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節分に撒く豆は、昔から大豆を炒ったものと相場が決まっていました。
最近は、皮付ピーナッツであったり、飴やチョコレートであったり、しているとも聞きます。
今日の話は、豆ではなく、それを投げ付けられる鬼の話。
「福は内、鬼は外」といずれにも豆を投げるのでしょうか。
それとも、「鬼は外」の時だけ豆を投げ付けるのでしょうか。
各地に桃太郎の鬼退治伝説があることは知ってますね。
黍(キビ)だんごに引っかけて吉備の国(岡山県)が有名ですが、その他の地方にも桃太郎の鬼退治伝説が残って居ます。
岐阜県来栖、香川県女木島などです。
そして、鳥取県日野郡、南紀熊野地方、茨城県久慈郡、福島県安達ヶ原、山形県西田川郡、宮城県栗原郡、岩手県胆沢郡、青森県中津軽郡などなど。 この鬼と言うのは、一体何でしょう、誰の事でしょうね。
調べたところでは、その中の一つの例ですが、今から1200年以上前の桓武天皇の時代のこと。
蝦夷征伐を敢行した征夷大将軍の坂上田村麻呂が桃太郎のモデルであろうと言うのです。
じゃー、田村麻呂の場合の鬼はだれ、と思うのです。
産鉄の民とも、恐ろしい略奪のまさに鬼であったり、しかし、赤鬼青鬼、片葉の、メッカジ、となってくると、もう判りません。
産鉄の民って、何かご存知ですか。たたらの民です。
列島は良質な砂鉄が豊富で、各地にたたらが作られました。
すなわち、砂鉄や黄鉄鉱を熔かして玉鋼など製鉄を職業にしていた人たち。
金鉱で黄金をあるいは鉛や錫などの金属を製錬していた人たち。
何処でかと言うと、全国到る所で。だから各地に鬼伝説が残るのです。
真っ赤に溶けた熱いたたらの覗き穴を見ていて、真っ赤な顔や青い顔をしていたり、目が悪くなった人をメ○カジ(目鍛冶)と言ったり、一つ目小僧のお伽噺にしたり、片足でふいごを踏んでいる姿を一本足に例えて、片葉のあしと言ったとか、傘のお化けにしたりした。
何れも、私たちのずっと昔から伝わるおはなしです。
もうお分かりになりましたね。
端的に言うと、鬼では無くて支配者に楯突いたとして排除の対象になった人たちなんです。
そう、縄文の時代からこの列島に生きてきた人達です。
恐ろしいのは、その人たちの様に自然を愛し争いなく暮らしていた人たちを、国と言う束ねの中に入れなければやっていけない世の中なんです。
今日はここまでにします。次が書けるかは分かりません。頑張ります。
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歴史関連
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我が家の愛猫「ドン」が、昨日夕刻、山の彼方に登って行ってしまいました。 今、日にちが変わりましたが、一人で「ドン」のお通夜をしています。 2003年、生まれて3か月で我が家の一員になり、8歳で行くってのは早すぎます。 先日、二軒の獣医に連れて行ったとき、二軒とも手の施しようがないと、匙を投げた。 歯をむき出しにして嫌がる姿を見ていたら、二度と連れて行こうとは思わなくなった。 以来、2週間以上、一口も食べ物を口にせず、毎日、水だけを飲んでいた。 それも、口元に持って行かなければ飲まないようになっていた。 そして、昨日はその水さえも飲まなくなり、大きくお腹で息をしていた。 最後の時には立ち会えなかったが、静かに息を引き取ったと。 大往生だったと。 ドン、有難う。 安らかに。 眠れ。 |
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私たちのDNAは、3分の1が縄文、3分の2が弥生だとものの本に書いてあります。
縄文時代は、1万6,000年ぐらい続くのです。日本の国で、元々いたのは縄文人です。そこに、今から3,000年ほど前に、渡来系弥生人が入り始めて、もちろん、縄文の人たちも取り込みながら、生活を構築していった。
おみそが、本当に中国や朝鮮半島から渡ってきたのかと、私は疑問に思うわけです。
元々、みそが塩漬けのものであるから、保存食としてのものだった。そういうことではないのではないか。今から約5,000年前、寒冷期が済んで、だんだん温暖化していって、大陸との縁が切れて、大型哺乳類、マンモスだとかいうものもいなくなって、小動物をとるようになって、肉が十分に食べられなくなって、暖かくなってきたから、肉を置いておくこともできなくなって、今のエスキモーのように、凍らせて、生肉を食べることもできなくなって、日本の国にいる人たちは、やむことなく、植物性の食をするようになった。
すると、そこに起こったことは、生肉によって得られていたミネラルやナトリウムというものが入らなくなった。逆に、カリウムというものを食べるようになって、カリウムのナトリウム排出効果というもので、ナトリウムが、どんどん体外に出ていった。だから、必ず、ナトリウムを食べなければ生活できない。塩が体内からなくなるとどうなりますかと聞いてみたら、1日ぐらいで死んでしまうそうです。
縄文時代の人は、1,000キロだって行動していた。今、考えると、とんでもないような行動範囲。そのときに、野山に分け入り。必ずそういうときには、動物を食べたりするが、植物も食べないとやっていけない。ナトリウムがなくなる。これは、何とか塩を持っていきたい。
しかし、ご存じのように、この湿気の多い日本で、にがりの入っている塩を持って行くと、全部溶けてなくなってしまう。これを保存するために、やむことなく、獣肉に入れたり、穀物に入れたりして、持ち歩いたというのが、みその始まりではないか。だから、大豆がどうのこうのでなく、そういったものをみそといったのではないかというのが始まりだった。
縄文時代の言葉、縄文語を研究している人がいました。よく分かるなと思いますが、文字もないのに。その人が言うには、縄文時代は、一音一意。それは、ちょっと紹介しますと、例えば、「やま」という言葉があります。「や」というのは、明るい、新しく、自由であるとか、新生という意味の「や」なのだそうです。「ま」は真という字を当てますが、本当のもの。だから、新しく、新生するような本当のものというのが山だと。ということは、魂がそこで新生するという意味だと言います。そのようなことが書かれている。
「み」は、見る。それは、「種実」の実です。それから、身体の身、そして見。手で触って「みる」もそうだし、聞いて「みる」というのもそうだし、かいで「みる」というのもそうですが、すべて、そういったものを、真実を求めていくというようなことも含めて、充実しているもの。これが「み」だと。
木曽の御嶽山の木曽。漢字で書きますが、この「そ」と言う音。みその「そ」もそうです。木曽は何かというと、木になって食べられないようなもの。「そ」とは反対のものだというのです。要するに、反対の意味。抵抗するという意味がある。食べられる実のなる木ではないものという意味で、木曽の木は針葉樹で、食べられないもの。だから、「きそ」という名前が付いていると言うのです。
「みそ」については書いていなかった。私は、それで、勝手に考えたのです。みそというのは何だろう。ものすごく大事な、充実した素晴らしいものが、まったく違うものになったもの。
ということは、みそは、日本語で、縄文時代から既にあった。それに対し「未醤」とかいって、「未だ醤ならず」という。中国の調味料の漢字を当てたりした。みそは調味料ではありません。
大豆がある、なしではないのです。塩を保管する。保存して、持ち運びやすいようにして、ナトリウムの不足を防ぐような食品として、要するに携行食として考え出した。それが、縄文人の知恵だ。それがみそだと思うのです。
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1300年前に成立した古事記、これが日本の歴史書としては最古の書物。 稗田阿礼が口述したものを、太安万侶が渡来し立ての漢字を充てて筆記した(書き写した)もの。
ヒエ・ダ(稗田)と漢字で書くから、理解しにくい。ヒ・エタと言うのが正しいと解釈する人が居る。 すなわち、弥生以前から日本に定住していた、原住の人達。そう、縄文の人達。 その縄文の人達の内で伝承されていた話を、天武帝の命令で書き残すことになったのが古事記。 昔から、歴史学者は歴代の権力と結びついて良いように歴史を作り続けて来たところがある。今で言うところの「御用学者」さんたち。京助さんも晋さんも、そして太安万侶さんも、私はそのような方たちの書物を直接は読んでいないので、コメントは差し控える。 自分の感性を納得させる書物を読んで、間接的にそれらの人達を知る。 真実の歴史は、誰のためのと言う冠詞がつくことで、まったく違うことは当然の事。 アンドロメダ星雲が左巻きか右巻きかは、見る位置が180度変われば異なるのと同じ。 しかし、真実は一つなのです、たった一つ。 歴史記録は、現世を上手く取仕切り運用して行く方便であったのでしょうか。 結果良ければ自分たちの地位は確保されると言う中で。 それら治世者群の一番の目的は、何だったのか。 時代時代で全く異なることですね。 しかし、変わらないこと、それが治世者の本筋。 民の安寧を祈り守ると言うことです。 なに、今の時代。どなたが民の安寧を守っていますか。 戦いの中に、民を湯水のように浪費し、勝てば官軍の悪しき記憶の中で、日清、日露の勝利で酔い、世界から爪弾きにされる恐れの中で、第二次に突入し、負ける。 いやー、負けると書いたが、これで良かったのかもです。 負けるが勝ち、負けて存続できたのですから。 その当時はですね。 今、津波が押し寄せ、原発が新たな不幸を民に与えている。 なになに、これって第二次の大戦と全く変わって居ないのではないかい。 この日本の舵取りをしている世の権勢権威者の皆さん。 どこに向かってこの日本を、この日本の民を、引き連れて行くお積りですか。 さて、疲れて来たので、そろそろ終わりにするが。 エライものを見つけてしまった。 縄文時代にすでに文字が有り、高度の哲学(文化)が有った。 それが、古事記日本書紀のベースになったと言う。 それが、「ヲシテ文献」。
http://youtu.be/Dm8zldpBVDUまだまだ、日本は深く不可思議な国です。 あ、日本と言う国名、これって何。
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何だかんだ言っても、支配されて納得する被支配者は居ない。
と言うことは、支配者は今までどのように支配して来たのか。 被支配者の生活が立つように?、争いが起こらない分配が納得できるものであった、もっと酷い扱いをされる下層が居た、強権発動して力で抑え込んだ、甘い汁を吸わせて仲間同士で監視させた。 いやいや、まだ数限りなくあります。 人間の知恵とは恐ろしいもので、知恵の勝るものが優れ、劣るものは消え去れと言う理論。 その知恵と言う代物をよく知りもしないで。 知らず知らずの内に、その支配の中に位置して、少しでも良い生活を、自分の家族や子孫のためになるように。 種の保存? いや、そうではないでしょう。 ただ、我のためでしょう。 このことは真理です。 どんな人であれ、自分のため生きているのです。 自分のために。 自分って何。 自分は地球であり、宇宙であり、自分であり。 普遍的な存在。 誰とも、他のどんな人とも代わることの出来ない、 存在。 このことが分からずに人は 右往左往。 まず、自分の存在を確認し、自分の生き様を大切に守って行こう。 今日はここまで。 ちょんちょん。 |
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