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ロシアとBRICs(その10)

Russia, Brics, and the Disruption of GlobalOrder

Rachel S. Salzman  2019/4/1

(その10

<4章 ポチョムキン村とレトリックの橋渡し 

    ロシア政策におけるBRICS 2009-11: 膠着>

(その7

BRICメカニズムを通じた経済近代化という考えも、個々の国々との二国間関係の議論を含め、リークされたプログラムには存在していない。この不在は、ロシアがそのグループの経済的可能性に本当に興味を持っていなかったという考えを強めるものだ。プログラムがロシア版 Newsweekにリークされるまでに、BRICはすでに2つのサミットを開催していた。グループはまだ始まったばかりだったが、第2回サミット共同声明には、エネルギー分野、研究開発とハイテク移転に関して協力するという約束が含まれていた。グループはまた、幅広い分野の協力を検討することに同意し、ブラジリアで首脳会談が行われる前日にリオデジャネイロで最初のビジネスフォーラムを開催した。ロシアがこれらの進展を評価するならば、増大するグループ内経済アジェンダは それ以降のスピーチや文書においてBRICの公式の枠組みに盛り込まれるべきだった。ある意味でそれはあった。2010年の連邦議会演説で、メドヴェージェフ大統領は「経済外交」の重要性と、とりわけBRIC諸国との「近代化同盟」構築の必要性について語った。2011年のスピーチには、弱いながらも同様の勧告が含まれている。しかし、どちらの場合も、BRICSの経済的可能性についての言及は、ロシアの国際的な発言力を高める上でのBRICSの役割に関する声明と絡み合っていた。この間、2011 Sanya宣言で始まるサミット宣言で示されているように、メカニズムとしてのBRICSの経済と内部開発がグループの優先事項となった。これらの動向にかかわらず、メドヴェージェフは、ほとんどの声明で、依然として主に、ロシアで進行中の国際的バランス活動における狭いレトリック的政治的道具としてのBRICSに焦点を当てていた。

BRICSサミットでのメドヴェージェフのスピーチでさえも、BRICS内の議題よりも国際的な活動でBRICSを強調することが多かった。2009年にエカテリンブルクで最初のBRICサミットが行われた後の記者会見で、メドヴェージェフ大統領はBRIC調整における外務省の優位性を強調した。その意味は、経済開発と協力を担当する省を含む他の省が二次的な役割を果たすということだった。同様に、2012年にニューデリーで開催された第4回サミットでのスピーチで、Medvedevは、世界経済と政治における主要問題に関するBRICSの相互作用の完全に発達したメカニズムへの漸進的な転換が我々の戦略的目標になり得ると提案した。そのような前進は、コンセプトに対する共同努力によってのみ可能だ。我々の外相達がこの仕事を始めることを提案したい。

BRICSを国際関係システムに定着させるのに役立つ、フォーラムの対外関係戦略の採用も、すでに5カ国で形成されている重点分野を拡大および強化することで長い間遅れている。彼はまた、BRICS内の協力急増を称賛したが、そうしなければ失礼になっただろう。しかし、成長しているBRICSビジネスフォーラムを宣伝すること以外に、メドヴェージェフはより大きな国際システムにおけるBRICSの役割の拡大、あるいは少なくともBRICS内協力がその目的をいかにサポートするかに最も関心があるようだった。彼は、ロシアの経済発展に対するBRICS協力の恩恵や、その他のBRICS内調整の政治的側面の恩恵については、それほど夢中ではなかった。

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