がなくても診断名をでっちあげてくれます。全く病気ではない人を強制入院させてくれます。全く非のない相手を有責に仕立て上げる方法を指南する離婚専門の弁護士も存在し、簡単に診断書を出す精神科医と手を結んでいます。
 
想像してみて下さい。あなたが学校に通っているとします。校内で陰湿ないじめを繰り返している首謀者がいて、あなたがそれに気付きます。先生にそれを報告しようとしたら、先手を打たれ、いつの間にかあなたがいじめの主犯であると濡れ衣を着せられます。反論しようとしたら、勝手にでっちあげられた証拠(他人の財布がかばんの中に入れられているなど)によって、先生は完全に首謀者を信じ、あなたは誰にも信用されません。友人も離れ、校内どこに行ってもひそひそと後ろ指をさされます。家族も誰もあなたの言うことを信用しません。
 
さて、こんな体験をしたらどうですか?誰だっておかしくなりますよね?
 
このようなことが精神医療の世界では普通に起きているのです。しかも、それに加えて子どもを引き離されるという追い打ちまでかけられている母親もいるのです。信じられますか?これでまいってしまったら、本当の精神病として処理されてしまうのです。
 
私は、今までこのような被害者と何人にもお会いしましたが、全員口をそろえて言われる言葉があります。それは、「初めて私の話を信じてくれる人がいた」です。そうなのです。精神医療被害者も児童相談所被害者も、その被害を他人に伝えたとしても、「専門家がそんなことするはずがない」という思い込みによって誰にも信じられないのです。単に信じてもらえないならまだしも、そのような妄想や正当化をするのが病気の証拠だと切り捨てられることもしばしばです。
 
これはまさしく人間の尊厳そのものを奪う行為です。金銭の不正も悪質な犯罪ですが、単に金をだまし取られるくらいであればまだましです。尊厳をこのような形で奪われることは、ある意味死ぬこと以上の苦痛と屈辱でしょう。このような魂の殺人こそが、精神医療イデオロギーの真骨頂です。
 
法律が変わらない以上、被害はいつまでも減りません。法律を変えるには、まずはこのような問題があることを世間に認識させないといけません。つまりは、被害者が声を上げることが第一のステップだということです。
 
幸い、今ではネットが発達したおかけで、声なき声を聞くことができます。精神医療被害についても、児童相談所被害についても、検索すれば色々な情報が出てきます。このようなタブーに切り込む報道や書籍も出始めています。将来、精神医療被害も児童相談所被害も非常に大きな社会問題になることでしょう。それについては何の疑いもありません。しかし、当事者にとってはこれ以上待てない話です。今すぐ火がつくのか、それとも十年後に火がつくのかは、声がどこまで大きくなるかにかかっています。

医学生に期待するもの

医学生の方からこのようなコメントをいただきました。


初めまして、秋月と申します。
今回の記事が偶々目にとまりバックナンバーも含め
読ませていただき大変感心いたしました。

実は私は医学生であり精神医学に対して
このブログと同様の立場から興味を持っております。
そこでご質問なのですがこれからの医療を築く上で
精神医療に対しどのようなことをご期待されますか?
「そんなエセ医学に身を置く人を無くしていってほしい」あるいは
「元々基盤の不安定な医学であることを認めた上で精神医療に
身を置き、医療という現場から介護や福祉への
移行を推してほしい」でしょうか。



丁度良い機会なのでこれについてお答えします。

 
その前に、精神医療あるいは精神医学という言葉がどのような概念で使用されているのかを明確にする必要があります。私が問題としているのは、正確に表現するとイデオロギーとしての「精神医学」であり、その実践としての「精神医療」なのです。
 
具体的には、人間の精神性を否定し、脳=心とする唯物的発想から脳への物理的アプローチ(実際には損傷)によって心を変えることに固執し、生き生きと本来の個性を発揮できる状態にではなく、体制や環境に対して従順になるように人間の状態を変えることを目的とし、その目的のために非科学的なラベリングや乱暴なショック療法、脳外科手術、薬物療法という手法を用い、人の自由や権利、命を根拠なく奪う一連の理論や実践のことを指します。
 
精神科医を名乗る医師の大半は、そのようなイデオロギーに染まっています。そして、「精神科」が標ぼうされている医療機関の大半は、そのイデオロギーに基づいた実践がなされています。しかし、中には精神科医という肩書きを持ちながらも、そのような実践から決別し、本当に必要で根拠のある医学的アプローチを用いる人々もいます。
 
従って、私は「精神科医」「精神科」という肩書きに対して攻撃したいのではありません。その背景にあるイデオロギーと、危険な技術・実践を根絶したいということです。
 
一番の問題は、このような精神医学、精神医療は法や憲法を超えた存在となっているということです。たとえば、何ら医学的、薬理学的根拠を示すことのできない多剤大量処方など、常識的に考えたら傷害罪です。何ら精神疾患を有しない人を問答無用に強制入院させることは、常識的に考えたら逮捕監禁罪です。しかし、その常識も通常の法解釈も通用しないのがこの世界なのです。
 
ですから、精神医学・精神医療を法の下に戻し、その有害な実践を取り除くことが最初のステップになります。その上で、今まで精神医学・精神医療が不当に独占していた精神治療の分野が、より良識的で科学的、人道的実践に取って替わられる必要があります。それは別に「医学」の分野に限定されるべきものでもありません。たとえば、穏やかな環境で介護・看護するような人道的な「ケア」は、劣悪な精神病院における精神科医による強制的な治療よりもはるかに効果があるでしょう。ちょっとした人生の悩みについての相談は、何でも精神病に結び付けて投薬するしかしない精神科医よりも、世話好きで人生経験豊富なおばちゃんの方が頼りになるでしょう。
 
ここで重要なのは、イデオロギーとしての精神医学的発想から抜け出せるか否かということです。現在の精神医療が問題を抱えているということについては、誰も反対する人はいません。そこでよくあるのは、予算を増やす、精神科医を増やすという短絡的な発想です。薬漬けは問題だ→精神科医の診察時間が短くて投薬に頼るしかない→精神科医を増やし、診療報酬を手厚くしようという思考です。
 
この時点で、精神医学的発想にとらわれているのです。なぜ薬漬けになるのか?その本当の原因は、診療報酬のせいでも、人員不足でもありません。患者を従順にさせることが正しいと教育され、そのように信じ込み、患者の人生や回復について何らの責任も感じていない精神科医の発想が変わらない限り、この問題はいつまでもなくなりません。むしろ金とマンパワーを与えることで被害は拡大するでしょう。
 
一度精神科の領域に入り込み、たとえ不本意であっても患者の人生の破滅に手を貸してしまった人々は、もう精神医学的発想から抜け出し難い状態となります。なぜならば、それが正しかったのだと正当化し続けないといけなくなるからです。本当はもっと患者と会話する必要があるのがわかっているが・・・経営が成り立たないので・・・上司からそのように対応するよう教わったから・・・もっと薬を増やさないと大変なことになるから・・・こうやって感覚が麻痺した精神科医の出来上がりです。
 
ここでやっと回答らしきものになります。
 
精神医療に対しどのようなことをご期待されますか?
→精神医療自体に何の期待も抱いていません。「医療」の分野から排除されることを願っています。では精神科という分野を無くせということか!?精神的に苦しんでいる人を無視しろということか!?と反応する人がいるかもしれませんので補足すると、もしも精神的に問題を抱える人に対し、従来の精神医学的イデオロギーから決別した適切なケアを提供できるのであれば存在価値は十分にあります。その場合、守備範囲は以前の精神医療と同じではあっても、その発想や実践は全く別形態のものとみなせるでしょう。それを精神医療と呼ぶのであればそれはそれで構いませんし、実際そのようになることを願っています。
 
「そんなエセ医学に身を置く人を無くしていってほしい」→その通りです。ただし、前述した通り、身を置く(肩書きを持つ)としてもエセ医学の実践をしないという選択肢もあります。非常に困難ですが。
 
「元々基盤の不安定な医学であることを認めた上で精神医療に身を置き、医療という現場から介護や福祉への
移行を推してほしい」→
このような役割を担う人は必要です。精神医療が本当に変わるとしたら、内部から変えていく人の存在は不可欠です。ただし、あえてそのような道に身を投じるというのであればそれはお勧めしません。内部に身を投じずとも、外部からそれを効果的に変えて行くという手段があるからです。
 
味方がいない敵地で戦い続けることは、たとえ目的を強く持っていたとしても妨害や挫折で非常に疲弊させられます。それどころか、挫折を繰り返すうちにミイラ取りがミイラになることも十分にあり得ます。同じ目的地に到達したいのであれば、より安全でかつ効果的な道を選ぶ方が賢明です。
 
単純に、他科の医師が、精神科医の診断や投薬の医学的誤りを指摘すればよいのです。過剰診断の問題、除外診断の重要性、DSMやチェックリストを用いた診断・スクリーニングの危険性、モノアミン仮説の虚構、CYPを無視した多剤併用の危険性を「医学」の立場から指摘することは非常に価値があります。そして、看護、介護、福祉の分野とも連携し、本物の「ケア」の在り方を模索し、効果的なモデルを作り上げることも重要です。要するに、素人が精神医療を批判するのと、医師という立場から批判したり対案を出したりするのでは、まったくその意味合いも重要性も異なるということです。
 
私が医学生にお願いしたいのは、医学という分野から、有害な精神医学的技術(例:根拠のないチェックリストに基づいたうつ病の早期発見)を取り除き、本来の医学を取り戻して欲しいということです。精神科医が医学の発展を邪魔するようであれば、公然とその問題に対して声を上げて欲しいです。
 
ということで答えになったでしょうか?

理解の段階

人には理解の段階があります。正確には、真実を受け入れるには直面の段階があるということです。正しいものを話せば何でもOKというわけではありません。相手の理解の段階を無視して一方的に話し、受け入れることのできない相手を非難するというのも問題です。
 
精神医学・精神医療問題に対する理解にも段階があります。
1.多剤大量処方は問題だ(適切な処方が必要)
2.誤診は問題だ(適切に診断できる精神科医を増やす必要がある)
3.薬物療法偏重はおかしい(認知行動療法なら・・・)
4.患者を害するような実践はおかしい(良識ある精神科医なら何とかしてくれるはず・・・)
5.精神医学の診断基準・疾患概念がおかしい
6.そもそも精神医学の発想がおかしい
7.精神医学の存在意義そのものが・・・
 
現時点の日本では、まだせいぜい1〜3あたりでしょう。多剤大量処方などは、一部の精神科医と司法を除き、ほとんどの人々がおかしいことに同意しています。しかし、それでも多くの人々は「正しい診断」があると信じています。
 
精神医療システムに何らかの恩恵を受けている人に対して、最初から7以上の段階の切り口で話をしても、受け入れられるはずがありません。精神科医の治療方針に同意している(せざるを得ない)患者に対しても同じです。理解の段階を無視したアプローチは、強い拒絶を引き起こして終わります。
 
もしも多剤処方を受けて苦しんでいるのに、それが正しいものと信じ込んでいる人に対して、いきなり某DVDを見せてそれで終わりとしたら間違ったアプローチです。厚生労働省の通知を見せ、医薬品添付文書を見せ、それから多剤大量処方の問題を取り扱った新聞記事やテレビ番組を見せ・・・というように段階を踏むことが重要です。
 
では、理解の段階を相手に合わせ、常に低いレベルに落としこんだ発言しかできないのか?ということになります。それは、個別の対応で相手に理解をもたらせることを意識した場合の話です。相手の反応が見えるので、低い段階から高い段階に引き上げていけば良いだけです。
 
しかし、大衆に向けた情報発信であれば、必ずしもそれが正しいとは限りません。むしろ、低い段階に迎合し続ける態度であれば全体は何も変わりません。時には高い段階の強いメッセージを発する必要があります。理解のできる高い段階の人から引き上げていくという行動を繰り返すことで全体が引き上げられるからです。
 
このようなメッセージが発せられると、面白い現象も起こります。興味深い「反応」が出てくるのです。過剰な反応を示す人々を取り上げると、そこに何かあることがわかるのです。何かとんでもないことを隠している人は、それが見透かされると過剰な反応を示します(例:副作用について尋ねると途端に血相を変えて怒り出す精神科医)。もしもそこに「反応」が出ないのであれば、それは適切なメッセージではないということです。
 
約2年前、「より良い精神医療という幻想」というタイトルで記事を書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/51815218.html
 
この中にある、「『より良い精神医療』というものは存在しない」という言葉の本当の意味を理解できる人々が増えたこと。これが2012年の成果でした。来年は、その理解と合意を広げていくことが目標です。その上で、患者の心身を傷つけるような、精神医療の有害な実践を具体的に規制する(例:根拠のない多剤大量処方を禁止する、など)ことを実現化し、単に専門家につなげる類のメンタルヘルス対策を一掃させましょう。
 
それではよいお年を
自民党の圧勝で終わった今回の選挙。懸念されるのは、圧倒的議席を獲得したことにより、歯止めがかからなくなることです。これは与党が自公だからだという問題ではありません。
 
たとえば、前の国会で廃案になった労働安全衛生法改正案(労働者に対するメンタルヘルス義務化)が再び提出されるとします。提出された時点でほぼゲームオーバーです。
 
歴史的に、精神医療は科学的根拠のなさを、権力にすり寄ることでカバーしてきました。権力側の「道具」として自らを差し出すことで生き残ってきたのです。ナチスドイツと精神医療の関係はその典型です。
 
ですから与党がどこの党であろうと関係ありません。時の権力者にすりよれば良いのですから。例えば、自民党政権時代は、日本精神科病院協会の政治連盟が族議員に多額の献金をしていました。日本医師会はいつの間にか精神科医にその政治力を利用されるようになり、日本医師会推薦の精神科医が自民党議員となって精神医療分野に大きな影響力を持ったこともありました。
 
民主党政権になって良かったことは、一旦この利権のしがらみが断ち切られたことです。自民党時代にはできなかったような政策も可能となったのは確かでした。しかし、それは長続きしませんでした。
 
一例として、長妻元厚生労働大臣の功績を見てみましょう。彼は精神医療について「薬漬け」と発言するなど、多剤大量処方の問題にも積極的に取り組みました。一見すると素晴らしいですが、結局彼は精神医療業界の発想から抜けることはできませんでした。いや、むしろ促進する結果となりました。例の労働者に対するメンタルヘルス義務化という発想は、そもそも長妻氏が、健康診断でうつ病チェックをしたら良いと言い出したことに遡ります。
彼が立ち上げた自殺・うつ病等対策プロジェクトチームにしても、多剤大量処方はいつのまにか患者による「大量服薬」の問題にすり替えられ(つまりは処方する医師ではなく患者の責任だとすること)、薬に頼らない解決策として、認知行動療法やオーストラリア式の地域精神保健を推進したのです。つまり、完全に精神医療業界に利用されてしまったということです。
 
議員訪問をして痛感したのは、ほとんどの議員や秘書が精神科医という「専門家」に幻想を抱いているということです。実態を知らぬまま、専門家につなげることを是とし、政策を進めています。そして、個人レベルで理解できた議員がいたとしても、すでに「党」の意向として進めてしまった政策についてストップをかけることは非常に難しいということです。
 
さて、今回の選挙の大きなテーマの一つが原発でした。原発と精神医療を同列で扱うつもりはありませんが、そこに似たような構図が存在します。本当の危険性やデメリットについて情報を意図的に隠したまま、そして廃棄物処理やリスク対策について誰も責任を取らないまま原発政策が進められてきましたが、原発がたくさん造られた日本と、何らの説明もないまま向精神薬を飲まされた人々と状態は似ています。どちらもすぐに止められないからです。政府の言う通りに精神科に行き、主治医の言われる通りに薬を飲んだ結果、処方薬依存に陥った人々が無数に存在します。
 
安全に廃炉するのに何十年もかかるのと同様、向精神薬を安全に離脱するには(個人差がありますが)ある程度時間がかかります。本当のリスクを知っていたら最初から選択しなかった、と泣こうが叫ぼうが、実際にそこにある苦しみに対峙しなければなりません。
 
今後の原発政策についても議論が紛糾するように、向精神薬についても情報が錯そうしています。「飲み続けないと悪化するぞ」「いたずらに危険を煽るな」「薬を止めて悪化したら誰が責任を取るんだ」「せっかく薬を飲んで落ち着かせたのに、止められたらどうするんだ」などというヒステリックな叫び声も聞こえてきます。
 
しかしここで冷静な視点を持つ必要があります。そもそもどこに問題の本質があったのかを分析し、責任を取るべき人々に取らせないといけません。原発政策を見直したのと同様、精神保健医療福祉施策についても早急に見直し、その被害の実態把握と補償、関係者の問責というステップを踏まないといけません。それなくして健全なメンタルヘルス政策はあり得ません。新政権にはそれを強く求めます。
 
皆様にもできることがあります。地元選挙区の議員や、何らかのつながりのある議員に対し、正しい情報を伝え、声を上げ続けることです。議員を利権の代弁者にしてはいけません。国民の代表者として正しい政治を行ってもらうよう、しっかりと声を伝えていきましょう。
 
※今回当選した議員で、しっかりと声を聞いてくれるような方の情報があれば教えて下さい。
kebichan55@yahoo.co.jp

 

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