にっぽんの「たいだ」な生活通信

怠惰に流されないようにと思いつつ・・・・・・

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北タイの寒さ

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タイがこんなに寒いところだとは思わなかった。今年の1月にチェンライへきて11月を過ぎたが、こちらに来た頃の寒さはあまり覚えていない。

きっと寒さ以上に日々の生活が大変だったので、寒さのことまで記憶にとどめるほど脳みそに余裕がなかったのだろう。

長く住んでいる人の話だと、ここ数年のうちでは一番寒いそうだ。

12月に入るまでは夜も半そでだけで寝ていたが一夜明けただけで世の中が変わったように朝夕の気温が急激に下がった。

ある日は寒さに耐えきれず眠ることすらできなかった。

第一寝具類が足りない。化学繊維のペラペラ布団しかないのだ。

長そで下着やズボン下の代りになるものを探して購入した。

厚く大きな毛布が欲しいと思い大型スーパーを歩き回ったが売っていなかった。

市内の一番大きな市場の中を探して歩いたらやっとアクリルの毛布(毛でないのに毛布か???)を発見し2枚買った。

1枚の大きさがダブルベッドサイズなのでゆっくりくるまれる。

ペラペラ布団の上に毛布を重ねて寝たらそのホッカホッカさに朝起きるのが嫌になったくらいだ。


突然、話変わって・・・・・・、
僕は日本にいた時、1年に1度は北アルプスの山を歩いていた。

ある年いつも一緒の某女子高の登山部と表銀座縦走をすることになっていたが事情があって1日遅れで出発した。新幹線「こまち」で東京に向かい夜行で本隊を追いかけた。

当日、本隊は午前5時にはキャンプ地の中房温泉をスタートすることになっていた。
うまい具合に僕がその中房温泉に着いたときちょうど本隊が出発しかけたばかりで登山口で一緒になった。

ずぼらで未熟な僕のザックのパッキングは哀れなもの山での必需品以外のものがびっしり詰まっていて総重量25キロにも達していた。

合戦小屋までは余裕であったが燕山荘が見え始めたころ急に体が重くなってバテ始めたのがわかった。

てっきり燕山荘のテン場で一夜を過ごすものと思っていたら、パーティが思いのほか順調に歩くので翌日のことを考えて大天井岳まで向かうという。

燕山荘からは尾根歩きなのでなんとかなりそうだが、はっきり言って小刻みなアップダウンがボディブローウのように効いてくるだろうなと察しはついた。

それでも無事「大天井岳」のテン場にテントを張ることができた。
できたと言ってもテントを張り始めたころから冷たい雨が降り始めた。

テント張りの作業をしつつ不謹慎にも疲れた体のご褒美に缶ビールを飲んだ。

その美味かったこと・・・・・と言うのは最初の一口でみるみる間に体が冷え込んで来て震えが止まらなくなった。

すぐシュラフに潜り込んで体を温めた。
温まったつもりでシュラフから出るとまた震えが来た。

このまま外にある時間以上いたら疲労死に至るのだろうと漠然と思った。

幸いシュラフは3シーズン用のダウンシュラフを背負ってきていたので助かった。

そう、僕は夜行で一睡足りともできなかったのだ。それから25キロの荷物を背負い延々12時間も歩き続けていたのだ。

その時は52歳になる年であった。
丁度今から10年前の話である。

疲労死、疲労凍死の意味するところを本当に理解したのはこの時であった。

なぜ、僕が急に関係ないことを長々書いたかは以下の説明を読んでもらえば分かってもらえるだろう。


北タイでは毎年凍死する者が何人かいるそうだ。

氷点下以下になって凍死するのではない。

死ぬ人は20度の夜さえも過ごすことが出来ないのだそうだ。

その理由は栄養状況と防寒衣類、防寒用寝具がない事によるのだ。

ある山岳民族の集落を訪れたとき聞いた話ではその集落では4度くらいで死者が出たそうだ。

「政府は13度以下の日が3日続いたら山岳民族に対して緊急措置を講ずる」と新聞に書いてあった。

書いてはあったが誰が温度測定をして誰が政府にお願いして。。。。。。。

どうもその辺がはっきり見えないのである。

初めは信じられなかった北タイでの凍死。

僕が大天井岳で経験したあの「震え」をじっと我慢して夜を過ごさなければならない人々がまだいることを知ってほしい。

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