蓬莱の島通信ブログ(旧館)

ナチス化する中国およびその危機に直面している東アジア周辺に関わる時事問題への論評です

「在外」日本人Network

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既存メディアや学術枠を越えた情報の「地球村」化を目指す試みとして 現在 MAOさんを中心に進む「在外」日本人をインターネットで結ぶネットワーク造りの試みです http://zaigaij.net/
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 最近のマスコミの報道を見て、いろいろな危機感を抱く人は少なくないだろう。私も、このブログを始めてから、いくつかそうした感想を述べてきた。もともとマスコミ人でも、政治や経済の専門家でもない、一日本語教師に過ぎない者だが、きっかけは、日本のNHKを見た学生の感想が、記憶に残ったことからだった。
「どうして日本のテレビなのに、アメリカの911事件だけを流しているのか」
「どうして一ヶ月以上もイラクの戦場だけを取り上げているのか」
「見ても面白くないから、衛生放送を見る設備を教えてくれ」

 台湾ではNHK以外に日本のニュースは見られないので、NHKばかりになるが、一言で言えば、最近のNHKは、人間の自然な良心と感覚を失っている。4月末の列車事故の報道にしても、同じことが言える。
 鉄道の運営には、まったくの素人が、事故処理や原因究明の途中経過を、延々と放映してどうするのだろうか。事故の現場を片づける作業は、技術を持った専門家にしかできない。その仕事が捗るような情報を流すのが、準国営放送の仕事だろう。また、事故の原因は、過去の事例あるいは実験を通して厳密な手続きで解明する必要があり、それだけの専門家が揃って作業を進めているときに、にわか勉強のキャスターがしたり顔で、まるで全て分かったかのように事故原因の解説をするというのは、中学生が概説書を読んだだけでアイシュタインの相対性理論の解説を得意になってしているのと何らかわらない。専門的であるべきところで専門的でないという失調した感覚は、国民の間に、”仕事をしているプロはあてにはなりませんよ”というプロパガンダをしているのと同じである。
 また、事故で突然、家族や友人を失った方々の悲しみは、いかばかりか。その悲しみは、親しい人の死を看取り、また、地震や台風、各種の事故や犯罪などの被害で同じ体験をなさった方々には、テレビなどで報道されなくても、自然に明らかに分かることである。いつものことだが、当然分かることを「お気持ちは」とインタビューする取材を命じ、それを特集まで組んで放送しているこの準国営放送は、いったい、どこの世界のマスメディアなのだろうか。親しい人を喪失した悲しみという、誰でも感じえる専門性の必要のないところで、マスコミの私たちだけが「悲しみ」の代弁者であるという特権をふりかざす暴力的感覚は、国民の間に、”あなたたちは本当は何も知らないのです”という催眠的暗示を与えているのと同じである。
 「ディスコミュニケーション」「ダブルバインド」という用語が、女性論から文学を読んできた文学者の間で、一頃、キーワードのように反復されたことがあったが、NHKの報道からは、Aという報道(事故原因の擬似的解明)の裏にBという隠れた恫喝(仕事をしているプロはあてにはなりませんよ)がメッセージとして流れ続けるという、まさに「ディスコミュニケーション」「ダブルバインド」の構造が浮かんでくる。
 こうした「ディスコミュニケーション」「ダブルバインド」が日常的に成立するとどうなるか。文学研究では、明治期の社会的精神的に自立できない女性像を描き出すための説明に使われたが、精神病理学などでは、親子間でこうした関係が生じるとノイローゼや統合失調症などの人格不調和の原因となりやすいと考えられてきた。つまり、こうした関係では、表面上のことばは「お前を大事にしている」であっても、実は、”お前を支配したい”とか”お前は無力だ”という裏の意味が相手を拘束して、反応できなくさせ、その人を混乱させる。
 では、マスコミ情報と国民との間にこうした関係が成立していたらどうなるか。日本の活力の衰退とそれは無関係ではないであろう。

 大袈裟に言えば、こんなことも考えられる。しかし、一方的に、マスコミが悪いと言うつもりはない。国民の中にそうした関係を望む潜在的願望があるから、それをマスコミが引き出して、テレビで見せているに過ぎないとも言えるからだ。

 こうした相互依存的悪循環から抜け出すには、一つは、もっと広い世界があることを知る人が一人でも多くなることだろう。強い権威に頼らなくても生きていける人が一人でも多くなれば、「権威」を振りかざして脅す相手が、本当は何であるか、一番よく分かるからだ。
 MAOさんの立案したインターネットのブログなどを利用した「在外日本人ネットワーク」は、海外と日本国内とに、マスコミなど在来の権威に頼らない、身近な情報の行き来を可能にすると思われる。そして、それによって、国内とは対立する複数の視点で考えるきっかけを与えてくれるにちがいない。
 「在外日本人ネットワーク」が、そうして、日本の抱える今の閉塞的状況を動かす、一つの試みになることを願う。

 「在外日本人ネットワーク」
http://zaigaij.net/

 硬い話になって、恐縮する。ただ、硬軟さまざまな情報が行き来する海外居住者と日本国内、そして海外居住者どうしの交流の場になるように、育てていきたいと、一参加者、読者として、期待している。
 海外滞在者の情報や国内マスコミとは違った視点に興味のある方は、是非、ご覧いただきたい。
 一人が始めることで、故郷を甦らせ「情報の多元化が日本を変える」そして、子供たちに伝えていくことは、今なら、もう夢ではない。 

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 ブログに参加して2ヵ月あまり、いろいろな方からご意見をいただいたり、また、TBや書き込みを頼りに、こちらからお邪魔したりできて、今までの「日本語の情報不足」から解放された気がする。
 昨日も又、そうして、お一人の方から、声をかけていただいた。
 TIAOさんの『兆』だ。多くの記事があるのでこれから拝見しようと思っている。目に付いたのは、

「在外」日本人ネットワークを始動させます
http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000983.html#more

 ブログを始めたところ、たまたま今回の中国大陸での「反日」謀略キャンペーンがあり、欧米ばかりでなく東南アジアや中近東あるいはアフリカ、中南米、大洋州などでは見方はどうなのか、世界各地に滞在している日本人がその国のニュースや新聞を読み、概要を知らせるだけでも、海外での情報が、一歩近づくと思っていた。

《メリット1》
 ブログなら、各国の対日観はもちろん、各国の日常生活や文化、習慣などを、滞在者がそのまま写真入りで紹介できる。たとえば、細かい滞在情報(ガスの規格は、電気のプラグの形は、運転免許は、子供の学校は・・・)なども、雑談するように、知らせることが出来る。外国語についても、私はまだまだだが、それこそ生きた外国語大辞典あるいは百科辞典のようなベテランも多いに違いない。
 台湾では最近、「牙膏含三氯沙會致癌?(歯磨き粉が含有するtriclosanが癌をまねく)」
http://tw.news.yahoo.com/050418/195/1pqv1.html
 というニュースがよく出て、アメリカ製のColgateなどが対象に指摘された。
あるいは、フランス製Celiaなどの乳児用粉ミルクに細菌が混入していたというニュースも出ている。
http://tw.news.yahoo.com/050420/15/1pyy1.html
 というような、生活「海外安全情報」ももちろん速報できる。
 今回の「反日」キャンペーンでの反対行動として、情報提供で日本を何かの形で支援することも当然可能である。


《メリット2》
 こうした海外ネットが出来ると、今度は、日本国内のかたとの情報交換も容易であり、日本の資料について、今回の「反日」謀略キャンペーンのように海外にいても入手することが出来る。また、海外滞在者にもいろいろあるので、わたしの場合はあくまで個人の特殊な例に過ぎないが、台湾のケーブルTVで見られる日本語ニュースはNHKだけで、情報の偏りがでやすい。日本語の新聞や雑誌も図書館にはあるが、いつでも気楽に見られるわけではないので、必要なときだけだ。日本国内のいろいろな動きや考え方は、ブログのほうが、はるかに分かりやすく、個人の声がそのまま聞ける感じがする。

《メリット3》 
 ホームページでも、確かに、検索することはできるが、一個一個は本のように閉じられていて、双方向性に乏しい。一方、ブログは、改善の余地はあるとしても、トラックバックやコメントを通して、かなりの程度、双方向性があり、同時に、かなり長文の文章や写真を掲載できる。チャットや掲示板は、双方向性はあるが、長文をやり取りするのは難しいし、十分なせつめいができないため違う意見の者が討論するのは至難のわざであろう。ホームページの利点と掲示板の利点をブログは持っているので、半独立の単位が集まった双方向のネットワークができ、節度をもって、互いに交流できるかと思った。

《メリット3》
 海外にも日本語学習者は多く、学生達がブログをとおして、日本人の意見を知り、また、日本人が外国の若者と交流する場にもなる。台湾でもブログが普及したら、学生達に、進めてみたい。

【最大のメリット】
 TIAOさんも書いているように、今まで、情報はマスコミ、アカデミズム、出版社、**界、文壇、政府機関のような特定の利益集団あるいは権力集団が、独占していた。情報の価値も、それらが半ば決めていた。ライターを目指す若者や作家を志す若者は、まず、そうした集団の仲間に入らないと、書いたものが公開される可能性はほとんどなかった。しかし、インターネット時代になり、そうした独占は破れつつある。
 思いつきの比喩だが、うまくつかえば、情報の運用で機動戦士ガンダムの「人間」から「ニュータイプ」への変化ような質的な飛躍につながるかもしれない。市民が直接、対話することで、権力を相対化することも可能かもしれない。ただ、インターネットは「画像の帝国」かでなければ「文字の帝国」であり、「ことばの壁」は厚い。しかし、そこではもう「This is a pen.」のような愚劣な外国語教育を受けなくていいのは、確かだろう。

 ぜひ、実現させたいものである。 

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