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Russia, Brics, and the Disruption of GlobalOrder

Rachel S. Salzman  2019/4/1

(その18)

<4章 ポチョムキン村とレトリックの橋渡し 

    ロシア政策におけるBRICS 2009-11: 膠着>

(その15)

ロシアは、欧州とアジア間、あるいは最近では米国と中国間を、文明等で、ブリッジとして自己を位置づけるという長い伝統を持っている。BRICSプロジェクトについて興味深いのは、ロシアが西側とのバランスを保つために、そして同時に西側に対する価値を高めるためのメカニズムとしてそれを使用したことだ。しかし、プロジェクトへのロシアの投資はグループの長所をレトリック的に唱えることを超えてそれほど拡大しなかったので、グループはそれがどちらの目的にも効果的ではなかった。2013年までにBRICSIMF2ラウンドの改革を(G20を介して)推進し、他加盟国を拡大し、独自の開発銀行と通貨プールの創設を真剣に検討し始めた。議題は表明されたままであったが、グループはロシアの指導者たちが望んでいた初期から十分に進歩し、それは合法的にそれらの成果を宣伝しえただろう。政治的指導部がこれらの成果を伝えられなかったことは、ロシアの指導部がBRICSの進化を、集団へのロシアのアプローチに組み入れなかったことを示している。

 

<結論>

2008年から2013年の間のBRICSへのロシアの政策は、多くのショーであり、非常に乏しい内容だった。この時期は、BRICSメカニズム自体が急速に発展し、レトリック的枠組みと具体的協力の両方の機会が拡大した。それにもかかわらず、ロシアの与党エリートのアプローチは、国際政治のレトリック的道具としてのBRICSという当初の概念で凍結されたままであった。指導者たちは、フォーラム内の変更をそのレトリックまたは政策計画のいずれにも組み入れなかった。

これと対照的に、学界は、進化し続けるBRICSメカニズムの可能性についてより多くの認識を示した。他のBRICS加盟国によって却下される可能性のある提案を含む、ロシアのBRICSへの参加のあらゆる角度を網羅する報告書が、拡大するBRICSの議題および加盟国とならんで出現した。 これらの分析は、ロシアの指導者たちが望めば内容を覆うことができる枠組みを提供した。

2013年末、このフレームワークが予想より早く使用されることが明らかになった。ウクライナのEuromaidan革命は地域の政治をひっくり返し、長年のロシアの外交政策ドクトリンをレトリック分野から具体的検討の分野へと押し上げた。

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