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倶楽部2600のブログ
資料は整理してこそ、模型は走らせてこそ、部品は小奇麗に飾ってこそ、その価値が増すもの。でもナカナカ、出来ないのですよね…。

秋も深まり

 こんばんは、11月も折り返しの15日となりました。紅葉も山の方は盛りとなり、里の方も月末に向けて色づいていくのでしょうね。
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 このごろは週一程度しか鉄活動をおこなうことが出来ず新しいネタもフォローできておりません。昨日と今日は書類の受け渡しで一週間ぶりの京阪電車に乗車しましたので気になったことをつらつらと・・・。

新旧おけいはん競演


 8日に7代目おけいはんが発表され、車内吊りにおいても姿を見ることが出来るようになりました。現在車内吊りでは『おけいはんの紅葉』PRも真っ最中なだけに、入れ替わり期間中限定の6代目・7代目の競演を見ることが出来ます。
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 思えば3年前にも5代目・6代目の競演があったなぁ。
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 本日帰路枚方市駅の改札を出たところで、京阪沿線の紅葉のパンフレットセットの配付がおこなわれていましたので頂いてきました。
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 セットの中身はご覧の通り・・・個人的には7代目おけいはんのクリアーファイルが入手できたことが素直にラッキーでした。
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13022編成は代走?


 今月4日に登場した13775号車を組み込んだ13022編成の8連組成ですが、理由はわかりませんが先週後半より犹澂甍靴い砲覆辰討い襪里車庫に入ったままで営業線で見ることが出来ませんでした。
 昨日朝は運行中の9005編成が不具合があったのかP1004Nで車庫に取り込まれ、後続のR1105Bより久々に当編成がピンチヒッターとして営業線で運行する姿を見ることが出来ました。そしてそのまま運用どおり流れ淀区に滞泊し、本日も順当に運用をこなしておりました。
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 前回の13023編成の8連では3次車編成に2次車の13772号車が追加された組成でしたが、今回は2次車の中に1両3次車が加わるということになりましたので、約一ヵ月ぶりに今回も見ることが出来ます。
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 13775号車は7連時はMc車である13075号車の隣に連結されるということで、パンタグラフに隣接する一番大阪方のクーラーキセの大阪側が特有の汚れが付いています。こんなところも気になってしまいます。
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ちびっこアーティスト号


 本日より12月16日迄約一ヵ月にわたり恒例の『ちびっこアーティスト号』が走り始めました。今年は13021編成がギャラリーとなり、ちびっこアーティスト号PRのためヘッドマークが掲出をされています。初日である本日の日中は枚方市普通の運用に入っておりました。
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 例年枚方市駅が地域の子どもたちの作品の展示会場となっていましたが、今年は寝屋川市駅がその任を担当しているようです。期間中に子どもたちの力作を鑑賞させていただこうと思っております。はたして大津の坊ちゃんの最新作は如何に。

新しい?恒例のヘッドマークが登場します


 本日公式より11月17日よりなにわ橋駅で開催されます「アートエリアB1 鉄道芸術祭」PRのためヘッドマークが1501編成に掲出されることと11月20日より「中之島ウエスト 冬ものがたり」PRのためヘッドマークが2632編成に掲出されることが発表されました。当該2編成は本日はいつもの姿で走っていきました。
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最後に皆さまへの質問


 私も昨日何気なく見て気づきました。これは知らなかった。さてこれは何号車の製造銘板でしょうか?
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 今晩の記事のベースは昨日分として書かれていた記事なのですが、本日追加として入れた部分のボリュームが多く、本日分の記事としてスライドをさせていただきました。

今回の担当者 用務員

この記事に

ニュース 2連発!

 記録・統計をとっているわけではないのですが、京阪の公式プレスリリース、中でも「話題になってナンボ!」系のニュースについては、直後の週末に話題が拡がることを期待してでしょうか、金曜午後にサプライズ的にUPされることが多いような気がしています。そんな中、こと今回については意表を突くかのような木曜日に「え〜っ!」というレベルのニュースが2件、飛び込んで来ました。どっちも話題性満点、そしてまぁ、いずれも「朗報」といえましょうか。

3000系(供砲砲癲屮廛譽潺▲爛ー」!


 今夏に幹部のかたのご発言として一部の新聞で報道(※)された構想が、いきなり具体的な計画として正式に発表されました。「2020年度に全6編成に導入します」とのことですから、さほど先の話ではありませんね。

(※)2018年7月10日付「日刊工業新聞」での報道を確認しています。

 このニュースに関連して趣味的に興味を呼び起こされるのは、1)運用(8000系とともに特急専用というわけには、いくまい)と 2) 新造 プレミアムカー(3851〜3856? あるいは8000系8551〜8560に合わせて2代目3551〜3556を名乗る?)によって  捻出 されるT車6両の帰趨、の2点でしょうか。

 というわけで以下、上記1)2)についての勝手な想像です。

1)Pカー組み込み3000系の運用は?

 8000系だけならともかく、3000系までもがプレミアムカーを連結するとなると、それら全てが「特急専用」というわけには行かないでしょうから、快速特急・特急以外の種別(主に混雑度の低い列車?)にも、プレミアムカーを「締切」にして運用されるのではと想像。最近、混雑時の「3000系@閑職」化が進んだような気がしているのですが、それは既に2020年度に向けた準備の一環、とか?
 
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▲どおりで最近、朝ラッシュ時の3000系が中之島普通とかの閑職(?)に追いやられ気味なわけや…って、ホンマに今般のニュースと関係あるンかなぁ?。

2)捻出されるT車(現3551〜3556?)の帰趨は?

 もう一発、妄想。捻出されるT車6両はロングシート化改造のうえ、3000系タイプの車体側面を持つ先頭車・中間車(新造車)36両とともに7連x6本に仕立てられて、通勤車の世代交代を促進。それら6編成の付番は「13000系30番台、13031〜13036編成」(現時点での最新編成が13027-13077編成ということで、遠からず出て来そうな13029-13079編成のあと、純粋な13000系7連の番号は13040-13090編成にまで飛ばす、ってことで…)、あるいは思い切って「新2000系」の一員になる、とか?(ま、ややこしいから「3000系30番台」は無いわナ…と思いましたが、車体色さえSMBC色 もとい シティ・コミューター色にしておけばコンサル編成との区別は容易ですし、鋼体をはじめとするハード面では当然共通性も高くなるでしょうから、意外とアリかも? となると、3031-3081編成〜3036-3086編成かぁ…フムフム、悪くないかも。)

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 あとまぁ、鬼が10回以上笑うと思いますが、8000系の後継車への影響も気になります。プレミアムカー連結が8000系だけであれば「後継車も2扉7両+1扉1両!」という予想一本だったのでしょうが、3000系が「3扉7両+1扉1両」として再デビュー(?)するとなると…8000系の後継車もそれと統一したほうが運用・案内上もベターだ、という判断(すなわち3扉が基本構成での統一)が下されそうな気もしてきました。その意味ではこのニュースは「朗報」とはいえないのかもしれません。

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▲でもまぁ「ダブルデッカー車」という売り物が存続することを前提とするならば、やはり8000系の後継車は「2扉7両+1扉1両」でしょうか?(←希望的観測)

7代目「おけいはん」♪


 こちらは役員さんによるリークなどあるわけもなく、また、5代目・6代目選定の際に見られた「総選挙」や「検定」のようなティーザー類もないままの、サプライズ発表でしたね。今秋の寝屋川レールフェア会場では「6代目も就任から丸3年。『次』への動きが見えないけど・・・」という不安の声が(ごく一部で)渦巻いていた中、突然の朗報です。しかも個人的に、7代目の三条けい子さんは、2代目に匹敵する「好み」のタイプです♪

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▲(ご参考)まさかの縁で今秋、手許にやって来た「2代目デビュー」の広告(2003年制作&掲出)。

 一方で、11月8日付のプレスリリース本文に「11月8日(木)から『おけいはんキャンペーン』を刷新し、7代目おけいはん瓩箸靴峠優の『中川可菜(なかがわ かな)』さんを起用した新シリーズを展開します」とあるように、発表当日に6代目から7代目にいきなりバトンが渡されるとは驚き&チョット寂しい感じもしました。その文面通り、もう既に出町柳けい子さんの姿は駅や車内では見られなくなったのでしょうか?

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▲「次はおるンか?」「『おけいはん』企画自体、続くンやろか?」などの不安が渦巻く中、寝屋川で拝んでおいて良かった、6代目。




 う〜む、散財が伴わない事象においても、あれやこれやと楽しませてくださいますね、京阪さん。勝手に「ありがとうございます」。

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▲あれ?「中川 可菜」さんって、ひょっとして「上から読んでも、下から読んでも」か? ← 違! 惜!?

今回の担当者 駐在員

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 こんばんは、11月に入っての久しぶりの日常報告記事となります。今日は暦の上の標記とは似つかわしくない小春日和とも言えないぐらいの暖かな一日でした。日曜日&今日の大阪往復で採集してきた小ネタ集です。

今月のユーフォニアムヘッドマーク


 毎月図柄の変化があり我々を楽しませてくれている10005編成のユーフォニアムヘッドマークですが、今月は加藤葉月の新バージョンです。
 本日昼寝運用へ充当されましたので、今月も枚方市において撮影できました。
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秋の臨時列車


 11月3日(土)より11月の土日祝については秋の臨時列車が運転されています。ダイヤ的には過去のような特別ダイヤで無く、あくまで通常の休日ダイヤ上での増発のようで各駅ともこれが貼られているのみで、休日ダイヤを大々的に貼り重ねていたのも過去の思い出になってしまったのかなぁ。
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 ご覧のように列車的には午前の上り寝屋川市始発の快速急行と臨時洛楽2本・夕方下りの臨時中之島特急が三条始発と出町柳始発各1本ということで、淀屋橋駅の標記も猯彁快特洛楽瓩箸覆辰討い泙靴拭
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 また臨時列車の設定の関係なのか駅の表示によると、いずれも所定は3000系スジであるB0700Z・B0706Z・B0800Z・B0900Z・B0904Z・B1000Zが8連一般車による代走となるという標記がありました。

第5回京都競馬


 先週の京都競馬は地方競馬で創設された「ダート競馬の祭典」JBC3競走(スプリント、クラシック、レディスクラシック)が、今年初めて中央競馬の競馬場において開催されるということで菊花賞のあと積極的なPRがおこなわれました。

京橋駅の大階段も
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ホーム頭上も
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枚方市駅のホームにも
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 3000系にも広告ジャックの編成がありました。その効果もあったのか?入場人員も売得金も前年に比べて大幅増で運営も概ね成功だったそうです。ただ京阪電車好きとしては他の週のG汽譟璽抗催時に比べれば臨時急行下り1本、上り三条普通(折り返し上記の臨時中之島特急になる)1本のみという寂しさはありました。

13000系暫定編成の交代


 13000系の内、6000系リニューアル工事や3000系・6000系の検査入場に伴う8連の不足を補うべく今年初めより組成されていた13023編成が先週末で7連に戻されてしまいました。13775号車を組んだ8連は僅か一ヵ月あまりの姿でした。
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 そして、13775号車は新たに13022編成をパートナーとして中間に組み込まれ13022編成が暫定8連として走り始めました。

 その一方、先月より4連となっている13025編成は宇治線メインに活躍していますが、今日は交野線で走っていました。4連標記と共に。
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枚方万博開催&紅葉


 『2025年を見据えつつ、いまひらパーでは心ばかりの万博をご用意させていただいております。全力の展示(パビリオン)が、点在!!』
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 今年の爐けいはんの紅葉瓩鰐湘瓦劉狃の犬山キャンペーン瓩範貼りとなっています。この夏の鵜飼もでしたが京阪線での犖せ貝甓,靴呂覆鵑覆鵑任靴腓Α逆に名鉄車内には『in KYOTO, on KEIHAN.』があるのでしょうか? 名鉄もしばらく行ってないなぁ。
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今回の担当者 用務員

この記事に

 朝晩、涼しくなって(時には寒さすら感じるほどに)なって来ましたが、風邪をひいたりしておられませんでしょうか(筆者は、寝屋川疲れもあったのか、先週末に寝込んでしまいました・・・)。

 さて、今回の書庫分類を使うのはいつ以来でしょうか、この記事は久々に(か?)「この本はイイ!」カテゴリーでの発信です。と申しましても商業誌を採り上げて「イイ!」と評価する(有り難がる)わけではなく、今後ますますの活躍を祈る「応援メッセージ」の意味を込めての言及です。よろしくお付き合いください。

「非・商業誌」の存在価値


 商業ベースに載っていない鉄道趣味団体の代表格といえば「鉄道友の会」が筆頭でしょうが、それに次いで見逃せないのが高校・大学の「鉄道研究部」そしてそのOB会だと感じています。東の慶応・早稲田・東大、高校でいえば(単に身近で接点があるだけで言及するのですが)桐朋中/高とか岩倉、西では京大・同志社・立命館、そして後述の国立大学などの活動が思い浮かびます。あと、近年ですと「国際鉄道模型コンベンション(JAM)」や「鉄道模型コンテスト」などでの高校生によるレイアウト/ジオラマ制作の活動が盛んなようです。
(と、自分が知っている/お付き合いのある団体名・催事だけを挙げましたので、網羅性は担保されていませんが、悪しからず…。)

 歴史を紐解きますと、「鉄道模型趣味」「鉄道ピクトリアル」などの商業誌が産声を上げた昭和20年代(1950年前後)以前に、さまざまな鉄道関連の細かな事象を調査し、記録しておられたメディア(≠マスメディア)といえば、上記の類の「趣味団体」による、いわゆる「同人誌」のような冊子だったようです。

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(上記2枚の画像はそんな「非・商業」系冊子のイメージってことで、弊ブログ2018年6月14日付記事からの再掲です。)

 その後は「ピク」「ファン」「ジャーナル」「RM」の順に創刊されて今に至る月刊商業誌が質量ともに情報を寡占するようになり、インターネットにその座を脅かされつつ、今なお本屋さんの書棚でそれなりの位置を得ています。

 では、もはや「非・商業」系(今ふうにいえば「同人誌」とでも言うべきなのでしょうか?)の役割は終わったのか?と言われると、特定路線・事業者のことを集中的に追っ掛ける(楽しむ)類の人種という立場でから申しますと「否。まだまだ役割はありまっせ!」といったところです。

「PANTOGRAPH」+α


 例えば、これら4冊の本(下掲写真)などは、地元ならでは(全国紙/誌とでも言うべき商業誌では採り上げられないような、でも実は看過出来ないコアな情報が織り込まれている)という感じで、ワクワクしながら拝読し、今後も資料/史料として大切にせねば、と思っています。

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▲右下を除く3冊は阪大鉄研(頑張れよぉ!)の部誌(1995年・2004年・2018年の「京阪特集」3冊 → なんか、インターバルが「鉄道ピクトリアル」誌の臨時増刊号のようですねぇ)、右下は当ブログも参考にしつつ今秋に発刊された、とある高校の部誌「京阪3000の系譜」(献本?ありがとうナァ)です。

 で、「PANTOGRAPH」誌を発刊し続けているのは阪大(大阪大学)の鉄研。写真の3冊は順にざっと150・90・180ページを全て京阪ネタで染めた力作です。「No.72 / 2018 秋」号では「付録・台車プロフィール」がこの先貴重な資料/史料になりそうですし(おぃ!御殿山駅の改札は2ヵ所やデ! @P.41)、左上の「No.49 / 1995 秋」号では、まさに地元ならではの記録が複数収められています。

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▲「1995 秋」号より。自作の「正月ダイヤ」(含む、10分ヘッドの特急+臨時特急!)の記録や、末期の「運行標識板」記事、そして今になって読むと「おぉ〜、この頃が起点かぁ〜」と感動(?)させられる中之島線予測記事。商業誌にはない切り口の記事が溢れている「イイ!」本です。

 そして、写真右下の某高校鉄研の部誌。学園祭に招待してもらったのに出向けずにゴメン&残念なのですが、郵送してもらった部誌「京阪3000の系譜」も商業誌にはないメッシュの細かさ・切り口で楽しませてもらえました。テレビカーのアンテナについての記述(設置位置はともかく、その台座の差異は今まで全く知りませんでした!)などはこの先、きっと貴重な史実の記録になると思います。

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▲その部誌に記録されていて「!」だった3000系(機砲離謄譽咼▲鵐謄覆里海函1次車から3次車に至る過程における設置場所の差異(とか、アンテナ形状の変化?)は意識していましたが、その台座形状の差異、そして1次車・2次車におけるアンテナ向きの途上変更のことは知りませんでした)。

応援&期待!


 これらの「非・商業誌」は鉄道書をウリにしている大型書店(大阪難波の旭屋書店、そして東京神保町の書泉グランデ等)でも販売されているようです。筆者は阪大の「2018 秋」を後者で入手しました。ネットでの情報発信・収集全盛の昨今、紙系メディアでの発信継続は容易ではないと思いますが、長いスパンで俯瞰すると意外と「残る」のはデジタルより紙、という気もします(デジタルであっても、フロッピーディスク、CD・DVD、HDDなどにも寿命があります。これらと、今ある紙の「本」、いずれがより長持ちするのでしょう?)。

 ま、鬼が何度も笑うような話(記録の保存に関する取り越し苦労)はさておき、まずはいま活動しておられる若い方々に応援メッセージを送っておきたいと思います。

「まずは、とにかく鉄道趣味を楽しんで、楽しみ続けてくださいね」!
「ほんで、頼むデ、地元ならではの情報収集・分析、そして発信を」!

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▲高校鉄研による「文化祭展示」の一例。リアリズムとは別の次元の楽しさが横溢!

今回の担当者 駐在員

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車内番号板考 その6

 こんばんは、財布に嵐が吹きすさんだ平成最後の10月もあと1時間で終わります。皆さんの今シーズンの釣果はいかがだったでしょうか? 私は中旬(10月14日)に散々楽しんだにもかかわらず、懲りもせず先週末(27〜28日)にも・・・やってしまいました。こっから先、年末までの「モノ入り」時期、どうしよう。
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 さて、本日のタイトルですが、私の記事特有の(?)シリーズとも連載とも言えないほどロングパスの続いていること(モノ)についてです。直近の記事である爐修裡粥檻沖瓩2016年11月12日の記事(文字をクリック)でしたし、番号的に一つ前の爐修裡記瓩砲い燭辰討2013年7月13日の記事(文字をクリック)ということで5年ぶりの続編となります。

 今年の寝屋川記事でも「5年楽しめば5品・10年楽しむと10品が手元にやってくるのですから…。開業70周年のひらかたパークからやっている我々周囲はもちろん30品ではすみませんわね(呆)」と書きましたとおり、今日の記事を起こすことが出来たのはこの5年の間に記事に出来る逸品が入手できたことに他ありません。ちなみに画像の内、背の低いほうは3桁のもの、高いほうは4桁です。
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8000系


 この5年間で販売されたモノの代表格として、エレガントサルーン8000系からの供出品があげられます。下の写真の情景も懐かしさを感じますね。
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 この写っている1989年の登場以来8000系妻板にあった標記類ですが、2009年の8805号車の車内リニューアルをスタートとして、コンサル3000系と同様の番号板・禁煙板・号車札・製造銘板が一体となったシールに変更されていき順次取り外されていきました。
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 となれば、我々の領域である不要品の放出ということになってきます。
 2011年12月の販売会よりその放出が始まり、寝屋川フェスタでも2014年から出品されるようになり、2015年3月からはe-kenetにおいても販売されるようになって我々も身近に入手できるチャンスが増えました。その結果今の時点では全編成80両160枚の内ほぼ半数近くが放出されてしまったように推察されます。その内8002・8008・8009・8010の4編成については編成単位のセットでも放出されました。

 そこで我が家のものですが、上から平成2年・平成元年・平成4年製造の車輌ですがご覧のように年次による差異は見られません。そして文字色は8000系特有のブラウンとなっております。
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 裏は他系列と違って両面テープがべったり、その結果着脱時にネジ穴が欠けたりして損品がある程度でてしまったという話しもチラホラ。また、8752号車のように文字部分に白が重ねられていない文字色のままの車輛もありました。
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 同じ特急車でもクイーン3000系は裏面には板があてられており、3次車の車輌では鮮やかな青ラメが格別感を感じさせていましたが、その面では8000系は従来車同様なのかなぁ。
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 今年の寝屋川では毎年続いていた8000系中間車のバラでの販売がありませんでしたので、今後も出品があるのか興味は尽きません。特にDD車である8800形などはほとんど出てきておりません。ただあくまで私の趣味対象は卵型グループですのでチャンスがあればお零れは頂戴させていただきますが、ガチの方と対抗するほどのパワーはありませんで・・・
 11月も錦織・京都競馬場そしてけねっとさんにヤフオクと、我々のささやかなフトコロを狙いに手を換え品を換え誘惑が襲ってきます。いつの日か爐修裡鍬瓩鮟颪ことができますように。

今回の散財者 用務員

この記事に

 過ごしやすい季節になりましたね。しかも、ここ2週間ほどは週末が好天に恵まれています。昨日(10月27日)も予報がズレて、午後は心地良いお出掛け日和となりました。そんな週末、私は毎秋開催されている「鉄研三田会写真展」(慶応義塾大学鉄道研究会OB会の写真展)にお邪魔してきました。

第26回という「継続は力なり」


 数えて第26回(!)(当日夕方に開催された懇親会でも、乾杯の音頭をとられたゲストのかたが仰ってましたが「継続は力なり」ですよね〜)となる今回は、例年と異なる場所での開催でした。

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▲開催場所は、例年とは異なる、いま話題の(?)「池袋、電車ビル」の14階ギャラリー!(「!」を付していますが、記事でもご紹介したとおり9月15日に続く往訪です。)

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▲それぞれの写真は会場で味わってください。運が良ければ作者のかたから直接、撮影にまつわるエピソードや思いなどを聞かせていただけるかも、です。LSEの展望席で缶ビールを煽るオッサン、狙っても撮れない見事な「3列車並走」、昭和30年代の某民鉄車庫の記録に写り込んだ謎の「半旗」(撮影年月日から推定すると、あっ・・・ですが)、何故か濁流の大井川沿いを走る新車の113系冷房車などなど、まさに「古今東西」そして「硬軟」を織り交ぜた記録に圧倒されます。

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▲開催は10月30日(火)まで。

(追記)レコードで明らかなとおりこの記事を起こしたのは写真展開催中の10月28日だったのですが、公開に向けて加筆修正をしているのは11月3日。というわけでスミマセン、既に写真展は閉幕を迎えた後、ですね…。

本題 〜 これも「継続は力なり」?


 さて、今回の本題です。これも「本題」というには少々大袈裟な「偶然、出来てしまった記録」なのですが、思いがけず「定点観測」、無理やり申せば「継続は力なり」の一つの例ともいえるかもしれないネタがありましたので、備忘を兼ねてご紹介します。

 そのネタは…京阪そして大阪市交(→今年4月以降は通称「大阪メトロ」)に絡むものです…と書いて「あ、アレかぁ〜」と思い浮かべられるアイテムは、ございますか?

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▲「Osaka Metro」発足後にも残っている「ヒゲ文字」系(ですよね?)の表示板(萌)!「地下街」という表現も、なんか狆赦足瓩辰櫃ぁ

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▲俗にいう「コマル」(コ+〇)マーク(「マルコ」という俗称もあるようです)も健在でした!

(上掲2枚はいずれも、Osaka Metroこと大阪市高速電気軌道(株)発足後の2018年8月撮影。)

 これに似たような事業体の変遷は「帝都高速度交通営団 → 東京メトロ」という動きのあった2004年と酷似していますが、サイン類の表示切替に関しては「東京メトロの一気」と「Osaka Metroの順次」が、ちょっとした好対照になっているような気もします。

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▲ま、営団→東京メトロについても、駅や車両の表示は一気に切り替えられたという印象がありますが、まだ「営団」のままの施設(?)も残っているところはあります。撮影角度が90度ズレているのはご容赦ください。
(2018年11月撮影@大手町駅付近)

 あれ?スミマセン、まだ「本題」に辿り着いていませんでした。今度こそ「本題にまいりましょう」。

駅案内サイネージの変化


 私の現時点での主な活動拠点は、公私(公=猗鹽喚瓩碧楸函∋筺瓩曚椒謄蝶萋阿里漾)ともに首都圏ですが、主に犁阪鉄分瓩鯑世襪戮チョクチョクと帰阪もしています。また、その際には時おり梅田界隈で、そして稀にキタ新地で飲む(呑まれる?)機会があります。で、そんな折には欠かさず単体のカメラ(スマホでは思わずレンズに指が入ってしまったり、PCやHDDへの画像転送がうまく出来なかったりというアナログオヤジなので、ほとんど使い/使えません…)を持ち込み、主に「一杯気分」になった帰路に、なんやかやと写真を撮っています。

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▲「京阪特急」のネオンサインはともかくとして「京阪電車」Ver.はまだ見掛ける機会がありますよね。

 そんな「酔っ払いショット」の中で、ちょっとだけ興味深い「定点観測」が出来ていましたので備忘を兼ねてご紹介します。梅田・キタ新地から御堂筋を下って淀屋橋を渡ったところ(昭和時代から超然と川に浮かんで(?)いる「季節料理 かき広」の脇)にある地下鉄・京阪のサイネージについてです。

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▲まずは昭和時代から長く続いた(と思われる)バージョン。京阪が2008年の中之島線開業を機に「(旗)KEIHAN」のシンボルマークを制定してからもしばらくは、そこここで大阪市章にも使われている「みおつくし」(澪標=水路に立てられる標識のことだそうです)を豪勢に(?)6つ組み合わせた社章(社紋)が見られました。そういえば、樟葉駅改札を入ったところの天井にあった巨大な電照式社章は、いつ頃まであったのでしょうか?
(2013年8月撮影)

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▲上記「みおつくしx6」「コマル」の組み合わせはまず、京阪側から崩れ(?)ました。電車そして社員さんの名刺からも「みおつくしx6」が消えたのですから、当然ですよね。(ひょっとして今も、役員さんの名刺は「筆文字・縦書き、社章入り」だったりして ← もらったこと、ないから知らんけど。)
(2017年3月撮影)

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▲そして、今春以降。「たぶん、変更されてるはず」と思って「え〜、地下鉄とは言わんから、せめて(大阪→京橋間で)環状線に乗ろうや」とゴネる息子を説き伏せて、梅田から淀屋橋まで歩いて確認しました。さすがにここは目立つので「コマル」から「m」に交換されていました。
(2018年8月撮影)




 と、いうわけで「ふ〜ん、それで?」と言われそうな気もしますが、ちょっと興味深い「定点観測」が出来てしまっていました。「記録(データ)にあるけど、その数が多過ぎて記憶にない」状態になりがちなデジカメ時代。まぁ自分の「備忘メモ」を兼ねた記事ってことで、ご笑覧ください。

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▲そういえば、大阪市交の時代には「コマル」マークと並存していた「みおつくし+(漢字の)電」局章(?)は、どうなったのでしょうか?

今回の担当者(キタ新地で、ごく偶に飲むオッサン) 駐在員
 

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10年前の10月24日

 こんばんは、先週のファミリーレールフェスタで、世間一般でいうところの「寝屋川の華」である「電車を持ち上げる力持ち」の実演に供されていた1502号車を含む1502編成(15021552)の出場試運転がおこなわれました。
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 この編成と入れ替わるように3000系の運用であるD0600Z〜M0810Hの行路で、週明けより8連代走が続いています。どうやら3006編成が離脱したようで、現車は車庫の奥で「中之島10周年」副標も外された姿となり、何やら作業がおこなわれていました。
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 さて、今日は10月24日、ということで今から10年前、19日の中之島線開業から落ち着きを取り戻した(?)2008年の10月24日のことを記事にしてみます。

2008年10月24日の記録(8連がぁ…)


 その二日前となる2008年10月22日午後9時10分頃、森小路駅において中之島発出町柳行の快急D2004Z列車に男性がはねられる人身事故が発生しました。当該の3005編成(だったと思う)は、運用開始4日目で事故に遭遇し損傷してしまいました。

 その為、当時9000系運用5本・一般8連運用12本・3000系6本の合計23運用を、9000系5本・6000系&7200系の14本(当時6001・6002編成は7連となっていました)・3000系6本の合計25本で運用を廻している態勢下、9005編成が既にロングシート化のため離脱している「予備−1」状態において3005編成もが離脱したということで、仕立て編成数が不足する事態(23運用で稼働可能本数23本=検修予備無し)となりました。

 10月24日(金)は所定3000系スジである「淀出庫のC0603B〜R2208N寝区入庫」のスジに、前日に淀区へ入庫していた9001編成が代走しました。当時9000系は平日ダイヤでD0701B列車という下りの快急運用は持っていましたが、上りの快急運用での定期スジは無かっただけに新鮮でした
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 9001代走のD1002Zを待つまでにやってきた列車達 B1000Z…8001編成
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 D1000Z…3004編成 副標はもちろん「中之島線 開業」
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22112261 !


 そのD1000Zを香里園で待避した8連運用のP0910Rがやってきました。で、その編成はなんと【8】マークが付けた2211編成っ!
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 この編成数の不足を補うために、2211編成に休車の2351号車を急遽復帰させ2200系の8連を組成して充当をされたものでした。上の写真でも5両目の車輌のみ塗装の色調が違っていますので一目瞭然ですよね。
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 この運用は下記のように寝屋川出庫で、4運用ある寝屋川出庫の8連運用の内、唯一の朝ラッシュに特急運用のないスジでした。

 寝区6:34 P0607B−R0702K−Y0702H−L0801A−Y0810N−P0905B−
      P0910R−P1101B−P1200N−P1211B−P1304R−P1407B−
      P1506N−P1605B−P1610N−R1711A−B1802S−Y1907Y−
      Y1911A−B2004R−Y2107N 寝区21:50

 スジを追いかけていくと気づかれるようにこの運用でも朝ラッシュこそ特急運用が無かったものの夕方に三条特急と樟葉特急の運用が設定されており、久しぶりの2200系特急もという期待に胸をふくらまされました。
 折り返しP1101Bで下ってきました。2200系8連の区間急行中之島表示というのも今のところこの日だけだったでしょうか?
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 折り返しのP1200Nを大和田で待ち伏せ。
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 所定9000系運用で本来でしたら9001編成が充当されるはずだったP1209B列車には6008編成が充当され、萱島発車時にK1103A列車の2225編成と並び当時としては貴重な姿でした新塗装車同士の並びが見られました。
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 私はここでお仕事へ向かいましたので、その後は記録を残せませんでしたが、残念ながら2211の暫定8連は夕方の特急運用前に6000系に差し替えられてしまったため「2200系特急」は実現しなかったそうです。
 
 でも、なぜ数日前まで本線で走行していながら、今回半端車として車庫にいた6551や6552号車を復帰させての8連の所定数確保をしなかったのでしょう? あくまでマニアの妄想ですが、数日だけで解消となる見込みの組成に連結手段が複雑になる6000系を用いずに、2200系を分割させて真ん中に2351号車を組み込む方が手順が容易だったのでしょうね。数年にわって半端車で中々本線上に姿を現さなかった2351号車の営業線での姿を見ることが出来、側面幕も分割化されいることが現認出来ました。
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 その後も2351号車は編成として組成される(車庫内でスタンバイ状態とされる)ことはありましたが、少なくとも私は本線を走行する姿を見ること無く、2009年11月30日に除籍されました。
 
 最後に、今回の記事作成にあたって当日の運用メモを発見しましたので出しておきます。
平成20年10月24日

B1000Z…8001・B1104Z…8002・B1007A…8003・B1004Z…8004・B0909A…8005
B1006Z…8007・B1110Z…8010・D1200Z…3002・D1001B…3003・D1000Z…3004
D1002Z…9001(所定3000系)・P1110R…9003・P1108N…6008*(所定9000系)
B1202H…6004・B1108H…6010・P1202N…6011・P1010R…6013・B1001A…7201*
P0910R…2211(所定8連車)
P1205B…5552・R1104N…1502・P1004R…1503・Q1000Z…1504・P1104R…1505*
R1201A…1506・Y1002Y…2207・K1000Z…2210・K1109A…2216・Q1100Z…2217
Q1003A…2221*・K1104Z…2222・K0903A…2223・K1102Z…2224・K0906Z…2225*
K1002Z…2226*・Q1101A…2452・R1106N…2454・K1106Z…2455・Q0902Z…2456
P1203B…2605・K1202Z…2631・K1005A…2632*・K1007A…2633*
Q1102Z…6002・K1004Z…7001・R1200N…7004・K1100Z…7203


 ある日の記録ということで記事化するチャンスを逸していたものですが、中之島10周年ということで思い出として引っ張り出してみました。

今回の担当者 用務員

この記事に

 こんばんは。(「なんべん枕詞にすんねん」とツッコミをいただくことは承知で) 爐海瞭のためにと耐え、清々しく多大なる無駄遣いを敢行した疇曜日 から一週間が経過しました。今日は自宅で6月18日の「大阪北部地震」以来、放置状態であった屋根裏物置(8月6日記事(文字をクリック)参照)の片付けを兼ねて隠匿物を整理し、満足感に浸っておりました。
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 京阪電車が我々を休ませてくれることは無く、今週末は狠翡慧臉開業&3000系登場 10周年瓩陵諭垢淵ぅ戰鵐箸実施され、賑わっておりました。
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 イベントの一環として金曜日19日より21日の日曜日までクイズラリーが実施されました。以下の4駅に問題が掲示されました。

神宮丸太町駅
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なにわ橋駅
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大江橋駅
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渡辺橋駅
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 問題を解くとゴールは中之島駅(今回はあえて解答は書きません)
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 19日金曜日はゴールの向かいで牾業日ヘッドマークの展示瓩開催されていました。
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 ゴール横では犁念グッズの販売会瓩おこなわれ、勢いで小散財。
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 今回新発売の3000系手ぬぐいですが、3枚並べて部屋の暖簾にするのも面白いなと思いましたが、まず今回は一枚で・・手元不如意なもので。
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 明日は、秋の京都競馬のメインレースである第79回菊花賞(G)が開催されます。
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 駅もですが3003編成はADトレインに・・
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 当編成は2014年にも秋華賞&菊花賞のラッピングトレインになっていましたね。
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 20代の時から、春の天皇賞と秋の菊花賞の時には、夕方の臨時列車が気になって馬券の買い方も知らないくせに淀駅を訪れていた日々が思い起こされます。
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 明日稼働される方は、中之島線ラリーやラスト一週間となったトーマス2017と共に明日こそは運転されるであろう臨時特急・臨時急行もしっかり押さえてくださいネ。
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今回の担当者 用務員

この記事に

 寝屋川でエネルギーを使い果たした後のハードな1週間も、ようやく週末にたどり着きました。帰宅して、ふとカレンダーを眺めるときょうの日付は10月19日。ということで今日、中之島線は華々しく開業してからちょうど10年という節目を迎えました。

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▲これまでの10年、淀屋橋・中之島というダブルターミナルの役割分担のウェイト、中之島線の列車ダイヤ、そして新3000系の役割・形態の変容など、いずれも開業時には想像出来なかった変遷・顛末(?)がありました。これからの10年、中之島線はどう変貌・成長していくのでしょうか。



 さて、本題にまいりましょう。まずは質問です。皆さんの鉄道に絡む最初の思い出は、いつ頃の・どんなシーンでしょうか。そして、多くのかたの思い出に絡んでいるであろう車両は、どこの事業者の・どの形式でしょうか。また「最初の」ということで、そのシーンには保護者のかたなどの登場人物もいらっしゃるのではないでしょうか。

 私、ですか? 何度となくご紹介してきたとおり「My First Memory on Train」は、もう半世紀以上前、まだ満足に歩けない頃に「中間通過駅近くの踏切で、祖父と眺めた京阪1900系特急電車」です。今回は、その頃のことを改めてしみじみと振り返る機会となった寝屋川での「ファミリーレールフェスタ」当日の出来事に絡めての随想です。よろしくお付き合いください。

祖父母4人との「思い出電車」


 いまは他界してしまいましたが祖父母4人には、それぞれの個性を感じられるパターンで大いに可愛がってもらいました。私が「でんしゃ好き」になりつつあることを知って、幼時の私、彼ら/彼女ら自身、そして電車が揃って登場する思い出も、しっかりと遺していってくれました。

【Episode 1】
 まず、父方の祖父。彼はまさに「マイ・ファースト」となる機会を与えてくれました。申すまでもなくそれは、1900系特急を地元の踏切から眺める上述のシーン。当時、祖父はこう語り掛けてくれたものです。

「おぃ、特急の『テレビカー』を見つけて、あったら教えてや!」

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▲当時の彼の年齢に近づきつつある今なお、私は飽きもせず(ひょっとすると当時よりも熱心に?)、私はその踏切に立って「けいはんとっきゅう」を眺めています。

【Episode 2】
 母方の祖父との思い出にも、特急が登場します。あるお正月の彼の提案は「特急で、大阪と京都の間をグルッと一回りしよか!」という、ナカナカ魅力的なものでした。そう、阪急京都線特急と、京阪特急を乗り比べよう、というわけです。まずは阪急梅田駅に向かい、2800系特急を迎えました…が、入線前から並んでいたのに、憧れのクロスシートには座れずガッカリ(で、京阪3000系3次車よりも早くから設置されていた側扉脇の『補助いす』を何とか確保したという、おぼろげな記憶があります。窓外の風景を眺めようと思っても、妙に窓との距離が遠くて難儀したことを覚えていますので)。ただ、車庫(正雀ですね)を通り過ぎた辺りからの高速運転の力強さは、とても印象的でした。四条河原町からどのように移動したのかは覚えていませんが、次は三条から京阪特急です。こちらはゆったりとクロスシートに腰掛けて、淀屋橋までの45分間を満喫しました。この時の彼の呟きが、忘れられません。

「やっぱり特急は、京阪がエエな。」

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▲考えてみれば出掛けたのはお正月の午前中。京都ゆきが混雑していて、大阪ゆきは空いているのは当たり前。阪急と京阪の優劣を上記の体験だけで判断するのはいかがなものか…なのですが、当時の私は「ホンマやなぁ〜」と納得するばかり、でした。もしあの日、乗った順が逆だったら、阪急ファンになっていたかも? ← それは、無い。(画像はイメージです。)

【Episode 3】
 次に、父方の祖母。彼女との電車絡みの最初の思い出は少し後、小学校に上がって以降のことです。それは、8年近く前に5000系が「40周年」を迎えた時に書いた、この随想記事(文字をクリック) でご紹介した、デビュー間もない頃の同系車内での出来事です。そう、新機軸満載の「5ドアー車」に乗れて興奮状態で騒いでいた同い年の従兄弟と私は、その車内で祖母にピシッとこう叱られたのです。

「ちょっと、静かにしなさいンか、アンタら!」

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【Episode 4】
 そして、母方の祖母との思い出は、私が幼時に短期間だけ住んでいた東武伊勢崎線が舞台となりました。遠路はるばる大阪から訪ねてきてくれた祖母に、都心のデパートだったかに連れて行ってもらう機会があったのですが、電車の案内役だけは幼稚園に入園して間もない頃の私(ボク)でした。

祖母:「どのホームから乗ったらエエのん?駅員さんに尋ねてみるわ」
駅員:「あ、階段(跨線橋)を渡ったホーム(2番・3番線)から出ます」
ボク:「ち、違うよ違う。1番線だよ。ここ(駅本屋と同一面の1番線)だよ。」

 そして、ピカピカの中目黒ゆきステンレスカーがやって来たのは1番線!

祖母:「わ、ボク、すごいナー。駅員さんよりよく知ってるんやネ。」
ボク:「ほらね。いっつも、見てるし。」(←有頂天・・・)

(  )内は筆者による補足説明。

 祖母の駅員さんへの尋ねかたが正しかったのかどうか(あるいは、ベタベタの大阪オバ(ア)ちゃん弁が誤解を招いたのか)は知る由もありません(それがゆえに誤った案内をされた可能性もあります)が、鉄道に対して好奇心を持つことの楽しさを、大いに実感した出来事でした。

「わ、ボク、すごいナー。駅員さんよりよく知ってるんやネ。」

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▲この駅の「中線」(上り・下り共用の待避線)に列車が入ると必ず、何かワクワクすることがありました。それは、そこに停まる貨物列車そのものであったり、そこで待避する各停を追い抜いて行く優等列車のバラエティ(1720系DRC、1700系、6000系、そして見るからに旧い53系・57系急行など)だったりしました。
(写真はその十数年後「センチメンタル・ジャーニー」で再訪した際の撮影。その時もやはり、2番線は楽しかったです!「ヨ」1両だけをブラ下げた重連電機の編成を抜き去らんとする6000系快速列車♪)

My Train-related LAST Memory with Grand-Pa


 そんな祖父母たちとの思い出の中でも特に強く記憶に残っているのが、冒頭で触れた父方の祖父との、電車に絡む最後のシーンです。今なら治っていたかもしれない類の病に倒れた彼は、発症から半年あまりで逝ってしまいました。彼が最期を迎えることになる2ヵ月ほど前、小学校低学年だった私は彼の通院治療の付き添い役を命じられました。点滴を受けている祖父の青白い顔に、にわかに赤味が増しているのが見てとれました。

「おい、爺ちゃんもちょっと元気になって来たから、大阪(市内)のデパートに寄ってから帰ろか。でもな、でんしゃ模型は『見るだ〜け』やデ」「うん、そうしよそうしよ、それがエエ!」

 祖父と、思い掛けないご褒美にウキウキの私は、病院のあった枚方公園駅から淀屋橋ゆき急行に乗り込みました。当時の私が、彼の病状の深刻さを理解している / 親から教えられているわけがありませんので、点滴=快復への着実な一歩と信じていました。しかし、彼の体力は既にかなり低下していたようで、

「スマン、やっぱ爺ちゃん(は)、しんどいからアカンわ。デパートは『まぁた、こんどぉ〜(次回)』にしよ」

 ってことで、次の停車駅だった香里園で下車。辛そうな爺ちゃんの表情と、お出掛け中止のガッカリ感にすっかり打ちひしがれた私の前にやって来た三条ゆき急行は・・・ピカピカの新車、5002編成でした。しんどい中「まぁた、こんどぉ〜」にリズムを付けて喋ってくれたのが、彼の精一杯の優しさだったのでしょう、きっと。

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(これは、後年撮影のイメージ画像です)

 そのシーンのあと、なぜか唯一記憶に残っている「(脳内)画像」は・・・涙でかすんでいたかもしれません、彼と乗り込んだ車両の車内車番プレート「5152」だけなのです。そしてこれこそが、彼と電車が揃って出て来る最後の思い出となってしまったのでした。

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▲「亡き祖父と最後に乗った5000系5152号車は今なお現役。乗るたびにちょっとしんみり。」(2009年刊「鉄道ピクトリアル」誌No.822、京阪特集号 P.90〜91より)

「縁」あって… (2018寝屋川レポート 駐在員Ver.)


 上記「5152」にまつわる特別な思い出話は、これまで何度となく趣友に話したりしてきました。そんななか皆さんご存知の通り、同車が組み込まれていた5552-5602編成(もと・5002-5652編成)が今年9月12日に廃車となりました。デビューが1971年10月ですから、約47年の長きにわたる活躍に終止符が打たれたことになりますね、お疲れさま。

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 そんな中で迎えた今年の「ファミリーレールフェスタ」@寝屋川車両基地。私自身の「ひょっとすると」の気持ちが膨らんだのはもちろんですが、周囲も「5552編成の解体部品が、きっと出るデ。駐在員氏、今回は帰阪&参戦が必須やね」と盛大に煽ってくれました。

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 かくして、2年連続で参加することになった寝屋川フェスタ。イマイチの順位ながら「鉄道部品 優先販売」には当選しましたので、会場にはゆっくり目に到着。すると、既に早朝から会場で「勝手オフ会」を開催していた知人たちが、私に向かって口々にこう言うのです。

「あ、(やっと、駐在員が会場に)来た来た。ねぇねぇ、出てるよ出てる、出てますヨ!しかも2枚とも!」「狙われてますねぇ〜」「なんか、他の番号よりも優先して出されたような感じです。」「2枚とも、アンタが行かな(入手せな)アカンやろ!」

 これでもか、とばかりの煽られようです。私は努めて淡々と(冷静さを装って、ともいう)「いやぁ、まぁちゃんと取り外されて、どなたかが大切にしてくださるのなら、それで十分です。ま、写真だけは撮っときますね。」ということで、まずはオークションに出ている「ランプ付き」(京都方?)を眺めて触って、目そして触覚の保養です。「写真に撮れただけで満足せなアカンし」とか何とか、自分に言い聞かせるかのように呟きながらの撮影でした。

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▲オークション会場にて。上掲の商業誌で使った写真のパーツは、こっちですね。

 上記オークション品の入札締め切りは14:30とアナウンスされていましたので、まず動きが出そうなのは即売品の目玉の一つ(?)として並べられていた「ランプ無し」(大阪方?)です。

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▲販売(即売)コーナー前の「ティザー広告」(?)にも「5152」が!

 それ以降に起こったあれやこれや、ほんとうに有難いことの数々は、ここでは敢えて細かくは記しません(書き留めずとも、間違いなく一生忘れませんから)。あの瞬間の私の思い切り、どなたか一人の厚情、どれか一つの働き掛けが欠けただけでも、この縁は無かったと思います。

 かくして、特別な思い出のある「5152」の車内車番のうち1枚が、私の手元にやって来てくれたのです。これまで何度となく訪れたファミリーレールフェスタの中にあって、今回は特に忘れられない「回」になりそうです。

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「あ、爺ちゃん、ゴメン。仏壇の前に行って『5152』を見せるのを忘れてたワ。次に帰阪した時に、ゆっくりと話を聞きながら、見てや!」

「おぃボク、まだ今も『電車やぁ〜、京阪だぁ〜』とか云うとるンか。お前さん、いくつになった?爺ちゃんは今年、もう110歳を超えたンやぞ。」 (と、いう笑い声が、天国から聞こえてきそうです…。)

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今回の担当者 駐在員 (special thanks to 企画係氏)

この記事に

「質問に答える」

 こんばんは、寝屋川も終わりましたので浮ついた気持ちを落ち着かせ、通常業務に集中し直さねばならない時期なのでしょうが、まだ、あきまへんワ。

 ところで、今回記事のタイトルに懐かしさを感じてくださったかたは、どの程度いらっしゃったでしょうか。いつ頃までだったか記憶していないのですが、これは昭和時代の「鉄道ピクトリアル」誌の大半の号にあったコーナー名で、読者の勝手気ままな質問や興味本位の憶測に、鉄道事業者側から回答が寄せられる、という興味深い構成でした。

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▲約40年前に発行されたこの号での回答者は「国鉄公安本部」。


倶楽部2600版「質問に答える」


 さて先日、いつも熱心にご覧いただいてるであろう読者の方より下のようなご質問をいただきました。では、鉄道事業者側から、ではなくブログ開設者側からお答えしましょう。そう、倶楽部2600版「質問に答える」です。

【コメント(質問)】

いつも拝見させていただいているものです。
何故かいつも更新がおかしいです。
何週間も更新されなかったりします。
先日、Twitterに張られていたURLから入ると、なんとか更新されましたが、今はこの記事が最新です。また、「寝屋川で逸品を入手する」も「その3」が飛んでいます。 
どうすればいいでしょうか?
(ちなみに、上記コメントをいただいた時点での「最新記事」は、10月10日付の「準急の日(?)にD0901Aを懐かしむ」でした。)

 8月15日の「開設記念日」にもお礼を兼ねて記しましたが、おかげさまで当ブログも開設から10年目に入りました。その間、断続的に新たに読者となってくださるかたもいらっしゃるようで、感謝に堪えません。その一方で、上記のようなご質問を目にすると、あらためて私どものブログに対するスタンスと申しますか、ブログの位置づけを整理・明示しておく必要性を認識させられます(←ちと文章が硬いですね、スミマセン)。何度となく使っているフレーズの再掲となりますが、私どものスタンスは下記のとおりです。

【倶楽部2600 行動指針】

基本的には京阪2600系に関する話題をメインに取り上げますが、それ以外の話題や画像をアップすることもあると思います。更新頻度は不定期で、気が向いた時に更新したいと思いますので、皆さんも気が向いた時に遊びに来ていただければと思います。

(2009年8月15日記、同年8月18日公開のブログ記事第一号より抜粋)
(近いところでは本年8月15日付「9周年&10年目!」記事にも収載)

 当ブログは、私どもの京阪電車を中心とする鉄道趣味に関する情報を同趣の皆さんに発信する場であると同時に、メンバー個々人の日々の趣味活動の記録の場(時には備忘メモであったり、結果としてですが商業誌に寄稿する際の下書きなど)でもあります。

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▲イメージ画像、その1。

1,418 / 1,641

(1,641分の、1,418。)

 従い、後者のようなスタンスでの記事となってきますと、ひたすら内輪向け(考証が不十分)であったり、あまりにアホらしくて世間に公開するに耐えないことが明らかな「楽屋落ち」のネタであったりしますので、記事を書き上げても非公開のままとしています。で、本項の謎の数字「1,418 / 1,641」ですが、これはこの記事を書いている時点での累計記事数「公開中の記事数 / 非公開を含む全記事数」です。

 全記事数の約15%(ひえ〜)にあたる223本が現時点で「非公開」になっています。ま、チラっと上述した非公開の理由も、細かく考えますとさまざまでして・・・

【記事非公開/タイミングズレの事情(抄録)】

 1)単に「描き掛け」の記事
 2)事実関係の考証が不十分で、公開レベルにないと判断したレポート
 3)オフ会(飲み会)など、参加者のプライバシー丸出しのネタ
 4)正式ルートで得たものの、公開するのはどうかな?と迷う情報
 5)オヤジ丸出しの「楽屋落ち」系駄文
 6)あまりに情緒的な随想・・・    等々。

 いささか抽象的な説明で申し訳ないのですが「223本 非公開」の事情は、ざっと上記のような感じです。そして、これがご質問の「不規則な公開タイミングがあったり、連番になっていない連載モノがあったりするのは、何故?」に対する回答でもあります。

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▲イメージ画像 その2。

過去記事への補筆も、しています


 また、お気づきの向きも多いかと思いますが、一部の記事については公開処理をした後にも、加筆(情報の追加、文体の調整など)や、写真の追加や差し替えにより、記事/活動記録をより良いものにする、というアクションも起こしています。
 ですから、最初ご覧になっていた記事が数日後に再度読み返してみると内容が修正されている、というような新たな発見が出来る(?)のも私達のウリであります(自慢になってない)。

 つい先日も、写真の不足などの理由で非公開のままで放置してしまっていた記事を、実に執筆から1年あまりを経て、ようやっと 公開(文字をクリック) しました。他にも「あの件は?」という感じで気になることがありましたら、このページ(PC画面only?)の画面左下の爛屮蹈案盖事検索甬’修鮖箸辰突靴鵑任澆討ださい。思いがけない記事が飛び出してくることがあるかも、です(私自身も、よく利用して楽しんでいます)。

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▲イメージ画像 その3。




 すみません、今回は最後まで文章のリズムに軽快さが伴ってきませんでした。まぁ、記事の更新(公開)が不定期・不規則であったり、短期を含む連載モノが連番になっていなかったり、あるいはいったん公開した記事を加筆・再考証などの目的で非公開に変更したりというパターンは、今後も現出することになると思います。まぁそこは当ブログが、上述のようなする緩〜いスタンスで開設されているという背景をご賢察願えればと思う次第です。

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▲イメージ画像 その4。

 以上、倶楽部2600版「質問に答える」でした。
(あ、当ブログは昭和時代のピク誌とは異なり「質問に答える」コーナーを定期化する予定はありませんので、悪しからず・・・。)

今回の回答者 一同(文責 用務員・駐在員)

この記事に

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