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倶楽部2600のブログ
資料は整理してこそ、模型は走らせてこそ、部品は小奇麗に飾ってこそ、その価値が増すもの。でもナカナカ、出来ないのですよね…。

FS337一族

 こんばんは、月が替わり水無月6月に入って初めての記事となります。毎日期待してご訪問をいただいておりながら記事の公開の遅延が常態化してご期待に応えられておりませんゴメンナサイ。夏には通常モードに戻っていただけるものと思っております(推測)。特急車の“ときめく京の彩り”も今はこれに・・
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 さて、昨日もけいはんの伍ハチさんが「できれば337とかの数字だけじゃなくてBとかEとかのアルファベット別で形態差管理したいな」というツイートをされているのを見かけました。
 京阪電車では1960年代半ばから10年間、新製された車両にはM車を中心に汽車会社〜川崎重工のエコノミカル台車が、T車を中心に今回のタイトルでもある住友金属のFS337シリーズが採用されていました。とはいっても、機械面には全く疎い私では詳細の違いを容易な語句にて説明できるだけの技量は持ち合わせておりません。ただ、鉄道ピクトリアル誌において1980年代中期に鈴木光雄氏により“住友金属の台車”という長期連載があり、鉄道ピクトリアル1986年9月号(No.469)の第20回に『(7-38)FS337形台車』という記事を執筆されており、同誌を手元に持っておりましたので、それを参考にして備忘録的に記事を書かせていただきたいと思います。詳細をお望みの方は是非そちらをご参考にして下さい。

 FS337形台車は昭和35年に京阪電鉄2000系の中間車2100形用に設計された台車枠支持方式が上揺れ枕梁式で軸箱支持方式がペデスタル式の空気バネ台車です。この台車は付随車用の台車でしたが将来のM車化に備えてモーターが取り付けられるようになっており、台車形式も平行カルダン台車を示す300番台が与えられていました。
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 昭和36年製の台車は初めからM台車として使用され、基本的にFS337と同じでありましたが空気バネが中間リング形となり、細かいところではブレーキ調整棒に安全吊りが取り付けられFS337A形となりました。
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 昭和39年より製造を開始した急行・準急用の2200系のT車においてはFS337・337Aの軸バネを硬質ゴムブロックからコイルバネを使った二段バネ台車仕様に変更したFS337B形が採用されました。ブレーキも各車輪毎にシリンダーとスラックアジャスターを持つ片押し式となり外観も変わりました。昭和40年製造分からは写真のようにブレーキシリンダーの空気管が側ばりの上を通っています。
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 続くFS337CはFS337BにM台車用として中間台車わくを付け昭和41年に登場したもので2000系の中間電動車2100形6両が履いており、後に2600系に引き継がれました。
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 昭和43年の2200系T車の増備車にFS337Bの軸受けの径が変更されたFS337Dがつけられました。
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 昭和44年に関西初の冷房通勤車として登場した2400系と5000系には空気バネの有効径を一廻り小さくしたFS337Eが採用された。昭和51年分は波打ち車輪付で側ばり先端に増粘着研磨子が取り付けられています。
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ピクトリアル誌1986-9より FS337系 まとめ(一部追記)

形 式  製造番号 製作年月  台数 車両形式(車両番号)
FS337  H-2792  昭和35-11 T10 2100形(2101〜2105)
FS337A  H-2930  昭和36-12 M12 2100形(2106〜2111)
 〃   H-3071  昭和37-10 M12 2000形(2049〜2054)
 〃   H-3202  昭和39-1  M16 2000形(2055・2056)
                  2100形(2112〜2117)
FS337B  82-2044  昭和39-12 T16 2250形(2251〜2258)
 〃   80-2067  昭和40-12 T6 2250形(2259〜2261)
 〃   80-2082  昭和41-8  T18 2250形(2262〜2270)
 〃   80-2095  昭和42-7  T12 2250形(2271〜2273)
                  2350形(2360〜2362)
FS337C  80-2081  昭和41-8   M12 2100形(2118〜2123)
FS337D  80-2106  昭和43-7  T18 2250形(2274〜2276)
                  2350形(2363〜2368)  
FS337E  80-214  昭和44-9  T18 2450形(2451〜2453・2461〜2463)
                  2550形(2551〜2553)
 〃   80-225   昭和45-8  T18 2450形(2454〜2456・2464〜2466)
                  2550形(2554〜2556)
 〃   80-226  昭和45-11 T6 5500形(5551)
                  5600形(5601・5651)
 〃   80-227  昭和46-10 T18 5500形(5552〜5554)
                  5600形(5602〜5604・5652)
                  5800形(5853・5854)
 〃   80-230  昭和51-3  T6 5500形(5555)
                  5600形(5605)
                  5800形(5855)

 運良く各形態の台車写真を手元に所有しておりましたので何とか記事にすることができました。高度成長期の新車の大量投入された時代2000系〜5000系まで16年間にわたって100両以上に採用され、現在も様々な形式で現役のこのシリーズは“台車の京阪”の中核となった完成された台車なのでしょうね。

今回の担当者 用務員(白黒写真 同志社大学鉄道同好会OB会撮影)

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 こんばんは GWから始まった5月も今日で終わり明日から弥生6月です。写真は今の時節にぴったりの8108号車の“走る画廊”。
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 さる29日に某君の画像を貸与いただいて62年5月24日京都地下線開通日の朝の伏見稲荷駅の風景と淀屋橋駅の画像をお目にかけました。彼は前日の地上最終日の京都4駅も訪れて記録を残していました。今晩はその中の一部ですが今では見ることの出来ないその光景をご覧いただきます。

 地上4駅の駅名板。
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 三条地上駅の駅舎。駅舎横の地下駅への入口の位置で30年後の今との位置関係を理解していただけると思います。
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 このような掲示物の記録を残している彼のセンスにはただただ感謝。 
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 ここからは“スルッとKANSAI Sound Collection Vol.01”の「Truck44 京阪電車 風景音/三条駅」をBGMにしてご覧下さい。音源自身は1979年のもので1番線からの宇治行きの発着もありますが10分06秒にわたる音は当時を知る人にとっては懐かしさが溢れてくること請け合いです。

 係員の詰所も懐かしい2番線乗り場の横の広いコンコースと売店群
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 本線のパタパタと京津線の幕
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 特急が発車すると3番乗り場の急行へは連絡階段?を利用します。
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 2番線に列車が到着すると階段は封鎖され、2番線停車の列車の車内が通路となります。
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 我ら板好きはホームの端がいつも気になっており、夕方になると日中の急行に取り付けられていた催事の副標(当時はドラゴンボール)が取り外されズラリと並んでいました。
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 四条駅。究極のバリアフリーとも思える電車を降りて改札抜ければ祇園四条は駅のそば・・。
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 最後に車内吊り“きょうは、京阪。”。当時のイメージガールは島田奈美。
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今回の担当者 用務員・写真提供某氏

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 こんばんは、5月の最後の週末は澄み切った青空と眩しい日差しそして豊かな新緑で過ぎました。まだGWの喧騒から一ヶ月も経過していませんが、はるか過去の事のような気持ちになっております。京阪沿線花だよりもバラがピークを迎え菖蒲が咲き始めています。
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 さて、この週末表題のとおり既に5月20日より取り付けが開始されている記念マークに引き続いて昭和62年5月24日の京都地下線開通から30周年を記念してのイベントが開催されました。
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 通常このようなイベントに参加できない(しない)私でも62/5/24には思い入れがあるだけに簡単にスルーすることはできず両日とも用務の合間をぬってクイズラリーに参加してまいりました。
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 この二日間の釣果をこの四条駅の駅名板の上に並べてみました。今回協賛して実施された三条駅の販売会ではこのステッカー4駅分だけの散財のみに抑えることに成功しました。
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 さて、皆さんは4問あったクイズラリーの問題の難易度はいかがだったでしょうか?
 今回唯一ノーヒントにて出題された祇園四条駅のこの問題・・・
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 三択ということで3箇所(←淀駅高架化に伴う撤去数らしい)は少ないだろうし、13箇所(←これはどこのだろう?)は多そうなので真ん中の8箇所が正解という消去法を採用された方もおられたのではないかと推察します。でもこの区間で8箇所も踏切ってあったっけ?・・ということで検証してみました。ピク誌1984-1増刊号でその時点の踏切道が一覧表でまとめられていました。

東福寺−三条 踏切一覧 1984年

◆東福寺駅
|  十二丁目・水車道・西端・塩小路・疎水端・七条
◆七条駅
|  正面・五条
◆五条駅
|  松原・団栗・四条
◆四条駅
|
◆三条駅  


ということで、現状西端踏切の先でJRをアンダークロスして地下線に吸い込まれますので、撤去されたのは塩小路踏切から先の3+2+3の8踏切というのが正解ですね。選択肢の中に11箇所(純粋に東福寺−三条の全踏切数)というのも欲しかったところです。

 七条駅−五条駅間にかかる正面橋より、南向き七条大橋と塩小路橋そしてJRと新幹線の鴨川橋梁
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 北向きは下り線五条駅と五条大橋
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 五条駅の上りホームから松原・団栗踏切を越えて四条駅を望む。某君提供の62/5/23の地上線最終日の画像。
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 四条駅横の鴨川から三条駅を望む。この区間は橋もありませんので踏切はありません。
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 現在の京都市内の道路事情を考えても、線路跡を南北に走る川端通の存在は欠くことのできないものになっていますが、あの当時の地上線の風情が現代まで残されていたなら違った京の風情と観光資源となっていただろうと推察されます。まぁ現実を直視できないファンの戯言とでしかありませんが・・。

今回の担当者 用務員(写真協力某氏)
 

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 こんばんは、先日の地下線開通30周年記事を書いた後、あの日にも活動をされていた業界の某さん(私より若い)と「もう、あれから30年たったんやねぇ。」とあの日の昔話をしておりました。そこで、「そういえば前日の三条地上駅も稼働しておられたし、当日も動いておられたけど写真を拝見したことがなかったのですが今もお持ちです?」とうかがうと当時近辺の時代の写真満載の一冊のアルバムをお貸しいただき快くブログへの掲載許可をいただきました。当日の雰囲気を感じる彼の記録で“その6”をスタートさせていただきます。
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 以下の各列車の記述につきましては2013年11月1日の“その2”(文字をクリック)の本文データをご参照ください。
 
 7:21にQ0604F列車で到着した6004編成、この編成が27年後に“伏見いなり”の副標をつけることになるとはねぇ。 
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 彼は私より遅く2217編成のF0500S列車で枚方市を出たようですが、中書島で下車し撮影に勤しんでいた私と違ってストレートに伏見稲荷まできていたようです。
 6:38にF0600Sで到着した5557編成は折り返しQ0605Aとして発車待ち。幕車の場合下りは板無しですが、このホームでの淀屋橋行は違和感有。
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 6:54にQ0602Fで到着した1003編成。当時限られたコマ数ではなかなか1000系まで撮影をしようという気持ちならなかったのである意味貴重。
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 7:07にQ0510Fとして到着した2455編成。下りは急行で折り返すということで助役が種別標をもっておられます。ホーム上には一番列車の乗車待ちの方が三々五々集まってきておりました。
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 赤地の急行板を取り付けて7:10発のE0701Aとして折り返していきました。
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 到着した列車より外された種別標や行先標たち。
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 彼らは地下線運転開始後淀屋橋駅に下って活動していたようです。特急・急行全列車に“祝 京都地下線開通”副標が取り付けられました。
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 急行の場合運用の都合で他種別となり副標も着脱することがありましたので、種別標と同じように板立てに予備の副標が並べられていました。
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 同じように活動し伏見稲荷駅では一緒に居た時間もあったのですが、彼の記録を拝見させてもらうと着眼点の鋭さを感じるとともに忘れてしまっている記憶を色々と思い出させていただきました。この記事を見られて“私の1987/5/24”の記録をお持ちの方、是非一緒にあの日を追憶しましょう。たしかに我々はあの日あの場所に居たのですから。
 
今回の担当者 用務員(全ての写真提供 某さん)

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ことほぎ

 こんばんは、8月20日よりデビューとなるプレミアムカーの報道公開が本日中之島駅と寝屋川車庫において実施されたようです。伝聞推定表現ですが報道関係でない我々はこのような表現とならざるをえません。早い局ではお昼前のローカルニュースにおいて中之島駅での公開の様子が紹介されていました。夕方の関西ローカルの情報バラエティーでは各局紹介がされており京阪のこの車輌への意気込みを見ることが出来ました。
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 そのようなことがおこなわれていることなど知らず、朝の上り樟急に10002編成が入り、その続行の特急にライト交換が施工された8010編成が入ってくるというツイート情報だけで枚方市駅におもむいた情弱な私でした。下り普通は2601編成。
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 2200系各編成がLED化されたということで、2600系もいつまでこの姿で残っていてくれるかも不安ですね。
 ホーム端におりますと、テスト帰りの学生の方から「目撃ツイートが出ていますけど、行かれるんですか?」と声をかけていただき、昼までフリーをいいことに「へぇそうなの」ということで、本日より運行を開始した「キテ・ミテ中之島2017」の特製ヘッドマークがつけられた13021編成が日中枚方市普通運用に入っているのを気にしつつもお喋りしながら南下してきました。
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 残念ながら関係者でない我々が見ることが出来たのはこの姿だけ。でも、中之島駅3番線の特急出町柳表示も素敵です。
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 発車標が出ますと30分以内に出発するということで、コンデジおやぢも撮り系の方々と一緒に移動しました。初めて山側を見ることが出来ました。
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 午後から寝屋川車庫において報道陣に公開され、その際に新種別の“ライナー”幕や快速特急幕もお披露目されたようです。
 また、プレミアムカーのパンフレットも配布されたようです。我々が入手できるのは一般公開?か試乗会?それとも秋の寝屋川?日比谷?となりそうですが楽しみに待っておきましょう。
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 もう3ヶ月たらずで新しい時代の京阪電車がスタートします。利用形態がどのように変化していくのかは想像はできませんが、その日に向かう色々の変化についてもしっかり追尾していきたいと思っております。

今回の担当者 用務員

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京都地下線開通30周年

 こんばんは、梅・桜と続いた駅の掲示板が“京阪沿線花だより”に衣替えしました。
有名所がズラリ並んでいた梅や桜とはひとあじ違った社寺公園が並んでいますね。
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 今回はこのように沿線のバラ・花しょうぶ・あじさいの見所の開花状況を知らせてくれます。このイラストシールを覚えて置いてくださいね。
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 ところで、来週5月24日が、七条・五条(現清水五条)・四条(現祇園四条)・三条の4駅が地下駅となって開通してから30周年ということで、京都地下線〜東福寺−三条間〜開通30周年記念イベントの詳細が一昨日15日に発表されました。
 車内吊りも出ており、今回はクイズラリー開催・記念グッズ販売・オリジナルグッズ販売会・記念ヘッドマーク掲出という陣容のようです。
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 当時もう現役であった我々にとっては歴史の中に組み入れられてしまうのは複雑な気持ちですが、30年前の昭和62年5月24日はとても記憶に残っていることでした。その為に過去に何度も記事にさせていただいております。「ハテ?そのような記事ってあったっけ?」とお思いの方もいらっしゃるでしょうから先にリンクを貼っておきますのでご覧下さい。

 その1を書いてからからもう4年近くが経過し、その3につきましては今も棚上げ状態というお恥ずかしい状態が続いております(-_-)
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 ところで30周年の記念ヘッドマークの掲出(5月20日〜10月31日)にセレクトされたこの5編成
2209編成
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2624編成
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7003編成
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7201編成
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10002編成
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ですが、個人的にはかのブログ記事その1の中で書いたこの文章『・・京都という雅な街を南北に走っていた京阪電車に想いをはせて下さい。そこを走るのは残念ながら7000系以降の車両はお呼びでなく、卵型グループ&6000系そして3000系特急車までの車両達です。・・』に記載したとおり、今回の車両セレクトについてはなぜこの編成が?という気持ちをもってしまいました。

 掲出期間がプレミアムカー増結開始日を挟むだけに?特急車8000系こそしかたがないのかも知れませんが、三条地下駅出発の下り営業1番列車となった普通Q0801A列車の6011編成や上り地下線乗り入れ営業1番列車の急行E0604S列車へ充当された6006編成など
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記念マークを掲出する事由のある編成がいまだに現役である上に当時から現在まで乗り入れ続けている1000系・2400系・2630番台そして5000系からも今回のマーク掲出編成に是非選出してもらいたかったなぁと思ってしまいます。ただ掲出期間中にこれらの系列に別のマーク掲出や何らかの動きが想定されているのならばそれはそれでしかたはないのでしょうが・・。また、2200系の前照灯LED化が完了してしまっただけに、同様の2600系3編成もいつまでこの姿で走ってくれるのか?2624-2803編成も期間中に交換されてしまうのか?気になるところです。

 19日(金)からは13021編成にも翌20日からスタートする「キテ・ミテ中之島2017」の特製ヘッドマークが6月25日迄掲出されるということで9000系20周年とも合わせて彩りを添えてくれるものと楽しみにしております。写真は昨年掲出の13022編成。
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今回の担当者 用務員

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黒文字車番

 こんばんは、8000系で唯一シールドビーム灯で残っていた8010編成がLED化されてしまったようです。7連組成化後も唯一の存在として日々運行され目立ってくれていただけに寂しいことです。最後に撮った画像は・・と探すと先週末の5月12日の分が出てきました。どのような経緯でこの時期まで残ってくれたのかは判りませんが特徴が一つなくなってしまいました。 
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 昨日ですが、もけいはんの方々が黒文字車番について語っておられました。2008年中之島線開業・2010年の京阪開業100周年を迎えて新たな京阪ブランドづくりの一環として実施された車両のカラーデザインの一新に際して、新塗装車披露までのあいだ工場出入場の編成に対して、今後の新塗装化の際の工程簡略化も兼ねて外板の切り抜き文字や社紋等の標記類を取り外し類似のステッカーを貼付をおこなった編成が2008年1月より新塗装車の出場が本格化した7月までに数本登場しました。
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 この文字のフォントは新塗装化と共に採用された「Frutiger」ではなくあくまで従来と類似したもので、当初は前面も側面も同じつやのない銀色でした。
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 写真を見て感じられるでしょうが、同じような文字であっても立体感によって浮き出るわけではありませんので、地が黄色の3505編成こそまだ判断できますが、薄緑の一般車ですとご覧の通り・・。
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 手持ちの資料から2008年1月から7月までの工場の出入場の編成を書き出してみました。
 編成の後ろの✰は従来と同じ仕様で出場した編成・◎は標記がステッカー化された編成・◆は新塗装化されて出場した編成です。あまりまとめられた記事を見た記憶がありませんので後学のために書いておきましょう。

【 2008年前半工場出場車データ 】

 ✰=従来塗装・文字変更なし ◎=従来塗装・文字シール化 ◆=新塗装
11/6 〜12/17 2455編成 ✰  11/28〜12/27 6007編成 ✰
12/5 〜 1/17 5555編成 ✰   1/8 〜 2/6  3505編成 ◎
1/23 〜 2/13 2218編成(京都方4両) ◎
   〜 2/27 7003編成(バリアフリー工事施工) ◎ 
2/6 〜 3/11 2211編成 ◎  2/12 〜 4/1  2210編成(大阪方3両) ◎
2/25 〜 3/24 1929編成 ✰  3/6 〜 4/7  2601編成(京都方3両) ◎
3/21 〜 4/17 1919編成 ✰  4/1 〜 4/30 8001編成 ◎
4/14 〜 5/21 7201編成 ◆  4/23 〜 6/2  2216編成 ◎
5/13 〜 6/28 8008編成 ◆  5/12 〜 6/9  2621編成 ◎
6/2 〜 7/9  2221編成 ◆  6/12 〜 7/24 2225編成 ◆


 3505編成から施工されましたが、同編成については新塗装化準備の為にというよりも、既にその時点で車両番号の変更が決定していて、後日の変更作業を容易に実施できるように検査施工と同時に準備実施されたという話を承ったことがあります。
 そして目を引くのが順次実施されている編成がありながら入場し何も変わらない姿で出場した1900系2編成ですが、こちらも秋の中之島線開業時での引退が決定していたからこその未施工だったのでしょうね。またこの時期の出場車両の特徴として種別幕と行先幕の相違があげられます。上の3編成共に如実ですが種別幕は未整備だったので旧幕(区間急行は区急で表示)で行先幕については中之島も入っている新幕ということでフォントやアルファベットの表記の差異など違和感を感じてしまう状態でした。また、新塗装第一弾の7201編成・続く8008編成も出場時はこの形態でした。
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 一般車も5月23日には1504編成に早くも種別行先とも交換されているのを確認しており、新塗装車も2221編成以降は新幕での出場となっています。
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 話を元に戻しますが、視認性に欠ける銀文字(前面分)については早くも4月中旬には7003編成がタイトルにもありました黒文字に交換され
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 その年の秋にかけて順次全編成が黒文字車番化されました。なお、6月に出場した2216・2621編成については出場時より黒文字で登場しており、3505編成については6月27日の8531編成への改番時に黒文字化されました。
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 その中で2264号車については12月24日のパートナーの2210編成の入場時に離脱し同時に新塗装化されてしまって翌年1月28日に出場しましたので、黒文字車番は約2ヶ月少ししか見ることが出来ませんでした。
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 最後の一般車のステッカー車であった2216編成の2012年3月7日の入場による記事(文字をクリック)でも記載させていただきましたが、新塗装化の過渡期においてわずか数編成にだけに施工された黒文字ステッカーについての記憶を記しておくことは追尾させてもらったことができた我々の務めなのでしょうね。
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今回の担当者 用務員

この記事に

 こんばんは、週末です。GW明けの一週間の労働も終え久々に自宅でゆっくりとしております。今回はさる3月10日の記事(文字をクリック)の具体化の第1弾としてこのような記事を書かせていただきます。
 ただ、外部のマニアである私としては外野から見た興味として記させていただきますので深い部分はまったく理解できていない点をご容赦ください。

時限スト解除時実施臨時ダイヤ(No.333)

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 スタートからディープなものを持ち出してきてすみません。これは運行図表というカテゴリーからすれば異質(応急的なもので、実際使用されいたのかさえ今となってはわからない代物)かも知れません。この品はだいぶ昔にヤフオクに出品されていたものです。

 “ストライキ”というイメージは今の若い方では実感しがたいものだと推察しますが、今ですと台風による暴風警報が発令されたときの事象というのが適切なのかもしれません。我々が学生でした昭和40年代から50年代にかけては“春闘”という言葉で時節の風物詩のように交通機関がストライキをする機会があり通勤通学の足が奪われ地元の公立小学校であっても(先生が通勤できない)という事由で休校となり、子どもたちは早朝よりワクワクしておりました。
 ただ時代の経過と共に交通機関が交渉戦術の手段としてストライキを実施する事に対しての世間の評価や労働者側の意識が変化していくと共にお互いが歩み寄る事が増えストライキ戦術というのも昔の思い出となってしまいました。
 
 そこで以降はあくまで推測ですが・・このダイヤ?は平成5年12月12日・19日の両日曜日に始発から12:00まで計画をされていた時限ストライキが正午に終了し通常の休日ダイヤ(平成5年1月30日改正No.333)へ立て直すまでの1時間30分だけに使用するためにあらかじめ準備されていたもののようです。
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 昔どこかで目にした記憶があるのですが「ストライキをおこなうことは労働者側の権利として保護されるものの、ストライキが終了しダイヤを速やかに平常に戻す事は労働組合側に責として委ねられている。」ということらしく、このダイヤを観るかぎり当時の15分間隔のダイヤ(特急・急行・樟準・直通普通・萱普・三-宇普各1)にほぼ1時間で戻してしまうのは興味深い事です。

 ただそれを遂行するためには、通常の夜間の駅分散留置とは異なり、沿線拠点駅へ事前に車両の分散留置がおこなわれていたようです。
【通常】 所定での各駅の分散留置 本線12本・支線用6本
 出町柳 2本(8連・4連) 三 条 3本(7連・6連・5連)
 深 草 1本(8連)    中書島 3本(宇治線用5連と4連2本)
 樟 葉 3本(8連2本・7連)
 枚方市 3本(7連・交野線用4連2本)
 守口市 1本(7連)    淀屋橋 1本(7連)

 今回のこのダイヤではスト解除時には駅留置が25本ありました。

 本線特急車2本・一般車17本・支線用6本
 出町柳 2本(特急・急行) 三 条 3本
 深 草 2本(上下)    丹波橋 1本(上り)
 中書島 3本(宇治線)   樟 葉 3本(下り2本・上り1本)
 枚方市 4本(上下・交野線2本)
 守口市 2本(上下)    京 橋 2本(上下)
 淀屋橋 3本(特急1本含)
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 通常ダイヤでは上りの分散留置車は始発の淀屋橋駅と三条駅のみで、早朝ということで列車間隔に余裕がある(当時淀屋橋→萱島5時台は普通が25分間隔で2本のみ)こともあって他は全て淀車庫と寝屋川車庫から車輌を出してきていましたが、今回は早急にダイヤを立て直すべく6駅から始発上りの列車を出しています。

種別毎に見ていきますと・・

【特急】 解除直後の通常ダイヤでの出町柳12:01と淀屋橋12:00こそ設定がされていませんが、次の列車(出町12:16・淀ヤ12:15)からは運転を開始します。まず上下初発特急は両始発駅を事前の留置車を用いて出発していき、折り返し淀屋橋13:15と出町柳13:16からは通常どおりとなりますが、それまでの上下各3本ずつは淀車庫・寝屋川車庫から車輌を回送してもっていくようです。
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【急行】 当時15分間隔で出町柳−淀屋橋で設定され急行で淀屋橋へ下ってきた車輌は通常急行出町柳行で上っていきました。下り始発は定時の出町柳発12:05(出町柳始発列車)・上り始発は淀屋橋は所定2本目の12:20から運行されてました。上りの場合淀屋橋12:20発が枚方市に到着するのが12:45ということで、その前に寝屋川市始発の上り急行を2本(枚方市12:18と12:31)運転し、この折り返しである出町柳13:05と下り1番急行からの淀屋橋13:20からは通常どおりとなっています。
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【準急】 当時15分間隔で樟葉−淀屋橋で設定されており、こちらも準急で下ってきた車輌は樟葉行準急で折り返していました。上り淀屋橋発は所定の12:11より運転を開始し守口市で淀屋橋発の普通(始発)と接続し、樟葉で後続の急行と連絡していました。逆に下りは始発の急行が樟葉に12:38しか到着できませんので、早朝のように枚方市始発12:00や樟葉始発12:00・淀始発12:07などの列車が設定されていました。

【区間急行】当時は日中の設定はなかったのですが、このダイヤでは守口市からの優等列車数確保(通常ダイヤ類似)と淀屋橋への車輌送り込みを兼ねて萱島12:02(萱島下り始発)・12:22・12:36の3列車が設定されました。

【普通】このダイヤの面白さを醸し出してくれる種別で、運転再開時に三条始発の下り列車(Q1255A)・淀始発の上り列車(S1252Z)に宇治線(V1251U)・交野線(T1251W)の支線列車に加えて、通常設定のない深草始発の上下列車(Q1253A←野江まで先着・S1270Z)・丹波橋始発の上り列車(S1250Z)・淀始発の下り列車(Q1251A)・樟葉始発の上り列車(S1254Z)・枚方市始発の上り列車(Q1250Z)・寝屋川市始発の樟葉行!(R1250R)・守口市始発の上り列車(Q1252Z←出町柳まで先着!)・そして京橋始発の上下列車(R1261A・R1252N←萱島で準急に連絡)が一斉に動き出し、寝屋川市や萱島始発や淀始発の列車を適時加えて12:40ぐらいには支線も含めてほぼ通常の列車パターンである15分間隔(萱島以南と中書島以北は2本)が構築されています。
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 私の記憶ではストは最後まで決行し続けたというのはあまりなく、ほとんどの場合朝目が覚めるとスト中止で通常どおりという場合が多かったような感じがします。このダイヤについてもあくまで計画であって実際このように運行されたとは思いません。

 昭和61年4月10日の春闘においては時間切れでストに突入したものの早々にスト中止指令が出て運行が開始されたものの運用は乱れ、1803−1806という非冷房コイルサスの7連が日中の急行運用に充当され続け快走していたのを見て度肝を抜いた事もありました。
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 今回からの“運行図表を楽しむ”事はダイヤグラム単体だけではなく、そのダイヤに相応する系統表(いわゆる車両運用表)やスタフ(運転時刻表)と組み合わさせますと一層深い考察ができる(猛者は乗務系統まで嗜まれているようです)ものですので沼を極めたい方は入手するハードルは高そうですがそちら方面も合わせての探索される事をお薦めします。とはいっても部外者が入手できることは限られている(昔は百貨店でも催事系ダイヤが販売されていたものですが・・)分野ですので、このタイトルの続編がどの程度ご期待に添えるか判りません。気長にお待ちください。

今回の担当者 用務員

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 こんばんは、GW明けのフルの一週間も週末の入口である金曜日まで到達しました。一週間お互いにお疲れさまでした。週末には英気を養って、5月後半を乗りきっていきましょう。

 さて、3月後半より検査入場していた8005編成の工場出場試運転が本日実施されました。
 今回の入場では、プレミアムカーへの改造の為に昨年9月23日に編成より脱車されていた8500形8555号車も他7両と共に検査入場し、本日同時に試運転がおこなわれ、いよいよ本年8月20日にサービスを開始するプレミアムカーが本線に姿を現すこととなりました(ワクワク)。 
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 先日来8両に組成されて留置されている姿を見ていたのですが、お昼時寝屋川車庫横を通過しますと昨日と違ってパンタも上げ「試運転」幕となっていましたので、これは・・・と期待をして寝屋川市で潔く前途放棄をして待機をさせてもらいました。

 8連ということで8055号車には「8」マークがつけられていました。また各車のドアには“試運転走行中”の紙がありました。通常の出場試運転ではあまりこのような掲示をみることがないので、この組成でしばらく試運転をする予定なのでしょうか?
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 やはり気になるのは“プレミアムカー”
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 気になる車番は・・・嬉しいような残念なような“8555”(“8955”とかになるンかなと思っていたました・・・)、形態が変わってしまうのですから、少なくとも8500形と8550形というように形式は分けられるのでしょうか? う〜ん、ゴールドの文字がゴージャス♪
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 ドア部分とその横のモニター(車体中央の種別行先表示幕は埋められている)と思われるものですが、今のところ紙貼り+試運転表示になっているように見えます。
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 床下機器にも気になる機器が、ズームアップしてみますと・・・「アテンダント端末器」?
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 柱があって全景は写りませんでした Orz
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 私は場所柄、川側しか観る事はできませんでしたが、趣友より提供を受けた山側京都方・・・このように車端2窓分が全面黒塗り!この部分の車内の設備がとても気になります(バーカウンター? ンなわけはないっ! でも、コーヒー&紅茶ぐらいを出すコーナーがサプライズで設定されたりして?)。
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 今回出場した編成ですが、たとえばこの8505号車のきれいになった種別幕にはプレミアムカー就役の翌日から運転される“ライナー”のコマが入っているのかどうかも、気になるところです。
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 今日はプレミアムカーのお目見えというよりも、編成の工場からの出場試運転の一員としての初の本線での走行ということであり、現状何も車両についての公式なアナウンスもなく、しかも車内も外からは全く見る事が出来ない状態でしたので、内装がどのようになっているのかは全く知る事ができませんでした。ということで、今回はあくまで外観についての「観たまま」だけを記事にさせていただきました。

 京阪ロマンスカー史の歴史に新たな1ページを記す日まであと3ヶ月あまり、車内がお披露目される日を期待して待ちたいと思います。

今回の担当者 用務員(一部写真は、趣友提供)

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 こんばんは。GW後半戦も終盤となりました。京阪線の春の特別ダイヤのPRもあと数日。
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 さて、昨日は5月3日(水)より祇園四条のぎゃらりぃ西利3階にて開催されている我が鉄道同好会クローバー会の写真展『鉄路輝く』を観に行ってまいりました。
 でもまず京都に向かう前にチョット小活動。3000系臨時快速特急洛楽が運転されていました。定番地もバックの万年寺山の新緑が眩しくなってきました。
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 好天ということで京都市内やその周辺は内外の多くの観光客で賑わっていました。写真展の会場は祇園四条駅より八坂神社に向かって四条通を進んだ南側京つけもの西利祇園店の3階。
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 観光客で賑わう1階の店舗を抜けてエレベーターで3階へ
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 扉が開けば会場です。
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 クローバー会の創立時の先輩から2000年代のメンバーまで北は根室本線から地元京都周辺・南は熊本市電の国内に加えて、海外も台湾からエストニア・ペルーまで、撮影時期も1950年代〜2017年までのまさに古今東西のさまざまな“鉄道の一番輝いているシーン”が展示されています。今回も撮影者の拘りとセンスを感じる作品の数々を拝見させていただき楽しい時間をすごし刺激をうけてまいりました。
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 また今回は本会が来年創立60周年を迎えることを記念して日頃会の外よりご協力を賜っている皆様方からも写真をお寄せいただいたコーナーが設けられました。
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 趣味誌でお名前を拝見する方々の作品に混じって我らが駐在員氏の作品もぉ・・
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 撮影者本人も上洛して訪問したかったようですが、ここ2ヶ月ほどのブログ記事寄稿途絶状態からお察しの通りの最近の多忙がゆえに、GW5連休といえども外出すらままならない(写真展実行責任者談)状況だということで、制約の少ない私(本来この事案については私の方が当事者である不思議)が記事化することとなりました。

同志社大学鉄道同好会クローバー会(OB会)写真展「鉄路輝く」                                     
◆2017年5月3日(水)〜9日(火) 11:00〜19:00  (最終日は16:00まで) 
◆ぎゃらりぃ西利3階
 (京都市東山区祇園町南側 京つけもの西利祇園店内)

入場無料、期間中無休ですので、京都にお越しの際にはぜひ足をお運びください。

 帰りは中之島行臨時特急を撮って帰宅致しました。
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 この列車も京都競馬開催の関係で先週末は13000系7連が充当されたようですが、この3連休は所定であった3000系8連が充当されていました。
 あいかわらず記事の公開が滞っておりますが、鋭意精査して公開にこぎつけますのでお許し下さい。

今回の担当者 用務員

この記事に

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