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倶楽部2600のブログ
資料は整理してこそ、模型は走らせてこそ、部品は小奇麗に飾ってこそ、その価値が増すもの。でもナカナカ、出来ないのですよね…。
 こんばんは、まだ初夏にも入ってないのに汗ばむ週末でした。みなさんこの暑さにお疲れは出ておられませんでしょうか?今日は自由行動の時間を得ることが出来ましたのでさる4月5日の記事(文字をクリック)で書いたように『淀屋橋地下延長線(天満橋−淀屋橋駅間)開通 55 周年記念イベント』の犁念クイズラリー瓩帽圓辰討ました。

 とりあえずラリー最北駅の三条駅に参上(呆) ここの駅のお題は・・・
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 ちなみに3.0劼話翡慧臉・2.3劼漏東線ですので根拠ある問題でした。

 次は中書島駅へ南下、ここのお題は・・・
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 ヒントの通りですね。宇治線運用には13004編成が入っていました。先日出場した13003編成が昨日に続いて交野線で運行されていましたので、次はこの編成になるのでしょうか?
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 淀駅に立ち寄って今日の臨時列車を確認、下り臨急と上り普通の2本で始発臨特は来週ですね。
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 ちょうど連絡洛楽が上がってきました。
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 枚方市で下っていくのを見た55周年マーク付きの2609編成も淀急行でやってきました。
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 あとは地下線各駅ということで、まず天満橋駅は・・ 
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 こんな外に貼られていました。これは時間の引き算ですね。

 最後は北浜駅・・ 
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 ノーヒントということでしたが前回の三条地下線の時にも類似問題が出題されており、次回?想定される中之島線10周年もこの問題が出題されるのでしょうね。
 
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 これは天満橋駅の4番線ホームの淀屋橋側壁面に飾られていますのでご存知の方も多いと思います。そして、北浜→淀屋橋は地下連絡道を走破しここに到着。
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 懸念したグッズ販売ブースではプラレとグッズ類のみで先週の天満橋のような駅名板の姿がなく一安心。
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 今回は購入自粛を是としておりましたのに・・記念のキーホルダーだけ頂くつもりだったのが呼び込みをされていた某さんに煽られてしまいついつい買ってしまいました。どう考えてもこの量が今日中に完売するとは思われませんけどねぇ?
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 通常ですと万博も参戦していない状況ですと余裕があるはずなのですが、1〜4月でこれだけ?入手してしまうとお察しの通り困窮し通常は自粛となりますよね。全部2200系の逸品ですから反省はしますが後悔はしておりません。でもこれ爐世鵜瓩量もなく闇は・・以下自粛 今年のGWはおとなしくしますのでご関係の皆さま誘惑の種はご勘弁下さい。
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 今回このラリーに参加させていただき私の想像以上に多くの世代の方が楽しんでおられる光景を目の当たりにしました。クイズ問題もネット時代ですから正解に到達することは難しくないもののゴール場所にて指摘をされる方も見かける程度のレベルであり楽しむことが出来ました。このように電車を使って動いていただくことこそこの企画の柱なんでしょうね。次回は秋にも想定される中之島線10周年でしょうか?楽しみにさせていただきます。楽しい企画をありがとうございました。
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 最後に本日より13026編成が営業運転を開始し、初運用は上の淀発臨時普通〜中之島臨時特急という華やかなデビューだったようです。また折にふれて観察に行きたいものです。

今回の挑戦者 用務員

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 皆さん、映画はご覧になりますか? 私はほとんど、観ません。過去四半世紀、ざっと25年ほどを振り返ってみても「止む無く、ドラえもん」系のケースを含めても片手で足りる程度の回数(要するに、ほぼ皆無)しか、映画館に座った記憶はありません。今回は、そんな私でも「有名な映画のタイトル」として認識している「今そこにある危機」をテーマにしてみたいと思います。

 「危機」って何や?とお思いでしょう。それは、タイトルのとおりようやくその設置に加速が付いてきた感のある「ホームドア」です。ホームドアたるもの、ひたすら安全性向上のための設備であり、それを指して「危機」というのは世間常識としては全くもって馴染まないのですが、趣味ブログであるここではあえて「危機」と表現して記事を展開したいと思います。

お気楽撮影@駅ホーム


 多くのかたがそうだと想像するのですが、電車を見て「あっ」「ふ〜ん」「へぇ〜」「おぉ〜っ」と感じられる場所は駅ホームだと思います。もちろん「ブルトレ」(←いまやこの表現、古いっすか?)とかイベント列車を狙おう!という場合には予め気合を入れて所謂「お立ち台」で三脚を構えて・・・となるのでしょうが。

 特に、お気楽な「地元電車鉄」を標榜している私の場合は、駅ホームでの「!」なシーン(含む、思い掛けないもの、非鉄な本業で移動中のショット)の記録がとっても貴重な思い出&アーカイブの要素になっています。

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▲6000系がどんどん数を減らしていた頃に運よく遭遇&撮影したシーンも「今となっては、貴重な、、、」系の記録になりました(2017年3月撮影)。

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▲ともすると、ひたすら鬱陶しいだけの毎朝の出勤ですが、時には「テツ」心が大いに刺激されることもあります(2012年8月撮影)。筆者は手前の電車(折り返し&始発)に座るべく、ホームで整列しています。これも細かいことを申せばここ1年ほどの間にLED表示が「三  鷹」から「各停  三鷹」に変わったとか、そして前面扉の腰部に車番シール(ex. 05-030)が移設されたりいう「小ネタ」は発生しています。

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▲高校の同窓会で奈良へGO! 開宴は18時でしたが当然、テツとしては早めに行って活動しますよね。30000系ビスタカー(VISTA EX)、新旧塗装の共演っ(2018年2月撮影)!

それが、なんで「危機」?


 スミマセン、これだけですと「何が危機?」「ホームドアとの関係は?」という点をおわかりいただけないのではと思います。

 ってことで、結論から。

 上掲の写真3枚全て、ここへ来て普及の動きが増した感のある「ホームドア」が設置されると撮れなくなってしまう類のシーンなのです。皆さんの最近の記録(撮影画像)を見返してみてください、いかがでしょうか? 少なくとも私の場合、駅ホームから撮った写真、そしてそれらが「あ、ホームドアが設置されたらこの写真、撮られへんし!」という写角なのですよね。

 筆者は御存じのとおり(?)、少なくとも撮影フィールドにおいては明らかに「お手軽」系です。もちろん、一応は「テツ」ですから一眼レフ+望遠レンズ、そしてそれを載せる三脚は過去半世紀近くの間、途絶えることなく保有している(とは言うもののやはり「お手軽」度は高い)のですが、三脚に至っては過去約50年間、ずっと同じものを使っているという低レベル(?)なのです。
 
 そんな筆者の視点からして「こ、これはヤバい」と危機感を覚えているのがこの記事のテーマであるホームドア、というわけです。要すれば、ホームドアが設置されると「おっ、あ、これ、来たかぁ〜」的なお手軽ショットがへの制約がグッと高まってしまうのです。

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▲憎っくき(?)ワイドドア車を含めてドア位置がバラバラの東京メトロ東西線でもついにホームドアの設置が本格化し、いわゆる「お気楽ショット」が難しくなって来つつあります(軽く、泣)。

車体標記への影響


 ホームドア設置の影響は、車体の「車番」(車両ナンバー)表記位置にも影響を及ぼしています。そりゃそうですよね、我々趣味人にとって見易い・見難いという話は、ど〜でもエエ話ですが、乗務員さん・駅員さんからしても車番がパッと見て取れるというのは大切なこと。これまで主流であった車両裾部(側板下部)への車番表示はホームドア時代にはふさわしくないですよね。ってことで・・・

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▲「いつ、引退?」という雰囲気もある古豪・東京メトロ7000系(製造初年・1974年=44年前っ!)にも、側面車番の表記に手が加えられました(これまで車体裾だけにあった車番表示が、窓上にも追加されました)。

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▲ホームドアが完備されて久しい都営大江戸線(旧称・ゆめもぐら?)では、オリジナルの車体裾+追加された窓上というダブルの側面車番表記が続いてきましたが、ここへ来て急速に車体裾部の車番が消去(シールが撤去)されるようになりました。スミマセン、いわゆる「ついでショット」でしたので、ダブル表記のクルマには巡り合えず、でした。

で、京阪では?


 「ホームドア」設置の流れは今のところ、京阪電車では起きていません(ので、その設置が趣味的にどれほどの「危機」なのかは認知・実感されていません。しか〜し!

 パパっと最近撮った「お手軽画像」を見返しますとその「ヤバさ」が実感できます。そう、私のような「お気楽テツ」には、かなりの打撃になること必至なのです。


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▲お、新3000系が並んだっ!と思って撮ったこの写真もホームドアがあったらアウト。

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▲わ、この電車から下車したらホーム端までパパっと走って行って撮らなアカン!という行動も、ホームドアが無いからこそ成立する話。

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▲そして、この5000系においては撮影というレベルに留まらず、その存廃そのものがホームドア設置によって左右されることが公表されてしまいました。




 そんなわけで、安全性の向上という意味では、ただひたすら歓迎!というほかないホームドアの設置促進ですが、ことそれが「電車の写真撮影」という、まぁ一般常識からすると「ど〜でもエエ話」の立場から考えると、少なからずのデメリットを伴う動きなのです。

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▲こんなショットも楽しめなくなります(P:用務員)。

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▲コスト削減を追求した簡易型も出て来ています(が、写真撮影のバリアという意味での重さは変わりません)。

 まぁこういう動きも、1980年の「5554脱線転覆事故@磯島曲線 by 置き石」の後に起こった線路端へのフェンス設置・増設と同じような流れでの「歴史の繰り返し」なのかもしれません。しょせん、我々趣味人の撮影なんぞは鉄道本来の事業目的からすればど〜でもエエ話。今後は、ホームドアがあることを与件として、何とかうまいこと撮影を楽しませてもらうほか、ありませんよね。

今回の担当者 駐在員

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試運転列車が3本も

 こんばんは、雲一つない快晴の天気が連日続いており、暑さも感じるようになってきました。いよいよ来週末にはGWとなり平成もまもなく最後の365日のカウントダウンとなります。

 さて、昨日までヤフオクで『★鉄道・趣味★プレート 大阪 「2808」 1枚』というタイトルにてコレ(類似品)が出ておりました。
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 タイトルどおりでどこにも京阪電車という文言はなかったにもかかわらず最後はバトルで過熱して6桁帯まで突入していました。先ほど再確認しますと拒否と取り消しによって世の中的な価格帯にて終了したようで安心しました。

 あの品はオリジナルではなく80年代後半に取り替えられたカッティングシート板で後年同様に取り替えられた車両は裏堀品だったのですが、コレは80年代終わりの1900系や2200系の交換車と同じ仕様の裏平のもので、2600系としてはその意味においては稀少なものなのですが業界諸氏内ではたとえ最後まで実車に取り付けられていたものだとしても評価が低く心動かし難いものだったと推察されます。私?今回はこのオリジナル(百貨店で入手)を所持していることで心の平穏を保てました。

 ところで昨日ですが、昼に物品の引き取りで大阪に出る用事があり、帰路業界某君が駅でスタンばっておられるのを発見し、萱島駅4番線に狡眠甅疉充┐鮓つけましたので降りてしばらく待っていますと試運転幕で8003編成がやってきました。
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 何か変化は?と思っていますと8153・8053号車のタイヤが交換されているのがわかりました。
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 ここまで出てきたからには・・ということで、枚方市駅で交野線の訓練列車を待っていますと2番線にイレギュラーな牴鸛疉充┐隼り系の某さんの姿!!「何が?」と思っていますとやってきました。先日来入場していました13003編成。
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 入場前の2月6日にとったこれも
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 このように変更されていました。
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 特急待避をしている間に5番線に私市から到着。2624を挟んで並んだ(苦しい)
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 撮り忘れていたコレも撮っておきましょう。
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 日頃往復する際には車庫の留め位置や駅頭にスタンバイされているメンバーの顔ぶれを頼りに稼働しておりますが昨日みたいな事もあるんですね。私はスルーでしたが夜は夜で大変だったようですが・・・

 いよいよ明日からは・・・
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 私もどちらかの日に参戦しようと思っております。お手柔らかに。

今回の報告者 用務員

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6010改修編成を見てきた

 こんばんは。天気予報どおり夕方前から雨が降り始めました。夕方なにわ橋駅のアートエリアB1において開館10周年/中之島線開業10周年記念の「京阪特急の系譜とダブルデッカー、プレミアムカーの誕生について」の講演会が開催されイスも追加されるほどの盛況だったようです。雨さえ降らなければ終了間際の飛び込みも一瞬考えたのですが、天の流れには素直に従っておきましょうか。

 月曜日より交野線において新型ATSの習熟の試運転が始まったようです。宇治線の時は当時新造の13007編成が抜擢されましたが、今回は先月後半〜色々と話題の13024編成が4連に組成されて連日登場しております。
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 さて、タイトルですが先週13日金曜日に出場試運転をおこなった6010編成ですが15日の日曜日より運用を開始しました。その日は少し動いただけで入庫してしまい以降私は出会うチャンスがありませんでした。昨日L0801A〜深夜急行樟葉停泊のスジに入っており今日のスジが固定できましたので、半休をいただいて見てまいりました。

 宇治線朝運用の返却回送の今日の担当は10005編成♪
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 当該は順当にB0903A列車で下りてきました。え? 枚方市は大阪府下ですが?
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 淀屋橋からの折り返しのP1000Nに乗車。この時間帯の上り区急はガラガラなので車両観察にはピッタリ。改修前・後の姿を比べてみました。フムフム、十数万円の財源が捻出できるであろう「板」が3枚、姿を消して(取り外されて)いますね(ワクテカ、なのか?)。
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 あれ、改修第一弾の6011編成はこうですから
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狆萍外室瓩呂匹海なと思いますとここへ移動。この「乗務員室」表示と、中央部の「お客様の笑顔のために」の上に貼られた小さな文字のシールは、その意味・見易さからしても左右入れ換えたほうがいいと思うのですが、どうでしょう?(次の更新出場車から、そうなったりして?)
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 また、6011編成は表示灯がこのようになっていたのが
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 この編成では転動防止装置が設置されますのでこのように。
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 6011編成では車椅子ピクトグラムの後からベビーカーのピクトグラムが追加され別々でしたが
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 一体化されたものに
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 車内もプレートが省略された一体シール貼りに
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 7000系仕様だった6760号車も
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 車内においては他車同様に没個性化
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 最後に検査標記は平成30年4月13日となっていました。なお、定員137人という半端な数字は改修車の中間車の定員(従来は150人)です。両先頭車は128人
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 このようにプレミアムカー8550形の改造工事によって中断した6000系改修工事ですが、現在の仕様に合わせるべく少しずつマイナーチェンジ(と申しますか、それよりも細かい‘重箱の隅’系の事象ではありますが…)が施されていました。

 現在施工中の6006編成が竣工しますと1983年登場の単電圧車(6006編成〜6011編成)は全6編成が竣工することとなります。次の施工編成が登場時複電圧仕様の初期5編成(6001〜6005)になるのか、軸梁台車でブレーキシステムがHRDAに変更された後期3編成(6012〜6014)となるのか、興味が湧くところです。

今回の担当者 用務員 (駐在員補筆)

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「まず 三条京阪」

 アクセスをくださり、ありがとうございます。いきなり雑談ですが、花粉症のかた、今季は例年以上に辛くありませんか? 近年は歳のせいかアレルギー反応が鈍くなっていた(症状が和らいでいた)私も、こと今季はボロボロです。なんでも、悲惨 もとい 飛散している量は観測史上2〜3位の多さ、ヒノキ花粉に至っては昨季の40倍超(!)らしいですから、無理もないことですよね。

 へ、へ〜クショイっ!(ヨイショぉ〜、ズルズルっ。)

 さて皆さん、インバウンドを含む観光客で大賑いの京都市内ですが、そこにおける公共交通の「拠点」というと、どこをまず思い浮かべられますでしょうか?

 京阪ファンとしては誠に残念な話ですが、恐らくは「そりゃJR(+近鉄・地下鉄)の京都駅でしょうよ」という声が多数を占めると思います。でも、実感として少なくとも昭和時代、特に京阪線の三条駅が地下に潜る(=国鉄がJRになった2ヶ月後)までは昨今感じるほどの「一強」状態ではありませんでした。

「まず 三条京阪」


 そんな往時を思い出させてくれる貴重な史料を先日、縁あって業界の重鎮から託していただきました。その史料(広告)のキャッチコピーが今回記事のタイトルとした「まず 三条京阪」というわけです。「京都市内から大阪に行くなら、あれこれ考える前にまずは三条京阪に行きましょう」(=京阪特急で移動しましょう)というメッセージだと解しました。

 確かに当時の実感としては、京都市内(都心部)における公共交通の拠点としては「京都駅」「三条京阪」「四条大宮」の3つが、相互にちょうどいい距離感があることもあって共存し、便利なネットワーク構成のベースになっていると感じていました。

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▲京津線電車に掲出されていたと思われる誘客広告。側扉周辺に出されるこのタイプの広告枠って、京阪線・大津線高床車・大津線80型などで微妙にサイズが異なるようで…この広告にもまだ「安住の地(枠)」を与えることが出来ないままです。三条・淀屋橋間の運賃が250円、3カ月定期が22,010円」というのは、1979(昭和54)年1月8日改訂の運賃表に合致しますので、史料もその頃のものだと思われます。

余談:上記広告の「史料性」!

上記広告には、当時がまさに全盛期であった3000系特急車の姿が躍っています。それだけですと「当然、そらそやろ」で話が終わってしまうのですが、それだけではないのです。行き交う2編成の姿をよく見ると、資料を超えて、史料としてもこの広告、貴重なのです。

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左は3006。後に3055→8081となった長寿車です。連結器周りは原型の「自連」時代の姿。賑やかなジャンパ栓群がイイですよね。 そして右はそれが先頭に出ているだけでもレアだった3011。今のところこの3000系特急車が京阪では唯一の採用例である「電連つき密自連」と、それに合わせた切り欠きのあるスカートが恰好いいですよね!

 話を本筋に戻しましょう。そんな広告が打たれていた地上時代の三条駅界隈は、西から順に、鴨川〜京阪三条駅4・3・2・1番線〜京津線ホーム2線〜そして広大なバスターミナルが順に並ぶという、実に賑やかな「拠点」でした。今は…鉄道が全て地下に潜ってしまったこと、JR京都駅周辺の整備(開発?再開発?)が目覚ましいこともあって、往時の賑いを知る者にとっては、ちょっと寂しい「三条京阪」界隈になってしまいました。

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▲2015年撮影の三条駅界隈(三条大橋上より撮影)。1987年まで、この角度からは三条駅4番線、そして鴨川堤上を四条(現・祇園四条)に向かう京阪線が望めました。まぁこの写真は近年、特に長閑さが感じられるアングルですが、少なくとも「まず 三条京阪」と謳っていた頃の拠点っぽさは感じられません。青々と茂る樹々(=地下化前、画像手前のざっと半分は三条駅4番ホームでしたので、樹木は一切ありませんでした)に、30年(!)という時の経過を実感させられます。

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▲こちらは梅小路に移設保存されている京都市電の車内に残されている別バージョン。三条・淀屋橋間の運賃が220円とありますから、上掲史料より一つ前の時代のバージョン(1975年12月〜1979年1月の運賃を表示)ですが、ここでも自信満々に「まず、三条京阪」と謳っています。右隣にチラッと写っている阪急6300系は、阪急の誘客広告だったかなぁ(今度行ったら、ちゃんと見て来よう)。下に見て取れる「八瀬遊園 海水水族館」も含め、旧き佳き時代の雰囲気がいっぱいです。

「大阪へ 京阪特急」「京都へ 京阪特急」


 そういえば、京阪特急の宣伝に欠かせなかったのが「大阪へ」「京都へ」という接頭辞(と、いうのでしょうか)。京阪間直通旅客だけをターゲットとして設定されていた時代ならではのクリアカットな訴求方法ですよね。

 上記の京津線・京都市電車内掲出用では接頭辞がもちろん「大阪へ」ですし、地上時代の四条駅下りホーム屋根上にも「大阪へ 京阪特急 ▽のりば」(▽、はこの屋根の下、要するに「ココですよ」という意味)という大きなネオンサインが載っかっていました。一方、大阪方では1990年頃まで京阪本社が入っていたビルを代表格として「京都へ 京阪特急」の文言を何カ所かで見ることが出来ました。

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▲中之島線開業後もしばらくは残っていた元・京阪本社ビル搭屋の広告。今は例の「KEIHAN」ロゴに置換されてしまいました。

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▲「3000系特急車」引退イベントの一環として8531(←3505)にシールで再現(?)された「21型カラーテレビ」にも「大阪へ いちばん便利な 京阪特急」の広告が画像イメージとして印刷されていました。そういえばこの写真、淀屋橋駅の地下乗り換え通路(地下鉄中央改札から京阪の改札に向かうルート)でも、文言を「京都へ いちばん便利な 京阪特急」にした大きな広告として使われていました。

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▲史上最大の「京阪特急」宣伝看板といえば、やはりココだったのでは? 京橋駅ビルの大阪方、複々線が駅ビルに出入りする開口部の真上にあるスペース(幅が30mほどあるのでは?)です。ここは単にド〜ンと「京阪特急」と書いてあったと思うのですが、いつの間にか「KEIHAN」ロゴに変えられてしまいました(上り特急の先頭車より撮影)。

 もっと大きなサイズの広告看板スペースは1971年竣工の樟葉駅ビル屋上にありましたが、その場所は中間駅(=特急通過)ということで特急の広告ではなく、異色(唯一?)の「け い は ん」という大看板になっていました。それも今や、同じく「KEIHAN」ロゴに…。

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▲樟葉駅ビル屋上の大看板。ここの「け い は ん」は何とも言えない‘味’を出していましたが、それも過去帳入りしてしまいました。「け い は ん」の時代は淀川右岸を走る東海道新幹線の車窓からもよく見えた(PR効果十分)だったのですが、残念ながら近年は右岸にマンションなどが建て込んだことと、看板そのもののド派手さが失われたことにより、ほとんど見えなくなってしまいました。

「in Kyoto, on Keihan.」


 特急の「京橋・七条間ノンストップ」の時代も遠くなりました。まぁ「洛楽」の定着という要素はあるにせよ、京阪特急そのものは京橋・七条間に4つも停車駅が加わり、枚方市以北ではかつての「急行」の役割を兼ねるという感じになって既に15年ほどが経過しました。「京都へ」「大阪へ」という直通一本槍の宣伝コピーが姿を消して当然ですよね。

 今や「インバウンド需要の取り込み」「(途中駅からの着席サービスとしてもそこそこの需要があると聞く)プレミアムカー売り込み」そして「沿線需要の掘り起こしを狙った『おけいはん』シリーズ」などの広告が取って代わった、といったところでしょうか。

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▲「きょうは、どこいこ、京阪で。In Kyoto, on Keihan.」

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▲「今日は、プレミアム。」

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▲「エンタツ アチャコ」(古)ではなく「沿達 おけいはん」。

 こうして並べてみると、当然ながら広告にも時代の変化が色濃く映されるものです。デジカメ時代ということで撮影コストも安く(ほぼゼロに)なりました。電車そのものが主役であることは勿論ですが、それを取り巻く周辺のあれこれ 〜脇役そして大道具・小道具とでも申しましょうか〜 にも関心を寄せて、より広い意味で引き続き「京阪電車」を楽しんでいきたいと思います。

今回の担当者 駐在員

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8000系の現況

 こんばんは。造幣局の通り抜けもスタートし、天満橋界隈も賑わっておりました。
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 最寄りの天満橋駅では京阪電車もブースを出店しPRには余念がありませんでした。駅名板も販売商品のようでしたが値段を知ることによって心(財布)が惑わされるのは避けておきたいので見るだけ・・
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 昨日久しぶりに乗車した特急は今週月曜日時点では車庫隅において作業していた8009編成、車内に入って・・・ん?
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 先週から離脱していたのは去る2月22日に公式で発表された
2.公衆無線LAN設備  (1)車内
 開始時期 
    2018 年4月下旬 (予定)より順次
 実施車両 ・「 KEIHAN FREE Wi-Fi 」
    8000系全編成 (10編成)、3000系全編成 全編成 (6編成)
 ※座席指定特別車両「プレミアムカー」(8000系6号車)では、 2017年8月20日 (日)
 の運行開始時点から上記サービスを導入しています。

※訪日外国人等のお客さま向けに、無料で公衆無線 LAN (Wi-Fi)による通信環境を 提供するサービスです。
※通信速度はネットワークの利用状況等に応じて変化します。 
 の施工工事第1弾だったようです(また、同時に転動防止装置も施工されたそうです。追記)他の方のツイートを拝見しますと3005編成にも施工されているようです。

 今日の出社時の下り特急は先月末にMGのSIV化など改修?工事が施工され出場した8006編成8056号車。嬉しいことに狒る画廊瓩録緜鼎気鵑健在。
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 8056号車の先頭側
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 ちなみに戻ってくるときに乗車したのは8002編成8052号車
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 そして8009編成8059号車
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 同じ8000系の大阪方先頭車の運転台側妻面の画像ですが、8006編成のLED化された車内灯の明るさや灯具の変更、8009編成の公衆無線LAN設備の取り付けなど三者三様のスタイルとなっています。
 施工の年度やメニューの違いからなのか8006編成には公衆無線LAN設備の取り付けが実施されておりませんのでこの姿も暫定的なものとなるのでしょうね。毎回乗車する度にキョロキョロ変化を探して回るのも嬉しいようなたいそうなような・・・。

 そして、本日駅に来週のこのチラシ(ラリーカード)が置かれていました。猛者の皆さん用意しておきましょうね。
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 また、本日昨夏より改修工事で入場しておりました6010編成が試運転をおこないました。運用復帰すればまた色々と観察に行きたいものです。
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 明日土曜日は夕方より天気が荒れるということですのでお気をつけて。

今回の担当者 用務員 

この記事に

今週の13024編成

 こんばんは。桜花シーズンの終了と共に淡々とした日常が戻ってきました。先月末から色々と非日常が続いていた分だけ、ペースが戻ってくるまでのしんどい日々がしばらく続くのでしょうねぇ。そんな憂鬱を払拭すべく本日、我が家にコレがやってきました(♪)。
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 さる4月2日(月)に「どこいくねん。ひらパー」を今年のテーマに掲げ、関西だけでなく全国各地へアピールするべく、まず「園長、出張。渋谷ひらパー」ということで渋谷109スクエア(!)に1日限定で狃伉イ劼薀僉辞瓩出現しました。
 そのイベントおいて5,000枚が配付された「渋谷ジャック下じき」。私のひらパー愛は毎秋寝屋川にてキャラクター達に先導をしてもらう程度ではありますが、この下じきは意味もなく欲しかったんです。
 近頃(というか、長きにわたって)送られてくる散財物に対して冷ややかな目を向け続けている家族にも、ことこのアイテムに関しては高く(?)評価してもらえたってことで、嬉しさもアップアップ(←注:溺れているのではなく、UP x UPという気持ちの表現ですゾ)。



 さて、話題を今週9日(月)のことに変えましょう。

 今日から新しい学校生活がスタートという方が多い中に飛び込んできた京阪ネタ「13024編成が、13025編成から抜かれた13775号車を組み込んで8連となって走っている・・」。

 現状、13023編成が13772号車を組み込んで8連として稼働している中に突如、13024編成までもが8連化されたということで、スクランブル出動をされた方もいらっしゃると推察されます。

 13024編成といいますと、昨夏も6010編成の改修工事入場や3000系の先頭車前面改造工事に関連して7月17日より今回と同様の組成で8連となって運用されておりましたので、7月18日記事(文字をクリック)や7月21日の記事(文字をクリック)において取りあげました。
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 ただ、今回は月曜日の運用が(出庫)R0601B〜R0604H〜L0713B〜P0806N(入庫)、翌火曜日が(出庫)P0601A〜B0700Z〜B0801A〜P0900N(入庫)、という8連車で2本しかない朝だけの寝区−寝区運用だけの充当であった上に、本日(水曜日)朝からは13024編成と13025編成のどちらもが素早く(?)7連に戻って、通常運用をこなしていました。

 となると、今回のこのまさに犹団雖瓩噺討屬冒蟇しい8連組成がどうして発生したのかが気になりましたので早速、類推してみました(暇)。なお今回の記事はあくまで私の憶測100%(120%?)の記事ですので、詳しい事情をご存知の方は是非コメントをください。




 月曜日、情弱の私がこの動きを知ったのは運用終盤の9時前でしたので走行撮影をするタイミングは逸してしまい、とりあえず車庫に急行してみました。
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 この時間、車庫では屋外作業をしている8009編成と転削線にいる8000系(ナンバー失念)、そして故障修理工場内建屋には6005編成の大阪方ユニットがいました。そして6006編成と6010編成が改修工事のため入場中、それに伴い13023編成が代走中ということがわかります。
 通常時ですと運用が3扉8連が3000系スジも含めて19運用、特急車が8運用です。これに対して所属は3扉8連が所定15+6で21本、特急車が10本であると考えると、平日朝ラッシュ時にはこれら21+10=31編成と暫定8連の13023の合計32本で27運用を担わねばならない中、上述5本(8000系2本と6000系3本)の作業が同時施工となったことで、スクランブル発進のできる予備編成が数字上は、なんと予備編成ゼロ(とはいっても、B1004Z送り込みの特急車(=月曜日は8008編成)は10時前の出庫ですので無理をすれば朝ラッシュとの掛け持ちも出来なくはないのでしょうけれど)…
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 …となってしまうとことから、共通予備の車を捻出する意味で今回の「13024編成の暫定8連」が仕立てられたのではという勝手な結論に至りました(ちゃいますかねぇ?)。

 ですので、13775号車を抜かれた13025編成は6両や4連に組まれたのではなく、このように1本の留置線上に3両・2両・1両という直ぐ組戻しが出来るように分割された状態で止められていましたし、
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 転削作業や修理?の6005編成も1日で復帰が出来そうに思えましたし、実際にも水曜日には2編成とも元の7連に戻されたことからも、今回の8連化がとってもイレギュラーであったということが感じられます。

 マニア的には単に「ネタ!」と捉えてしまうだけかもしれませんが、作業工程や突発事由、そして必要仕立て編成本数(+最低限の予備編成数)の維持など様々な条件を限られた本数でクリアする為に今回の編成が出現した(といっても、8連化の為に女性専用車ステッカーを貼付する等の事前作業も必要ですので簡単にはできない)と考えていくと、車両業務に携われている方々のご苦労が十分想像できる今回の事象でした。
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 何はともあれ、13000系の8連が2編成同時に存在したという今週の動きは、記録にも記憶にも残る・残すべきことでした。

 あと、8連の13024編成の横をコレが通り過ぎていきました。おぉ〜っ・・・
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今回の担当者 用務員

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 こんばんは、明日以降は天候が思わしくないということで、沿線の桜も終盤です。となると京阪沿線の桜は、造幣局の「通り抜け」を残すだけになりますかね。そうそう、今季まだ出していなかった京橋駅大階段のディスプレーを貼っておきましょう。
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 登場以来宇治線専属で稼働している『京阪電車×響け!ユーフォニアム2018』の10005編成ですが、本日は宇治線朝夜運用に充当されました。というわけで本線でも朝運用終了後の寝屋川区への返却回送で出会うことが出来ました。
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 交野線において寝区出入庫の固定運用で走行しているトーマス10004編成と比べますと、宇治線運用とされているこの編成は、5日サイクルでの運用中は中書島駅と淀車庫に滞泊し、サイクルが切り替わる時にだけ寝屋川車庫に戻るという流れになっていますので、大阪府内の本線を走る機会は限られています(なお、今回のスタートは23日からでしたから、完全なサイクルにはなっていないようです)。さらに、土休日ダイヤでは朝運用自体が設定されていないため、それから繋がって来るこのスジもありませんので、このような光景を見ることは出来ません。さて、あと何回私は遭遇できるのでしょうか? ちなみにこの回送、現行ダイヤでは枚方市駅で特急待避をおこないます(ので、副標は前後ともホームの反対側ですので、接写には不向きですネ ← 余談)。
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淀屋橋地下延長線開通 55周年


 さて、本題です。本日、公式サイトにて4月21日(土)・22日(日)(#)の2日間にわたって淀屋橋地下延長線(天満橋−淀屋橋駅間)開通 55 周年記念イベントを開催する旨の発表がなされました。既にこの55周年ヘッドマークを掲出している2600系7本(同系全編成!)は3月31日から走り始めていましたので、
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やっとイベントの全容が明らかになったということですね。

(#)実際の竣工記念式典開催(&祝賀列車運転)・営業運転開始は、1963(昭和38)年の、順に4月15日・16日のことでした。

◆イベントは大きく分けて3つ…

1・記念クイズラリーの実施

2・オリジナルグッズ販売会の開催と記念グッズ(クリアファイルと駅名看板マグネット)の製作

3・特製ヘッドマークの掲出
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だ、そうです。

 個人的には、折角記念グッズが製作されるのでしたら、一昨年ヤフオクで私も入手することが出来たこのパンフレットの復刻製作なども検討していただきたかったものです。また、「駅名看板マグネット」は開業当時のVersionも(が)欲しかったところです。それも「し」は上端に「、」(点)の付いた旧字体のオリジナル仕様で、ね。

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 今回は55周年という半端な(?)記念ですが、私には20年・25年・30年記念でのイベントが企画されたという記憶はなく、本格的な周年イベント企画は40年記念が初めてだったと思っています。

 あ…ここで、駐在員氏がどうしても「空想コラム」を挿みたいとのことですので、仕方なく(苦笑)スペースを少し渡すことにします。

◆もしも「10周年」「20周年」「30周年」イベントがあったなら…

 近年、京阪で企画される「周年」イベントの代表格は「xx系 yy周年」と「zz線 開通/開業nn周年」ですよね。電車に特製の副標を掲出する形でそれが祝われたのは「3000系 30周年」辺りが最初だったでしょうか?
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 その後は皆さんご存知のとおりさまざまな新線や車系に絡む10周年・20周年・25周年・30周年・40周年・50周年・55周年・60周年・65周年、そして(開業)100年まで、まさに百花繚乱の様相を呈しています。  ここから先では、このコラム(囲み記事)のテーマである「もしも『淀屋橋地下延長線開通 xx周年』イベントがあったなら」(xx < 40)という空想に、少々お付き合いください。 ●「10周年」 1973(昭和48)年4月ということで、絶好のタイミングだったのですがねぇ。そう、淀屋橋延伸のシンボルである新1900系が、特急車としての活躍の最末期(ラスト5編成が同年夏に特急車としての使命を全うする数ヶ月前)でしたから、またとない惜別イベントにもなったはずです。
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●「20周年」 1983(昭和58)年4月ですね。これもあの9ヶ月間(6000系4連5本20両が3月に暫定デビューを果たし、吊掛車57両が12月の引退に向けて最後の疾走を見せていた時期)という貴重なタイミングでした。今なら「3扉化後に特急色に戻った1700系」を特急色に塗り戻して「3枚看板 臨時特急」を仕立てて…といったところでしょうか?
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●「30周年」 1993年(平成5)年4月、ですか、う〜ん。平日朝の下り特急が中書島に停車するようになり、特急の「京橋〜七条間ノンストップ」パターンに風穴が空き始めた時期ですが、これはイベントを仕立てるネタにはなりませんねぇ。 (この空想コラムのみ by 駐在員)

 閑話休題。

 と、いうわけで、恐らくは淀屋橋地下線絡みで初の大がかりな「周年イベント」が企画された40周年記念の折には、1900系特別塗装車で行く寝屋川車庫での撮影会が実施されました。今回も2600系3並びとかいう高望みはいたしませんので、特別列車乗車と撮影会というイベントぐらいは実施していただきたかったものです。2003(平成15)
年の開催ということでごく最近のことのように感じますが、実はもう15年前のことなのですねぇ。
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 その10年後となる2013(平成25)年、すなわち50周年の時は、2601編成に記念マークが取り付けられていました。樟急運用に入るのを虎視眈々と狙っていたのが、早くも懐かしい思い出になっています。
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 この時、副標は3001編成・8001編成にもつけられていたんですね。見返して発見するまで記憶もありませんでした。同時期6000系に4種の30周年マークがつけられていたという、賑やかな時期でした。
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 そして近年のパターンに沿って「5年」という細かな刻みでの「周年イベント」となった今回の「55周年」特製ヘッドマークに描かれた1900系には、1918という番号がついていました。開業時のパンフレットは1917号車、、40周年時の特別塗装に抜擢されたのは1919-1920の5連(実車)ということで、祝賀列車に充当された4両が半世紀を超えた今、ようやく揃ってイベントの主役(?)を飾ったことになります。

 色々書いているうちに興味が増してきましたので、メインイベント当日には沿線で稼働してしまうことになりそうです。

 今秋は中之島線10周年・来年は鴨東線30周年も控えていますので色々とイベントが企画・実施されるでしょうが、折角の機会ですので多種多彩の内容となることを期待しております。

今回の担当者 用務員(空想コラム 駐在員)

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今日の報告 2018/04/02

 こんばんは、4月1日が日曜日であったことから月曜日の本日が新年度のスタートという方も多くいらっしゃると思います。それぞれの希望と期待を胸に新しい一年を踏み出していって下さい。 気分転換の必要があれば我々の京阪沼にもお立ちより下さい。煽りになってしまうのか癒やしになってくれるのかは自信がありませんが・・・。(←昨年のコピペ)
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 といっても私はこの時期こそ年に数日しかない夕方に稼働できるチャンスなのです。今晩は久々の撮影日記をお送りします。

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 ご覧のようにサクラはまだ満開のようなのでまず北上開始。中書島駅で遅い昼食をとって3月23日の深夜の運行開始以来見る機会の無かったこの列車を待ち伏せ。
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 ちょうど更新した8006編成も到着。
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 ここまで来たならここも寄っておこう。2624編成が上ってきました。
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 これだけ撮ったら今度は南下。2600系30番台の淀屋橋延伸55周年マーク取り付け車も初撮影。
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 毎年恒例の土居駅で3000系の区間急行。
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 1年前はこの列車を大和田駅で撮っていました。この一年の3000系の変わり様が・・。
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 8006編成も下りてきましたがこの運用で車庫に引き上げてしまいました。
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 55周年マーク付き2609編成は普通列車で上ってきました。
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 2633編成は区間急行で出てきました。この編成がマークをつけるのも結構珍しいんですよね。
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 本日のメインであったはずの2624編成の中之島準急は5555編成と併走の上裏被り。
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 あきらめて北上し夕方の5000系急行を撮って退散しました。
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 この4月から私も転籍となり京阪の大阪方下車駅も渡辺橋から淀屋橋になり中之島線に乗ることも減りそうです。中之島線に乗ることで車両探索をするチャンスが減ることは残念ですが今年度もアンテナ感度を目一杯上げて楽しんでいきたいと思っております。

 最後に気になったのが、この車内吊り・・
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 おぉ淀の競馬場で花火大会開催!と思ったらこの日付・・5月30日水曜日!もし多客輸送で臨時列車が増発されたら猜親ダイヤ瓩海譴狼い砲覆襪勝

今回の担当者 用務員

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 こんばんは、桜の花の勢いも真っ盛りの週末がやって来ました。
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 そんな春の日、あえて本日より運転開始の2600系の淀屋橋開業55周年ヘッドマークや
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宇治線にて勃発した13004号車の表示器の故障に背を向けて(?)、線路の見えない場所でささやかな集いを開催することとなりました。

 さる2月10日にSANZEN-HIROBAで実施された『テレビカーを囲む会』でご一緒した若手趣味人の方々より会の終了後に「今回よりもう一段深い昔の京阪の車輌のことの話を聞きたい」という要望をいただきました。そこでその時の記事(文字をクリック)にも「・・みなさんにも有用に利用して、自分の趣味の充実を図って(より深く沼に沈むともいう)欲しいと思うのはおやぢ達の思いです。」と記した立場上その思いを実現すべく、西野さん(‘京阪さん’@SANZEN-HIROBA)の賛同もいただき続編を実施させていただきました。

 今の話題よりも彼らにとって未知である60年代〜80年代の京阪に興味を持つ学生の方々に対峙していただくべく資料の準備もお願いして、彼らの主にネットから得た断片的な情報に対して、当時の現場を知る氏の当意即妙の説明や解説を肴に昼食とドリンクバーをとりながら楽しい時間をすごさせていただきました。
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 時には図表も交えて
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 実車部品の現物から見えてくるいろいろな話しや
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 古い資料から読み解けるもの
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 これはもちろんモンタージュですが、実現すれば沿線劇パ必至だった幻案
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 勿論こういう場につきものの闇取引も
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 氏は車両運用の配車の方も担当されていただけにその当時のお話しも・・運用番号ありで終日車庫待機の編成と“止”で終日車庫にいる編成は扱いが違うという話や混雑全盛時には5000系運用でも現場から「このスジには5001・5002の充当を外して欲しい・・」という要望があった(理由はわかりますよね)ほど切迫していたとか、若手の方はご存じなかったですが昇圧前は2400系・1000系と2200系は運用が分けられていたとか、やり繰りの関係で朝運用・昼運用・夕方運用と1日で3運用をハシゴさせた・・etc私もはじめて聞かせていただく興味深いお話の数々をうかがいました。
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 日も傾いてきて、夕方に下ってくる列車や宇治線・大津方面が気になる方が出てきましたので残念ながら解散となりましたが、多岐にわたる昔話を聞けるチャンスはそれほど多いわけではありません。両方の世代をつなぐ担いを私達が機会をつくって情報を皆さんに告知していきたいと思っております。
 こういう方面の鉄道趣味は人のつながりが増えますと深みがますます拡がっていきます。リクエストお待ちしております。お時間をいただきました皆さま楽しい時間をありがとうございました。
 最後に彼はマラカスを持参しておりませんでしたので私は無事帰宅できたことを報告しておきます。(^_^)

今回の担当者 用務員 

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