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こんばんは。けーごです。 修士論文を提出し、修士論文の審査である公聴会の発表を終えました。これで、大学院の博士前期課程をすべて終えました。修了の合否は来週に発表されます。まだ学会が残っていますが、一区切りつきました。 そこで、修了旅行の第一弾に、SSTRをしました。 研究室の同期は、ぼくの影響でバイクに乗り始めました。同期は、就職とフェアレディZの納車に伴い、バイクを降ります。ある日、「千里浜に行きたい」と言い出しました。「千里浜?千里浜に行くならSSTRでしょう。国道41号か国道156号がいいな。じゃ、千代崎に集合で」 2019年2月23日 03:30 滋賀県草津市 紀伊闘走(リンク)以来のツーリングです。夜中に出る緊張感も久しぶりに味わいます。 走行距離も23000kmになり、燃焼室の汚れがないか気になってきました。そこで、今回はハイオクを入れて燃焼室の洗浄を試みました。また、ハイオクを入れて低回転域のトルクや燃費に変化があるのか確かめました。レギュラーとハイオクの価格差をカバーするほど燃費が良くなるのでしょうか。圧縮比の高いエンジンなので気になるところです。 夜中の国道1号はいつも走りやすいですね。曇りで月光は暗かったものの、暖かい道中でした。 04:50 ファミリーマート鈴鹿神戸三丁目店 日の出まで鈴鹿で少し休憩。時間を合わせて、千代崎海岸まで向かいました。 05:30 千代崎海岸 06:38 千代崎海岸 09:00 東海北陸道 川島PA 東名阪 四日市〜四日市東で事故により通行止めでした。それに伴い、国道23号を北上して、みえ川越ICから乗ることにしました。名古屋高速 一宮ICで、同期の通行券が風に飛ばされてしまいました。防音壁に貼りついたので、焦って取りに行くと、スタンドが十分に出ていなくてバイクを転倒させてしまいました。 ETCレーンは渋滞していたので、間を縫って急いで助けに行くと、本人は「WHY?」みたいな顔をしていました。ずいぶん余裕だね。 ミラーを調整して、本線へ進みだすと、クラッチの遊びが少ないと言い出しました。川島で休憩して、調整しなおし、出発です。 10:00 道の駅美濃にわか茶屋 東海北陸道 美濃〜美並で、トンネルでの事故により通行止めでした。それに伴い、美濃ICの出口で渋滞しているそうでした。これでは困るので、関ICで降りて、関市街から国道156号を避けるように北上しました。どうしても国道に合流するところは裏道を縫って、なんとか道の駅まで出ました。 道の駅を過ぎてもとんでもない渋滞でした。この渋滞を抜けるには3年かかりそうです。これではとても千里浜に間に合いそうにないので、板取川沿いに国道256号を走って郡上八幡まで迂回することにしました。交通量も少なく、快適に迂回できました。 11:40 道の駅古今伝授の里やまと 昼食を摂ります。飛騨牛ハヤシライスをいただき、満足しました。 13:00 道の駅白山文化の里長滝 13:20 道の駅大日岳 雪が増えてくると、すれ違う車に笑われる様子も増えてきました。そりゃそうだ。スキー場の前を通ると「あいつらマジか!?」と凝視されました。あまりにスキー場が繁盛していて、ぼくらも呆れて笑ってしまいました。あんなにスキー場で雪と遊んでる一方でぼくらはバイクに乗ってるのはシュールな図でした。 13:50 御母衣ダム 14:40 道の駅白川郷 16:20 道の駅福光 金沢森本JCTからはバイパスを走り、いよいよのと里山海道に乗りました。最後の力走です。白尾JCTの景色はいつも感動します。ちょうど、SENAのスピーカーから、U2の"Where the streets have no name"が流れてきて、思わず涙してしまいました。 I'll go there with you. It's all I can do. 素晴らしい時間でした。 17:08 千里浜 千代崎→千里浜:356.8 km, 10:30:00 18:00 石黒旅館 2月24日 09:20 石黒旅館 09:30 道の駅のと千里浜 10:10 千里浜 金沢西から北陸道をひた走り、白山、荒島岳がよく見えました。トンネルではフェラーリの排気音が響き渡り、素晴らしいコンサートホールでした。 16:40 滋賀県草津市 帰宅しました。737.5km、よく走った。 ハイオクの燃費は38km/Lで、レギュラーとは3km/Lの差でした。同じ距離を走ると、支払う金額は同程度です。費用対効果はどちらも同じでした。低回転域のトルクは、高スロットル時に高くなっている気がしました。しばらくハイオクを使って燃焼室を洗浄しきったら、レギュラーに戻そうと思います。 「象徴の木」「約束の地」はぼくにとってどこだろう、とThe Joshua Treeを聴くたびに考えるようになりました。象徴の木は、陸前高田の一本松を思い浮かべます。あれほど畏れる気持ちで見上げる木はないでしょう。約束の地は、千里浜を思い浮かべます。SSTRを完走してきた手前、情けないままこの場所には来れないと思わずにはいられません。いつもここに来るときには、たくましくありたい。自分に大きな自信を抱いていたい。きっと、ぼくは千里浜へはSSTRでないと来ないんじゃないかという気さえします。次も、たくましい姿で。いい修了旅行でした。 約束の地はありますか。 Go there. Be brave. Come Ride With Us. では。
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こんばんは。けーごです。 ツーリングタイムラリー「滋賀」を開催しました。今回はその報告です。 Sunrise Sunset Touring Rallyに参加して以来、無情な時計と自身の感情に向き合う旅を好むことに気づきました。「この道で合ってるのか?」「本当に間に合うのか?」走行に伴う感情の変化は、困難の要素になります。その困難を克服して素晴らしい感情を覚えれば、それは感動の要素になります。 パリダカのライダーはなぜダカールであれほど泣くのか? それは、砂漠や未舗装路を巡る8000kmの過酷な走りをした後に、いきなり大海原が眼下に広がるからでしょう。SSTRのライダーはなぜ千里浜であれほど感動するのか? それは、完走条件や日没までの時間と向き合う勇敢な走りをした後に、斜陽の千里浜が眼下に広がるからでしょう。 少しでもその感動を滋賀県で味わえたらと、様々なコンセプトのコマ図を公開し、イベントを開催してきました。いずれのコマ図にも共通したコンセプトは「滋賀県を知り楽しんでもらうこと」です。今回は、その中で「勇敢な走り」をテーマに、オンタイムラリーを企画しました。 滋賀とは、石処(シカ)の語源の通り、石の多いところを意味します。対して近江とは、淡海(あはうみ)の語源の通り、海を思わせるほど広い琵琶湖に由来します。つまり滋賀は、湖を岩石の豊かな山々で囲むところです。そこで、岩肌に沿う山深い道を幾度と縫った後に、湖を見渡せるコマ図を作りました。 滋賀県を知り楽しんでもらうために、岩肌や渓流を見れる道を選びました。具体的には、STAGE 1の権現谷林道や県道34号、STAGE 2の走井林道です。 走行に伴う感情の変化に対して勇敢な走りをしてもらうために、山深く曲がりくねった単調な道を選びました。具体的には、STAGE 1の県道229号、STAGE 2の心行林道です。県道229号では、8kmの下りを通して、あと何分だっけ?遅れている?早すぎる?と走行を振り返る時間を与えます。心行林道では、ここまで時間調整してきたのにここから林道?タイトで全然挽回できないじゃないか!あとどれだけあるんだ?と対策してきた走行を否定する機会を設けました。制作者の用意したオンタイムラリー独特のシナリオを参加者はどう受け止め、克服し、勇敢な走りと感動に繋げていくのか、楽しみでした。 オンタイムラリーは、走行時間の正確さを競う競技です。ステージの走行時間が指示時間に近いほど高得点です。今回のラリーでは、ステージの指示時間と走行時間の差が1分であれば50点から1点減点する換算でした。例えば、60分で走るように指示されたステージを63分で走っても57分で走っても47点です。2ステージ制にしたので、100点に近いほど良い成績です。競技とはいえ草イベントなので、ツーリングタイムラリーと表現しています。今回は、MMGさん(XT660Z Tenere)、たかしさん(XR BAJA)、おたけさん(Tiger800XCx)にご参加いただきました。 11月23日 09:30 道の駅近江母の郷 10:30 STAGE 1 START(1:40:00 / 61.62 km) 12:00 道の駅あいとうマーガレットステーション 12:20 STAGE 1 FINISH 13:30 STAGE 2 START(1:50:00 / 59.88 km) 15:30 STAGE 2 FINISH 今回はコマ図のミスもなく、円滑に終えられてぼく自身も満足のいくイベントになりました。これからは冬期通行止や修士論文の執筆にかかるため、今回は滋賀県で最後のイベントでした。有終の美を飾れてよかったです。 必ずしも、冒頭に書いた意図がコマ図の走行を通してすべて伝わるわけではありません。しかし、滋賀を知り、滋賀を楽しみ、滋賀で勇敢に走れたかどうかは、フィニッシュ地点の歓声に現れたと思います。試走を繰り返しても感動できるこのツーリングタイムラリー「滋賀」は、ぼくにとっても誇れるものとなりました。近所でもないのにはるばるお越しいただける素晴らしいライダーに恵まれ、幸せな限りです。これに飽きず、これからも精進します。 では。
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熊野三山と潮岬を周る日帰りツーリングをしました。今回はその報告です。 論文の執筆が佳境になりました。公私にその負担が及び、休まらない日が増えてきました。そこで、現実から逃げ、現実への英気を養うことを目的に日帰りツーリングを計画しました。雄大な景色と長大な距離を一日に詰め、自分を鼓舞します。 旅には、ride to hide / ride to fight をテーマに、紀伊闘走と名付けました。U2のアルバム『The Joshua Tree』収録の、Where the streets have no name から着想しています。あまりに影響されているので、以下にはじめの歌詞を紹介します。 I want to run, I want to hide I want to tear down the walls that hold me inside I want to reach out and touch the flame Where the streets have no name 名のない通りで、走り、隠れ、抱えた壁を壊し、炎に触れたい。 惨めさと怒りに立ち向かう歌い出しはたくましく、何度も自分を鼓舞してきました。今回はたくましく走れるでしょうか。 旅のルートはこちらです(リンク)。 11月10日 03:30 滋賀県草津市 ride to hide編のスタートです。日の出と景色の癒やしを目的にしています。国道1号を上り、一路鈴鹿へ。この道中の星空は、SSTRを想起させました。XLR250Rのライトは提灯でしたが、CRF250 RALLYのライトはとても明るいので、頼りになりました。 05:15 ファミリーマート鈴鹿神戸三丁目店 夜明けまで余裕があったので、休憩を摂りました。まだ精神的な疲労が残り、胃の痛い時間を過ごしました。 06:00 千代崎海岸 今回、ナビを使いました。北海道で使えなかったのは、シガーソケット部の基盤上のコイルが破断していたからでした。はんだ付けして以来、順調です。千代崎から潮岬へナビを設定すると、12:45到着でした。いやいや、かかりすぎじゃ? ん?下道と高速で平均45km/h、休憩で30分かかるとして、12時? あながち間違いではない? 日没を琵琶湖でとの期待が、日没までに五条へとの任務に変わりました。「だからよ、どういう計算をしてるわけ?」の大泉洋のお叱りが聞こえました。 09:10 三重県尾鷲市 10:20 熊野速玉大社 11:40 道の駅くしもと橋杭岩 12:00 潮岬 潮岬には、潮岬タワーがあります。潮岬タワーの駐車場で、Versys-X の方と出会いました。滋賀県草津市からお越しで、潮岬を日帰りするそうでした。驚きましたが、自分もたいがいです。アドベンチャーライダーの考えることは、似通うのかもしれませんね。 14:40 熊野那智大社 那智で15時。ここから紀伊半島を縦断しなければなりません。まだ本宮を残しており、すでに山間の道は日陰でした。残り250km、帰宅は21時でしょうか。日没までに五條すら厳しくなりました。 新宮からは国道168号を走りました。169号が通行止めなので、新宮から畿内へ抜けられる唯一の道です。この時間から上るライダーなどいるのでしょうか。北海道を思い出すほどのいい流れに助けられ、本宮まで疾走しました。 16:00 熊野本宮大社 16:30 道の駅奥熊野古道ほんぐう 道の駅では、子供たちが芝生で遊んでいました。だるまさんがころんだで遊んでいましたが、一人が突然「はたらくくるまがころんだ!」と言い出しました。どえらいことになっとるやん。紀伊半島は子供たちの遊びの規模も大きいのか。 17:00 十二滝 ここから滋賀まで200km、五條まで100kmあります。ハイビームから戻さなくなってきました。しかし、流れは速い。センターキープメソッド(どんなコーナーでも車線の中央を走り続ける走法、マージンを保ち様々な挙動を練習できる)を日頃練習しているおかげか、知らない夜道でもテンポよく走れました。十津川村役場を過ぎると、中型バスを先頭にした車列に追いつきました。バスに譲ってもらい、大塔から五條まではものすごいペースでした。ナビの帰宅予想時刻がどんどん早くなる。地元民すごい。楽しく五條まで走り、本宮での予想時刻から1時間巻きました(!) 20:40 滋賀県草津市 五條からは京奈和・南阪奈・第二京阪で滋賀までバイパスしました。美原JCTの渋滞以外は順調に走り、無事に帰宅しました。 走行距離:612.2 km 走行時間:17:10:00 熊野の由来には、神の籠る地という説が複数あります。隈が隠れるを意味するから、古語でクマという言葉は神を意味するから、他にも多く見受けられました。紀伊半島が偉大なのは単に大和に近いからではなく、その存在自体に人々が畏れあやかったからだと思います。ぼくもその一人です。雄大な熊野を通して胃の痛さも和らぎ、感情を取り戻した気がします。あと3ヶ月、頑張ります。 では。
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こんばんは。けーごです。 北海道を走りました。小樽から道北・道東をめぐり苫小牧まで走る5泊6日でした。今回の旅の目的は、鉄道で行けないところへ行くことと、日本百名山を見ることでした。試される大地、北海道で試されたものの、無事に旅を終えました。写真が多いので、前編・中編・後編に分けます。後編は5日目・6日目を報告します。 5日目 8月24日 厚床→納沙布岬→弟子屈 280.6 km この日は当初の案では浦幌までの400kmの行程でした。しかし、台風19号・20号の接近に伴い、順調には行かないだろうと勘案しながら走り始めました。 09:30 納沙布岬 北太平洋シーサイドラインを通って根室へ。根室から南側から納沙布岬を目指しました。途中、昆布盛では昆布干し用の砂利の土地が多く広がっていました。道路以外の平たい土地はみな砂利でした。地名にもなるぐらい昆布漁が盛んなのですね。 納沙布岬では、目前に北方領土の貝殻島が見えました。同じ日本本土の端にいても宗谷岬とはまた違う感じ方でした。納沙布岬では、大阪からの旅人に記念写真を撮っていただきました。30年以上、毎年バイクで北海道をツーリングし、今年は車でドライブだそうです。宿の話になり、とほ宿という宿泊ジャンルを教えていただきました(とほ宿とは)。今日は浦幌でキャンプ泊の予定でしたが、台風にキャンプは厳しい。ホテルは高いし、ライダースハウスは予約できない。せっかくの機会なので、弟子屈のとほ宿に泊まることにしました。メモを控え、旅人と別れました。 10:20 東根室駅 10:30 根室市役所 11:00 根室花まる 12:10 道の駅スワン44ねむろ 青看板マグネットを買い、ソフトクリームをいただきました。ソフトクリームのお金を払うだけ払ってベンチに向かおうとしていました。危ない。すごい客になるところでした。この旅で何度かソフトクリームを食べましたが、ここのソフトクリームが最もおいしかったです。 雨が降ってきました。根室に昼にいるので、今日は余裕を持って弟子屈のとほ宿に泊まることにしました。当日予約でも快く受け入れていただきました。チェーンに注油して、一気に弟子屈へ向かいました。 14:30 道の駅摩周温泉 100km近く走りました。北海道の下道はよく流れているので楽でした。お菓子とそばを実家に贈り、観光しに出発しました。 15:40 摩周湖 16:30 硫黄山 17:30 屈斜路湖 18:00 鱒や 食事はホッケのおいしさにお酒もご飯もすすむすすむ。宿泊者が揃って食事を摂り、会話のよく弾む夜でした。 6日目 8月25日 弟子屈→日勝峠→苫小牧 379.0 km 最終日は苫小牧東港まで走りました。終始雨天でした。 09:50 双岳台 11:00 道の駅阿寒丹頂の里 阿寒湖畔に寄り道してから南下しました。阿寒といえばまりも。マリモッコリのグッズは見る影もありませんでした。時代の流れに驚きました。 13:30 はなとかち 14:00 六花亭 帯広からは苫小牧まで走るだけでした。日高山脈の一切見えない天気でしたが、せっかく日高山脈を超えるので日勝峠を通りました。ハイビームにしても3m先しか見えない峠道、曇るシールド、曇るメガネ、目に入る雨。必死に走りました。超えるのに困難を伴うから峠は偉大なんだと再確認しました。残念ながら幌尻岳を望むことはできませんでした。 16:20 道の駅樹海ロード日高 しばらく日勝峠の疲れを取るために休みました。苫小牧からのフェリーの切符はすでに発券しているので、チェックイン時間を気にせず走れます。ゆっくり休んで、太平洋を目指しました。 19:40 新日本海フェリー苫小牧東港 セイコーマートで最後までお世話になり、苫小牧に着きました。この旅もいよいよ終わりです。荒天でフェリーが揺れに揺れ、ぼくも酔いに酔いました。 8月26日 21:00 新日本海フェリー敦賀港 23:10 滋賀県草津市 帰宅しました。よく走りました。事故や検挙もなく無事に帰れてよかったです。 【道内】 走行経路:小樽→宗谷岬→納沙布岬→苫小牧 走行日数:5泊6日 走行距離:1979.7 km 【総合】 走行経路:舞鶴→小樽→宗谷岬→納沙布岬→苫小牧→敦賀 走行日数:7泊8日 走行距離:2258.9 km 平均燃費:35.0 km/L 北海道は本当に広い。総合して試されたツーリングでした。ラリーばりによく走りましたが、行きたいところには行けたので満足しました。鉄道の旅を合わせれば、これで北海道を大まかに知れました。次に北海道を走るときは細かいところをのんびり巡りたいです。北海道は逃げません。いつだって温かく迎えてくれる北海道へまた帰ります。 では。
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こんばんは。けーごです。 北海道を走りました。小樽から道北・道東をめぐり苫小牧まで走る5泊6日でした。今回の旅の目的は、鉄道で行けないところへ行くことと、日本百名山を見ることでした。試される大地、北海道で試されたものの、無事に旅を終えました。写真が多いので、前編・中編・後編に分けます。中編は3・4日目を報告します。 3日目 8月22日 天塩→宗谷岬→サロマ湖 414.1 km この日はオロロンラインとオホーツク国道をひた走る日でした。当初は網走まで走る予定でしたが、北海道の広さを思い知る日でした。 07:00 鏡沼海浜公園キャンプ場 08:00 サロベツ原生花園駐車公園 09:00 ノシャップ岬 09:30 稚内駅 10:20 白い貝殻の道 11:00 宗谷岬 12:30 稚内市役所宗谷支所 13:00 道の駅さるふつ公園 強い横風でした。道の駅ではTwitterのフォロワーが横に止めていて驚きました。 13:30 エサヌカ線 エサヌカ線から網走まで250km以上あります。この日は温泉に寄ってライダースハウス泊を考えていましたが、現実的に着けません。400km走る日にキャンプはつらいので、ホテル泊を軸に考えました。網走にひとつ、サロマ湖にひとつ見つかったので、紋別で決断することにしました。 14:40 道の駅マリーンアイランド岡島 15:30 道の駅おうむ 流氷塩サイダーをいただきました。この日は道東で31℃ととても暑い日でした。本州では富山で酷暑を記録していましたね。北海道で熱中症になっては洒落にならないので気をつけました。 また、北海道の学校はすでに2学期を始めていました。小学生が学校終わりに道の駅に集まって遊びに行く様子を見て、道の駅が街の拠点であることを子供たちにまで染み付いていると感じました。いい風景でした。 17:00 道の駅オホーツク紋別 閉館間際にスタンプを押せました。セーフ。紋別は網走までに通る最後に大きな街です。湧別も街ですが、宿が近くにありません。もう一度今晩の空き部屋を探すと、網走のホテルが埋まっていました。残るはサロマ湖のリゾートホテルのみです。ものすごい値段です。温泉や食事が充実しているようなので、泊まることにしました。今のまで、人の家・テント・ライダースハウスと泊まって貧乏旅行感が出ていたのに、いきなりリゾートホテル。昨日のライダースハウスでは1ヶ月連泊できる値段です。振り幅がすごい。これも旅ですね。 18:10 サロマ湖 19:40 サロマ湖鶴雅リゾート ホテルに着きました。フロントマンに「今日はどちらから?」と尋ねられたので「天塩かr」と言いかければ「お疲れ様です!!!」と食い気味に返ってきました。「網走を目指していましt」と言いかければ「無理です!!!」とまた食い気味に返ってきました。網走から宗谷は1泊する行程だそうです。今思えば、去年のSSTRが360kmでしたから、そりゃ無謀か。 夕食なしのプランでしたので、セイコーマートで蓄えた食料をリゾートホテルで貪り食い、温泉で癒やされ、ゆっくり寝ました。セイコーマートは神。 4日目 8月23日 サロマ湖→知床峠→厚床 287.3 km この日は最東端へ向けて移動する日でした。かねてより越えたかった知床峠を通ることを最大の楽しみにしていました。 09:30 道の駅流氷街道網走 網走へ着きました。前日の遅れを取り戻しました。思わず口ずさみたくなる名前ですね、流氷街道網走。売店では、ひたすら網走刑務所をネタにしたグッズを売っていました。「どうせ死ぬなら網走刑務所」Tシャツを購入しました。決意が堅い。 10:20 北浜駅 11:00 道の駅はなやか小清水 また、北浜駅の手前から自転車に乗る青年と追い抜き際にヤエーをしていました。抜きつ抜かれつでヤエーをしあっていたら、道の駅で声をかけていただきました。北海道を半周しているそうです。今晩は弟子屈に宿泊するそうで、ヤエー合戦はここでおしまいとなりました。ご安全に。 12:20 道の駅うとろ・シリエトク 知床半島の玄関口、ウトロへ来ました。知床半島が世界遺産に登録されてから栄えた町のようです。道の駅では売店や食事処のほか、野生動物との向き合い方が展示されているなど、よくまとめられた施設でした。鮭の親子丼をいただいて、峠を目指しました。 13:10 知床峠 14:20 道の駅知床・らうす 知床峠を降りて小休止。目の前に違う言語を話す人が住んでいる実感が湧きません。 15:40 野付半島 16:20 湯元尾岱沼温泉シーサイドホテル 温泉に浸かりました。野付半島が見え、いい眺めでした。フェイスタオルが販売されておらず残念でした。 18:00 築拓キャンプ場 キャンプ場へ着くと管理人がいませんでした。電話をしても暗い建物からベルが聴こえます。先客によると、このキャンプ場では14時〜16時が受付時間のようです。そんな!ここから次に近いキャンプ場は、40kmあります。しかし、もう燃料がありません。最寄りのガソリンスタンドも閉まってしまいました。仕方がないので、必要な情報と料金を同封した手紙を扉に貼り付けてテント泊しました。18時で受付けできないキャンプ場があるとは盲点でした。今まで泊まってきたところが恵まれていましたね。いい教訓になりました。 余裕のない行程であったもののトラブルのなかった3日目と余裕のある行程であったもののトラブルのあった4日目を過ごしました。体力を試され、準備を試された2日間でした。5日目から旅も終盤になります。5日目の朝に納沙布岬へ東進した報告から始めます。 では。
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