ここから本文です
ブログ始めました!

書庫日記

記事検索
検索

ロシアとBRICs(その18)

Russia, Brics, and the Disruption of GlobalOrder

Rachel S. Salzman  2019/4/1

18

5章 ブリッジから防壁へ(再度、後退)>

<ウクライナ危機発生後のロシアとBRICS

(その3

<ウクライナ危機(201314)>

クリミア併合とウクライナ東部の戦争

ロシアはすぐにYanukovych追放を違法クーデターの結果であると宣言し、Yanukovychがまだ権力を保っている間にウクライナに約束した救済を遅らせた。ロシアはまた、1954年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の一部となった歴史的にロシア領土のクリミア半島の権益を守るために決定的な行動をとった。クリミアはロシアにとって歴史的にも戦略的にも重要性を持っている。それは、古帝国のリヴァディア宮殿で1945年ヤルタ会議開催された地であり、クリミアの港湾都市セバストポリは200年以上にわたりロシアの黒海艦隊の本拠地となっている。地元人口は引退したロシア軍要員の割合が高く、ウクライナからの独立を要求してきた歴史がある。初期の離脱主義者の努力は失敗し、クリミアはウクライナ内の自治共和国になった。

ロシアの公式的説明は、クリミア半島の掌握はキエフで勃発した状況への対応であったと言う。しかし、20152月にロシアの新聞Novaya gazetaに記録漏洩があり、ロシア政府はYanukovychUkraineからの逃亡の数週間前にYanukovych後のシナリオの準備をしていたことが明らかになった。Novaya gazetaは、キリフでの大規模な抗議行動は依然として進行中であったが、201424日から212日の間にクリミアを大統領府が取得する計画を含む文書をある指導者が提出した、と報道した。それは、ウクライナの反対派の「Banderovskaia junta」が勝利した場合のロシア指導部が予見する危険性を説明し、そして紛争へのロシア介入の政治的および物流戦略を概説した。この戦略は、クリミアとウクライナ東部を国の他地域から分離することが含まれていた。クリミア半島掌握とウクライナ東部の敵対行為扇動は、この初期計画から大きく逸脱することはなかった。2014227日、ロシアの不明軍人がクリミア国会議事堂を押収し、地元のウクライナ軍基地を占領し始めた。この無血侵入は、キエフでの暴動を受けて開始したSergei Aksyonov率いる地元の抗議行動によって助けられた。ロシアの指導部はすぐにクリミア半島の合法的指導者にAksyonovを指名した。彼のリーダーシップの下で、クリミア議会はウクライナからの独立に関する国民投票を実施することを投票した。316日、ウクライナ憲法に全面的に違反して、クリミア住民の90%がウクライナから離脱しロシアに加わることを投票した、と報道された。2014318日の画期的なスピーチで、プーチン大統領は正式にロシアの半島併合を発表した。クリミア半島の併合に続いて、ウクライナ南東部の親ロシア分離派が反乱を起こし始めた。停戦に至るいくつかの試みにもかかわらず戦いは地域で続く。ロシアは主にウクライナでのロシア軍の存在を認めることを拒否しているが、ロシアが分離主義者に継続的に物質的支援を提供しているという重要な証拠がある。20149月までには、分離主義者に対する支援が武器供与から紛争へのロシア兵士の関与へ進展したという証拠も増えてきた。ロシアはウクライナ紛争で死傷者を出したが、これは公式的には秘密のままだ。家族が彼らの愛する人の死の誤った理由を与えられている間、遺体はひそかに移される。この執筆時点で、紛争は未解決で不安定なままだ。

<米国の戦争の新しい顔はロボット:

人工知能は、我々が観念的に戦争を考えることをより容易にし、そして戦いを止めることをより難しくする>

By Allegra Harpootlian and Emily Manna
29/04/2019 The Nation

(その2

事実、米国の空爆はすでにトランプ時代に急増している。New Americaによると、軍事行動開始からの1年間よりもこの6か月間にソマリアで増加している。 「果てしない戦争を止めよう」というトランプの願望にさらにねじれを加えるため、ペンタゴン当局者は彼ら自身のニュースを発表した:実際、米軍はさらに7年間ソマリアに留まるだろう!

遠隔戦争のドローン攻撃は、アメリカ人が彼らの名前で実行されている戦争についての考え方をすでに変えた(もし彼らがそれらを考えた場合)。例えば、2018年の選挙日にジャーナリストEzra Kleinは「アメリカは戦争をしていない」と主張した。彼はその後Twitterでその声明を引きずったが、それはもっと大きな問題を指摘している:アメリカの戦争は極めて見えにくくなっているので、理論的にそれについて報告するだろう人々でさえそれについて忘れているように見える。

中東およびアフリカでは、爆撃、急襲、ミサイル攻撃、およびドローン襲撃が増加しただけで、本国のアメリカ人はトランプ大統領が言ったように、「我々の若者、若い女性たち、男性たち」は帰ってきて、果てしない戦争はついに終わった、という印象を持つ。事実、テロとの世界規模の戦争を、終わらせないとしても、本質的に縮小することを目的としているすべての計画は、これまでのところ全く別なものに終わっている。そしてトランプ政権の新しい国家安全保障と人工知能戦略を考えると、これはワシントンが、そこのだれも本当に気づかない戦争に入ることをより簡単にするプロセスの始まりに過ぎない可能性がある。

米国防総省高官は最近、アメリカの「戦略的地位を維持し、将来の戦場で優位に立つ」ために、戦闘における人工知能の使用を拡大したいと明らかにした。残念ながら、国民が心配する必要があるのは将来の戦場だけではない。米軍はすでに既存の武器システムをより自律的にし始めている。このプロセスは、AIの開発と適用に関する透明性の欠如、そして公的説明責任を重視しない民間企業が技術創造に深く関与するという事実のおかげで、(ほとんど検出できない形で)加速する可能性がある。

ロシアとBRICs(その17)

Russia, Brics, and the Disruption of GlobalOrder

Rachel S. Salzman  2019/4/1

17

5章 ブリッジから防壁へ(再度、後退)>

<ウクライナ危機発生後のロシアとBRICS

(その2)

<ウクライナ危機(201314)>

ウクライナの危機は、冷戦の終結以来、代わる代わる無視され怒りをもたらしてきた最前線に緊張を高めた。その長いルーツにもかかわらず、状況が最終的に爆発した後、危機は著しく急速に動いた。詳細と時系列を理解することは、危機のさまざまな局面に対するロシアと西側の反応を理解するため、そしてなぜロシアが突然、代替パートナーを必要としているのかを理解するために重要だ。

EuroマイダンとViktor Yanukovychの逃亡」

Euroマイダン革命は、20131121日夜、抗議者がキエフの独立広場に集まったときに始まった。当初問題になっていたのは、ウクライナのViktor Yanukovych大統領がEUとの包括的自由貿易地域(DCFTA)協定に署名しないという決定だった、しかし、抗議行動は後にYanukovychによる抗議者に対する武力行使と、政権内の驚くべきレベルの腐敗についての暴露に後押しされた。抗議行動のルーツは多岐にわたるものだったが、国内係争はすぐにロシアと西側の間で行われたウクライナの政治的および経済的な未来の統制をめぐる代理の争いとなった。プーチンは、ウクライナが発展途上のユーラシア連合(EEU)に加盟することを強く求めた;EUの法律は、EEUの中核をなす関税同盟への加盟をDCFTAと両立させていない。オブザーバーは、YanukovychDCFTAに署名しないという決定は西側よりモスクワへの選択として解釈した。この解釈は、Yanukovych201312月に150億ドルの救済とガス価格の急激な引き下げでモスクワと合意した取引によって補強された。

201312月と20141月、状況が急速に悪化した。抗議行動は、ウクライナ西部の他都市や東部の市民(歴史的にはロシア人と西ウクライナ人よりも親ロシア的な人々)の両方に広がり、キエフで起こったことを恐れて抗議し始めた。Yanukovychは当初、野党との交渉を拒否し、代わりに20141月中旬に反抗議法に署名した。法は2週間以内に廃止されたが、それまでに状況は自身の勢いで進んだ。抗議者に対するYanukovychの暴力も増加した:2014218日から220日の間にキエフで100人以上が殺害された。

しかし、その暴力的勢いの後、危機は終わるように見えた。2014221日、Yanukovychと野党の主要指導者たちは「危機に対する政治的解決」を約束するEU仲介協定に調印した。この協定には、憲法改正、議会および大統領選挙のタイムラインに関する合意、そして抗議者の恩赦を含んでいた。しかしその夜、野党からの圧力と彼のかつての同盟による放棄のためにYanukovychは首都から逃げた、そして野党は政府を支配した。2015年のロシア政府制作ドキュメンタリーによると ロシアの軍用ヘリコプターは最初にクリミア半島にYanukovychを避難させ、その後まもなく南ロシアに避難させた。2014228Yanukovychはロシアのロストフ・オン・ドンの町で記者会見を行い、彼はロシアに新ウクライナ政府に対して行動を起こすよう促し、その後、彼は公衆から消えた。

<米国の戦争の新しい顔はロボット:

人工知能は、我々が観念的に戦争を考えることをより容易にし、そして戦いを止めることをより難しくする>

By Allegra Harpootlian and Emily Manna
29/04/2019 The Nation

(その1)

ここに、米国の一見終わりのない世界規模の紛争について尋ねる価値のある質問がある:

もし米国が誰かを殺し、米国兵が誰もそこにいなければ(とにかく)、米国はまだ戦争中か?

それは未来の米国のテロとの戦争について、真に重要な問題であることを証明するかもしれない。それは今18年を経過し、中東と北アフリカのかなりの部分を含んでいる。あなたが望むのであれば、それを人工知能、またはAIの質問として考えてみよう。

しかし、それはワシントンが脅迫されている問題ではない。 元軍高官、軍需関係者、および専門家は、代わりに、国防総省と主要トランプ政権当局者が国の安全保障焦点がシフトしていること − アルカイダやイスラム国家のような反乱勢力のグループとの闘いから、「我々の近くにいる」敵と呼ばれるものへの影響増大へ、中国とロシアへの空想的なフレーズ − を定期的に主張していることが何を意味するのかについてもったいぶって話をしてきた。

 このrefocuseがどう見えるかについての憶測は、米国の終わりのない戦争が「栄光の終焉」を迎え、「今こそ、我々の軍隊を帰国させる時だ」と宣言するトランプ大統領の様々なtweetsと声明の後になって初めて拡大した。

この会話から欠けているのは、比較的簡単な質問に対する答えだ:テロとの戦いは、本当に大国間競争に集中するために投棄されているのか?

トランプが12月に「ISISに勝利した」ために米軍2,000人全員をシリアから引き上げると発表した後、ホワイトハウスのスポークスパーソンSarah Sandersは、これは「世界的連立や軍活動の終結を知らせるものではない」と明らかにした。トランプと共にペンタゴンはすぐに明確にした:実際には1,000人の軍隊がシリアに残る、そして米国主導の連合は「ISISの永続的な敗北」まで空爆と調整された攻撃を続ける。それ以降空爆(およびそれに伴う民間人死傷者)は増加しただけだ。

ほぼ同時に、トランプがペンタゴンにアフガニスタンでの約14,000人の兵士のうち7,000人を戦闘規模縮小というより大きな計画の一部として引き上げるよう命じたことが表面化した。超党派的な憤慨の後、政権はすぐに後退した。

ほんの数週間後、アフガニスタンでの国連援助ミッションは、2018年に、米国の空爆による民間人死傷者が前年の約2倍になったと報告した。それは、米国がより多くの空爆を実施したことに起因する増加数 − それ自体はおそらく過小評価されている −  に帰因している。我々は、2019年だけでも100人以上の民間人が米軍空爆で殺害されたと推定しており、これは減少の兆しが見られない現象だ。

次にトランプ政権は、ペンタゴンがその「次の戦争の最前線」(ロシアと中国)に焦点を当てるために、アフリカ、特にソマリアから軍隊を引き揚げるという噂を浮かび上がらせた。1つの条件付きで:空爆とテロ対策作戦はもちろん続く。唯一の違いは? 新計画の下では、ソマリアの過激派に対する空爆責任は、これまで以上にCIAに移されるだろう、ということ。

ロシアとBRICs(その16)

Russia, Brics, and the Disruption of GlobalOrder

Rachel S. Salzman  2019/4/1

16

5章 ブリッジから防壁へ(再度、後退)>

<ウクライナ危機発生後のロシアとBRICS

・ウクライナ危機発生後のロシアとBRICS重要な歴史的瞬間の間に何度もそうであったように今年、我が国民は熱意、生命持久力、そして愛国心を示した。我々が今日直面している困難も我々に新しい機会を生み出す。我々はどんな挑戦をしても勝利する準備ができている。Vladimir Putin, December 2014

・敵対的な言葉、制裁措置および反制裁措置、ならびに勢力拡大は、国連憲章の原則と目的を含む国際法によれば、持続可能で平和的な解決には寄与しない。BRICS foreign ministers, March 2014

 

2013年秋から冬に、ロシアの外交政策とエリートの政治レトリックはおなじみのパターンに落ち着いたように見える。プーチン大統領は国際的関係において「価値に基づくアプローチ」の危険性をしばしば述べ、BRICSG20G8、そしてSCOと並んで、新世界秩序についての健全な組み合わせに完全に統合された。

プーチンが米国の外交政策を批判したとしても、ロシアと西側の協力は、アフガニスタンの米軍備配置計画に重要な役割を果たすことが予定されている北部配給ネットワークを含むいくつかの問題を継続した。ロシアは20141月の第2G8サミットを開催する準備をしていた。シリアの状況悪化は、紛争をどのように終わらせるかについて非常に異なるビジョンを持っているにもかかわらず、合衆国とロシアをパートナーとしてテーブルにつかせた。要するに、ロシアと西側大国間の緊張した対応が、冷戦後の大部分の時代と同じように、継続しないということを示唆するものは何もなかった。

しかし状況は急速に変化した。201311月、ロシアと欧州の長期にわたる統合のジレンマは、ウクライナの経済的提携と統合をめぐるオープンな対決になった。国内政治と外交混乱で点火されウクライナの状況が暴力的に暴走したため、ロシアはもはやユーロ・大西洋秩序の限界にとどまらず、それと明白に対立した。結果として、ロシアにとっても、世界秩序の将来にとっても、BRICSの重要性についての10年間のレトリックははるかに深い共鳴をもたらした。ウクライナ危機によって引き起こされた地政学的緊張を受けて、ロシアの指導者たちは、ロシアの外交政策の実行可能な代替策として、BRICS支持をレトリックの領域から真剣に検討するようになった。

それはまた、BRICSグループに対するロシアの潜在的な反西欧課題をより明確にし、他のBRICS諸国が彼らの支援にどれほど積極的に参加することを望んでいるのかについて疑問を投げかけた。

 本章は、2014年までのウクライナの危機と、西側諸国とBRICS諸国によるそれらの出来事へのさまざまな対応のレビューから始まる。それは西欧との決裂の結果としてBRICSへのロシアのアプローチが実際的に、そしてレトリック的なレベルでどのように変わったかに移る。このことから、グループ内での反西欧感情の動機づけと分裂要因としての役割の分析につながる。この章では、ウクライナ危機発生は長期的というより短命であるので、危機発生以来のBRICSに対するロシアのアプローチの変化程度の評価と、均衡への回帰がグループの将来に何を示唆するか、ということで結論する。

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事