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<<西本監督引退試合>>
1981年10月4日、その日私は超満員の日生球場にいた。
ダブルヘッダーの試合が終わり、選手がベンチに引き上げると球場全体の照明が消えた。
一条のスポットライトが漆黒の闇のマウンドを照らすと西本監督が浮かび上がった。
超満員球場の静寂の中、ただ一点を見つめるが溢れる涙でまともに見られない。
「・・・これからは選手たちと肌でつきあっていけなくなったが、阪急・近鉄の選手たちの
活躍を遠いところから見守ってやりたい・・・」。嗚咽のなかで必死になって聞いていた。
この言葉は今でも脳裏に焼きついていて、球団消滅を聞いたとき最初に思い浮かんだ。
全選手と握手して、監督がグラウンド一周をはじめた。外野ライト側にいた私も、涙声
で声をかけながら最後の西本監督ユニフォーム姿を焼き付けた。
近鉄・阪急の選手たちによる胴上げが始まると球場全体が拍手の嵐、嗚咽の嵐、
「西本さ〜ん、ありがとう」の嵐。歓喜の嵐あらし嵐あらし嵐!!
そして「つむじ風バファロー」の大合唱が球場全体を包む。声を振り絞るが涙声になる。
西本監督が大きく手を振ってベンチに消えると「蛍の光」が流れたが、誰一人帰ろうとしない。
“もう一度監督がグラウンドに現れるのでは・・・”と思いながらその場に佇む。
友達に促されて球場を後にするが、帰りの電車でも嗚咽の連続。
これを書きながら涙が溢れます。
日本シリーズで勝でず「悲運の名将」とも言われたが、阪急・近鉄で選手を育成し
お荷物球団を常勝軍団へと導いた闘将。羽田事件等、チーム強化のためには敢えて
鉄拳制裁なども辞さない『本気で選手とぶつかり合ってチームを高める」信念が私を
本当の近鉄バファローズファンにしました。
西本監督ありがとうございました。お疲れ様でした。100歳まで長生きしてください。
♪近鉄バファローズ191冊のスクラップブック 昭和63年〜
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