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倶楽部2600のブログ
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 少し気合を入れて動き回ると汗ばむ季節になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。私、駐在員は、記事の投稿インターバルは開き気味ですが、おかげさまで相変わらずの日々を送っております。

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▲いきなりで、スミマセン。「おかげさまで相変わらず」の地元電車系ショット。山手線車両の世代交代が急ピッチで進んでいます(印象としては既に多数派はE235系という感じです)。

 さて、今回の記事はタイトルのとおり5月14日付の用務員氏記事の「続」として、にわかに話題集中の状態となった「鋼索線リニューアル」「駅名変更」についての想いを綴ってみたいと思います。


私の「男山ケーブル」乗車経験


 The地元民であるがゆえに、とっても身近な「男山ケーブル」ですが、あらためていま「何度乗ったのか?」と振り返ってみますと、これがまた少ないのです。恐らくは、これまでに3度っきりかと。石清水八幡宮にはそれよりずっと多い回数、訪れてきたのですが、大半は参道(=有名な「仁和寺にある法師・・・」に出て来る極楽寺・高良を経る石段)を使っての徒歩登山・下山だったのですよね。

 と、いうわけで私の乗車経験はso far:

1)1号(機砲グリーン濃淡塗色だった半世紀前(1960年代半ば)

2)小学校に入って初めての「えんそく」で乗った特急色時代

(ここから、40年以上の空白を経て…)
3)2013年夏、先代3000系の「さよなら一日乗車券」での乗車

 の、3回っきりのような気がしているのです。とはいえ、数知れず乗った京阪本線の八幡町(→八幡市)駅から見えるホームに、ほとんどの時間(15〜30分間隔の運転で、車両が動く2分ほど以外、常時)停まっていた鋼索線車両は、とても身近な、でも滅多に乗らない、ちょっと不思議な存在でした。

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▲上記1)の際の記録 by 父。彼は鉄分ゼロでしたので残念、ヒゲ付き車番時代・グリーン濃淡塗色時代の1号(機砲痢崔栄福彈命燭蓮△△蠅泙擦鵝ΑΑΑ

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▲当時(1968年12月以前)の「グリーン濃淡色」時代を映した史料(「くらしの中のKeihan」1993年1月号より)。1955(昭和30)年の記念券ですね。やはりこの「グリーン濃淡色」の採用は、京阪線1650型(1957年デビュー)よりも、鋼索線のほうが早かったのですかね・・・。

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▲2012年夏を彩った「旧3000系特急車 最後の夏」イベント(?)期間に販売された「一日乗車券」で、久々にケーブルを味わった際の記録です。

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▲(余談)そういえば今回のリニューアル工事においては冷房化は行なわれないようです。となると「ひえぞう君」や「電子蚊取り線香」(あ、あとはいま、京阪車輌でここだけの『ハンドブレーキ』)とかはそのまま存置、なのでしょうか?

筆者の「勝手な願い」


 本節のタイトルで「あれ?どこかで目にしたような?」と感じてくださったかた、ありがとうございます。実は、今般の「リニューアル」のメニュー、とっても楽しみにしていたのです。が、しかし・・・発表された内容は「ガッカリ80%、ちょっとだけ嬉しいネタ20%」という感じでした。はい、「80%」と申しますのはリニューアル後のケーブル車塗色のこと、「20%」は同時に実施される駅名変更についてです。

 まずは「ガッカリ80%」のことから・・・。例の「沼本」(JTBキャンブックス「京阪電車」)で私が使った表現「勝手な願い」が、叶わなかったのです。昨夏の朝日新聞大阪版夕刊記事でも同じ「願い」を綴らせてもらいました。要すれば! → 「ケーブル1 ・2で、昭和後半〜平成、そして(大津線のグリーンツートンだけが辛うじて、ですが)令和を走った京阪電車ツートンカラー2種を、ずっと残してくださいっ!」。

 我ら世代の京阪電車を象徴する2つの車体塗色、すなわち1700系〜先代3000系に塗られた京阪特急色と、(男山ケーブル初代1・2号を皮切りに?)1650型〜京阪線2400系2456編成・大津線600/700形が纏い続けたグリーン濃淡ツートンを、旨い具合に「いまは2両とも京阪特急色を纏っている(ので、塗り替えの手間も少ない)」「大半の時間は屋根の下にいるので塗色が長持ちする」「ちょうど2019年度に大規模改修が行われる」という具合に条件の揃った鋼索線において「2種の塗色、揃って動態保存!」と謳って、1・2の2両に纏わせて、これから先もずっと残してもらえないか?という願いを、ここ2年ほどの間ずっと持っていたのです。

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▲秋の寝屋川フェアでは「中のかた」にも直訴(?)しましたし、この記事でもその想い/願いを活字にしてもらいました。「中のかた」にこの紙面コピーをお渡ししようとした際には「あ、ちゃんとデータ化して保存していますヨ」と仰っていましたので、密かに期待していたのですが・・・。

 まぁ今般発表された「あかね号」「こがね号」塗装(ラッピング?)(近江鉄道での代替わりに協賛? ← 違!)への改装も爐い淺瓩箸いΔ海箸如異論を挟むつもりは無いのですが、営業的には「この色だから乗りに行こうか?」ということで増える一般の乗客数よりは「貴重な昭和ツートンの競演を見に行こうぉ!」という(ことになったであろう・・・泣)テツ数のほうが多かったような気もします。(勝手に)かえずがえすも、残念です・・・。

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▲男山の麓をスルスルっと音もなく登り降りする「昭和ツートンx2種」を、是非是非見たかったのですがねぇ・・・。

となると、気になるのは、、、


 大津線に続き、鋼索線でも断行される「オリジナル色」との決別。こうなると気になるのが、車輌ではなく、関連施設に残っている塗色の動向です。

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▲まずは、八幡市駅・伏見稲荷駅などで年末年始の書き入れ時に出現する「京阪特急色」ブースの帰趨。まさか「エレサル色」には塗らないですよねぇ・・・。

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▲そしてもう一点気になるのは、男山山上駅にある(あった←最後に確認したのは数年前ですが)1955(昭和30)年前後に「京阪特急色」の相棒として試行された通勤車色を承継していると思しき「きっぷうりば」ボックスの帰趨。鋼索線の発券・集札は平常時、ともに山麓のケーブル八幡市駅で行われていますが、超・多客期の新年には山上にあるこのBOXも何らかの形で活用されているのでしょうか?

そして「改称」のこと


 鋼索線車両の塗色変更に負けず劣らず、5月14日のプレスリリースにおいてインパクトが強かったのは「名称変更」のあれこれ、でしょう。これが、冒頭に記した「ちょっとだけ嬉しい、20%」を、指します。

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▲通称「男山ケーブル」は「石清水八幡宮参道ケーブル」に。実際にアナウンスされる機会がどれほどあるかはともかくとして、「長っ!」。文字にするのは難しいのですが、何とも言えない雰囲気があり、向谷実さんの大のお気に入りでもあった「男山!」呼称が消えるのですね。画像は「男山っ!」ネタで盛り上がった2013年のニコニコ超会議@幕張メッセより。

 鋼索線以外に見逃せないのは、八幡市・深草両駅の駅名変更。特に八幡市駅に関しては、詳しい経緯の整理はさておき「またかぃ!」とでもいう感じで繰り返されてきた改称の歴史に更に1ページが加わることになりました(#)。そういえば、1939(昭和14)年には駅名が「石清水八幡宮前」となった史実もあるようです。

(#)八幡→石清水八幡宮前→八幡町→八幡市→石清水八幡宮。

チョットだけ(?)、嬉しかったこと


 ま、塗色を中心にネガティブな想いばかりを綴ってきましたが、こと名称変更に関しては(ちょっとだけ?)ポジティブに受け止めています。いちいち肉声でアナウンスすることを前提にすると面倒な長さですが、個人的には(おぃ!)結構、嬉しかったりして。

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▲2008年の「清水五条」に続いて今般、新たに「石清水八幡宮」駅と、なんと21世紀に入って京阪に「清水」を冠する駅が2つも生まれることになりました。写真は直接の関係がないものですが、そのうち「看板+自分」の自撮り写真を求めて出向かないと、ですね(写真:「鉄道ピクトリアル」誌2015年2月号(No.900)への寄稿記事より)。

今回のノスタルジスト 駐在員

男山ケーブル

 こんばんは、先日の13002号車に引き続いてホロ付きの13000系として一年あまり活躍していました13053号車からもホロ及び連結関係の設備が撤去された姿で今日から交野線で営業についておりました。
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このキズがホロのついていた証なのかなぁ?
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運転台部分もこれが
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撤去されてスカッとなりました。
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この重厚な顔をまたいつの日か復活して欲しいものです。
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 さて、本日お昼前にけねっとさんへこの購入品を引き取りに伺いました。最近の無駄遣いの数々。令和になったからといって浮かれている訳でもないのですが。チョット調子に乗っているなぁ。
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おいとまする時ちょうどお昼時となりエレベータが満員で乗れなかったのでやむを得ず階段にて1階に下りますと、京阪電車による報道発表会が開催されていました。その内容が・・・

『〜地域との連携、観光事業の強化を目指して〜 「八幡市」→「石清水八幡宮」 「深草」→「龍谷大前深草」 2019年10月1日(火)より京阪線2駅の駅名を変更します 』

『国宝・石清水八幡宮への参道となるケーブルカー 鋼索線の車両デザインを一新します 〜通称は「石清水八幡宮参道ケーブル」に変更〜』

 これは、各方面にいろいろ波紋を呼ぶ案件ですね。駅名改称も清水五条・祇園四条・神宮丸太町が10年を経て馴染んできた(昭和脳の私はいまだに・・)ようですが、一般の方や旅行者にとってという利便性や効果を考えると世の流れなんでしょうね。
 男山ケーブルのリニューアルも工事自体は既に発表されていたのですがこのようにデザインまでとは思っておりませんでしたので素直な驚きでした。ただ、従来デザインであと2週間は見られるチャンスがありますから是非お立ちより下さい(宣伝モード)
 今晩は去る4月28日に淀へいく1時間ほどの間せっかくのフリー切符を有効活用する意味で平成になって初めて=新型車になって初めて男山ケーブルに乗った際の記録を羅列しておきます。たぶん26日迄乗車機会は無さそうですので・・・。
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 もちろんこのレトロムードのケーブル八幡市駅も“ケーブル八幡宮口”という名前になってしまいます。
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 この駅名板もあと半年。これこそ是非地元の愛ある人に大切にしてもらいたいものです。
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 特急色の5扉車。
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 その車内
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 優先座席シールは本線車両と同仕様の最新Verがついています。
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 車両の左右でドアのクロス?の柄が違います。路線図も勾配があります。
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 京阪電車で“1”を名乗る車両。
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 1と2の離合はこのようになります。
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 鋼索線はお客さんがいれば15分間隔ですが、日中15分・45分発ですとタイミングが合えば木津川から淀川鉄橋をゆく特急が見られます。
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 男山山上駅こちらは“ケーブル八幡宮山上”駅となるそうです。
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 八幡宮にお参りして帰りは2号車に乗車。
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 八幡市に戻ってきました。
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 この色ベースの新ロゴも見納めになってしまうのでしょうか。
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 このロゴもどのようになるのでしょうね。
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 今回2001年導入の新しい車両に初めて乗車できました。

 思えばその年にケーブル駅前でおこなわれた先代1号車・2号車の部品セールに来た記憶が蘇ってきました。思い入れが薄いので何も購入せずにおりましたら、澤村先輩に「来てたん。イス余っているから買って持って帰って」と言われて、以来20年近く我が家に鎮座しております。 それ以降我が家では椅子の購入は御法度となっております。

今回の報告者 用務員

 こんばんは、GW明けの一週間を何とか乗り切ったのに合わせたかのように、初夏のような暑さ(昨日、枚方が全国二位の最高気温をたたき出しました)がやって来ました。今年も「東の熊谷、西の枚方」のシーズン(?)到来、ですね。

 さて、そんな令和元年5月も「倶楽部2600のブログ」はこれまで同様に、月間10編前後の記事作成が出来るよう精進しようと思います。宜しくおつき合い下さい。

 まずは、ホットな話題から。私はまだ見ていないのですが、13002号車からホロ枠(幌座)が外されてしまったそうです。
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 昨年5月後半に就役試運転の時以来6年ぶりにホロ枠が取り付けられ、5月23日にも記事(文字をクリック)にしました。相方となるべく幌が装着された13053号車と合わせてこの一年あまりの間「いつ6年ぶりの4+4の勇姿を見ることが出来るのか?」と楽しみにしていたのですが・・・。
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 それはついに実現せず、次の機会(いつ?)を待つのみ、となってしまうのですね。車庫に立ち寄った際に、このように並んで留められているのを発見した時には「お、いよいよ♪」と、とっても楽しみにしたこともありました・・・。
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13053号車の方は今のところ未だホロがそのままのようなのですが・・・とはいっても、最後に撮ったのは4月7日orz
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 さて、今晩の記事の本題にまいりましょう。私は鉄道趣味人の分類表(ンなもん、あるんか?)に照らしますと「収集鉄」あるいは「資料鉄」ということ(いわゆる散財系)になるのでしょうか。ただ、収集系と言いましても華麗に趣味を満喫されている同好の駐在員氏をはじめ倶楽部の面々と違って整理がとても下手で、何をするのもまず探し出すことがスタートとなってしまいます。

 先日も、ご一緒させていただいた自称「ヤバい人ランキングトップランカーかな…」の業界若手方面に絶大なる人気を誇る彼が、けねっとさんで高額散財されたブツの画像つきツイートをしておられました。私も何か追随したかったのですが、いかんせんブツをどこへやった(隠匿した?)のやら・・・発掘できません。そんな中からひょこっと出てきたのがコレ・・・
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 2011年に高架化された今の淀駅しか体験のない方では想像もできませんでしょうが・・・
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2006年4月以前の地上駅の淀駅は京都行ホームの大阪方から見ますとこのような感じで上下線別に京都側端に改札口がある形でした。
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 ですので、重賞レース終了時の競馬場入口から狭い通り(川側、下り本線沿い)を経て淀駅に向かう通路の混雑ときたら年末のアメ横(関西人とは思えない例え!)(ならば、造幣局・桜の通り抜けとでも言いましょうか?)顔負けで、中書島から下ってきた急行が、淀駅に臨時停車するべく減速し、入駅の直前に山側に見えてくるその光景(ギャンブラーの人波)に、車内の乗客が驚愕のため息(こんだけの人がここからこの列車に乗り込んでくるンかぁ〜)を吐くのは、当時のお約束でした。

「本日は、京都競馬開催のため、急行は、淀駅に、臨時に、停まります。」

(特急・臨時特急は、当時は決して突発的にすら停まることはありませんでした。)

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 この写真でも京都方ホームにお客さんがいらっしゃいますが、京都方先頭にしか改札口がない駅構造でこの位置ですと7両編成の後尾車の位置ですので、この位置まで改札から歩いてこられているお客さんがこれだけおられるということで、それより京都方の位置の混雑が充分推察できると思われます。

 また、淀駅から乗車する競馬帰りの皆さんも、少しでも早い列車で座って帰りたいという気持ちは同じであり、列車が到着しドアが開くと我先にと突撃するのもしかたがないことです。そこで上の車内放送が出てくるんですよね。

 上掲の紙の時代は猗幡町疉元&急行の樟葉停車から推測して70年代前半(1971年8月15日〜1977年10月31日の期間)のモノのようですが、このアナウンスは2011年の上り線の高架切替まで耳にすることができたと記憶しております。
 このアナウンスは「一番前の 車両 」ではなく「一番前の」であることがミソであり、7両や8両であってもこの無慈悲な(?)アナウンスが流されていました。 まぁ、無慈悲と言っても、この時間に淀駅で下車するというお客さんは、ほぼほぼ淀駅を日常的に利用していた方がほとんどで、これは織り込み済みであったのでしょうか、このアナウンスが流れてから車内をバタバタと移動する方をあまり見かけた記憶がありません。
 淀駅では、このアナウンスで指定された一番端の専用出口(?)だけは、ドアが開いても乗車のお客さんが突撃しないように、駅員さんがロープと人柱で動線を改札口まで確保しておられました。
 それだけに我々のように撮影目的で下車した(改札を出ずに大阪方ホーム端に立ちたかった)者にとっては、この大きな流れに逆行することは苦行でした。

あ、赤臨急だぁ。
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【備忘メモ by 駐在員】
他にも、昭和時代の淀駅・競馬輸送に絡む記憶を何点か書き留めておきます。

1)淀駅下り「臨時ホーム」!
1970年代半ばまでは、駅京都方(淀踏切道を挟んで京都方、上記の「アメ横」級に混む狭い通路沿い)に、更にその幅を削るような形で、一切屋根の無い「降車専用ホーム」がありました。今も阪急今津線・仁川駅にある仮ホームに似たような感じです。2017年まで特急折り返しの際などに実施されていた「数メートル移動」による二重停車の原点とでもいうべき、地上&短編成時代の天満橋・三条で行われていたような本格的な(?)二重停車が最後まで行われていたのは、競馬終了後の淀駅下り列車においてだったと思われます。

2)夕方の下り臨急編成、4列車28両縦列留置
1980年の淀車庫開設前、夕方下りの淀始発下り臨急の編成は、3番線〜それを下り方に長く延ばした留置線に「縦列駐車(留置)」されていました。600系・700系7連が4本、パンタを降ろして昼寝(?)している姿は、忘れられません。そこに収容しきれない編成は、中書島下手の川側側線(変電所・テニスコートの脇)などにも留め置かれていました。

3)淀駅操車室にあったテレビ
これは「元・中のかた」から伺った話ですが、京阪の拠点駅にあった「操車室」の中で、淀駅のそれには例外的にテレビがあって、仕事中も(こそ)それを観ていたそうです。それは勿論、ドッと帰宅客が押し寄せる引き金となる重賞レースが終わるタイミングを知るためだったそうです。今でも、西武球場前、水道橋、甲子園とかの「球場最寄り駅」には、テレビがあるのでしょうか・・・。

4)5000系の5扉運用
帰宅客の波がピークを迎える時間帯に淀駅を通る(臨時停車する)5000系急行においては、当該スジに限って「5扉」での運転が行われていました。下り片道だけの5扉運用ということで、淀屋橋3番線到着後は、休日夕方ということでそこそこ長く伸びている乗車列の目の前で5扉→3扉切り替えが行われていたものです。


 高架化後は、競馬場利用客=北側の臨時改札口・一般客=真ん中付近の北改札口&南側の中央改札口という棲み分けによって、淀駅の降車客を守るこのようなアナウンスの必要もなくなってしまったわけで、これも昭和・平成時代の京阪の、懐かしい風物詩の一つとなってしまったんですね。

今回の担当者 用務員
 

 

新しい時代に

 こんばんは、平成最終日に更新して以降連休後半は家庭内運用に励みポイントを獲得し、週明けは連休で滞っていた用務に勤しんでおり更新するタイミングもトピックネタも用意が出来ませんでした。 ですのであたかも平成と共に更新を終了してしまったわけでありませんのでご安心下さい。今回はGW明けの令和の沿線の話題をダイジェスト版で書かせていただきます。

 GWが終了した7日より9日迄、操縦試験が実施されました。4月の乗務訓練で使用されていたV車の10002編成が引き続き担当をしました。初日朝に報が流れると以降多くの方が撮影に繰り出しておられました。私は何とか最終日に稼働できました。
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 4月末に改修工事を終えて6001編成が戻ってきて8連に余裕が出来ましたので、GWに活躍していた3000系3004編成が運用から離脱し工場に入場したようです。これで入場中の編成は2631・5555と改修工事中の6003編成に加えた4本となります。
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 今の沿線の今のオシは「京阪沿線 青もみじ&初夏の花」
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 GWシーズンは走る画廊だった特急車も現在はこのように・・・
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 そして、ひらパーは猖臺の丘美術館瓩海離弌璽献腑鵑離謄譽咤達佑睚映されています。
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 沿線では犁阪キッズ絵画コンテスト瓩虜酩癖臀検∈2鵑離董璽泙蓮惶阪電車の美術館2019 』※絵画内容は京阪電車にかかわる夢いっぱいの作品だそうです。
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そしてトレイン賞の受賞作品は「京阪キッズアート号」の車内で展示されるそう(写真は昨秋のチビッコアーティスト号車内)で、
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長年親しまれておりました爛船咼奪灰◆璽謄スト瓩呂海舛蕕吠僂錣襪茲Δ任垢諭
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是非この副標は販売して下さい。よろしくお願い致しま〜す>中の人。

 最近ヤフオクもけねっとさんも京阪関係の(私的に興味ある)逸品が出てきています。おとなしくしておきたいのですがなかなかそうもいきませんね。

今回の担当者 用務員

平成31年4月30日

 こんばんは、長年にわたりすごしてきた平成もあと40分ほどで新しい元号“令和”となります。テレビも大晦日恒例の“ゆく年 くる年”ならぬ“ゆく時代 くる時代”という番組が放映されます。ここまでやるなら平成時代を総括するべく紅白歌合戦平成Verまでやっていただきたかったものですが・・・。
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 平成最後の日、祝日とはいえ午後に通常火曜日の用務を入れておりましたので、子どもを朝枚方市駅に送りがてら小一時間だけですが鉄活動に勤しみました。狙いは昨秋から運転されていながら撮影チャンスのなかった寝屋川市始発の“臨時快速急行” 
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 駅の発車表示を見ていますとこの列車が2番線から発車するというのを発見。北上しての撮影を諦めて枚方市駅一本にかけます。先発の特急が発車後その特急に香里園で抜かれた普通Q0806Z列車が1番線に到着しますとまもなく2番線に入ってきました。
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 客扱いの後スグに発車していきました。ほぼ同時に3番線に普通が入駅してきますのでここでの撮影チャンスは思ったほどありません。
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 その普通が発車していった後、3番線には特急の続行で淀区からの淀ヤ発10:17の臨時快特に使用する3000系が回送されてきました。
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 先日来気になっています検査板の年号標記の西暦化ですが、この3001編成は平成標記のままでした。本日私が確認できた平成標記はこの編成が唯一でした。
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 平成最後の日の鉄活報告はわずかにこれだけですので、ここから平成を駆け抜けた無駄遣いの面々が1月に引き続いて28日夜に挙行した『平成の終わり、散財の友と屋内で楽しむ』の報告を・・・
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 会場は前回に引き続いて個室をお願いしました。
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 今回は東での単身赴任を終え関西に戻られた同世代の撮り系の氏にもご一緒いただき、プラスして下り洛楽を萱島で狙っていた学生メンバーも加えて10代から50代までの総勢8名での開催でした。まずは平成をすごしてこれたことに感謝して犂デ姚
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 ご覧の通り普通の宴会です。怪しくないでしょ。
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 でも、商取引が始まり出すと・・
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 守口市駅がかわるそうです。
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 今回の私からの提出物、古都で見つけたカラー張り扇各種
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 このようなものを見せられると大津線を愛する人には悪いのですが、我が家でも一枚ぐらいは欲しくなってしまいます。イイ。この二枚でも細部に相違点がありますね。
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 某君所有の楕円の製造銘板、緑の昭和60年川崎重工というと最後の緑ツートンの京阪本線営業車の逸品ですね。
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 業界の大物コレクターの某さん曰く・・2380番台は車体改修工事も実施してませんので、製造以来引退まで楕円銘板が外されることがなく、この裏の緑色は川重の工場で新製時に塗られたままの緑であるそうです。
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 その彼の膨大な秘蔵品の極一部を今晩も持参していただきました。彼は毎回違うものを持参されますので目の保養になります。各形式を一枚ずつ欲しいとのことで、あとは2400系を待つのみだそうです。
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 19:00すぎのスタートでしたので、各自持参したモノを肴にして話題も尽きず、ラストオーダーまで滞在して閉店時間でお開きとなりました。令和ヘッドの回送が撮れると頑張ってホームへ駆け上がる若者を見送って、枚方市からの終バスがなくなった私は京阪を諦めて学研都市線で帰宅の途につきました。時間はセーフ。
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 部品やモノの好きな面々というのは鉄業界の中でも少数派ですが、その数少ない同志が集ってお喋りするということはライバル感以上に連帯感も生まれます。令和の時代若者達に互してどの程度まで参戦していけるかはわかりませんが、欲しいモノを入手する縁を期待してお仕事に励みたいと思います。
 京阪電車のモノ系の方で参戦をしてみたいという方がおられましたらお声がけ下さい。ただこのメンバーの強烈な煽り?によって深い散財沼に導かれて秋戦線を終えた年末にはえらいことになってしまう可能性が少なからずあるとは思いますが・・・


 最後にTwitterの診断メーカーに『平成最後にすべきこと』というのがあったので面白半分でやってみました。
 出てきた結果は“親への感謝です!”でした。
 ただよく見るとこの診断結果は一通りしかなく誰がやってもこの結果にしかならない訳ですが、両親をはじめ家族・周囲の人々との関わりによって平成の11,070日が過ごしてこれたことは間違いはありません。お世話になりましたありがとうございます。そして次の令和の時代もよろしくお願い致します。
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今回の担当者 用務員

 こんばんは、今日は『昭和の日』の祝日、昭和世代の我々にとっては元『天皇誕生日』でしたね。
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 昨日の4月最終日曜日(カレンダーの関係で5月開催になる年もあるようですが)というのは毎年淀の京都競馬場において“ 天皇賞(春) G ”が開催されます。京阪電車もあちこちで積極的に開催PRがおこなわれています。上二つは枚方市駅・下二つは京橋駅。
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 もちろん春の京都開催のメインレースだけに毎年多くの競馬場への来場者があり、そのお客さんを輸送する京阪電車も春の行楽シーズン真っ盛りの中での開催だけに、通常時以上の列車本数が運行され、京阪電車好き鉄ちゃんとしましても秋の京都開催のメインレースでもある“菊花賞”とともに年間計画で事前にフリーな状態を確保すべき重要な一日であります。私も過去に2016年にも記事(文字をクリック)にしましたが、今年も久々に他の予定もなく嫁の了承もいただきましたので一日鉄活動を勤しみました。本日はその報告です。

 朝7:30にコレを購入して京阪三昧の一日はスタートしました。このチケットを武器に今日は足の向くまま気の向くまま。
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 枚方市駅7:50発の特急は追走してくる快速急行があるため3番線から発車します(知らんかったぁ)。
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 下って萱島駅で普通へ乗換。B0800Zで6013が上がってきました。
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 特別ダイヤでは昨秋ダイヤと同様に午前は臨時列車として淀屋橋発9:47と10:17発の臨時快速特急2本(3002と3004)と寝屋川市始発9:27の臨時快速急行1本(3001)の3列車がいずれも3000系を使用して運転されています。
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 この臨時列車へ3000系を捻出するために、朝のB0700Z〜B0900Z(6011)とB0706Z〜B0904Z(13022)・B0800Z〜B1000Z(6013)の3000系スジを一般車が代走します。逆に一般8連スジG0600Z〜B0701A〜P0800Nに臨時快特一本目(出町柳到着後〜B0904Zと入替で特急に使用)の充当編成(3000系)が入っています。臨時快特の2本目に充当される車両は淀区から淀屋橋まで回送で送り込まれます。

 土休日ダイヤの定期列車の快速特急洛楽は8000系が充当されますので「新元号記念」ヘッドマークとのWマークとなっています。
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 かつて日中15分間隔だった昭和50年代後半はGW+京都競馬開催のこの時期の午前の上りは30分の間に特急2本・臨時特急1本・急行2本・淀(宇治)行臨時急行1本・枚方市行準急と本線直通普通と萱島行普通に宇治三条普通各2本でした
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 その時代を思いますと現在の30分間に快速特急1本・特急2本・直通急行と淀行急行に直通準急と萱島区急各1本・直通普通2本に枚方市普通1本というのは、連結両数のこそ長くなっていますが旅客需要の変化なのか時代の変化なのか、好天時の特急の混雑や中書島以北の伏見稲荷・東福寺・清水五条など特急停車駅以外の混雑を見ますと何らかの対策も必要ではと思ってしまいます。

 さて、午後の部は淀駅へ、樟葉駅で乗り換えた出町柳行き準急は通常時では想像も出来ない立ち客満載で発車。淀駅に到着し臨時改札口を抜けると・・・
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 本日の夕方の列車達を確認。上下3本ずつの臨時列車というのは最大の設定本数ですよね。
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 80年代後半から90年代前半にかけての独身時代には夕方のこの時間帯にこの場所で屯していたものでした。この日は当時6連車だった7000系が上下淀始発の臨急に運用されました。もちろん臨急幕は“赤幕”です。
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 80年代では1年の中でこの天皇賞(春)の日だけ夕方の上り三条行き臨時急行に2600系の6連車があまり見られない組成(それもあたかも淀区昼寝の4連車を無理矢理組み合わせたような組成なんです)で充当されていたことがありました。この年は2620--2810というもけいはん連も大喜びの組成で登場しました。
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 昨日の話に戻りますと、既に大阪方ホームにはスタンバイをされている方もいらっしゃいましたので、京都方ホーム端からスポッター開始。
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 16:05発のG1601Aとなる2453が坂を上がってきました。右はG1500Zとなる9005編成
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 下り16:22発の臨急となる6004と上り16:16発のS1600Zとなる2216編成が併走で上がってきました。本線列車があれば対比が面白かったのですが・・・。
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 G1601Aが出発していくと、6004は4番線に入線します。
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 すぐに下り線側には16:35発のG1603Aとなる1502が上がってきました。上り線側は寝屋川から送り込まれた16:36発に充当される13023編成が入線してきました。このスジは三条到着後大阪中之島行きの臨時特急に流れていきます。
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 G1603A発車後、本日の我々のメイン?である淀始発16:42の臨時特急に充当される列車が淀の坂を上って入線してきました。今回は暫定8連の13022編成です。
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 表示も撮っとかなくっちゃ。
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 臨特の後に設定されている16:52発の臨時急行中之島行に充当される6005編成が上がってきました。上り側は16:46発のS1602Zの1503編成に後に入線する16:56発の臨時普通三条行に充当される2454編成。
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 本日の競馬輸送始発の下り最後となる17:05発のG1701Aに充当される1505編成と17:06発の臨時普通三条行きに充当される2609編成が上がってきました。
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 本日日中に本線稼働していた5553編成のQ1601Bが16:55に下っていきました。
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 最後のS1700Zは9001編成が充当されました。ちなみに下り臨時特急には17:19三条発には13023編成が17:43出町柳発の3000系スジには3005編成が充当されました。
 臨時列車の運用の内、淀発臨特に使用された13022編成は朝3000運用の代走をして淀区へ入庫していた車両で、臨急の6004編成はF1000Zで淀区に入り日中昼寝した車両、6005編成は淀出庫〜出町分散の運用が車両が日中の所定運用であるYR〜F0801Aを6006編成に、続くYH〜R1103Bを6011編成に任して、臨急で下って寝屋川へ入庫し所定のR2101Bから運用にのったようです。6011編成が朝3000系代走でB0900Z〜YYで淀区へ戻ってきた後YH〜R1103Bに流れ、6006編成が樟葉分散のM0501Aで出庫しF0502Z〜YY〜YR〜F0801A〜F0800Z〜YYとつながり所定のYZ〜D1501A〜M1700R〜YYとなるなど巧に淀区での出入庫を振り替えて運用を組み合わせているようでした。
 7連の普通運用については2本は淀区で止めとなっている車両の活用、1本は臨時特急とからめた寝区からのYY〜SS〜BB〜YNのようでした。

今年の入場者数は昨年比106.3%の7万3662人(日刊スポーツより)と増加し多くの方が淀競馬場におこしになりました。競馬場の地元を走る京阪線も増収にホクホクとなって秋のG汽掘璽坤鵑砲眤臍発していただけることを期待しております。ホーム案内板の下にこのようなモノがついていたっけ?極たまに乗車される方には便利ですよね。
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今回の担当者 用務員 

 さ、10連休です!と申しましても、これといった大型イベントへの参戦予定もなく、まぁ「プチ断捨離」( → ゆくゆくは、終活へと発展?)にでも取り組もうか、と思っている駐在員です。

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▲お、このポスターだと今年は一見「11連休」!

「我が家にも続く線路」


 さて、約1週間前(4月21日)のことになりますが、サラリーマン用のお堅い(?)新聞というイメージのある「日本経済新聞」(日経)の日曜版Nikkei Style瓩遼粗3面を、とってもテツ分の濃い記事が占めていました。

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▲本紙1面にも「我が家にも続く線路」というタイトル入りでの狷出し瓩。おかげで、翌22日に出社すると「xx(駐在員)が出て来るかと思って、最初にこの面を読んだデ」とか何とか、嬉しいような、自戒させられるような声掛けが、複数の同僚からありました…。

 記事では、数例が紹介されていました。冒頭には、有名な「桜谷軽便鉄道」が、他にも電車車体を住宅のリビングと一体化した例や、鉄道を愛した著名人の実車に絡むエピソードなどが綴られていました。

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▲紙面より(1)。桜谷軽便鉄道(右上)は大阪府豊能郡所在(同社?公式サイトによる)。そのせいか、列車の行先表示板が阪急仕様(1981年以降の区間普通仕様でありながら「間」表記があるのが楽しい!)ですね。

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▲紙面より(2)(3)。ワクワクさせられるような見出しが並んでいます。後者(3ページ目)の後半では、鉄道(それも、実車そのもの!)を愛した著名人として、建築家の清家清、チェコの作曲家ドボルザーク、米大リーグのベーブ・ルースなどにまつわる逸話が紹介されていました。ところで、下写真の車両って、どこの事業者の何形でしょう?一見すると小田急→秩父1800形のようですが窓の仕様が違うようですし、同じ「私鉄のロクサン」であった山陽700(709-702)かと思いきや同車はシルヘッダー付きだったし…。

【4月28日追記】
上記 牴室命燭亮嵶将瓠幣兎鄂Г痢332」号車)について、趣友から教示がありました。当車は、山陽電鉄300形332だそうで、設置当初はちゃんと(?)ベージュ+紺の山陽電車色だったとか。早速、アーカイブから「山電300」の写真を掘り出してみますと…確かにこのノーシル・ノーヘッダ―車ですね。
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「ホビールーム訪問」


 これもメディアで使われたタイトルです(が、少し前のことですのでご記憶のないかたも多いかと思います)。

 このタイトルは、2006〜2008年頃(え!いつの間にやら10年以上前のことになってるンだぁ…)の「Rail Magazine」誌に年1〜2回組まれた特集記事のタイトルで、毎回5例ほどの「ホビールーム」(鉄部屋)が紹介されており、それはそれは強い刺激を受けたものです。

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▲2008年は9月号・10月号の2回にわたって企画されました。そういえば、2007年には私どもが長年お世話になっている犢残浩萓賢瓩箸修離曠咫璽襦璽爐蘯載されていましたねぇ。

 このような企画は、他メディアでも時折見掛けることがあり、その都度チクチクと(?)刺激を受けるのは楽しく、かつ困ったことでもあります。その種の参考情報を今よりも熱心に探し求めていた10〜20年ほど前ですと「男の隠れ家」「サライ」「Free & Easy」といった雑誌で特集が組まれていたのを見掛けて迷わず購入し、今でも偶に参考書として(?)参照しています。

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挙げ句は…(まだ、果ててません。)


 こうして、マスメディアによる刺激を受け、仲間から煽られまくった私の平成時代30年間(←流行りのフレーズ…)の「鉄部屋」プロジェクトは、どのように変遷したのでしょうか。もちろん、日経記事のような大変な事態(?)にはなっていませんが、それなりに「自分以降の世代でコレ、どうするねン?」という課題を抱えるレベルにまで発展してしまったような気がしています。

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▲平成初期に手許にあった「粗大ゴミ」級のブツ(単品)は、大々的に販売された3000系特急車の原型シートだけだったのですが…

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▲1998(平成10)年に「Cabin 1」なる鉄部屋が出来てしまった頃からは制動が効かなくなってしまい…

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▲平成31年・令和元年を迎えることとなりました…。

 自戒気味に平成の30年間の流れを書いてみましたが、ま、30年間ずっとこの趣味を楽しんでこられたことにひたすら感謝するのみ、それに尽きるのだと思います。実際にもこの趣味があったおかげで、心身とも潰れることなく元気に令和の時代を迎えられるという実感があります。でもまぁこの先はそろそろ、後に続く家族や趣友のことも考えて「もう増やさない、むしろ徐々に削っていく」というスタンスに切り替えて行かねばならないナ、と、少なくとも思ってはいます(「思ってるかもしれんけど、実際の行動・購買パターンはどやねンな?」というツッコミは勘弁やデ ← 倶楽部メンバー各位)。

 さ、令和がさらに次の時代に移る時、私は、そして、私の周りにある大小様々な玉石(石ばっかり?)は、どうなっているのでしょう?

今回の夢追い人 駐在員
 

 こんばんは、いよいよ平成時代もあと一週間となりました。これからいろいろな事象に対して猜神最後の…瓩隆Гがついていくんでしょうね。
 京阪電車でも4月20日土曜日から8000系特急車に「新元号記念」ヘッドマークが掲出されはじめました。大阪方は猜神 ありがとう
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京都方の猯疣 新時代へ
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5月6日迄の17日間にわたって掲出されるのですが、そのうち平日ダイヤはなんと5日のみということでライナーのマーク付きを撮影できるチャンスは今週だけですね。

 また、4月16日に朝運用を終えた5555編成が分割され工場前に置かれていました。
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 すわ廃車離脱?と色めき立つツイートもありましたが、まだまだ5000系も必要とされる場面があるようで、検査が施工されるような雰囲気です。5553→5551と言われ続けた犧埜紊了遽薪将瓩また延びることは嬉しいことです。ピカピカになって戻ってくることを期待しています。


 

 先週末土曜日、朝から絶好の晴天に恵まれ「新元号記念」マークの初日ということもあり、京阪沿線も多くの撮影者が訪れておられました。私も半日仕事を終えて家でジッとしておられず、枚方市駅へ原付をかっ飛ばしました。熱心なもけいはんではないものの目的は『第178回 ホビーランドぽち鉄道模型フェスティバル in 京都』
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 会場は清水五条駅からということで、川床の設営風景を見ながら松原橋を渡っていきます。
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 会場着。
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 早朝より集結されていた猛者による猛爆が終わった後の残りだけにどのようなものがあるのかと思っていましたが、私が本来欲しかったストラクチャー類の姿はなく車両系ばかりでした。これはフェスでなにも購入せずに退散!という漢になれるのかと思っていたのですが・・あまいあまいスティックの中に私のN購入の散財のウイークポイント商品である『KATO ちくま 12系』を見つけてしまったんです。これには躊躇なく被弾をしてしまいましたorz。
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 やはりここまできましたらさらに西へ烏丸通りを越えて・・ココへ行かないわけにはまいりません。
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 ここに来た目的はピクトリアルのこの号が欲しかったんです。89年8月 通巻515号『〈特集〉台車』そして欲しかったのがこの記事。
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 この本と先日もブログネタにした90年代末期の“くらしの中の京阪”が同じ値段(え!)だったのであわせて購入し、釣果はこのとおり・・だったのですが、
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 ふと足下にあったカラフルな“関西芸人御用達のツッコミ専用打撃武器”を発見!これはいわゆる「ピク誌を追ってて とんでもない物を見つけてしまった! どうしよう?」となり、想像もしなかった物入りとなってしまいました。もちろんその場においては購入するべく資金なんてありません。再訪を約束して退散致しました。

 心はウキウキ財布は身軽という状態で、五条大橋を渡って五条駅へ逆戻り
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 電車の中でも来たるべくGWのやり繰り作戦で頭がいっぱいとなりました。どうしよう。

今回も散財者 用務員

 「桜満開っ!」とはしゃいでから、僅か2週間ほどが経過しただけですが、東京の街はすっかり若葉色に染まった観があります。暖色系の車体色は、桜花の色よりも若葉とのコントラストが映えることも多いですし、真夏・真冬のような天候の厳しさもありませんので、しばらくは「撮影に好適なシーズン」が続きますね。

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 さて、今回のタイトル。「ハテ?『2019春』とあるけど、高齢者会議って何だっけ? 今までにも、あったっけ?」と思われたかたが多いのではないでしょうか。無理もありません、これまでに犢睥霄垈餤牒瓩里海箸魑事にしたのは2015年12月の この記事(文字をクリック) 一回きりなのですから。

 その「高齢者会議」。上掲リンク先の記事をご参照くださればお分かりになるとおり「高齢者会議」というのはこの集まりのメンバーである同趣の先輩が、年齢層が高めであることを冗談めかして表現されたもので、正式な(?)呼称は「蒸機を語る会」(蒸気機関車の現役時代後半(昭和30〜40年代)の思い出を語りながら、年に何度かは皆で飲みましょうや、という趣旨)なのです。

3年半前の記事を読むと…


 私自身、3年半前の記事の内容を思い出せませんでしたので読み返してみました。冒頭の「JR SKI SKI」キャンペーン(モデルさん2人のスキーウェアが、新幹線E5系・E6系に合わせたかのような色でしたね)もさることながら、当時の何気ないSNSへの書き込みが目に留まりました。

【3年半前の記事から引用】
地元電車に乗ってSNSを覗くと趣友(大先輩)が、こんな書き込みをしておられました。

「常磐緩行線で、都内某所での高齢者会議に向かっています。なんか座席が狭いと思ったら209系でした。」
【引用 了】

 上記「なんか座席が狭い209系@常磐緩行線」というのは209系1000番台のことですね。そう、その209系1000番台(2編成20両)がなんと今春、2世代後にあたる後継車(E233系0番台 約700両)の牙城である中央快速線に転属してきたのです。もしこれが中央快速へのグリーン車増結に備えたE233系の改造入場(トイレ設置?)補充ということなのであれば、向こう5年やそこらはリリーフ役として走り続けるのかもしれませんね(となると、JREの通勤車としてはかなりの長生きすることになります)。

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▲201系ラスト2本が2010年に引退して、車輌がE233系0番台に統一されて以来、これという興味を覚えなかった中央線快速電車ですが、久々に趣味的に楽しめるネタが加わりました。(次の狙いは、ほぼ同じ顔をしたE231-800番台との並びっ!)

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▲(いきなり余談)209系1000番台といえば、一時期の常磐緩行線のエース。駅スタンプの図柄(写真の新松戸駅スタンプでいえば、武蔵野線205系も描かれています…)も、両車とも去った・去りつつある今、処遇が悩ましいところなのでしょうねぇ。

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▲そういえば今季の「JR SKI SKI」キャンペーンでは、ついに「パンフレット」を見掛けないままに終わりました。JRE系旅行代理店「びゅうプラザ」の支店がよく利用する駅から相次いで消えたせいなのか、はたまたパンフレットそのものが制作されなくなったのか…(ほんで結局のところ「この雪には熱がある」と謳っていた女性は、誰?)。

4ヶ月ぶりの「語る会」


 そろそろ今日の話に移ります(遅)。ちょうど4ヶ月ぶりとなった今回の話題をいくつか拾ってみようと思います。

1)40年近く前に出た本に「著者サイン」をもらった!
 これは、嬉しかったですねぇ。約40年前に出た学生・児童向け「ずかん」の中でも2色刷りページの解説がズバ抜けてマニアック もとい 専門的で、今に至るまで事典的に活用している「機関車・電車」と「客車・貨車」(特に、後者は濃い!)。これら2冊の監修(という名のライター)をしておられたかたと今日、ご一緒出来たということで初版から38年目の「著者サイン」をいただきました♪

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▲目次ページの「監修 日本国有鉄道 KM」(冊子ではフルネーム)の下にサインをいただきました(2019.4.20の日付入り!)。

2)鉄道雑誌・鉄道模型雑誌の話題
 今回、このエリアの話題が結構ホットでした。インパクト・鮮度ともにトップなのは、2016年12月末に「Rail Magazine」「RM Library」「国鉄時代」などを発行している出版社を定年退職された名取紀之さんが今月、再び雑誌編集長に就かれた(しかも媒体は「鉄道模型趣味(TMS)!」)ということと、同誌を発行する「機芸出版社」の新体制への移行ということで、衆目は一致していました。同誌・同社の苦境をストレートに表現した巻頭の就任挨拶ページが、とても印象的です。

 他にも今年は「国鉄時代」の編集長交代とテーマの拡大、「RM Library」の不定期刊行化などの動きもありましたし、昨年には単発ですが風間克美さんの地方私鉄写真集が「発売:電気車研究会(ピク誌の発行社)、発行:OFFICE NATORI(名取さんの事務所)」というコンビネーションで出て来た、ということもありました。さらには、今月発売の「鉄道ジャーナル」誌では往年の名ブログを彷彿とさせる名取さんの連載「趣味のあとさき」が始まるという混沌 というのか 賑やかさ…。

 また「鉄道ジャーナル」誌の発行・発売体制が変わってからも10年近くが経ちますし、姉妹誌ともいえた「旅と鉄道」誌は休刊などを挟みながら発行・発売体制も何度かの変転を経て今に至っています。

 「出版不況」と言われて久しく、さらにはコアな鉄道趣味人の年齢層が上がりつつあるとされる時代。この先、他誌を含めてどのような合従連衡(?)が出て来るのかは当然ながら想像すらつきませんが、鉄道誌業界・鉄道趣味全体としての発展につながるような動きに期待したいものです。

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▲出版物に関連する作戦会議(?)あれこれ…。

3)「引き込み線」の史実考証!
 これも今日、とても興味深い「肴」になりました。JR中央線三鷹・武蔵境間から北向きに分岐していた引き込み線(古くは軍需工場、後に「国鉄スワローズ」の球場=現在は武蔵野中央公園という名の広大な原っぱになっている場所に至っていた線)のあれや・これや。その痕跡を自転車で何度となく辿っている筆者にとって、とても貴重な往年の記憶をお聞かせいただくことが出来ました。しかも、その存在を色濃く感じることが出来る1965年9月刊の「道路地図」まで持ち込んで、あれや。これやを解説くださったのです…感謝!

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▲1965年刊の地図には武蔵境駅からの引き込み線が明記されている。三鷹からの引き込み線(三鷹〜武蔵野競技場前間)よりも歴史があるとされる線だけが、地図上に残っているのは何故? 

4)貨物駅・列車区を横断する地下通路ネタ!
 これはズバリの画像無しなのですが、東西似たような話(通路)があることを知って、盛り上がりました。東では、尾久の留置線を横断する地下通路。西では、梅田貨物駅を同じく横断する地下通路。

 いずれも、ちょっと湿気っぽい、女性が単独で歩くのは昼間でも憚られるような数百メートルに及ぶ狭苦しい通路なのです(だったのです)。私がリアルに体験している西の通路については、東端が阪急梅田駅&国鉄大阪駅、西端がABC朝日放送&ホテルプラザ&フェスティバルホール&日産ギャラリー(「ポップvs歌謡曲」♪)という、いずれも華やかなエリアであったことと、通路の陰気さの好対照のことを今もよく覚えています。派手さには欠けますが、渋ぅ〜い意味での「感動の所在地」(!)かもしれません。




 そんな、こんな(酔)で、10連休を控えた春のフツ〜の週末は、楽しく・ありがたく過ぎていきましたとさ。

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今回の高齢者(?) 駐在員 

 こんばんは、春休みも終わって来るべき超ゴールデンウィークへ向けて、2019年度の超ひらパー兄さん企画にも、第一弾の中吊りが出てきました。
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 先日よりテレビCMも始まっていますが、今回は「『経営にも』篇」ということで、人気遊園地ならではの悩みの種であるアトラクションの待ち時間を短縮する切り札であるファストパスの類をひらパーでも導入すべく考案された、アトラクションに優先的に乗れる“ミラクルプレミアム・ファステストパス”、略して“プレミアムパス”がテーマです。

 が・・・導入には至らなかったようです。だって(現実は東のネズミ園や、ひらパ〜の近所(?)にある世界スタジオのように混んでいないので)フツ〜に回っても待ち時間少なめ、さくさく乗れる! ごく普通のフリーパスが、既に 「ミラクルプレミアム・ファステストパス」という名のファストパスやし! というオチでした。

 他にも、駅や車内では4月1日より運行が開始された京都駅と七条駅を結ぶ「京阪七条−京都ステーションループバス」のPRに余念がありません。
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 3003編成の中吊りがCMジャックされていました。
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 京阪線では昨日16日より恒例の乗務員試験の教習列車の運転が始まったようです。先日来沿線各所においてその予兆を感じるさまざまがありましたので今年もシーズン到来。
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 ただ、例年このスジは2600系の独壇場であったのですが、今シーズンの充当編成は我々の期待を大きく裏切るVVVF車の10002編成。いよいよここにもV車が登場してくるということで、平成と共に2600系での教習車運用も終了となってしまったようです。私どもの記録にある範囲だけでも、昭和50年代(1980年代初頭)に2600系の「教」が確認できます(吊掛車600系(供砲箸諒造咾箸もあります!)ので、いま京阪電車の運転士を務めておられるかたのほとんどが「2600系の『教』で関門をクリアした!」という経験をお持ちなのではと思われます。

 今晩はこんな機会ですので私が記録できた教習関連の写真を掲載させていただきます。ただ、毎年時期も日数も不定期で運転日も限られた日だけでしたので、運良くタイミングがあったものだけとなりますのでご容赦下さい。
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 2000年代初めの頃は4連が充当されていました。2004年は異端車2621編成が、
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 2005年は2623編成が使用されました。
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 2007年は2617編成でした。
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 2008年では2600系4連の余裕がなかったのか当時7連組成だった2614-2826の7連から中間の2603ユニットを抜いた4連を組成して運用されました。
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 2010年は2633編成が抜擢されました。
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 2011年は混色編成だった2614編成が充当されました。混色の教マークもこの年だけでしたね。
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 2012年も2614編成が登板しましたが、昨年従来塗装でした2614ユニットの2両も1年の間に新塗装化されましたので、新塗装の7連となりました。
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 2015年は2631編成が使用されました。
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 2017年は2601編成が登板しました。
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 2018年も引き続き2601編成が使用されました。この時点で0番台7連で当編成だけが転動防止装置が施工済みというのが抜擢理由であったそうです。
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 近年はこれに充当される編成は運転中に駅に停車することも多く、訪日外国人の利用も増えてきて誤乗を防ぐためにも、各客用ドアにこれが貼られるようになりました。
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 ただこのような手間がかけられているだけに、期間中は担当編成は営業運転には使用されません。ある意味ではこれが我々部外者が認識できる期間のバロメータになってくるかも知れませんね。
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 我々としては迷惑をかけずに見送っていければと思います。

今回の担当者 用務員

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