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京阪2600系の謎

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7x4 + 2x4 = 6x6 ?

 こんばんは、3月も折り返しとなりました。謎の「数式タイトル」ということで(?)、久々の『京阪2600系の謎』書庫での記事です。
 テーマは、前回の「2600系の謎」カテゴリー記事で書いたこの記事 「登場順の謎」(文字をクリック)の終盤で記した「余禄」の補遺とでもいうべき位置づけです。

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今回のネタは、2600系30番台。


 1981(昭和56)年の春と冬に7連2本ずつ、合計28両が新造されたいわゆる2600系30番台ですが、名目としては2631・2632編成が1800系廃車(新1800系への電装品供出)に伴う代替新造、2633・2634編成については昭和56年12月のダイヤ改正に向けた増備車として登場しました。
 0番台のように2000系の車体や台車の流用ではなく、0番台とほぼ同じ設計で車両メーカー(川崎重工)に発注して新造されたグループです。従って、0番台と異なり車内の製造銘板や車外の楕円銘板もこのようになっています。
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 編成中間に運転台を持たない7連が基本組成の純新造車ということで、0番台のようなバラエティとは縁遠かった30番台車ですが、それでも2600系は2600系。趣味的に興味を惹かれるネタ(謎)はあるもので・・・

「30番台の編成先頭部に、幌は必要だったのか?」


 ということで、今回のネタは「30番台の先頭車前面の幌」です。まずは原型当時の写真をご覧ください。幌が、0番台とは異なるステンレス無塗装の幌枠(3000系特急車の幌枠をアルミ製の新品に交換することにより捻出&幌吊台座部を溶接?)が、存在感たっぷりに前頭部で光っていました。

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(1984年撮影)

 当時、0番台と30番台の混結編成は1983年末の昇圧までは基本編成としては存在せず、0番台は0番台103両だけ(と、2210編成4両)で、30番台は30番台だけの7連x4本=28両が、別々に活躍をしていました。



【1980年代半ばの2600系編成(概略)】

<0番台:6連6本+4連16本+3連(7連)1本=103両>

・3+3の6連x2本(第01〜04ユニット、6連で4パン)
・4+2の6連x4本(第05〜10ユニットのうち4本+25〜28ユニット、6連で4パン)
・4連2本(第05〜10ユニットのうち25〜28ユニットと組まない2本、4連で2パン)
・4連14本(第11〜24ユニット、4連で4パン)
・3連1本(第29ユニット。京都方に2210編成4連を繋いだ7連、7連で4パン)

<30番台:7連4本=28両>
・2631〜2634編成4本(7連4パン、先頭車は8両のみ)




 素人目には0番台・30番台それぞれが別グループとして、計画通りに安定感のある(変化の余地の少なそうな)編成を組んでいたのです。そうなると、無責任に雑音を出すのがお気楽な沿線趣味人です。いわく・・・

「30番台の幌って、要らんやろ〜。きっと使うことないやろし!」

 そして、ほどなく(1986年)に2631〜34、2831〜34の30番台先頭車8両全てから幌枠・幌、そして車体側の幌座が全て撤去された際には 「ほら、ナ!」 と勝手にドヤ顔をしていた・・・のですかね。

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▲一部の車両ではまず幌枠・幌のみが撤去され、数ヶ月程度の短期間だけは車体側の幌座だけが存置されていました(この時点では渡り板も残っています)。もちろんこの時期、30番台がオリジナルの7連x4本という組成を崩すことはありませんでしたから、編成先頭の幌が必要になる可能性は全く感じられませんでした。(1986年撮影)

 というわけで、この時点での勝手な結論 「やっぱ、幌の必要は無かったナ」

0番台と30番台の混結、現る!


 まぁ素人の予想なんか勝手なもの&いつも当たるわけではなく、時代が平成に代わった頃には、まさかの(?)混結が開始され、時には「30番台オリジナル7連」のほうが少数派になるという時期があったのですから、やはり2600系というのは侮れません。



【1998年9月 30番台車編成の概略】(○囲み数字は0番台車)

・2631編成:混結6連(4+◆法∈結5連(◆3)を組成
・2632編成:オリジナル7連
・2633編成:混結6連(4+◆法∈結5連(◆3)を組成
・2634編成:オリジナル7連



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▲かくして30番台車に、まさかの宇治線・交野線運用が現れました。後には「おりひめ」「ひこぼし」にも充当されるようになりました。幌座も撤去され、虚しく(?)幌吊り取付金具だけが残っています。写真は、中書島3・4番線での30番台先頭の5連2本並び(!)。(2003年撮影)

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▲平成時代の中盤は、2600系131両の編成自由度が最大に活かされた時期でした。断続的に、種々雑多な編成で現れた「暫定8連」にはもちろん、30番台車も組み込まれていました。(1997年撮影)

 そんな混結全盛期を迎えてもなお、勝手な結論は 「やっぱり、幌は要らんかったわナ」 でした。

仮説・30番台車に幌が装備されていた理由


 40年〜50年(それ以上?)に及びそうな2600系30番台の生涯において、どうやら一度も使われそうにない先頭車の幌、すなわち現れず仕舞いに終わりそうな先頭車の中間封じ込めの組成。

 では、ほんとうに全く可能性・計画が無かったのに、8両もの純新造車にわざわざ大モノの、しかも排水性が悪くて錆の原因にもなりそうなパーツを取り付けるでしょうか? そこで一つ、仮説を立ててみました。

30番台車同士の「前と前」(先頭車同士の連結)の可能性もあったのでは?

 冒頭に書いた前回の「謎」シリーズ記事である 「謎の登場順」(文字をクリック) の余禄で言及したとおり、30番台車の編成中間には40番台・50番台車が1編成に4両ずつ含まれています。これをヒントの一つにした仮説なのですが・・・




1)実在した編成
 実在した編成においては、30番台先頭車が中間に入ることは無かった(幌は不要だった)のですが、偶然か必然か、2600系には「同タイプが4本存在する編成」が3種類あり、そのうち2タイプに注目しますと、ちょっと興味深い仮説が立てられるのです。

【同タイプ4本を擁していた2600系編成】
a) 第01〜04編成(3連2パン)
b) 第25〜28編成(2連2パン)
c) 第31〜34編成(7連4パン)

 以下、このうち b) c) に着目しての仮説です。

7x4+2x4 = 6x6 ?


 上記 b) c) の36両は当初、以下のように別々に組成されていました。両者には何ら繋がりが感じられない、第29編成を別にすれば2600系一族にあっても最も疎遠な関係にあったように思えたものです。

【実際の編成】(7連x4本+2連x4本)
2625-2825
2626-2826
2627-2827
2628-2828
(これら0番台2連は当初、2605〜2610の「2パン4連」との6連での運用が主体)

2631-2941-2741-2951-2751-2731-2831
2632-2942-2742-2952-2752-2732-2832
2633-2943-2743-2953-2753-2733-2833
2634-2944-2744-2954-2754-2734-2834
(30番台編成も、1990〜2000年代には0番台と混結の5連・6連・8連なども組成)

2)仮説・・・

 しかし、よくよく考えてみますと、編成両数によるニーズの多寡が、実際に起こった「5連の所要増、6連の所要減」(※1)ではなく「6連がもっと必要だ」という流れになっていた(※2)とすると、こんな仮説も立てられます。

【妄想編成】(2630・2830の幌を使った6連x6本)
2625-2941-2741-2951-2751-2825
2626-2942-2742-2952-2752-2826
2627-2943-2743-2953-2753-2827
2628-2944-2744-2954-2754-2828

2631-2731-2831+2632-2732-2832
2633-2733-2833+2634-2734-2834

余談ですが、こうなると2631編成・2633編成は、第01〜04編成(#)とも同タイプの6連となって、しかも末尾1桁は揃ったわけで、ますます「あったかも」?という気がしてきます。

(#)2601-2701-2801+2602-2702-2802、2603-2703-2803+2604-2704-2804

→ この場合の2600系フリート:4連x20本、6連x8本、7連(2210-2829)1本。
 (お〜っ!ナカナカすっきりしていて、あったかもと思われません?)

3)すると、この場合は!

 この場合、申すまでもなく、30番台先頭車同士の「前と前」が2ヵ所で発生= 幌、要るやないかぃ! ということになるのです。

(※1)1998年の基本編成表では5連が16本ありました。当時、基本5連は1900系9本のみでしたから、もともと5連を仕立てていなかった2600系で、5連を7本も準備する必要があったわけです。その後も交野線の5連運転開始(1996年)、1900系5連2本の廃車(2002年)、そして「おりひめ」「ひこぼし」の設定(2003)年と、2600系による5連組成のニーズは高止まりしましたが、「おりひめ」「ひこぼし」が廃止された2013年には京阪線の編成両数が4連・7連・8連に集約され、5連は姿を消しました。

(※2)6連の編成数は1990年代には既に5列車に減少しており、その後早い時期に消滅しました。

 上記の仮説、いかがでしょうか。今となっては、40年ほど前に30番台車の設計・発注に携わったかたにお話しを伺っても「0番台と同じ図面によって発注しているのだからホロの使用の有無にかかわらずつけて出てくるでしょう」とあっさり回答されてしまうような感じはすれど、検証の方法はありませんし、仮にお話を伺う機会に恵まれたとしても、仕事(本業)として数多くのことを検討・決定しておられたかたがこのような「重箱の隅」系のことを記憶しておられる可能性は低いと思います。




 近年は全編成がオリジナルの「7連x4本」に戻っている30番台車。まぁ0番台ともども車齢が車齢ですし、2600系の編成も0番台3本と合わせて「7連x7本」にほぼ固定されている観もありますので、この先はもう混結編成が現れることはないでしょう(いや、2600系のことゆえ、ひょっとすると?)。

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▲「宇治川の鵜飼」PR副標つき2633編成7連(現在は、貫通扉脇の手摺も撤去されています)。確かこの編成、京阪線で最後のシールドビーム編成だったのですが、2018年9月にLED化されました。(2018年撮影)

今回の担当者 駐在員(写真協力 用務員・企画係)

謎の登場順

 こんばんは、今日は4年ぶりに地元中学の同窓会がありました。当時の枚方市域の国道1号線+府道18号線(水道みち)からほぼ東側を校区域として私が3年の時には全学年合計で42クラス(!)もあったということで、ただでさえ当時、控えめな鉄少年だった私は久しぶりの再会でも「誰だっけ?」という人も多々いましたね・・・という昔話は横に置いといて、本来ここに書かれていた記事が晴れて別枠で公開となりましたので、跡地に穴埋めとして「アーカイブス」的に史実を書き留めてみることにしました。

 さて、今回記事のタイトルですが「パッと見」でそのテーマをご想像いただけましたでしょうか?
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 かつて総勢103両という一大勢力を誇ったものの今や3編成21両+(車籍こそ無いものの今も寝屋川車庫内を移動することもある)教材車2両の合計23両を残すのみと、風前の灯となった2600系0番台ですが、その登場から増備、全盛期そして退潮という盛衰をリアルタイムに見てきた者として、後々になって次世代の皆さんが車歴表などを追い掛けたりされる際に「この事象って何で起こったンやろ?」という感じで出てくるであろう疑問に対して、長年にわたり飽きもせず見聞きしたことを狎力鱈瓩箸靴峠颪残しておこうと思い立ちました。

4連車として最初に登場したのは、なぜ2612編成だったのか?


 2600系は他系列と同様に、当然のように各型式トップナンバーが揃った2601編成(2601-2701-2801)を皮切りに登場しました。その後も順当に02編成・03編成・04編成・・・(中略)・・・08編成と番号順に全て3連で現れ、整然と01+02、03+04・・・07+08という6連x4本に組成されて運用に入っていました。この間、少しだけ「!」と思わされたのは2605・2805(続いて2607・2807)に2000系一次車の車体が初めて流用されたこと、そして台車の振り替え程度だったと記憶しています。ところが2608編成のあとに突然、番号が「12」まで飛ぶ形で2612編成4連が、Tc車そして初登場のT車にもパンタグラフを載せて出て来たのです。思えばこれが当時、線路端で2600系増備車を目にするたびに「???」と感じ続ける、楽しい日々の始まりでした。
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 ま、この事象は後になって得た情報によれば、2600系の代替新造計画が、当初は「3連口11本・4連口17本・2連口1本」(合計103両)で、番号も3連口が2601〜2611・4連口が2612〜2628・2連口が2629とわかりやすく付番される予定となっており、単にこれを映したがゆえの8番から12番へのジャンプだったようです。ですから、増備過程の初期に、一見の唐突感を伴って、4連のトップバッターとして2612編成が登場してきたのは、この原計画に照らせば納得がいきます。
 ついでに申し添えますと、当時は後年に登場予定だった「2611編成3連」こそが、当時「通勤車4連唯一の冷房車」として京阪本線・宇治線で異彩を放っていた2210編成4連のパートナーとしての役割を割り当てられることになっていた編成でした。2210-2811瓩覆鵑ワクワクする組成ですね。

どうして2612編成の次の付番が2628編成まで飛んだのか?


 それに続いたのが3連は2609編成、4連が2613編成・・・だったならばそれで一件落着(?)だったのですが、なんと2612編成4連の次の付番(デビュー)は一気に2628編成4連(一気に28かぃ!)まで飛んだのにはブッ飛びました。引き続き「原計画」ですら知る由もなかった当時、ホンマこれには驚きましたねぇ。これも後になって知った「原計画」に照らせば、フレキシブルに使える2両ユニットを準備しておくという役割を4連ラストの2628編成(2+2)と2連口の2629編成に担わせるという目的があったようで、この編成が他の4連に先行して登場してきたのにも、まぁ納得がいくのですが。
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▲友人より提供を頂きました。これは2928・2728を抜き取られて2両ユニットとなった後の画像ですが、2628先頭の6連ですし、4両目には旧2000系一次車と思しきクルマが組み込まれています。さらには、屋根がピカピカの5・6両目も気になる・・・どんな編成だったのですかね。

更に、2616編成の次に出てきたのが2624編成だったのは、なんでや?


 そんな「28番ショック」(?)の後は、まぁ何となく順当に(=モロ能天気な外野発言・・・)2613編成〜2616編成が、2612編成と同仕様の「4連4パン」仕様でデビューしました(そんな中、もと2000系としてのデビュー時にはMc車であった2915号車が、見るからに中途半端な運転台簡易撤去仕様のまま、ポツンと中途半端に1両だけが2615編成に組み込まれて出て来たのは興味深かったです)。で、その次に出て来たのは・・・なんと2617編成4連ではなく、久々の3連である2609編成ですらもなく、これまた飛び地(?)の2624編成4連でした!(なんでやねンな!分っからヘンがな! ← 高校生時代の筆者の叫び。)
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 そんな、一見唐突な付番の背景にも勿論理由がありました。すなわち・・・2000系には、2059〜2068号車の運転台を撤去(前照灯ケース・乗務員室扉・車内仕切等をそのまま存置した「簡易撤去」)(この呼称の命名者はピク誌1973年増刊号の「車両めぐり」を担当された京大鉄研部員のかたということになりましょうか、後年には、この絶妙な表現である「運転台 簡易撤去」と「簡易運転台 撤去」という意味の全く異なる表現が混同されていた例も見掛けましたねぇ)した2133〜2142号車と、2200系2250型Tcより編入された2156〜2158号車(同じく簡易撤去仕様)の13両の運転台撤去車がありました。2600系への代替新造にあたっては、その内の京都方撤去車と大阪方撤去車はユニットの中間車としてセットで組み合わせて入れるように計画され、まずは5ユニット10両が簡易撤去車どうしが向かい合う形で4連の中間部に連結されるように種車が割り当てられ、それら(2900型T+2700型M)が中間部に入った5編成が第24〜第28編成とされることになったのです。このことは、上述の2628編成もこの組成で登場していたことからも裏付けられます。そこでこれまた一見唐突な、しかし実際には斯様にしっかりとした根拠(?)を伴った「飛び地」のトップナンバー(?)を与えられて登場したのがこの2624編成だったのです。

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 ただ、昭和55〜56年頃には昇圧後の組成を考慮して編成替の自由度を最大限に持たせておく為に、3両ユニットを最小限にするように計画が変更となり、また2625〜2627そして2628編成の両数を4連ではなく2連とすることが決定され、その結果として4連に与えられる編成番号も見直されたため、その仕様の編成が原計画の2624〜2628から2620〜2624までの5編成に変更されました(その時点では2620〜2623は未竣工)。
 その煽りを受けて2928・2728号車が23番編成竣工時に2923・2723号車へと改番され、2628編成が4連から2連となったのは、ご高承の通りです。ま、今でこそ「ご高承のとおり」とか何とか偉そうな(?)書き方をしていますが、実は当時は突然2628編成が2連になり「2928・2728はどこへ行った?」と家捜し(?)をし「2923・2723が怪しい」ということで同車の側面車外車番の部分を舐めるように観察し、手触りで貼り替えの痕跡を確かめようとしていたものです・・・って、誰のことや?

2600系0番台 原計画と修正計画の概略

【原計画】
3連x11本(2601編成〜2611編成)(6連×5本および2200系4連との混結用)
4連x17本(2612〜2628)(2624〜2628の中間車は元先頭車)
2連x 1本(2629)

【修正計画】
3連x4本(2601〜2604)(3連仕様、Tcパンタ無し)
4連x6本(2605〜2610)(3連仕様にT挿入、Tc/Tパンタ無し)
4連x9本(2611〜2619)(2連+2連仕様、全車パンタ装備)
4連x5本(2620〜2624)(2連+2連仕様、全車パンタ装備、中間車は元先頭車)
2連x4本(2625〜2628)(全車パンタ装備)(30番台車と同編成数)
3連x1本(2629=2200系4連との混結用)

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▲計画の見直しにより4連として登場した2611編成


3編成だけ、中間車の片側にだけ運転台撤去車が入ることになるけれど・・・


 2905・2911・2915の3両が当該ですが、2200系Tcから編入された「簡易撤去」の3両があったおかげで大阪方に元運転台がある車両が3両分半端がでてしまいました。ただ、当該3両についてはT車でしたが、いずれも元は2200系ではなく2000型Mc車でした。結局、2200系からの編入車は2922〜2924に結果まとめられていますが当初計画時の付番ではバラバラだったようです。

忘れた頃に「何このクルマ?」な2629編成、忽然と現る!


 2600系の当初計画時より、2200系の半端車?である2210編成の7連化(親子昇圧式ということで昇圧後は4連として営業できない)の役割を担う車両の存在が考慮されていました。それがこの編成であり
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3両口でありながら当初想定されていた3連口ラストの11番から基本ユニットの最終番号の29番という付け足し?的な符番をもらって登場してきました。ただ、当初計画においても種車は2000系としての製造年次の最終である2053−2129−2054であったようです。

(余禄)「謎」の締め括りは、純新造の30番台車。


 昭和55年3月の複々線の寝屋川信号所延伸に伴う車両の増備は、5556・5557編成だけでしたが、それら2編成でラッシュ対策としての5扉車の必要数は充足されたようで、5000系の増備は終了となりました。 しかしその後、7連の運用仕立て数の増加から、更に車両の新製が行われることとなりました。ただ当時、次期新車6000系は未だ設計段階ということで、最新設計の車系であった2600系が新造されることとなり、編成中間に運転台のない7連組成の30番台が登場しました。
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 2000系時代の車体を流用した0番台と異なり完全新製であり、先頭車前照灯のシールドビームや車体中央部の水切りなど細部に0番台との差異はあるものの、犲嵶晶弩図表瓩両紊任錬鞍崑罎30番台も中間車などは同一カテゴリーに入っておりました。
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 7連で、末尾は2400系と同一で同じ数字なのですが、30番台のMcとM-Tc3両ユニットと40・50番台が符番されたT−Mユニットが組み合わされた組成で、伺った話では4両編成が現在の本数より多く必要になったとき瓩砲話羇屬40番台・50番台のT−Mユニットを2両ユニットである2625〜2628を分割して中間に組み込むことにも考慮し、30番台は3両ユニットとして組成をするということもできる設計となっていたようです。2両ユニットが当初1編成から4編成に増えた事、30番台が4編成登場してきたことも関連性がないとは言えなさそうです。

 以上、不十分な文才を目いっぱい使って書いてきましたが、たぶん皆さんのアタマにススっと入っていくレベルには達していないと思いますので、ちょっと昭和な手段(?)ですが、手書きの図表で補足説明させてもらうことにします。

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▲本文と合わせて本表をご参照ください。「一見雑然、でも実は原計画・修正計画に沿って・・・」という興味深い増備過程が何となく見て取れますよね。うーむ、21番と22番の登場順も、謎といえば謎、ですかね。

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 若手の方が『京阪2600系の本』を書こうと考えてえおられるようです。執筆の暁には、これらの事象も是非織り込んでいただきたいと思います。お手伝いは惜しみませんので・・・これにて穴埋め記事(にしては、読み応えがあったでしょ?)、終了っ!

今回の担当者 用務員・駐在員
 こんばんは。今回はまず速報系の話題から…年末より運用を離脱していました8006編成が月曜日に試運転をおこなったそうで、公式発表もなく推測するのみですが下回りや行先幕(幕、というのかどうか、のLED化)などの改修工事が施工されているようです。本日現在、営業運転に復帰したという話もありませんし、先頭車に未だに女性専用車のステッカー等も貼り付けられていませんでしたので、まだこれから営業復帰に先立っての性能試験などが実施されるのでしょうかねぇ。
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気になっている1980年代のことを調べる


 さて、1800系(I)の記事をスタートして以来、80年代の事について色々気になる(調べておきたい)点がいろいろと出てきました。どのようにして調べようか?ですが、自宅屋根裏に鎮座する大量のファン誌をかき分けて探索するという行為は“まず掃除”がオープニング・イベント(?)になってしまい、本題に到達するまでに終了が十分推察できるだけに早々に諦め、春分の日というイレギュラーな祝日を活かして、土日祝しか開いていないここの図書館へ出かけてきました。
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▲そういえば昨年の春分の日というと、この楽しかった一日でしたねぇ

 枚方市駅に到着しますと、20日より4連に組成されて交野線に使用されている13024編成の姿がありました。3月24日より『京阪電車×響け!ユーフォニアム2018』の開始により、宇治線10005編成の先頭車両の扉周辺の壁面に主要キャラクターを大きくあしらった装飾他が施される関係での施工期間中だけの暫定的な組成と推察でき、この編成は短期間の姿と思われますので記録を・・・
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 で、本題になりますが、せっかく鉄博へ行ったにも関わらず道を間違えて展望デッキに出てしまい、この光景を撮影した(もちっとカメラを上に向けて撮ればヨカッタかなぁ…)以外は、
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 展示物も見ることなしに3時間あまり図書資料室にこもって、当時の学鉄連の各校の機関誌(←これにも結構深いなネタが隠れているんですよねぇ)や、数年分のピク誌・電気車の科学などを流し読みするという有意義な時間を過ごしてきました。1980年代の商業誌は、国鉄と在京私鉄の記事が大半を占めており、ピク誌でも京阪電車の記事は【読者短信】に出ていればよい方で、記事掲載無し(文字での言及すら一切見当たらず)の号も多々ありました。

 そんな当時の記事の中で、当ブログの不定期連載記事「京阪2600系の謎」にてピックアップして書き留めておきたかったこと・・・

2000系2025〜2034のKS63形台車の顛末


 2025〜2034までの昭和36(1961)年川崎車輌製造の2000型2次車10両だけが履いていたKS63形台車は、2600系への代替新造(改造)時または2600系となってほどない1981年から1983年にかけて、10両分20基全てが新造の別形式台車に交換されました。

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▲2030(→2821)。ただし2821の台車は2009から転用されたKS58となり、2030のKS63台車は2623(←2009)が履くことになりました(車体と台車の組み合わせが、2600系への変身と同時にこれら2両の間で入れ替わったのですね、あ〜ややこし)。

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▲交換が数日後に迫ったKS63時代の2808(←2034)。

 これらの交換は、1981年度と1982年度の2年度にわたり施工されました。

 前半はKW37への交換、
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 そして後半はFS509(2615に装着)を経てFS509Aへと、明確に分かれていました。
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◆ KS63形台車振替の記録 ◆

 2608 KW37  81/04/07  2612 KW37  81/07/01 
✰2625 KW37  81/07/07 ✰2620 KW37  81/08/17

 2615 FS509  81/11/14   
 2812 FS509A 82/11/07  2623 FS509A 82/11/12
 2621 FS509A 82/11/26  2614 FS509A 82/12/10
 2808 FS509A 83/03/23

☆2625・2620へは、2000系→2600系への‘代替新造’と同時にKW37台車を新調。

なお、これら10両の種車(2000系時代の車番)をみますと、2次車は7両しかありません(2028→2825、2030→2821、2032→2814が見当たらず、その一方で2009→2623、2013→2615、2015→2620という1次車ルーツの3両が含まれています。これは上記2030写真のキャプションで触れたような車体・台車の組み合わせ変更(入れ替え)が行われたためです(あ〜ますますややこし)。


なぜこの交換が二種類になったのか?という経緯の記述を、今回発掘することが出来ました。以下文章抜粋&要約にて紹介します。

 2600系への台車転用に際しては、冷房装置搭載による車両重量の増加や制動力の強化によって台車に負担が掛かるため、FS337A台車ではゴム製の軸バネを鋼製スプリングに交換して対応をしていましたが、KS63台車では亀裂が入ったりしたため全基の交換が決定されたようで、まず当時30番台M車に使用されていたKW37台車を新造して81年春から夏にかけて2600形Mc車4両分が交換されました。

 そしてこの時期に1500V昇圧後に登場する新造車6000系ではSUミンデン台車が使用されることとなり、先行してFS509台車が製造され2615号車に取り付けられて走行、動揺・振動などの試験が実施されました。結果は良好であり、先行のKW37形に比べて比較的安価であったために、以後の交換分(82年度分)についてはFS509を一部設計変更したFS509Aにて施工されることとなり、以降の5両については同台車への交換が実施された、という経緯のようです。

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▲FS509Aに換装後の2808。縁取りがあり、中央部が窪んだ形状のボルスタが特徴的な台車でした。

 施工年度こそ違っていましたが、KS63形台車の淘汰という一つの目的に向かって、短期間に2種類の新造台車が使用されたという史実は、長年その理由が気になっておりました。それに関連して、実に40年近く後の今になって当時のピク誌読者短信欄にあったこのような「目から鱗」レベルの記述を発見するということは、(私にとって有益無益という意味で)玉石混淆ともいえる状態であったこのページを眺めていながら、後年ここまで京阪に入れ込むとは思っていなかった当時の意識の低さがゆえなのでしょうね。これだから、雑誌を含む古い書物も侮れないんですよね。

研究系の皆さんも一日、たまには展示物を完全スルーする構えで、本と戯れる前提で鉄博に行かれるのもいいものですよ。

今回の担当者 用務員(補筆・一部写真 駐在員)

黒幕化の頃

 こんばんは、毎年のことながら10月後半というのは中旬の大散財の後、財布のみならず気持ちも一休みしております。

 さて、京阪線では寝屋川公開時点では緑帯が未整備状態で留置されていた7203編成が18日に試運転をおこない、営業運転に復帰しました。同編成では既報のように座席がバケットタイプに交換されており
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春より各編成にて取り付けが進められている狹焼伊瓢澂甓造も実施されています。
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 ところで、最近若手もけいはんの方々のお話しの中で出町柳延伸前後の2600系の変化の話題が出ておりました。ネット直前の時期だけに検索という作業だけで得られる情報というのも思う以上に乏しいだけに、当時の記録・記憶のあるものが折を見て書き残しておくというのも必要だと思いました。

 というわけで以下、その歴史が1976年にデビューした5555編成の白幕から始まった「前面貫通扉下部の2段表示器用の方向幕」の変遷を、大まかに振り返ってみようと思います。

 5555編成、1000系(掘法5556・5557編成、そして2600系131両が全て前面に白幕を装填して出揃った2年後となる1984(昭和59)年11月、2200系の改修車が登場しました。その際に(厳密には、前面幕においてはその年末から)、その前年に登場した6000系と同配色の黒地・白抜き文字行先幕と、種別色地・白抜き文字種別幕が採用されました。
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 当時の回送幕は黒地・白抜き文字、特急幕は初期改修の編成(2222編成・2223編成・2225編成=骸骨3兄弟、ですね)こそ登場時の6000系と同様の赤地・白抜き文字でしたが、1985(昭和60)年11月に登場した2224編成以降は白地・赤文字でした。余談ですが、この「登場時の6000系の赤地・白抜き文字の特急幕」というのがレアで、記録が無いのですよね。同系のデビューを報じる鉄道雑誌をざっと見返してみても、出て来るのは「急行|三条」ばかりで…。

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▲1987(昭和62)年春の8連の2274。特急幕ほどではないにせよ、赤地(橙地に非ず)・白抜き文字・ローマ字無しの急行幕も、今となっては懐かしいです。

 続いて、昭和61(1986)年に登場した1900系冷房改造車もその仕様になりました。
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▲冷改竣工第一陣の1915編成は、黒地・白抜きの回送幕を装填して出場。

 ただ、1900系の冷房改造の途上では「回送」コマはネガポジが反転し、現在と同様の白地・黒文字となりました。続いて、ブリッジ式が採用されていた1000系も1003編成を皮切りに黒地幕に交換されました。ただその幕も、側面の行先幕は白地時代と同様の文字のサイズが小さく、細字と太字がありました。
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 そして2600系も、2625ユニットの出場時に初めて黒地幕に交換され、以降は手元のメモによると、2612・2623・2627・2628・2613・2620・2614・2615・2622・2616・2619・2634・2624・2608・2633の順に交換されていきました。2630番台についてはそれまで先頭に輝いていたステンレス幌枠&幌、幌座(車体側金具)の撤去時期とクロスしており、31・32は幌&枠撤去・幌座残置→幌座撤去→黒幕化、33は幌&枠&幌座を同時撤去→黒幕化、34は幌&枠&幌座を同時撤去・黒幕化の全てを同時施工と、流れが異なっていました。

 ほんの短時期しか見る事のできなかった2633の幌&枠&幌座撤去後の白幕姿。
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 2620編成は早い時期に黒幕化されました。交換直後。
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 当然過渡期には白地幕と黒地幕の並びも見ることができました。中書島駅での2景。
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▲ 2809と2818 ▼ 2813と2807
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 黒地幕化は1989年秋に延伸される予定となっていた鴨東線用の「出町柳」コマの追加という意味合いもありましたので、1987年から1989年にかけてあっという間に出町柳開業までに置き換えられる1800系を除く全編成の交換が実施されていきました。

 もけいはん活動家の彼からは「倶楽部2600が近々90年代の2600の動きに関して記事出してくれるらしいけど、個人的には幕仕切りの交換とかいうクッソ細かい話が気になるので、そこに触れられるかも注目してる。91年辺りのKS63系統が一気に相当数消された台車振替と同時だったのかどうかがね…」というリクエストをいただいておりますが、クッソ細かい期待に添えるような記事が書けるかなぁ…。

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今回の担当者 用務員(写真協力 駐在員)
 こんばんは、鉄道コレクション京阪電車2600系新塗装車発売に呼応した企画の後編です。2008年〜2013年にわたって本線上では新旧塗装の競演を見ることができました。
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 前回はオール新塗装車での編成例をふりかえってみましたが、今回は一つの編成で新旧塗装を楽しめた2600系らしさあふれる愛好する人の多かった混色編成編です。
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 京阪電車の編成の場合通常4両の場合ですと2両づつ、7両ですと一両おきに4両と3両というように分けて全般検査が施工され、片側が全般検査を施工されているときには残りは重要部検査を施工するというように検査回帰がおこなわれていました。ただ、2600系0番台の場合には組成の関係で編成内のユニットの検査時期が違い、一方が入場時した際には残された車両は休車処置をして車庫内に留置されていたり、昔は半端車を組み合わせての暫定編成を組んで使用されていたりすることもありました。私が把握することができた編成例です。

【4連】


2609-2919+2625-2825・・・2011/10/16〜11/10
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2614-2914+2626-2826・・・2011/5/30〜6/12・6/29〜7/28
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【5連】


2624-2924+2606-2706-2806・・・2011/12/26〜
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2628-2828+2608-2708-2808・・・2011/4/22〜
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【7連】


2601-2701-2801+2718-2818+2619-2819・・・2012/5/15〜2012/9/28?
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2604-2704-2804+2724-2824+2625-2825・・・2008/10/06&07・10/18〜11/10
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2605-2705-2805+2623-2923+2723-2823・・・2012/7/初旬〜2013/3/15
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2609-2919+2719-2709-2809+2625-2825・・・2008/12/1〜4・2012/8/31〜2013/1/11
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2614-2914+2603-2703-2803+2626-2826・・・2010/8/5〜2011/8/4?
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 最後に、混色編成は2600系だけの専売特許だと思われがちですが、過去のデータを見ていますと2009年の3月4日〜6日にかけて
2226-2326-2368-2367+2351+2327-2328-2276
という2200系8連での混色編成の組成があったという記述がありました。ただ車庫内での予備車としての留置だけで営業線に出ることが無かったようなので、実際この組成が組まれていたのかさえも今となっては検証のしようがありません。

 鉄道コレクションを入手して過去の再現もするも良し、自分の世界で幻を組成させるのも良し、京阪好きにとっては嬉しい時代になったものです。

今回の担当者 用務員

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